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ブログ-施設長の部屋

2012/5/15
最近の親は子供を叱らなくなってきた。

いつものように近所のスーパーへ買い物。僕の買い物は、その場で献立を決める。格好良いみたいだが、これは意外と不経済極まりない行為で、無駄な買い物をしがちである。さて、今日のお話は無駄な買い物ストーリーではない。今日、立ち寄ったスーパーでの出来事。いつものようにブラブラと食材を吟味しながら店の中をうろついている時、5歳か6歳くらいの男の子が、声の限りの大声で叫んでいる。確か、小学低学年程度の女の子が近くにいた。その男の子のお姉さんらしい。男の子は「おねえちゃん!▽□!?×◎・・・」と訳のわからない言葉を発している。それもあらん限りの大声だ。僕を含め、周りにいた客の皆が、その子の方に振り向いたくらいだ。耳に突き刺さるような大声で、何度も叫ぶ男の子を無視するように、母親は平然として買い物を続けている。

その子の母親であることは、その時のそぶりで一目瞭然、他人の僕にも判別できるものである。他人さんの場合は、わめき散らす男の子をいぶかしげに見るものだ。ところが、親は、そんな子供を他人のふりをしているようだが、その不自然さが逆に親ですと!物語っている。事実、レジで並んでいるその子と母親は、僕の想像通り一緒にレジを通って行った。

 最近の若い親たちは、子供に圧力をかけずに豊満な気持ちで自由にふるまわせる。そのほうが、大きな人間に成長すると思っているようだ。確かに、今の大物政治家の献金疑惑裁判でも、大物は4億もの大金の出所をうやむやに、闇の中に隠ぺいしてしまうほど大胆で不敵である。小さな事には、構うほどの神経は持ち合わせていない。たかが、スーパーの中。不特定の人たちが集う公園と同じ、どこの誰とも知れない者たちが買い物する場。誰に遠慮する必要もない場所であるらしい。

 僕が子供のころは、小学校のある神戸(かんべ)の商店街が地元のお買いものエリアである。そのような場所で、今日の子供のような振る舞いでもしようものなら、その辺に歩いているおっさんに「浩一!静かにせい!」と怒られたものだ。僕が有名な子供というわけではなく、その当時は、その辺の誰もが、何処の、誰それの子供であるとか、親の職業まで知っているような社会であった。ちなみに、うちは豆腐やアゲを製造販売していたので「あげやのこういち」として知られていた。

 僕が中学を卒業した頃、夏の暑い盛りに親父のサングラスをかけて、麦わら帽をかぶって神戸の街中を歩いていたことがあった。その夜、家に帰ると母親から、サングラスをかけて歩いていたことを問い詰められ、こっぴどく怒られたことがあった。僕は気づいて無かったが、知り合いの人に目撃され、そのことを家の母親に通報されていたのである。小さな町だからこそ、昔の時代だからこそと言えばそれまで。今は、私自身含めて、公共のルールとマナーを教える通りがかりのオッサンはいなくなった。人間関係が極端に希薄になっている。これも個人情報保護の観点から、他人の事を詮索する風潮にくぎを刺されているからである。

 高齢者介護の世界で地域密着を求められ、地元との連携を強要されるものの、社会全体の関係性が希薄化している現代社会。どのように社会貢献できるのか、本に難しい課題となりつつある。

2012/5/11
車のクラクションの必要性

車には必ずクラクションが付いているよね! そして、クラクションの音色はまちまちであり、人によってはオリジナルな音色を嫌って、又は、オリジナリティーや奇天烈を狙い音を変えている人もいる。軽自動車なのに大型トラックのようなエアーホーンを取り付けていたり、ベンツのクラクションを真似たりと様々である。今日、太陽の家の前の幹線道路脇の植え込みの除草を行っていたが、本の一時間程度の草抜き掃除の間に、結構な台数の車がクラクションを鳴り響かせて走り去る現場に遭遇した。

