太陽の家

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ブログ-施設長の部屋

2013/3/19
癒しのスペース

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この写真は、太陽の家のグループホームの新しい空間です。今までは、ちょっと幅広の縁台を置いただけのスペースだったのですが、先月末にソファーを購入してセットしたばかりの新たな癒しの空間の写真となります。写真として紹介されたソファーに腰掛ける利用者の方ですが、もちろん、個人情報保護の観点から、事前にブログ等のマスメディアに登場することを了承いただいている方々ですので、その点だけご理解いただきたいと思います。

さて、なぜ、この場所にソファーを設置したのか?という点について、若干の説明を行います。 当グループホームは南北に通じる廊下を中心軸に両サイドに居室が設置され、南側に面するリビング、ダイニングにおいて、日常の生活の大半を過ごしてもらっています。十分ではないのですが、それなりに9名の利用者の皆さんが、くつろげるだけの広さはあるリビングですが、プライバシーや自分流の生活様式を展開するには、少し環境的に不足する部分は認めざるを得ない点、不満に思っていました。建物を設計する中で、何度も検討を繰り返し、徹底的に考え抜いて設計してもらった建物ではありますが、実際に住んでみると、いろいろな不都合が発生してきました。それが、この逃げ場のない環境というわけです。

自分自身の生活に置き換えてみれば自分の気分によって、自宅のいろいろな場所を変えて生活をしているわけです。リビングであったり、自分の部屋であったり、ベランダの一部に椅子を置いてくつろいだりと、それこそ自分の好き勝手に生活をしている。そんな生活スタイルを考えながら、グループホームの利用者を見てみると、非常に残念ながら居室とリビングのいずれかしかチョイスがないのです。一人になりたい時や、入居者同士でけんかになった時などに逃げ場がない。これは結構、生活する者にとって窮屈な、居心地の悪い生活空間だと思ったわけです。だから、ソファーを置くことで、廊下幅は狭くなるけれど、時として気分によって、くつろぐためにチョイスの幅を広げることができれば最高じゃあないですか!そう考えて、この場所にソファーを置いて、ランプシェードを設置。明かりをともしながら、くつろげる場所として職員さんの協力を得ながら雰囲気づくりをしてきました。

今、ようやく入居者の皆さんの第二のくつろぎスペースとして活用されようとしてきました。今日も、入居者の二人と対面しながら話をしてるうちに、どんどんとお仲間たちが集まり始め、座りきれない状況となってしまいました。利用者の皆さんと冗談まじりに、『ババ連』の出来上がりです!と話しながら、楽しいひと時を過ごしてきました。

2013/3/18
気づきを促進するには・・・?

介護の現場に必要な気づきは、とっても重要でありながらも、大半の事業所において当の職員まかせとなっている現状があるのではないか?気づきとは、相手に対する思いやりが基本的姿勢の中に存在する。要するにホスピタリティーの心である。ホスピタリティーの根底に流れる重要な要素として、相手への配慮とコミュニケーションにある。コミュニケーションと言っても、言葉で表現するコミュニケーションではない。相手の表情、状態、目の輝き(表情の一つでもある)や行動から察する変化とニーズを読み取ること。その人が発するニーズのサインを読み取り、その人が求めるよりも先に第三者から必要なものを提供することがホスピタリティーである。

 介護職員に相手を思いやる気持ちが欠けていると言っているのではない。当然のこととして介護に携わる職員さんたちは、それぞれ必死の気持ちで介護を実践している。しかし、実践している介護の中身を考えてみれば、果たしてそれだけでよいのか?という疑問が出てくるはずだ。今の職員さんたちの考える介護は「食・排・浴」の三大介護に焦点をあてて業務を行っていないか?それ以外の時間のアプローチとして、何が提供(行われているか)されているか?一度考えてみる必要がありそうだ。

 何度も僕はブログの中で訴えるように、高齢者介護と言えば、レクリエーションという御仁がいる。実際の現場では、時間を持て余す状況が頻繁に見受けられ、特にデイサービスの場合はサービス提供時間が、以前の介護保険の時間区分枠の拡大から更に長く施設にとどまる(半強制的に)状況があり、そのような現状のもとで施設を利用する要介護者たちは、以前にもまして長時間の塗り絵、計算ドリルの実施を強制されているという現実があるのではないか?

