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ブログ-施設長の部屋

2014/5/24
認知症の人

急激に認知機能が低下した男性、78歳。ラクナ梗塞多数、アルツハイマー型認知症+脳血管性認知症。自宅にいることや妻が認識できなくなり混乱が増大し、易怒性と幻覚が出現。起き上がりが困難となり車椅子生活、食事、排せつ、入浴ともに全介助。この状態に至るまでの期間が3年程度。

この男性認知症高齢者の介護は非常に難しい。易怒性は時として激しく、周りの利用者の気分を阻害し不安にさせてしまうほどの大声でわめき散らす。年齢も若いことから体力はしっかりと維持されているが、3年前のてんかん発作による転倒以降、歩行が困難となり車いすでの生活となる。

この人に何が必要か?この人の求めるものは?

この課題を探るのには、まずは信頼関係の構築が一番必要と考えられる。意思の疎通のかなわない人に対して信頼関係って構築可能なのか?と思い込んでしまうが、記憶障害を抱えているとしても、意思の疎通ができないにしても、繰り返しのアプローチとしっかりと相手を受け止めることから、次第に信頼関係は出来上がってくる。不穏状態の時に話しかける技術も学んでいった。相手の気持ちを読み取るスキルも学んだ。そして一番大きな功績として、この人の排便周期をコントロールできることがあげられる。今まで、かなり不定期に、言ってみれば「見境なく」という表現が相応しいほど乱れた便通に家族、職員共々振り回されていた。

この排便管理に効果があったのは、下剤の服用を制限したことだった。便通が促されないから下剤を繰り返し、毎日毎晩服用していたのを、週二回、日曜夜と木曜夜に減らしてみた。回数と量を制限することが、この人の便通を安定させ、排便周期がしっかりと保てるようになった。このおかげで、在宅での排便はなくなり、家族の介護負担はかなり軽減された。

そして、二次的な副産物として、精神の安定も以前よりは改善方向にある。成立しない会話も、成立しているように本人は納得できる状況となり、笑顔が多くみられるようになった。この点でも家族の喜びようは他にない程であった。

認知症の人であっても、働きかけの方法によっては、認知症の人の気持ちを安定させ、他者(職員を含む)へ与える不快感も減少させることができる。これすなわち医療・福祉・家族の連携のたまものであり、うちの職員に関して言えば、チームケアの充実の賜物と考えられる。

2014/5/22
認知症の人

身体機能は問題なし、ただ短期記憶の回路がめやくちゃに疎外されて意思の疎通を取りにくい一人の認知症の人をケアしている。会話は行えるが、複雑な言葉や単語を多く並べてしまうと理解されなくなる。一つの行為を説明するにも理解を促すには、ひと苦労する。

この間は、自宅に帰ると言い始めた。認知症の人の多くは自宅に帰らなければいけない。と言う「義務と責任」を強く表出させることがある。この人も同じく、家に帰るために迎えの者を屋外で待つ。と言い張って聞かない。介護の専門職と言われるグループホームの管理者、居宅のケアマネジャー、デイサービスの介護職員等4人体制で説き伏せようと悩む。単純な発想で「上手に騙す」ことが可能であれば比較的楽であるが、この人は違う。ガンとして屋外の通り沿いに立ちすくみ、我々の言うことを聞き入れてはくれないのだ。

そんな頑なに室内に戻ることを拒否する人を、強制的にまたは力ずくで室内に戻したところで、恐らく感情的になり余計に問題は拡大していきそうである。いろいろな糸口を探しながら、話しかけること30分。ひょんな事から、一つの糸口をつかんだ。それは夕食であった。迎えの人が来るまでに、夕食を準備しているので食べていってください!に反応した。それでも、日本人特有の相手の行為に甘えることを良しとしない気質が邪魔をして、素直には従ってはくれない。次に、せっかく準備したが捨ててしまうのは「もったいない」に反応があった。

