丁度24時間、昨日の今頃から上京し,品川駅傍のコクヨビル 大会議室に向かいました。
東京に行っても、福祉の仲間と話をして、少し時間をつくっては、旧知の友とランチして帰路につく。
何時もの業務の場所が変わっただけで、特にほか何もエクサイトメントはない。
さて、そんな慌ただしい移動の中、近鉄線に乗り込んだ。
隣りのオバちゃんが、突然、車内のシートに座りながら電話をし始めた。
これっていわゆるマナー違反!人間、歳を重ねると図々しくなる
このオバちゃん〔50代かな〜)、 悪びれる事なく数分間の会話を
それも周りの人にまる聞こえのボリュームで話しする。
特急電車とは言え、近鉄線はローカル電車。
まぁ、そんなに目くじらたてずとも…….
と思いながら、田舎の雰囲気を楽しむように自分に言い聞かせていた。
すると、今度は、別のおばちゃんグループのばか騒ぎ!
女が三人寄れば姦しい?!
そんなレベルではない。
大笑い!笑いながら手を打つ。相手の会話にかぶせて話す。
これは、携帯電話による会話以上に
周りのものにとって迷惑この上ない。
ネットで特急券予約するシステムに、
おばちゃん注意報又は警報を付け加えてもらいたいものである。
手元に参議院選挙の投票所入場整理券が届いた。
三重県からは一議席をめぐり二人の候補者が立候補している。
選挙権は国民にあたえられた権利であって
自分たちで代表者を決めることができる権利である。
しかし、
どの政党の演説を聴いていても、ピンとこない。
どちらを選んでも変わり映えしないようなイメージしか伝わってこない。
今、高齢者福祉も障害者福祉も含め、日本の社会保障制度自体がピンチと言われ
昨日も「社会福祉種別協議会正副会長会議」に出席していたが
その中で出される課題の一番が人材難であること。
次に報酬の低さによる健全な施設運営の難しさだった。
100%が税金で運営される社会福祉
濃厚な社会保障を担保するには、今の税制度での維持は難しい。
どの政党も「増税」を掲げて、社会保障の充実を唱えるわけにはいかない。
何もかもが中途半端!嫌われることは避けたい、ましてや候補者の一人でも
多くを当選させたい!そんな思惑が日本の国策をダメにしているような気がする。
義理と人情で投票には行きたくない。
この国で生まれたことを、この国に生きることを喜べる、そんな日本になってほしいと願う思いも
僕の生きている間に変わることはないだろうね。
一昨日、市内のホワイト介護さん主催の認知症研修が開催されました。
鈴鹿市労働福祉会館3階のホールにおいて53名の方にお集まりいただきました。
毎年、ホワイト介護さんから研修講師の依頼を受けて、認知症について再確認を含め
研修をさせていただいております。
参加者は鈴鹿・亀山地区から広範囲にわたる職種、業態からの参加を頂き
認知症に関する講義と介護現場で働く人々の学びを拡大するためにも
色々な角度から高齢者介護にまつわる気づきやホスピタリティを説明させていただいております。
人さんにむけて講義するのもおこがましい気分ですが…..