 自立支援の名のもと、要介護者は放置され、見守りを強化する状態は要介護者を無秩序、無計画に見てるだけの介護となりつつある。介護する現場に気づきが存在し、要介護者の求めに応じ、適切な支援を行うためには、我々管理者は何をすべきか?・・・・研修を行って教育する? 他の事業所に見習いに出して学びを促す? いちいち細かな点を突いて、そのたびに職員の行動を監視し注意を与える?どれ一つとっても効果のありそうなものはないのが現状である。

 気づきを得るには、相手をしっかりと観察することからスタートしてみるとどうか?要介護者のアセスメントをしっかりと読み解く。つまり相手を理解することから開始する。同時に相手の普段の様子をしっかりと頭にインプットする。顔色、目つき、動作、言動など外見として見える部分すべての様子っを観察することから、日々の違いが見えてくる。相手が要介護者ではなくとも、髪型の変化や服装の変化を発見しては、そこでコミュニケーションの糸口や支援方法が見つけられる。誰でも、言葉でなくいろいろな部分を使って情報や気分を発信している。それらのサインを見逃さないようにすることが「気づき」であるはずだ。

 気づきを促すために、やはり職員が介護する要介護者の情報を共有化することが必要ではないか?と・・・なんだか分かったような分からないようなブログになってしまった。

2013/3/15
火災訓練の結果と反省

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お知らせでも書いたように、本日、太陽の家ではデイサービスとグループホームの両方が合同で火災訓練を実施した。総員避難に要した時間は6分8秒である。この数字的には、安全に避難するボーダーを越え、一部の職員と利用者の一部が煙に巻かれて一酸化炭素中毒死している結果となった。そして、今回の訓練には実際の利用者も参加しており、避難先を利用者の便宜的理由で、当施設玄関先ポーチの範囲内としたが、実際は消防の邪魔にならない程度離れた場所に避難しなければならない状況を考えると、決して納得できる結果ではない。特に、今回の訓練に参加する職員の気持ちの中に「訓練」という気持ちが大きく、屋外に退避して終わりと言う意識があったようだ。二階のグループホームの対比が終わっていない段階で、玄関先ポーチにたむろする職員がおり、立位の困難な利用者への配慮もできておらず、とても不満な結果となってしまった。

過去に訓練を繰り返し実施した中で、一番出来の悪い火災訓練となったことに対し、管理者として職員をシッカリと指導できていない自分を反省するのである。

実際に火事が起きたら・・・と考えると冷や汗が出てきてしまうのである。今回の結果を受けて、デイサービスでは、近日内に職員研修を開催し、防災意識を高めることから始めたいと思っている。

2013/3/12
商売の観点から見た高齢者介護の実情

高齢者介護が措置の時代から契約の時代へと変化して13年が経過する。措置の時代の高齢者介護は、社会全体が認知症や高齢者の心理について成熟してなく、まだまだ未知の分野を暗中模索状態の中での介護を行っていた。世界でもとびぬけた長寿国として日本全体の高齢化率は上昇し、戦後第一次のベビーブームに誕生した人々の高齢に、介護の現場では戦々恐々とした不安な思いが想定されていた。そのような将来像を踏まえて、高齢者介護の質の向上をめざし、提供されるサービス如何によっては事業運営が逼迫する危機感をあおるように、高齢者介護の運営に市場原理を導入したのが介護保険である。

 さて、高齢者福祉の世界に営利企業の商売人原理を導入した結果はどうなったのか? 日本中に第二種社会福祉事業や介護保険事業では多くの営利法人の参入が行われた。営利法人は、事業運営の上に利益を求め、要介護者は「客」の一人として扱われる。客として扱われること自体が悪ではなく、そこに働く専門職の考え方、強いて言えば、事業所の運営理念にホスピタリティー精神にかけている事業所の多いことが問題である。

