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ブログ-施設長の部屋

2012/11/20
小児虐待について

昨日、名古屋地裁において小児虐待の判決公判があった。この事件は、今年の8月初旬の夜、同居する女性の一歳になる子供の頭部を床に打ち付け、四肢まひなどの後遺症を与えた虐待で訴えられていた裁判である。原因は育児経験のない男が、犯行の二週間前に知り合いになった女性と同居することとなり、男児の夜泣きでストレスをためた結果、男児の顔を平手や拳で殴ったうえ、木製の床に投げ下して頭部を打ち付け、四肢麻痺や視野狭窄、知的障害の後遺症を伴うくも膜下血腫や頭蓋骨骨折などのけがを負わせたのである。

 高齢者に与える虐待の大半は家族介護の中で行われる。統計では、要介護者となった母親に対し、その息子が虐待行為を行うことが一番多いという報告まで出ているが、今回の幼児虐待も同じで家庭内で起こった悲惨な状況と言える。虐待と言っても幅広く、今回のような身体に危害を加える虐待だけではなく、心理的、精神的苦痛の伴う場面も虐待であり、経済的苦痛を与えるものも虐待と言われる。もちろん、言葉によって相手を傷つけることは、身体的に危害を加えることと同様罪は重い。

 今回の幼児に与えられた虐待は、のちの余生に大きな障害を残す残酷な虐待行為であり、これらの愚かな行為は絶対に排除されるべき行為である。視野狭窄や四肢麻痺を抱えて成長指定行く中で、どれほどの苦痛と不便を感じながら生きていかなければいけないかと考えると、その子にとっての苦痛は想像以上であるはずだ。障害を抱える本人だけでなく、その家族も同様、障害を抱える子供を不憫に思い将来にわたって不安な気持ちを抱えながら生活していかなければならない。

 若いお母さんが、人恋しさのあまり出会って間もない、相手の事を十分に理解しないなかで軽はずみに招き入れた安易な気持ちのせいで、一生の禍根を持ち続けなければいけない事態。これは、悔やんでも悔やみきれない厳しい現実である。

そして、この判決公判では、加害者の男に、懲役2年8月の実刑判決が下った。虐待を受けた子供は、これから先何年の間、複数の障害を抱えながら生きていくのか考えると、加害者の三年弱で釈放される司法判断をどのように感じるのか?知識不足から、その行為の招く結果を図り知ることのできなかった加害者は、3年もたてば記憶から遠く忘れ去られ、また人生をやり直すことが可能である。その時によき理解者に巡り会えば、もう一度、結婚して家庭を持つことも可能である。

 この手の事件には、やりきれない憤りが伴う。加害者の男性は論外であるが、こんな男を受け入れた母親にも大きな過失責任に近い責任があると考えられる。子供自身、親を選ぶことはできない。全ての子供が平和と幸福を約束されて生まれてくるわけではないが、しかし、少なからず生まれてくる子供のスタートは平等であるはずだ。そして親はそんな子供の将来を守っていく大きな大きな義務をもつこととなる、その意識の欠如は学校では教えてくれない。親から子へ受け継がれていくものである。

 人間の子供が人間として成長していくには、親の保護なくして成し得ないのである。世の中の若いお母さんたち、子供の大切さ、その子供の人生を決定づける因子はお母さんたちも握っているのだという事を忘れないよう子育てに奮闘してもらいたいものだ。

2012/11/19
B級ニュース

最近のテレビ番組で、B級ニュースばかりを特集するコーナーがある。B級とは、グルメでもお馴染みの一流ではないけど、それなりに味わえる食品を指してB級グルメと言うらしいが、これと同様、ニュースネタとして特筆するモノはないが、それなりに話のネタ程度のニュースソースである場合、B級ニュースと言う。さて、そんなB級なニュースとして、今日のネットニュースでは、コンビニでパンを盗んで、店の前で食べていた男が通報されて捕まったというネタである。一か月ほど無職で腹が減っていたので、食べる事しか頭に浮かばなかったらしい。かわいそうと言えば可愛そうな男だが、無銭飲食にちかい行為に、哀れとしか言いようがないケースである。

 福祉施設におけるB級ネタ・・・そんなのあるかいな???と考えてみると、それがそれが、意外とザックザックと唸るほどB級ニュースの宝庫。ちょこっとだけ、書いてみよう。