少しずつではあるが、夕食の誘い水にのっかり、徐々に室内に戻ることを承諾し始めた。体の向きが玄関方向に変わったら、こちらの勝ち。後はゆっくりと丁寧に食事をとっている最中に迎えの人が来た場合には、きっちりと連絡するなどの約束を交わしながら、のんびりと食事を楽しめるような配慮を行い、テーブルについていただけた。

これが認知症の人のかかえる障害である。実際は昨日も、一昨日も、全く同じ状況を繰り返していることを覚えていない。そして、その度に同じように不安になり、一人で放っておかれる怒りを家族に対して抱き、我々スタッフ(介護職員とは認識できていないが)に迷惑をかけることに憤りを持ち続けている。

これら一連の不可解な行動に対して、本人は何の責任もない。しかし、周りに与える影響はとても大きなものがある。認知症の人を家族で支えることのむつかしさとしんどさは、こういう点でも理解できる。認知症の人の介護には、しんどいむつかしさがある反面、その人に対して上手く支援が成功したときの達成感は他に例え難いものがある。これらの積み重ねが専門職としてのプライドに変わっていく。

2014/5/21
熱意・・・

何にしろ「熱意」ってのを、僕は重視している。熱過ぎるってのも困る面を持ち合わせていることは確かではあるが、それでも熱い人間が大好きである。先ごろ、NHKのBSでも「Cool!Japan」って番組の中で、日本の持つクールなモノを紹介している。

クールって直訳すれば「涼しい」とか「冷たい」となるが、このクール。意外や意外、全く逆の日本人が熱く燃える部分を取り出し、それを外国人が「カッコいい!」と感じるモノを紹介している番組なのだ。

言葉の使い方としては逆でも、熱い、独特なこだわりが外国人が持ち合わせていない、日本独自の文化であると称賛している。先ごろでは、日本政府も日本の観光誘致にこのクールなジャパンを広く海外に向け発信している。

認知症ケアに対しても、日本の認知症に対する専門性は欧米に引けを取らない段階に達していると思える。ただ単に制度的には介護保険をなまじっか採用したあまり、その固定枠に縛られ過ぎて、その制度上のほころびには、まだまだ手が回らない状況ではあるが、それでも僕は世界に自慢できる認知症ケアを浸透させてきている日本を褒めてあげたい。

しかし、この熱意、まだまだ日本人の根底に根差していない。今なお、一部の者達によって先導され、それに踊らされ、熱意を持ったような錯覚を感じているだけの者もいる。特に協議会などの同業者の構成する団体などをみていると、その辺の他人任せな日本人の悪い面が大きく表面化されてしまっている。出る杭は打たれる!という格言を気にするあまり、出るタイミングばかりを計って。結局、何もせずに傍観者で終わってしまう。そんな日本人の悪いくせが、やはり根強く蔓延している。

これから将来を担っていこうとする若者たちよ!勇気を振り絞れ!人間一人ではできないことも束になれば、なんでも動かすことは可能である。青年よ大志を抱け!だよ・・・

2014/5/20
慣れの恐ろしさ

5月に入って自分のオフの時間は二日しかない状況が続いている。自慢するわけではないが、少々、休みが少ない。従って体がしんどい!そして、このところ随分と出勤時間が早くなっており、朝は8時までには出勤するようにしている。夜も一番遅くまで事業所に残っている。(残っているだけで、仕事しているとは限らないけど・・・笑)

まあ、こんなハードなスケジュールで動いている60歳。しかし、この業界に入る前の自分にとって休みなんてのは無いに等しかった時代がある。物販を生業にしていた頃は、週に一回の定休日に朝も早くから大阪まで、仕入れに車をとばしていた時代である。

