今日は、一日中、蒸し風呂の中のような気候でした。施設の中はエアコンが効いているので、それなりに心地よく過ごせるのですが、いったん屋外に出て行こうものなら、体中を熱気を含んだ水蒸気が体を包み込んでいくような不快な気分となる一日でした。
こんな日は、エアコンで冷え切った車の窓ガラスが結露して、ドアミラーで後方確認しにくい状況があります。あまりにも曇ってしまう窓では、安全確認しずらいので、時々窓を開けながら水滴を取り除くことが必要となります。窓を開けるわけですから、当然湿った外気が流れ込んできます。途端に車の中は湿気でジメジメし、ハンドルを持つ手もじっとりと汗ばんできます。
世間では、局地的な豪雨で道路や橋が流され、自宅から避難する人もいる地域があるほど。専門家は地球温暖化の影響がジリジリとではっ締めているのではないか?!と力説します。確かに、今日の夕方に、この地域でも雷が鳴り響き一時だけではあるのですが、強い雨が降ってくる場面もありました。
局地的なゲリラ豪雨のお蔭で何が困るって、それは洗濯物を取り込むタイミングです。最近の夕立ってのには、決まって風が強く吹き荒れます。それによって雨が横殴りに降り注ぐこととなり、屋根つきの物干し竿も、びしょ濡れとなってしまうのです。そこに日中の熱気のもとで乾ききった洗濯物が残されていれば、当然のように洗濯物は脱水前の状態に逆戻り。
一度濡れた洗濯物は、この時期、二度洗いしないと臭くなります。そう!雑巾の生乾きのようなにおい。
今日の天候は、まさしくそのような状況のもと、多くの人たちが暗く空の色が変わったときに走り回って、洗濯物を取り込んでいたことでしょう・・・
地球温暖化。この文字の持つ意味は、まだ実感しにくい状況かもしれません。しかし、本当に大きな被害に結びつくようになってから温暖化を論じても無意味なのかもしれません。エコロジを唱えながらも、昔のアナログの世界に戻ることに苦痛を感じる自分たち。特に僕なんかは、家に帰ってエアコンをかけて涼んでしまう。そんな便利な生活に慣れすぎている現状を捨ててしまって、遠い昔の生活に戻すことができるのだろうか?と少し心配になってしまいます。
暑い夏!鈴鹿の夏!
昨年に引き続き8耐の仕事を週末の二日間、フルに活動してきた。朝は早朝から、深夜に至るまでみっちりと走り回り、汗まみれになり加齢臭を振りまきながらたくさんの観客の中や、関係者の狭間で動き回ってきた。午前のオープンから一通りの作業をこなし、8耐レーススタートの数分前の国際レーシングコースの様子。スタート前の時間経過を知らせるための赤いスポーツカー。サーキットクイーンがボードを掲げて選手にスタート準備を促していく。
8耐名物のピット裏に置かれた子供プール。なんでサーキットのピット裏に子供用のプール?って思うかもしれない。8耐ライダーも人の子。レースに参戦しながらの子育て???と思うかもしれないが、いやいや、このプールでライダー自身が熱いレースのバトルで火照った体を冷ますために置かれている。8耐のルールでは、8時間の長いレース時間中に、人胃の選手が連続して1時間を超えて走行することを許してなく、必ず選手の交代を求められている。そんな選手交代した時に冷たい水プールに寝そべって体を冷やすわけだ。
今年の8耐も例年と変わらず暑かった。日中の路面温度は軽く60度を超えていたようである。このレースの行われていた鈴鹿市はゴール直前の30分前までは雨も降らずに、ドライコンディションでのレース。しかし、その頃の山口県や島根県では、局地的な大雨で、気象庁も今までに経験したことのない大雨!と発表するほどの豪雨に苦しめられていたようだが・・・・
鈴鹿では、予定通り夜の7時半にはチェッカーが降られた。鈴鹿サーキットのレースコントロールの中枢である場所の真下には、パルクフェルメーと言われるレース終了後のマシン保管場所が作られる。その一角に入賞車両3台を確保し、そこからポーディアム(表彰台)へと選手を送る。8耐レースにおける最終の大仕事。交代ライダーを含めて1位から3位までの9名(一台のマシンに3名のライダー)をポーディアムに送り届け、次に特設会場にて、完走したチームを祝う「完走賞授与式」を行う。
8時間耐久レースは、ライダーだけの技術やレーシングスキルだけではなく、チームメイトのメカニック、そして8時間の走行を維持するスタッフをケアするサポーター。そして、レース自体を運営するスタッフもすべての人が、このレースが終了するまで、緊張を維持し、いろいろな役割を地道にこなしていくことから出来上がっている。選手だけでなく我々運営スタッフも耐久レースを共に戦っている。
8時間の長丁場を走りぬき、汗と涙、喜びや悔しさ、悲しみもすべてを受容し、レース終了後の打ち上げ花火を眺めながら、今年の8耐を終えた感動に浸ることとなる。
少し以前からフェイスブックなるものを始めた。以前から興味はあったものの、何となくフェイスブックに登録する行為に躊躇してしまって(実は、登録の手順が理解できていないだけ)現実味を帯びなかったが、今回、うちのインターネットのプロバイダー経由で簡単にフェイスブックに登録できるようになり、とうとう、この僕もフェイスブックの仲間入りを果たしたと言う訳だ!
