鳥羽まで鈴鹿市社会福祉協議会様のバスをお借りしてお昼ご飯を食べに行ってきました。
昼食後の観光を兼ねて伊勢志摩スカイライン頂上で休憩。ちょっと霞んでいましたが、頂上からみる伊勢湾は雄大でした。そして、自分で草餅を買って食べる人も出没。さっき昼ごはん食べたばかりでしょう!と言いながらも、進められるので私も二つよばれました。おいしかった! 甘いものは別腹なんですね!きっと。
私は桜が大好きで、それも散りかけの桜が大好きです。風に流され吹雪のように花弁が散る瞬間。それが一番桜の花の美しい時だと思います。
人生のように華やかな時代もあれば、最終の美を風に身を任せて散りゆく姿は、最後の最後まで美しさを保持し人々の目を楽しませる姿に感動しています。
伊勢自動車道の松坂インター近辺は道路の両面を桜並木が今一番の見ごろでした。運転中に撮影しているので多少ブレはありますが、運転する者の気持ちを優しくしてくれるような気がしました。
今日は、私の友人二人が太陽の家デイサービスを訪れ、利用者の皆さんに折り紙を教えてくれました。 アメリカのニュージャージー、そしてカナダからの二人です。偶然、市内の行きつけのお店で知り合いになり、高齢者の施設ですと自己紹介したら、それ以降、ちょこちょこ遊びに来てくれるようになりました。
簡単な日常会話程度なら日本語を話する彼らです。太陽の家には、今後も日本語に慣れるために時々顔を見せてくれるそうです。非日常的な交流に利用者の方々は喜んでみえました。
(ホームページにて紹介することに関して、被写体のすべての方々には承諾をいただいております。)
三重県地域密着型サービス協議会では、先の東日本大震災直後に協議会会員事業所の皆さんより多額の寄付金を頂戴し、義捐金として東北地方の認知症グループホームの協議会あて全国グループホーム団体連合会経由で送りました。当三重県の協議会では義捐金だけではなく、震災後の物資不足に対し多くの支援物資を送ったり、人的支援も行ってまいりました。
この度、その時の功績が認められ、厚生労働省より感謝状を頂戴しました。
今年、太陽の家から二名の職員さんが、国家資格に挑戦しました。
グループホーム太陽の家の職員さんの二人です。
無事、二人とも合格通知を受け取りました。
これからは、介護福祉士として専門性を発揮し、後輩たちの育成も含め
頑張ってほしいと思います。
平成16年4月1日、太陽の家は誕生しました。
10年前の昨日、利用者はたったの一人の要介護者から始まりました。
この10年間、いろいろな喜びや笑がありましたが、それと同じくらい辛い時も経験してきました。
何度も辞めたいと考え、こんな仕事を始めるんじゃなかった!と後悔する場面も多くありました。
一人だった利用者も、今では定員枠ちかく、多くの方々に利用していただくことができるようになりました。
利用者の方やご家族にすれば、文句や苦情が山積していることと思いますが、それらの気持ちを押し殺していただいて、大きな問題に発展することなく過ごさせていただいております。これら全てにおいて、皆様のご理解とご協力のおかげ。
ここまで運営することができたことに、心から感謝申しあげます。
最後に、今も、この太陽の家を支えてくれている、もう一つの顔として、私の大事なスタッフ達にも、毎日の努力と協力、理解に感謝を述べたいとおもいます。皆さんのおかげです。ありがとうございます。
施設長 玉田 浩一
爺さん・婆さんとお付き合いして10年が過ぎた。
ずぶの素人だった自分が、色々なことを経験してきた。
10年は長いようで、短かった。
何も分からず、ただガムシャラに突っ走ってきた。ってのが正直な感想である。
そして、時々、そんなガムシャラ機関車も調子が悪くなる時があった。
な~んにもしたくない!気分の時があった。誰とも会いたくない。一日中、家の中に潜んでいたこともある。誰とも話したくはない。会いたくもない。ただ一人でいたかった時。
一日中、車を走らせていた時もあった。地道を走りはがら、何の目的もなく、行き当たりばったりのドライブ。気が付いたら長野にいた。
奇行 ばかりが目立つようだが、こんな不思議な行動が僕の10年を支えてくれた。
ヒューマンサービスは、人間の精神にとても重いストレスをかける業務である。特にソーシャルワーカーの業務は、他のヒューマンサービスの何十倍も重い心の負担を負うこととなる。
2025年、75歳以上の高齢者が人口の三分の一に及ぶ時代。その時代のソーシャルワーカーに求められるものとは??
だんだんと長生きさせられる世の中ではあるが、平均寿命が延びることに比例するように長生きが罪と感じる矛盾した時代が来るような気がする。
今日はエイプリル First. この日だけは『嘘』をついても良い日。
朝から、何か気の利いた嘘を探しながらも、忙しさに振り回され『嘘』どころではない。
そして、もうすぐ、嘘を言える時間も終わろうとしている。
年齢と共に、立場と共に・・・と言うより、自分自身にウイットやセンスが喪失していってるだけかもしれない。
だんだんと面白味もない、単なるオッサン化?!の現われ・・・