 うちの施設の端っこにごみ集積所として、駐車場の隅にプレハブ小屋を置いている。その小屋に誰かが車をぶつけたらしい。と言うのも、今日、うちの職員がゴミを捨てに行って際に慌てて帰ってくるなり、僕に報告したことで事件は発覚した。彼女の説明ではブロックからごみ置き場が落ちそうです!と言うので、少し意味が分からずにさっそく現場確認を行った。すると、彼女の言うとおり、プレハブ小屋自体が土台のブロック片から大きく後ろにずれている。右端の柱の下は、ほんの少しだけブロック片に乗っているだけの状態であった。きっと、誰かが、車を駐車させる際に、後方確認せずに車の後部で小屋を押したのではないかと想像される。じんわりと力をかければ、ブロック片の上に設置してあるだけのプレハブ小屋だから、車にはダメージなく、小屋が移動する。そんな現象があったのではないかと思われる。

 福祉施設では、こんなアホみたいな事件が結構頻繁に起こるのである。その理由は?あはははは・・・・わかりません!

 でも、明日の昼間にでも、小屋を直さないと・・・・こっちの方が大変じゃ!

2012/11/17
・・・・・結構いけるかも・・・・?

うちの近所のスーパーをうろついている時(不審人物ではないぞ!)陳列棚に面白いものを見つけた。それは、インスタントのピラフである。海外の食品で、食品の説明書きはすべて英語で書かれている。もちろん、日本語の簡単な説明書きも添えられており、調理方法等も分かりやすく表記されている。

それで、肝心な話、どのようなピラフかと言えば、グリーンカレー風味のピラフである。熱湯を注いで7分。それで食べられる。グリーンカレーと言えばタイ料理である。ココナッツミルクのほんのりとした甘味が、独特の香辛料の辛さを引き立たせる絶妙の旨さが、僕は大好きな一品ではあるが人によっては苦手という人も多い。まあ、騙されたと思って食してみれば、このピラフの面白さが伝わってくる。

まず、規定量のお湯を注いで待つこと7分。東南アジア特有の長いお米にグリーンカレーの風味がしみ込んでいる。おまけに米はパサパサしてお湯を入れたことが信じられないほど、ドライな感じに仕上がっている。付属のスプーンで食べるのだが、これが結構いけてる。辛すぎず臭すぎず・・・パサパサごはんさえ気にならなければ、大概の人は旨いと思ってもらえる品である。

ついでにPRしとけば、このグリーンカレー版とレッドカレー版の二種類が販売されていた。興味ある方は、一度お試しください。

2012/11/16
おはらい

最近のこと。うちの職員の中で妙に災い多い子がいる。その子が災いではなく、その子の周辺で災いとなる事象が多く、本人も非常に苦にしてる最近であった。最初は、そんなの気にするな!と一笑に付していたわけだが、どうも一向に災い風の向きが変わってくれないようで、本人も結構、真剣に悩み始めたようであった。

人間、不運ってのは重なる様で、子供が熱を出した!とか、怪我した!とかのハプニングが重なり、おまけに自分も何か知らないけど災いが降り注いだ!とかで、毎日浮かぬ顔をしてデスクに座っている。そんな彼女を眺めつつ、どう励ませばいいのか、本当に迷ってしまうのである。僕は、不幸のどん底に落ちてしまった時には、逆に思いっきり暗い音楽を聴いて、不幸の淵から這い上がろうとする。まあ、音楽程度で変わる気分であるから、本来の不幸のどん底ってのは経験してないのかもしれない。しかし、これは、結構なことに失恋の痛手(今の歳で・・・??・・・・だから!昔の話ではあるが・・・)を被った時には、本当に暗い音楽を聴いて、いっぱいの涙を流し、きれいさっぱりと忘れることとしていた。(余談ではあるが、映画音楽の中でも、シンドラーのリストのテーマ曲やディアハンターの主題歌などが最適である。最近では、韓国の時代劇「王女の男」の主題曲もなかなか、こんな時の音楽である)

 まあ、余談が長くなったが、そんな訳で、今日の午前中に、地元の椿神社へ連れて行った。もちろん、お祓いを透けるためである。まあ、もう一人、職員でお祓いを受けなくてはいけない者も一緒に二人が受付をして、お祓いを受けていたようである。僕は喪に服している者として、神社への立ち入りは許されない身なので、社の外で待っていたが、その時に社の中で、どのようなお祓いが行われているのかは、十分に経験積み。神主さんが祝詞をあげて、お祓いしてくれる時、神前にうなだれて神妙な気分の時に味わう、背筋がシャンと伸びるような、一瞬電気が走るような、そんな気分でお祓いを受けているのだろう・・・と想像しながら、駐車場の紅葉狩りを楽しんでいたのである。