ただ、しかし、・・・そこには案の定色々、複雑なステップを踏まなければいけないわけで、まず第一段としてのパスワードの時点で躓いてしまった。何度トライしてもパスワード間違いが表示される。もちろん、自分の設定したパスワードは記録している。しかし、その記録されているまま入力しても弾かれてしまう。何度も繰り返し跳ね返されているうちに、とうとう悪意を持った侵入者扱いで、フェイスブックから追い出されてしまう始末。
あ~ァ、歳とるって寂しい!!!新しいシステムを理解できなくなる。若いころには、新しい文化にも説明書を読まなくても入っていけたはずが、ちょこっと歳を重ねただけで新たなツールを取り入れることができない。ほんとに、歳をとるってことは、そのまま生きていくにも苦労が伴いストレスフルな日々を経験していくもんだ!と、嘆いてしまう。
まあ、だけど、何とかフェイスブックを立ち上げることができた。写真も入れて友達の募集もすることができた。これから先、どのようにこの新しいツールを使いこなしていけるのか・・・少し不安ではあるが、こうご期待!ってとこだろう・・・・
今日の午前中の二時間、管理者研修の講義を終えて帰ってきた。今日は、特に暑い研修会場であった。僕の我儘で室温28度設定を無理やり下げてもらって、まったくエコロジカルではない、困った人間である。
この研修には、過去数年間、私の関係する認知症の協議会が運営を担当しており、その全てを協議会自体がまかなっていた。しかし、今年からは県内の事業所が一括してもろもろの認知症研修を請け負う形となったため、私は個人として講義をさせてもらった。
事前に受講者の提出したレポートを読ませてもらっていたお蔭で、人物こそ特定はできないものの、受講者の考え方は少し捉えることができて講義に生かすことができた。と思っている。過去の研修では、受講者の希望や要望、その研修に求めるものを掴みきれないまま研修をスタートさせていたこともあって、どちらかと言うと、研修講師の一方向の講義に終わっていたように感じている。
研修ってものは、上から下へ伝達していく形式のものは嫌われる。嫌うというより眠くなる。これは、どれほど真面目で堅物の人間であっても同様、聞かされるだけの研修ってのはつまらないものである。その研修を受講される者の知りたいことを知り、共に考え編み出していく手法が一番適しているかもしれないと考えるのである。
とは言っても、やはり人前で講義を行うという事は、それなりにリスクであり、ストレスも多い。僕のような小心者は、講義を終えて数日間、ひどい時は一週間程度、毎日を悔やんで生活してしまう。自分の講義をやり直したいと思う気持ちが強く、夜も眠れない日々を過ごすこととなってしまうのである。今日は、この後、夜6時半から、場所を変えて認知症初任者の研修を予定している。まだ、もうひと踏ん張り!!昨夜の興奮で若干睡眠不足を克復しながら、今朝の反省点を交えて、夜の講義は更に良いものにしていくぞ!って・・・・
軽はずみな思い付きが災いして、今月は複数の事業のキモが重なってしまって、自分自身の気持ちに余裕が生まれてこない。だからと言っては言い訳になるが、このブログの更新回数も極端に減少してしまった。