 一台は、対向車の右折に伴い、自らの進路妨害をたしなめるクラクションだった。もう一台は、施設前のショッピングセンター駐車場から幹線道路に出るときに、信号待ちで並ぶ停止車両に道を譲ってもらった礼としてクラクションを鳴らした。それもエアーホーンである。そして、もう一台は、猛スピードで走り去る車が、前方の障害物にあたる車両に向け発したクラクションである。

 いずれのクラクションも冷静に考えても不必要な行為であると感じる。僕から見ると、最初の一台は、少し減速してやり過ごせば支障はない場面であり、そこのけそこのけ俺様が通る!とばかりに、相手を威嚇する行為はとっても失礼極まりない行為である。良く言われる事であるが、自分の占有道ではない。公共の道路で俺様が通る式の運転手って意外と多いものだ。次に、系車両を運転する女性は、礼のつもりでエアーホーンを鳴らして走り去ったが、彼女は片手にたばこを持って、片手でハンドル切手、クラクションを鳴らして行った。女だてらに!と言うと男女平等の時代に叱られそうだが、手を挙げて軽く会釈すれば済むことではないのかなア・・・うちの近所でも深夜にも関わらず、知り合い同士か何かか隣の集合店舗の駐車場から出る際にクラクションの挨拶を交わす連中がいる。同じようなタイプに思える。いずれにせよ、車のクラクションって、いまどき使う頻度は減少傾向にあると思われるが如何かな? 車のクラクションは対向車や歩行者を威嚇する為のモノでは無いと思うし、知り合いに挨拶を交えるための道具でもないと思う。クラクションをやたらめったら鳴らしたがる連中を見ると、田舎臭く、オシャレでない気がするよ。

 時と場所、状況を考えてスマートについでに言えば知的にクラクションを使うことは出来ないものか・・・・・???

2012/5/11
福祉に関係ない話題ですが・・・

まったく介護とは無関係なプロ野球の話題。早速だが、昨夜の巨人 Vs DeNAの6回戦。8回表まで巨人は杉内の好投で相手陣営を0点に押さえ込んでいた。結果、杉内の自滅で8回の表、DeNAに一点を与えることとなってしまい、試合は引き分け。

 さて、問題はここにある。杉内という投手。今年、実業団野球からパリーグに入り活躍してきた選手だが(巨人はヘッドハンティングがお上手なようだ)、今一持久力と言うか、集中力にかける点で信頼度が若干低いと僕は思っている。そんな杉内をどの時点で替えるか?!という点を考えてみたい。実際昨日の試合で、1対0に押さえ込んでいた7回裏の巨人の攻撃の中で、1アウト(加治前がライトフライでアウト)出塁なしの時点で、ピッチャーの杉内に打順が回ってきた。次に控えるのが一番打者の長野。運よく杉内は四球連続してボールの四球となり出塁。この日の巨人軍の打撃陣は低レベル。出塁を得点に結びつけることができない。原監督は、それまで無失点に押さえ込んでいた杉内を継投させる方をチョイスしたわけだが、結果は、次の回に杉内は自滅する。

 野球は団体戦と言いつつ、個人の技量がチームに大きく影響するスポーツ。一人が崩れるとチームに与える影響も大きい。それだけに、個々の選手の使い方によって勝敗は大きく変わってしまう。要するに原監督の采配の問題が、今の巨人軍のリーグ順位に関係しているということである。プロ野球を社会に例えると、個々の球団はさしずめ企業。監督は、企業のトップの立場である。事業として成功を収めるためには、DeNAの中畑監督のように、選手にげきを飛ばし精神力を叩き込みながら、アンパイアヤーにも執拗に食って掛かるほどの粘りが必要なのか?それとも選手である職員を信頼して、例え負けたとしても選手の成長を促す采配を目指すのか・・・?!

