世の中はゴールデンウイークなる連休に湧き立っている。
今日も病院、銀行、他一般道も今z夏極まりない状況があった。
掛かりつけ医を受診したが、何だかんだと患者がいつもの数倍が待合にごった返しており、待ち時間一時間、薬を受け取るのに又待って。と、午前中はすべて病院で終わってしまった。
次に銀行。受付番号が30人先。すぐさま同銀行の出張所へ回るも、そこも同じく10人待ち。出張所だから窓口の数も少ない。結果的に支店の窓口も出張所の窓口も、自分の番がまわってくるのにかかる時間は同じだった。
送迎では、道路事情に混雑が見られ、普段以上の神経を使って運転士、交差点と言う交差点で渋滞がおこり、直線道路もノロノロ。
世間様が長期連休に浮かれる間、我々介護の現場では普段以上の奮闘が求められ、普段以上に神経をすり減らしながらの介護を強いられる。
こんな無りやり押し付けられるがごとく連休をおかれると、一番困るのが弱者。高齢者である。働き蜂の日本人に、半強制的に休日を与えられ、一時的にシステムがスローダウンする状況が、その隙間を埋める業種が一番苦労する。
(RAPHA ホームページ掲載写真を転用)
はっきり言うけど、僕は自転車競技には全く興味がない。ツールドフランスも興味ない。ましてや自転車専門雑誌も興味ない。なのに、自転車にとてもはまり切っている。
この写真は、イギリスの自転車用ウエア専門店「Rapha」(ラファ)のホームページから拝借してきた写真である。この3人のライダーは、ラファのスポンサーの着いたチームスカイ(昨年のツールドフランス勝者)だろうと思っている。そんな程度の知識しかない。そんな僕が、この自転車をこいでる連中を格好イイ!と思っている。
もちろん、この写真のモデルは、流石にシェイプアップされた体型であり、僕よりはずいぶんと足も長い。だから見た目も美しい。もちろん、被写体となっているウエア自体も黒の中にブルーが際立って、とても速そうなイメージがある。
速いから憧れるのか?と言うわけでもない。だって、僕が乗っても最高速度は40キロレベル。それも短距離でしかキープできない。一旦馬力で必死になって40キロ/時。上り坂では、ヨロヨロの時速9キロ程度でしか走行できない。
最近では、よろよろ運転も危険極まりないので海岸線の堤防道路を走ることが多い。一般道を自動車と並走して走るには危険すぎるからだ。
体型もブッサイク!走りもダサい!それでも、自転車で走ることが楽しい。自転車レースやヒルクライムなどの協議に参加するわけでもなく、だれかと連れ立って走るわけでもなく、ただひたすら自分一人で気の向くまま走っていることに喜びを感じている。
先日、ふとした事から、ネット上で沖縄で毎年一月の中旬に自転車で郷土料理や観光をかねて走り回るイベントが開催されていることを知った。これを見て、来年の正月あけに一度、沖縄のイベントに参加したいと思っている。
向かい風を避けながら、ブラブラと気の向くまま沖縄の道を自転車で走り回ってみたいと思っている。本当に、なんでこんなに自転車にはまってしまったんだろうね????
三重県は縦に長い地域性を持っている。ほかの県も似たり寄ったり、交通網の整備が充実されていない日本の場合、どの地域に行っても県内全域を一堂に会し!ってのは非常に困難が伴い、地域によっては不公平感が存在する。
実は来月の10日に名古屋市中区名駅にほど近い会場を借りて「認知症フォーラム」を開催する。東海三県の認知症関連事業所が集まって組織する協議会が共同で開催するわけだが、ここに集まる東海三県の関係者には、前泊が必要となったり、後泊が必須だったりと、地域による距離感が大きな問題となる。
この距離感と不公平感に対し僕なりの考えを書いてみたいと思いついた。つまり、参加する側は、この距離感をどのように理解し手参加するのか?また、主催する側は、この距離をどのように考えるのか?である。
僕が働きながら学生生活を送っていた頃、しばしば開催される対面授業の会場の大半を東京を選んで受講していた。なんと勿体無い。お金の無駄遣い。と思われるかもしれないが、その頃の僕は、地元に近い場所で開催される対面授業よりも東京などの遠方で開催される授業を選んだ理由として、そこに集う生徒たちに、自分とは違う異文化を感じていたからである。異文化でもあり、ものの捉え方、考え方が地域が変われば多少は違ってくる。異文化交流まで言うと大げさにはなるが、もっと簡単に言えば関西人の自分と関東人たちの生活習慣や気質の「違い」に、ある意味の重要性と別の視点の成果を期待していたのである。
実際、東京での授業に出席することで関東圏の人々の考え方と接し、勉強以外でも大きな気づきを得ることができたと思っている。人は、自分の意志で動いている以上、その意思決定には、その人なりの価値観やニーズに応じた成果を求めてやってくるのではないか?!そして、それらを主催・運営する側としては、そこに確実にメリットをおぜん立てする必要があるのではないか。
商売人の発想かもしれないが、経費の分に見合ったメリットが無ければ商売は成り立たない。そのメリットを生み出すことができない催事はソッポを向かれる。しいて言えば『儲からない』のである。
このフォーラムは参加費無料であるから、そこに利益は発生しない。だから尚のこと、それなりのメリットに確実性が無ければ人は集まってくれない。簡単な理論である。ただ、問題は経費に見合った内容だけではなく、催事事が常に都心部で開催されることである。三重県で言えば県庁所在地、今回のフォーラムにしても名古屋駅前てな具合である。
やはり遠方から参加するには、この距離感は埋めようのない負担が特定の地域に暮らす人々だけに覆いかぶさるのである。それも一回限りではない。立地条件の差は永遠に続いていくのである。この話題の先にあるものは、東京一極に集中する社会という問題となってしまうわけだが、これの溝をどのように埋めていくのか?