実際、準備に準備を重ね、予習するたびに準備したスライド等中身に
おまかな修正をかけて当日を迎えることとなるのですが
どれ程準備しても完璧な時ってのがないのです。
いつも終わってから言い残したこと、説明不足や余分なことを言った等の反省が先に立ちます。
そして、そのことを考えていると夜は寝つきが悪く
これは、絶対に自分には合ってない!次回からはお断りしよう!と思ってしまうのです。
人を教えることは難しいです。ましてや、自分よりも経験年数の多い人を前に
介護論をお話しするには気が引けます。
しかし、私が感じている今の高齢者介護の実態を何とか変えたい!その気持ちが
常に心の中にあります。
今回初めてエンディングノートやリビングウィルについてお話させていただきました。
認知症となっても自分らしい最期を迎えるためにも
物事を認識できる間に自分の最後を考え記録しておくことが大切な気がします。
人前で話するのは辞めよう!と言いながらも
次回、7月13日(水)午前10時から、認知症サポーター フォローアップ研修の講師をさせていただきます。
認知症サポーターの資格を持っている市民対象の研修ですが、おおよそ2時間、認知症の人の理解を求め
お話をさせていただくつもりです。もしも興味のある方は、鈴鹿市労働福祉会館で開催されます。
5月の菖蒲に次いで、今月はアジサイを持ち込んでデイルームを花でいっぱいにしました。
アジサイを飾るだけで、特に何も変化はないのですが………(笑)
それでも花が溢れる部屋ってのもいいものです。
いよいよ梅雨入り、
日本の夏が近くなってきました。
今朝がたのテレビの天気予報でも注意を促していましたが
食中毒の季節でもあります。
調理器具はもとより、手洗いの励行、食品の保存方法に注意が必要ですね。
2016年6月7日
先月末、近鉄白子駅前の洋風居酒屋に40人ほどの熱い人たちが集まり、認知症に関連することについて語り合う「会」がスタートした。
会の名称はまだ正式には決まっていないようだが、東京で開催されている「お福の会」(以前にブログで紹介)を、何とかして地元でやりたいと僕の友人が数年間かけてスタートにこぎつけた「お福の会鈴鹿市版」で、お福の会で毎回謳われる「お福の会宣言」も使われているから「鈴鹿お福の会」と呼んでも間違いはない。
お福の会は、立場や肩書を取っ払って、酒を飲み交わしながら「認知症」について議論し合う場で、役人、医療関係者、介護関係者、家族、職能団体・事業者団体関係者、学者、研究者、事業経営者、メディア関係者など多職種の人たち60人ほどが集う、知る人ぞ知る・知らぬ人は全く知らない会である。
白子に集まったメンバーも、役人や地域包括支援センター職員、医師、介護事業経営者、療法士、介護職、職能団体役員、家族など多彩であった。
今回は初めてのことでもあり、まずは呼びかけ人の一人(医師)から認知症についてプレゼンテーションが行われ、その後、特にテーマを絞らず流れに任せて意見交換が行われた。
僕は主催者に全く事前にお伝えせず、兵隊を連れて“突撃参加”。
じっと静かに聞かせていただくつもりだったのだが、おせっかいに口出ししてしまった。しかも何度も…。
「あーっ、やってしまった」って感じ。
僕が投げかけたのは、ある話に対して、同じ人の同じ口から同じときに二つの相矛盾する言葉(本人側からの言葉と介護者側からの言葉)が出てきたので、「それこそが今の認知症にまつわる一連の問題点」(要約)だと指摘させてもらって、会場を「お福の会化」して開花させたつもりだったのだが、ディベートに慣れていないのか「批判されるようなことではない」となってしまった。
あることに対して自分の意見を言う場や他人の意見を聞く場は、たくさんある。
でも、自分の言葉であろうが他人の言葉であろうが、言葉の中から矛盾点を見出し、その矛盾をとことん掘り込んで明らかにしていく場は、そうないのではないか。
僕の認識では「お福の会」はそういう場であり、互いの意見をぶつけ合うことで深め合い、その時点での合意点を見つけていく。そのことで社会に課題を投げかけられるのではないかと考えての会であり、意見を出し合う・聞き合うだけの会ではない。
帰路途上、僕の頭の中は「皆さん、また来てくださるかなぁ」「主催者に申し訳ないことをしたなぁ」でいっぱいだった。
ディベートの場は、場の外に場の中でのことを引きずらないことが最も大事な事だと思うが、往々にして場の外にまで引きずりやすいのも確か。
これから鈴鹿に「お福の会」が根付いていくことを、ただただ願うばかりである。
会場となった「CRES」というお店ですが、お福の会という名は、もともと新宿にあった今は無き「お福」という飲み屋でスタートしたため付けられました。
当時は、小さなお店の通路の床にムシロを敷いてまで40人ほどがギュウギュウづめで座り込み、オーバーにいうと時間無制限でやっていました。
今は大井町にある「ロマン」というショットバーを借り切って、終わりの時間もピシッと決めて開催していますが、いずれにしてもお店の協力なしにはできません。
というのも「低額・定額」「超満員」「賑やか」ですから、お店にとってはたまったもんではありませんよね。
鈴鹿でもお店がかなり協力してくださったようですが、いずこのいずれも「認知症という言葉のお力」なんでしょうね。ありがたいことです。
第二回 認知症を考える会が一昨日、5月31日夜、白子駅前のクレスというカフェバーにて開催されました。
職域、立場を超えて認知症を共通言語として理解するための集いとして
行政、医療、薬剤、介護から37名の参加がありました。
飛び入り参加で、「大逆転の痴呆ケア」の著者、和田行男氏の参加もあり
白熱した議論の場となっていました。
引き続き、第三回の開催に期待されるところです。