 野球を見ながら、僕は自分の事業所を考える。さて、僕はどちらを選ぶだろう・・・?と・・・勝利あるのみ!と形振り構わずに職員を使うのか?勝利だけでなく、将来に有望な選手を育てることを目指すのか?・・・・・・・・

 野球、特に巨人のファンとしては、どうしても勝ってもらいたい。リーグでトップになってほしい。そんな気持ちが働き、あの7回の杉内の打席で代打という選択をしなかった采配を悔やむところだが、シーズンは長い。まだまだ前半戦の今シーズン。選手を育てる、同時に完封勝利と言う自信をつけさせてやりたい親心も理解できる。企業理念とプロ野球は一緒に考えてはいけないが、僕は原監督の考えに妙に納得してしまうのだが・・・・(だから、儲からんわ!って声が聞こえてきそうであるが)

2012/5/8
今、読んでいる本の紹介

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今回の本はネットで購入した。まず、なんで機長の日記なのかと言えば、僕の持っているクレジットカードの関係で毎月送られてくる機関紙があって、その機関紙に毎月紹介されるパイロットのエッセイが面白く、他は読まなくとも、そのエッセイだけは、毎号必ず目を通すわけです。そんな機関紙に、過去のエッセイのすべてをまとめて本にした!という広告が入っていたので購入。続いて、高野さんと言う著者のホスピタリティに関する本だが、この方の経歴がすごい!世界的にもラグジュアリーホテルとして有名な「リッツ カールトン」の日本支社長を務めた人で、世界に冠たる五つ星ホテルを管理運営した、言うなればホスピタリティの神様と言われる方。僕は、この著者の本の大半は読んでいるが、それぞれに新たな気づきをもらえる。結構、役に立っている本の一つである。次に、トレーニング関連の本であるが、これは、今後のデイサービスにおける機能訓練を如何に行っていくか?を考えるために購入した。

 昔から本を購入するときは、恋愛と同じ。「出会い」を重視する方で、その時に目に止まったものを片っ端から購入する。読める、読めないは別問題。直感みたいなものを感じて購入してしまう。今回も、立て続けに6冊の本(薄いものだけど・・・)が届いたけど。ところが、どっこい!実はこれだけではないんだ。あと二冊購入したものの、業者に在庫がなく、分納されるようで、あと数日後に残りの二冊が手元に配送される予定である。前回、速読術の本を買ったので、さぞかし早く読めるだろうと期待して読んでみたが、昨夜12時までかかって機長の日記一冊しか読めなかった。まあ、これも訓練!次第に、一日数冊の本を読めるくらいになってくれればよいが・・・・。

2012/5/7
プロ野球の話

僕から野球等のスポーツの話題ってのは想像できにくい!と、よく言われる。僕のイメージは運動音痴でスポーツは全くやらない!って思われているようである。いやア、意外かもしれないが、これでいて結構なジャイアンツファンなんだ!そんなジャイアンツの話題ではなく、今回は横浜の「熱いぜ、チケット」のお話。

 知っている人も多いと思うが、横浜は万年最下位に位置するチームであり、今年からスポンサーと言うか、チームオーナーが変わり横浜DeNAとチーム名称を改め、新監督に元巨人の中畑氏を起用して、その熱血ぶりをチーム運営に注ぎ込みながら、最下位からの脱出を狙っているチームである。流石に新進気鋭のコンピューターゲームソフトの企業であり、熱血漢の中畑監督だけに、横浜スタジアムの一塁側内野指定席の50席分は、1日から6試合「全額返金!?アツいぜ!チケット」として4000円で販売。観戦したファンの満足度により勝てば半額まで、負けたら全額まで返金する球界初の試みを実施したそうだ。

 ここ三連戦を連勝し、いつになく好調(・・・・失礼!)な横浜。ゴールデンウイーク中の試合では10点を超える大量得点で中日に圧勝。見てる方とすれば、そこまで大量に得点しなくても、毎回、コンスタントに得点できるほうがチーム成績も向上するのに・・・・と思ってしまう。