やはり、「参加する労力に見合った内容」しかないのである。距離に比例してではなく、距離に関係なく得ることの大きい内容。それが、この格差を埋める唯一の共通の課題となってしまう。
何を今さら・・・と思うかもしれないが、本当に高齢者介護ってのは難しい。
まず一番困難な点は、相手が脆く、崩れやすい点である。言うなれば、ヒビが入ったガラス製品のようなもので、単純な外圧によって崩壊しやすい。骨は脆く、皮膚は剥離しやすい。
慎重に介助していても何かの拍子に皮膚に傷をつけたり、最悪の場合は骨折したりと、本当に繊細な細心の注意が求められる現場である。
大切な人たちを高齢者施設ではお預かりしている以上、心身の安全の確約は言うまでもない。
このお約束ではないが、相手に対する思いや家族に対する責任を思うと、本当に介護は成り立っているのか?という課題にぶち当たっているのが現場作業のようだ。
大切な人を傷つけないよう慎重に、慎重を重ねて綿でくるんで壊れないように扱うことも重要ではあるが、僕は、ここに本人、家族、施設の三者の相互理解と信頼関係の問題があると思っている。
常日頃より本人の思いに沿った介助を心がけ、その姿勢を家族が十分に理解してもらっていることが最優先課題であるのではないか?と思うのである。
ただ、家族との信頼関係の構築は簡単にはできない。家族は、現場を見ることがない。要介護者の受けているケアを確認していない点で言えば、何をされているのか分からない気持ちになってしまう。これは当然のことで、見えない介護を理解しろと言う方に無理がある。
我々は、要介護者本人の意思を尊重するだけではなく、そこに至るまでの経緯を順序立てて家族に説明し続ける事が望まれる。
そして出来れば担当のケアマネジャーには、時折、現場の状況を見てもらうことも必要である。忙しいケアマネだから、出来る限り問題を負わすことは避けたい。そのためにも、困難な事例を抱える時には、ケアマネを通して現場確認をしてもらいながら、相談することを薦めたい。
それと、最終的には、もしもの事故が起きた時には、施設のトップがしっかりと真摯に対応することが必要である。私は、太陽の家のトップとして、どのような事件、事故に際しても、最前面で対処することを約束する。だから、職員さんたちは、思う存分、ケアプランに従って介護を進めてもらえればよい。
年寄りは難しい。のではなく、年寄りを中心にした信頼関係の構築が難しいのである。
さあ、怖がりすぎずに、高齢者支援の本筋を守るために、頑張ろう!