 昔、うちの女房の父親が、度重なる接触事故を苦にして、愛車のお祓いをしてもらいに来た時の事。同じように神殿の前にうなだれながらお祓いを受けて帰宅する途中、乗っていった愛車を溝に落としてしまった!と怒っていたことを思い出す。人間って、気持ちが及ぼす影響って、本当に大きいものがある。そういえば、今朝の僕の運勢をテレビで偶然みたのだが、あるテレビ局では、てんびん座は7番目に運勢が良く、もう一局の方では三番目の良運だった! 実際問題、この運勢の違いって?どうなのよ??って思いませんか? 12星座あって7番目ってことは、それほど良くはない。しかし、もう一方では、三番目! やはり、運勢ひとつとっても、気持ちの問題ってのは大きい。今日の僕の運勢、とくに悪くはなかったし、結果的に一日を振り返ってみれば、7番目でも3番目でもなく、普通の一日だったように思う。

 永遠とどん底を舐めるように這いつくばって生きているとしても、真っ当に考え、行動していれば、いつかは日の当たるところに出れる。どんな辛いことも、いつかは解放されるときがある。そう信じて、毎日、普通の生活を普通のようにおくる姿勢が大事だと思う。まあ、そんなわけで、うちの職員さんたち、気にすることはない。そのうちに過去の笑い話として語れる時が必ずくる。そう信じて、今、自分に与えられたことに真摯に取り組むことを目指そうよ!

 大丈夫!大丈夫!世の中には、いろんな神様がいる!一人くらい、そんな君を助けてくれる神様は必ずいる!!

2012/11/14
将来の高齢者介護のいくえ

団塊の世代が高齢に近づき、次第に機能低下が始まる頃。日本の高齢者介護の現場は、どのように変わっていくのか?僕の尊敬する大学の教授が講義の中で常に言い続けていた、福祉のビッグバーンは必ず近いうちに訪れる!その言葉が、妙に頭にこびりついて仕方ない。

団塊の世代から少し遅れて生まれた私自身も、そう遠くはない将来に第一号保険者となる。要介護状態となるかは分からないが、遅かれ早かれ人の手を借りなければ生きていけなくなる日は来るはずだ。その時の自分自身を考えると、今、自分たちが対応している高齢者の求めよりも遥かに多く、遥かに幅広い要望を持つことと思う。物がない時代に青春時代を過ごした人たちとは違い、物が豊富に整った時代に育ったわれわれ世代。ものの考え方一つにしても、自由奔放な考え方が許されていた時代に育ったものだから、人間性も多義にわたる。

カラオケひとつとっても、戦後の復興の中で流行した歌謡曲が唯一の音楽だったころと違って、ジャズもクラッシックもレゲーもヒップホップも、本当に幅広い音楽を吸収して育った世代が歳を重ねたとき、いったいどの音楽を聴くと心が和むのか?集団で過ごすことよりも単体で生きることに慣れた世代が大規模通所介護事業所の中で、どのように自分の居場所を確保できるのか?世界中の食文化にふれる機会をもち、いろいろな味を堪能した世代が、給食程度の食事や色気もなく生きるためだけの配食弁当を食べさせられ何を思うのか?

高齢者介護を生業にしているものが思うことではないが、自由な行動すべてに制約を加えられながら生きることって、何の意味があるのか?そこまでして生きながらえる自分は、どんな目標と生きがいを持てるのか?そう考えると、自分たちの将来に不安を感じる。

今、僕同様、社会福祉や高齢者介護を学びながら実践する者たちに将来を託さなければならない。僕が今、不安に思っている点をどのように考えているのか聞いてみたい。そして、その答えに対して、答えてくれた彼らの高齢社会に期待が持てるのか?を考えてもらいたい。

今なんとかしなければいけない。日本の今をしっかりと見つめ、今皆が学ばなければ次を育てることができない。私たちが生きる上で、チェーンのような連鎖的努力と意識の継続性がなければ、その時点で社会は崩壊する。福祉だけでなく、経済もすべてがマッドマックスの世界へと変貌する。

※ちょっと、ブログにしては重いねえ!暗いね!・・・・・いや、これくらい真剣に考えていってもらえないと、日本の将来は今以上に困窮する福祉難民が増加すると考えている。


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