さて、その思い付きとは・・・であるが、二つは副業のレースイベントに関連したイベントごとが二つ。もう一つは、認知症グループホームの協議会の開催を予定するフォーラムのこと。そして、三重県の事業である認知症対応型サービス事業管理者研修。もう一つは、協議会の地域ブロック研修の初任者研修。この二つの研修は同日開催。管理者研修は午前中の二時間。地域ブロック研修は夕方から夜の一時間半。二つとも研修講師を引き受けてしまったことから、その資料の準備、会場のセッティングと、本当に毎日、何だかんだと本業をさて置いて、これらの業務を遂行しなければいけない7月って訳である。
イベント事大好き人間の僕であるから、これらの業務を同時進行でこなしていくことにやりがいを感じてしまうわけだが、これも度が過ぎると、夜は眠れない、昼間は余裕ない、と悪循環。疲れるというより肩がこる。
お蔭で僕の両肩はカンカンのコチコチ!この蒸し暑い日々、本来ならばエアコンの効いた室内で、健やかに眠りの底に就くはずが、タイマーをかけ忘れて喉が痛い。
まあ、それでも、先週末は土曜、日曜の両日、ロードバイク三昧の二日間を過ごすことができた。最近、自転車に乗ることが楽しくって仕方なくなってきた。何とかハイ!って一種の病気だろうか・・・自転車こいで、並走する車より早く走ることに優越感を感じてしまうのである。これが、自転車中毒の原因のように感じる。おまけに、ここのところ体重も減少してきている。嬉しい限りである。
ロードバイクにのって憂さ晴らしできるくらいだから、まだまだ僕の言うリミッターはフル満タンではないのかもしれないね。
先週末に親父の眼科受診に同行した際の話である。市内でも有名な眼科で、いつ行っても患者さんの列が切れない。そのような有名な眼科に通院している。年寄り特有の白内障やら眼瞼下垂やら複数の症状に悩んでいる親父である。経度認知障害の高齢者に重複する障害を抱えることで、4年以内に認知症へと変化する確率が格段と高くなるのもあって、私自身も結構神経をとがらせている。
まあ、長い待ち時間を耐えて受診してもらったわけだが、帰りに処方箋をもらい受診料を払い隣の薬局に行った時のことである。できる限り本人の力で、事を済ますことで自分自身の自立(自律)を維持したいと期待して、同行者として見守りに徹している。今回は軽度な手術もあったことから点眼薬だけではなく、飲み薬も処方された。
ただでさえ人との会話を維持できにくくなっているにもかかわらず、この薬局の薬剤師は決まり文句の薬効と副作用などを流暢な日本語で説明してくれた。流暢とは、滑らかに、いかにも慣れ親しんだ内容で、この手の薬は何百と言う似たような患者に処方してきた。と言わんばかりのスピードでまくしたてるのである。
先にも書いたように、経度認知障害の親父にとってみれば、そんな薬剤師の言葉が外国語のように聞こえたのであろう。何度も、何度も聞き返している。傍らで見ていて合いの手を入れるべきか否か迷っているうちに、薬剤師の方が切れた!
繰り返しの説明に辟易としてきたのだろう、最後の一回の大声の説明の後、親父が理解していないにも拘らず締めくくった。
僕は、まだ納得できかねている親父に、後で説明してあっげるから・・・と言いながら薬局を後にした。
とても寂しい気持ちになった。こんな爺さん婆さんが大半の患者として通ってくる眼科の専属の薬局としている以上、相手に軽度の認知症があるかどうか分かってもらえないのだろうか?仮にも薬剤師って厳しい国家資格を合格して、医学や薬学に精通しているはずである。これが今の日本の現状か・・・?
どうよ???