年寄りは体感温度に敏感である。
いやっ!敏感であるのではなく思い込みが激しいだけなのかもしれない。
春先の天気の良い日などは、ほぼ毎日のように西風が吹いている。
日中、陽のあたる下では初夏を思わせる程の気温上昇があり、締め切った窓際では汗ばむほどの陽気となる。
そして、あまりの暑さに窓を開けて空気の流れを誘導すると途端に、年寄りは寒いと言い始める。
体に風があたり、寒いと感じてしまうのだろうが、これが曲者である。寒さを訴える年寄ほど厚着である。重ね着を何重にもし、その衣服の数は想像を絶する枚数を重ねてきていることが多い。
なんせ重ね着をしていようがお構いなし。暑さを感じないのか、汗ひとつかかずにじっと座っている。
動作が緩慢となり静止画像のように止まったまま、体の代謝も低下してしまう年齢ともなると何枚も服を重ねてきていても暑くないのである。逆に風があたると、その部分で寒さを感じる。
この状態を繰り返すことによって風邪をひかせてしまうのである。頭と体のバランスが崩れ、真冬のような寒さでなくとも寒いと感じる時に、我々の支援方法を誤ると相手に風邪をひかせてしまう。
僕にとっては暑いけど、この人たちにとっては寒い!この状況には、細心の注意が必要と考えられる。
年齢の高い方々、春だから温かいはずであるは通用しないのが難点である。
今年で丸10年の節目を迎えることができた太陽の家として、今後の展開を考えている。
僕はこの施設が、将来的に認知症の人の役に立てる施設となることを夢見ている。
同時に認知症の人、当事者だけではなくその家族に対し色々な援助を行えることを目標としている。
認知症の人の精神的な安定は本より家族の心労を緩和できること。地域社会の人々に正しい認知症の人との接し方を理解してもらうこと。
まだまだ多くの家族には、認知症への理解不足から一部の家族に精神的負荷の偏りが見られる。家族全体が正しく認知症を理解し、認知症の家族を受け入れることが健全な家族の生活維持には欠かせない部分であることからも、認知症の人を持つことや公的なサービス受給に対するスティグマを無くすことが、今後の家族支援にとって欠かせない課題ではないかと考えている。
私たちグループホームに従事する者として、今までに培ってきた専門性を、何かの形で地域に還元すること。そのために何が必要か?を考えている。
今後、増え続ける認知症高齢者や要介護高齢者。その頃には自分自身も後期高齢者の域に入り始める。ひょっとすると誰よりも先に自分自身が要介護となるやもしれない。そうなったときに安心して普通の生活を送ることのできる体制づくり。
それがこれからの撲自身に与えられた使命ではないかと考えている。
最近、入眠前にテレビよりも音楽を聴くことが多い。それもジャズやクラッシクではない。軽音楽と言われる昔の映画のテーマ曲などを聴く。
皆さんもご存じのジェットストリームってラジオ番組のCD収録を聴いている。
今の子供にシャレードって映画すら馴染みない、そんな映画音楽のイメージを話したところで意味がないのである。しかし、そんな古臭い旋律が落ち着くのである。
以前に自分のブログでも書いたが、こんな僕が認知症となり要介護状態となったとき。その時に歌うのは小学校唱歌でもなければ演歌でもない。しかし、これはあくまでも僕個人的な好みの話。人によってもっている思い出の音楽は違うはずである。これから介護を実践する人たちには、この点を十分に理解し支援に結びつけてほしい。
さらに時代が変われば、年寄り向け発信する音楽がAKB48の曲かもしれない。時は世につれ、音とと共に変化していくのです。
認知症・・・記憶に障害をもつ。それだけではないが、認知症とは本当に厄介な病である。脳の器質変化が原因となり、人として生きていく中で不都合な面がたくさん生じてくる。
そんな状態に自分の親がなっていくのは、家族として見るに忍びない。普段から認知症高齢者を支援している自分にとっても辛いところである。
その大きな要因として、昔、僕が子供だった頃の親のイメージが崩れてしまう。今、ここにある姿は老いて、威厳を亡くした親の姿がある。厳しかった親が妙に小さく見えるとき。スネかじりの自分にとって親の位置は、遠く先を行く自分よりも大きな存在だった。そんな人物のイメージが消え去ってしまう寂しさに一抹の動揺がもたらされる。
人間いつしか親から離れ、独り立ちしなければならない。それ以上に、次は自分が親の持つ重圧を一身に引き受けなくてはならない。親の庇護のもと内海の穏やかな波間を公開してきた自分も、これからは自分が中心となって社会の荒波に対峙していかなければならない。
もうずいぶんと社会の厳しさの中で生き抜いてきた自分ではあるが。親が相談する対象でなくなる時点から、さらに社会の波風の強さをひしひしと感じざるを得なくなる。
いつか通る道。
4月10日の昨日は、夕方より三重県総合文化センターにおいて、ますずがわ神経内科クリニック院長の真鈴川先生の講義が行われました。太陽の家からはグループホームおよびデイサービスの両管理者と私の三人が参加させていただきました。
前回、鈴鹿文化会館にて協議会が主催しました地域ブロック研修と同じように、認知症の人を医療の観点から学び、薬の及ぼす影響、環境因子の重要性を学びました。