 ところで、この三連勝に際しても、チケットの払い戻しを求める声が大きい珍現象が起きているそうである。その理由に三連勝の前に三連敗している事をあげているそうであるが、そんなニュースを聞いていて、日本人のセコさと言うか、図々しさと言うか、何とも気分悪くなる野球ファンの存在に呆れてしまった。以前にも書いたが、今の日本人の自己中心的な振る舞いや思考に、社会全体がもっと考え直さなければいけないと書いたが、この横浜の試合をタダでみようとするファンの存在には、同じ次元の図々しさと利己的思考が表れていると思う。自分が応援するチームの選手には、ぜひとも頑張って熱い試合を見せてもらいたいと願うのがファンであり、そんなファンの御蔭で選手たちもオマンマが食べられる。ボランティア活動の一環で、毎日練習厳しい練習を積み重ねているわけではないよね!自分の生活もかかっているし、家族を養わなければいけないのは、選手とて我々と同じ。野球ファンとて正統派ばかりでないのは承知だが、少なくても野球場まで足を運び観戦するほどのファンなら、チームが勝った時くらいあ、ご祝儀を兼ねて帰り際にも入場料と同額のお祝い金を提供するくらいの器量がほしいくらいだ。

 分けのわからない理屈を声高に喚き散らして、自分が楽しんだ時間分もタダにしてしまう根性。腐ってるぜ!そんなけち臭いファンがいる球団は、トップチームには登れないといわれても仕方ないぜ!

2012/5/5
認知症への対応

認知症高齢者の対応には、大半の介護職員が四苦八苦する。認知症専門の協議会の中でもいつも耳にするのが、職員の言うことを聞いてくれない。何度も繰り返し同じことを話する。指示が通らない。等の言葉が多い。特に認知症に限らず人間ってのは歳を重ねるごとに入浴を拒む傾向にあるようだ。その理由はよくわからないが、恐らく、人の世話にならずとも自分で何でもできる!と言う自負心の表れであったり、羞恥心であったり、といろいろなケースが考えられる。本人が思うように自分のことを完璧にやり遂げることができれば、それはそれで良いのだが、どうしてもやる事成す事が不完全に成りがちであることはいがめない。まあ、人生、ある程度いい加減でも生きていくうえで何の支障もない。本人がその程度で良ければ、それはそれで良し!とすることが可能であれば、何も問題は起きない。ところがどっこいである。介護職員の性と言うか何というか、遣ってあげることに生き甲斐を感じ、何でもかんでも徹底的に!と言わんばかりに張り切ってしまうのである。

 お蔭で、要介護者本人は、余計なことまで世話を焼かれて「ありがた迷惑!」。自分で何でも出来るんだから!。家に帰れば自分で髪も洗うんだから!と理由をつけては、介助の手を拒む。

 認知症高齢者の周辺症状である徘徊や暴言、拒否等の俗にいう問題行動(今は、この表現を使うことは適していない)を現代はBPSD(Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia)と英語の略文字を使って表現する、又は行動障害は、時として介護する側の大きなストレスになっている。相手は認知症なんだからと自分自身に言い聞かせながらの、日々の介護は疲れる。介護の専門職として認めてはいけないが、家族介護の中で暴言暴行が行われる状況は、ある点で理解できる。家族にとってみれば、認知症の母親、父親を看ていくことは、とても重いのである。認知症の方と接するには、介護者に心のゆとりが必要である。家族も家庭を守り、生活していかなければならない。生きるための努力を行いながら、家には認知症の親が居る。社会生活の疲れを癒す場である家庭に戻っても、慌ただしい介護を求められる環境は、人間の考え方までも変えてしまう。精神力を求められた戦前の日本人でも、今の殺伐とした社会と認知症介護の両立は難しい。これだけ苦しい生活をおくる位なら、いっそ心中でもしたほうが楽だ!という理論も成り立ってしまうのである。

 認知症を患ってしまう人に悪意はない!その人に合ったケアさえ行えば、比較的安定した毎日を過ごせる!これらのフレーズは、専門職への言葉ではあるが、あくまでも客観的に要介護者をみることができる最大限の条件が必要となる。認知症介護は、爺さん、婆さんが可愛い!だけでは、介護できない現場なのである。その人を冷静に観察し、多面的な支援方法を考え、一つ一つ丁寧に実施してみて、その中の最善の方法を見出さなければいけない。