大阪まで西名阪を通って心斎橋まで仕入れに行くには、片道2時間は確実に必要で、夕方に帰宅する時間帯の渋滞を考えると一日5時間は車の運転をしていた。それ以外は売れる商品とおぼしきものをかき集め、支払いをして、出来る限り多くの問屋さんを覗きめぼしいものを探す。これも結構ハードな仕事で、心斎橋筋界隈と言えば(実際は久宝寺って場所だけどね)、車の量も多く 駐車場も少ないので、いつも利用する駐車場に車を預けて、徒歩で問屋街を走り回る。若かったからできたのかもしれないが、相当な距離を歩くこととなるわけで、その後、車を駐車場から出して、回った問屋さんに預けてある荷物(商品)を拾い集めてから帰路に着く。そんな日々を暮らしていた。

あの頃は体の疲れも感じることなく、無我夢中の連続だった。なにせ、そこで仕入れる商品の如何によっては、売り上げに大きく影響を及ぼし、自転車操業の自分の店では、見定めることに失敗することは死活問題に直結していた。だから、仕入れってのは真剣勝負の場でもあった。

如何に売れるものを安く買うか?!が勝負どころ。だから、疲れた!なんて言っていられない厳しさがあった。

さて、そんな時代から事業の方向転換をして、この業界に入ったわけだが、ある意味、人様の命を預かる点では真剣勝負ではあるが、 やった分だけの対価は掛け値抜きで入ってくる。値引きもなにもないのである。何処もが均一の対価を売り上げることができる。

この福祉の世界から比べると商売人の世界は雲泥の開きがある。商売は水物と言うくらい、安定しない世界である。ぼけ~っとしていると食えない。今よりは少ないものの借金は存在していた。売り上げの中から借金を返し、必要な経費を差し引いて残るものが利益である。

毎日、食うか食われるか・・・な生活をおくっていると体を休めて休養を取るなんてのがばからしくなってくる。休んでいれば、その分の利益が無くなる。そう思うと、恐ろしくって休んでいられなくなる。それでも、そんな生活が普通のように感じていた。自然と疲れは意識しないで済む。しかし、介護保険にとっぷりと浸ってしまう軟弱な環境に慣れきってしまうと、週一回の休みでは少ない。疲れが取れない。と勝手な小言を呟いてしまう自分が居る。

その生活に慣れきってしまう。そして、その慣れは、撲自身の生きる力を奪ってくような気がするのである。慣れは恐ろしい。

昔を思い出して、明日からもうひと踏ん張りし、厳しい目で介護の質を高めていけるよう奮起しよう!!(本当かな~ア)

2014/5/19
職員不足・・・

つい先日まで、太陽の家のデイサービスは、とてもシビアな求人難に陥っていた。スタッフは常に流動的であり安定することのないのが高齢者介護の業界だけの問題ではないと思うが・・・こうまで職員が集まらないと業務が停滞するばかりか、残ってくれたスタッフが疲弊することとなりマイナスのスパイラルへと移行していきそうで恐ろしくなるのである。

新聞の折り込み求人広告の力も借りたり、ハローワークに求人募集を行なったり・・・人員不足を補うために私自身もできる限りの援助をする。自分ができることは限られてはいるが、それでも何か手助けしなければいられなくなる。職員も自分の休みを返上して仕事を手伝ってくれる。

この間は、本当の意味で事業所全体が一つに向かったことを象徴していた。離職していった者、残ったもの と色々な考え方のもとで職員は自分の水戸を歩くのは当然である。マズローも言うように、各々の職員は自己実現を目指して自分たちの思う道を歩いているのである。だから残念ながら離職居していった者を責めるつもりはない。しかし、今回の極限を体験できずに離職した者には、今回の一丸となった体制を体験できなかった。これは、一つに「もう一つの学び」の機会を得ることができなかったことでもある。

新天地を求め旅立った者達には、長い人生の中で一度くらいは立ち去るだけではなく残される立場を体験するのも必要なのかもしれないと思える場面だった。

介護の現場は3Kだけでの職場ではなく、そこで働く人たちの考え方一つで遣り甲斐、生きがいと感動の世界でもあることを知ってほしいと願っている。この職場は自分には合わない!と思い込むのではなく、そこに自分がどのように絡むことができるのか?それを探してみてほしい。視点を変えればきっと何か新たな発見があるはずだ。


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