この厳しい気候に、うちのペット君たちさえ屋外に出たがらない今日この頃。毎日35度を超す熱気にさらされ、ちょこっとエンジンを切って停車していた車両に乗り込む時は、かなりの覚悟が必要です。窓を閉め切って炎天下に留め置かれた車両の室内温度は軽く50度を超えている。まるでオーブンの中にいるようで、息苦しささえ感じます。乗車と同時にエアコンはフル稼働。でも温度は急には下がらない。熱気の中にさらされているくらいなら、いっそのこと窓を全開に・・・とまどを開けるものの、飛び込んでくる空気は熱風。
こんな熱射地獄の昼下がり、国道や県道を走る車も少ない。日本の気候変化が今までの風土と違ってきた今、日本人もヨーロッパ、特に中東やスペインの人のようにお昼休みを長くとって、活動の再開を夕方からに切り替えたほうが良いのではないでしょうか・そんなことを思いながら車に乗ってました。
今日、紹介させてもらう写真は、この午後一番の鈴鹿市内の国道と県道の様子です。歩道を歩く人影はもちろん、車の量も普段より少ない気がします。
この暑さ!年寄りにはきついはずです。熱中症や脱水症など気をつけなくてはならない体調の変化。特にデイサービスや他のサービスを利用しない独居の年寄りには、周りの人が気を付けてあげないといけませんね。そして、同時に、介護する側の職員さんも自身の体調管理に気を付けましょう。
先日、うちのデイサービスを利用される男性の靴のお話をブログで紹介させていただいたのだが、今日、その方から写真の電子ライターをプレゼントしていただいた。僕が喫煙者であることをご存じで、自分も同じものを持っているからと言うことで、もう一個を僕にくださった。
この利用者さん、今日の靴は「白」のドレスシューズ。この暑い夏に白の靴は、とてもオシャレである。そして、僕がいつも感心するのはオシャレなセンスだけではなく、その履いている靴の手入れの行き届いている点と着ている衣服の清潔さにとても感動を覚えるのである。
歳をとるにつれ着た切り雀的で衣服どころか自分自身の身なりに無関心となりがちである。年寄りは身なりを構わなくなり、口臭や体臭だけではなく洗濯から遠ざかってしまった結果、着衣自体から異臭が漂う人も多い。その心の奥底には、社会から隔絶され他人との接点が極端に減少してしまうことから、自分自身を飾る必要性を喪失してしまった気持ちが存在する。
誰も見向きもしてくれないから!寄っても来ない!などの諦めの気持ちが、人を無頓着に変えてしまう。そんな孤立した生活環境は、自分だけの世界に閉じこもり気味にさせ、次第次第と思考能力の減退に結びついていくのである。
この循環は悪い方向へ回り始め、身なりを気にしなくなるにつれ悪臭を放ち、さらに周りから人が離れていく。どんどんと孤立化し、最終的には誰も見向きもしない。寂しい余生を一人で過ごさなければならなくなる。
このようなマイナススパイラルをできる限り遠ざけ、残り少ない余生を何としても前向きに過ごしたい。どんな持病を抱えているとしても、明るく楽しく暮らしたいものである。
僕はデイサービスやグループホームを運営する者として、年寄りだから大人しく控えめで質素に生活しなくてはいけない!とは思わない。もっと派手でにこやかに元気よく。それが空元気でもいい!病気や年齢に負けることなく歳を重ねてほしいと願っている。
この利用者は、そんな僕の思いを地で行く人である。そして、そんな彼に「あっぱれ!」を贈りたい!
フラメンコギタリスト『沖 仁』 Concierto(コンシェルト)~魂祭~
今日は、僕の今一番のお気に入りの音楽のジャケットを紹介した。フラメンコギタリストの沖仁(オキ ジン)のギター演奏が夏の夜にピッタリとフィットする。グラスのシェリー酒を傾けながら、目を閉じてちょっとボリュームを高めにロッキングチェアーを揺らせば・・・そこはヨーロッパの端っこのマドリードってな感じかな・・・・!? ロマンティストには、このCDは聞きやすい。また、今を乗り越えなくてはいけない人には、とてtも力強いエールをくれる。そんな素晴らしい曲が集まっています。
当ホームページを観てボランティアに申し出て頂きました。
地元の鈴鹿化学医療大学放射線技術科学科で学ぶ学生さんです。今日はデイサービスの利用者の方二名と将棋対戦を行っていただきました。利用者の方を上手に勝たせてくれるようで、お二人とも結構対戦を喜んで見えました。それは兎も角、ボランティアさんの顔立ちがジャニーズ系と、女性職員の中で広まり、おまけにデイサービスだけではなくグループホームの利用者の方まで「可愛い!可愛い!」と連発です。
写真は逆光で撮影した関係で、あまり顔がしっかりと見えませんが、当太陽の家では久しぶりに若いボランティアさんの訪問で利用者の皆さんの顔が明るくなりました。