 ホスピタリティー精神とは、一般的な「サービス」を超えた「相手を思う気持ち」を言う。コンビニエンスストアーで買い物をすると、店員さんは必ず丁寧なお礼を言ってくれる。質問をすれば、マニュアル通りの回答を得ることができる。決して不満ではない。それなりに適切な回答を得、その時の自分自身のニーズは満たされる。また、ショッピングセンターで買い物をした場合も同様、言葉の受け答えは、お客様に対する敬語をふんだんに使い対応してくれる。それはそれなりに、言葉の役割を果たしているし、同時にお客様満足は得ることができる。しかし、これらの接客対応は、その販売員のこころから発せられた言葉なのか?と言えば、多少の疑問が残る。

 先日、うちの施設で使うソファーを買いにある大手業販店に行った。たくさん並べられたソファーやチェアーを物色しながら、その中で価格もすわり心地も一番好適品と思われるソファーを購入することと決めた。ソファーなどの大物は、実際の展示品を持ち帰るのではなく、売り場の受付テーブルで配達処理や支払いを行うこととなっている。クレジットで支払いを行い、配達予定日も決めたとき、販売員の人がソファーの使用目的を尋ねてきた。私は何も思わず正直に施設の利用者のためのソファーである旨伝えた。すると、その使用目的は業務用の使用となり、購入後の不具合や商品の保障対象から外れるという説明があった。私は納得がいかず、グループホームという家庭の延長線上に位置する共同生活の場が、不特定多数の人が常に腰を降ろす可能性のある業務的と判断されることに合点がいかない。大体から、業務使用と家庭使用の定義があやふやではないか!

 私の反論に面食らったのか、その販売員は慌てふためいて上司に連絡し、なんやら作戦会議を電話で行っている。結果、グループホームで使用することは業務使用であるという判断であり、購入後の表皮の変質などについて保障できないということであった。ここで行われた定義の説明の可否は別問題として、顧客満足を追求するお店として、この対応の仕方を皆さんはどのように評価されるだろう。まあ、大した問題ではないことは確かではあるが、ことホスピタリティーという観点から見れば、この販売員の対応の仕方は、何かが欠けているのではないか?! 間違いのないように説明するが、ホスピタリティーの基本原則に立場が存在する。つまり、提供側と受領側の立場は対等であることが基本である。逆にサービスの体系の中には、主従関係が発生し提供側の方が奴隷的立場となってしまう。だからと言って、ソファーを購入した私の方が販売員よりも偉いわけではない。ただ、この場に必要なものは、物品を購入した者に対する接遇を改善する必要性があるのではないかということである。相手の気持ちや状況を考え、マンニュアルには載っていない人間的な判断とエッセンスが求められるのではないかということである。

同じように、介護の現場にも同様の問題を抱えている。行政主導のもと、すべての対応にマニュアルが求められる介護の世界。相手は人間である。すべての問題や起こり得る課題は、想定内の物ばかりではない。ましてや相手が認知症高齢者ともなれば、その都度の状況はまちまちであり、一定の案件として事例対応できるものではない。その人の人生観、人格、性格、生活歴などいろいろな要素が関係し、対処を必要とする場面が形成される。主従関係でもなく、そこに専門職として対等なスタンスで冷静な判断のもと、その人の心からの満足にむけて対応する技術が求められるのではないか。私たちは福祉の専門職として、高齢者介護の中にホスピタリティー精神を織り交ぜ、対人援助の中に夢をもって支援できることが、今一番欠けているのではないだろうか。

2013/3/11
梅の花

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太陽の家 玄関先にある一本の梅の木。今年は例年にも増してたくさんの花が咲きました。梅の花が咲く時期となると、そろそろカンパも緩み始めるころ。同時に花粉と黄砂が大量に舞い始めるころ。今日のように青空が広がる天候は、逆に珍しいです。今日は、西風が強く、若干肌寒さを感じる気候ですが、それよりもなによりも太陽の家の社用車は、黄砂と花粉で真っ黄色に染まっています。朝から、運転手さんを交え、洗車に明け暮れている今日一日でした。


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