 僕は、これから先に介護職を目指す人たちに声を大にして言いたい。高齢者介護は、単なる話し相手の延長ではないということを。

2012/5/5
春雨じゃ、濡れてまいろう・・・・

今年のゴールデンウイークは、雨が多い。それも春雨じゃ、濡れてまいろう・・・などと気取って言ってる状況でない程多量の雨に降られている。今日の鈴鹿こそ、霧雨のような細かな雨がシトシトとふる日中ではあるが、一昨日の雨では名阪国道も、新名神も通行止めとなる程強烈な雨模様だった。この春雨・・・云々のセリフは、行友李風が書いた戯曲「月形半平太」の中の有名なせりふ。聞くところによると、土佐藩主の武市半平太と言う人物をモデルに書いたらしいが、この濡れてまいろう・・・についていろいろな諸説があって面白い。春雨程度の雨を気にせず、自分は傘はいらない。むしろ舞妓の雛菊をかばう心配りと「粋」を謳っている。また、春雨と言いながらも風を受けて傘をさす意味もない状況に傘はいらぬ!と言った。とか・・・まあ、僕はどちらかと言えば、女性をかばう優しさと「粋」のほうを信じたいと思っている。

 この月形半平太の時代(戯曲が書かれた時代ではない、その戯曲の時代設定)は、モデルの武市半平太の生きた時代とすれば1829年~1865年であり、韓国で言えば、例の韓流ドラマ「イサン」の次男である純祖(スンジョ)が国王の頃。日本で言えば徳川の時代。文化、文政と言ったところ。江戸に大火がおこり、伊勢の御蔭参りが大流行となったころの話である。

 その頃の春雨ってのは今のそれとは違うのだろうか?地球温暖化の影響を徐々に受け始めている今の気候状況と江戸時代では、大きな違いがるのかもしれない。もちろん、僕なんぞは、貴族でも武士でもない平民だろうから、月形半平太のような粋をわきまえて遊べる身分ではないだろうが。その当時の平民だから、毎日の食事にさえも事欠く、貧しい農民で、来てる服も木綿素材ならまだしも、恐らく藁縄を編んで作ったようなボロをまとっていたかもしれない。継ぎはぎだらけで、風呂にも入らず、歯も磨かない、髪の毛は伸び放題・・・ひやア~汚い!!! 

 まあまあ、人の生活レベルの話ではない。この異常な程の天候。春雨じゃあ・・・などと悠長なことを言ってる場合ではないような大雨に東北地方は襲われたわけで、原子力もともかく、この世界的な異常気象なんとかせにゃ~!!

2012/5/2
半人前のころの自分。

偉そうに「半人前のころ」なんて書いて、今の自分が一人前か?!とお叱りを受けそうだが。そうではなく、僕自身が駆け出しのころの話をしようと思っている。ちょうど30歳代のころの自分は、まだまだ一人前と呼ぶには程遠く、虎の威を借りる・・・って人間だった。経済的にも余裕なく、仕事の面でも半人前。今でこそ、仕事でも大きな面して、威張りくさっているが、その頃の自分は、何事も控えめだった。信じられないかもしれないが、この僕がただ黙って、じっと耐えていたのだから・・・・。

 その頃の自分は、今の福祉ビジネスではない、副業のほうでも駆け出しで、仕事こそ受注はするものの、自分の担当する時間以外は居場所のない寂しい業務をこなしていた。僕のブログでも紹介することもあるけど、F-1の仕事がそうである。このF-1の業務を受けるようになって、随分になるが、その当時は自分の席は存在しなかった。一日の大半は待機時間であった。それも室内で待機するのではなく、屋外での待機である。椅子もない。ただ立っていた。のどが渇いても自販機で自腹で飲料水を購入していた。僕の仕事は、F-1決勝当日に協力いただいた航空自衛隊の吹奏楽団のお世話係。前日の受け入れ、リハーサル、宿舎までのご案内。翌日のお迎え、現場までのアテンド。退場のアテンド。弁当の配布、お見送りまでの一連の作業を担当していた。二日間のすべての業務は、自衛隊のお世話で尽きた。

 要するに、あの広いサーキットの中で、移動や食事などに不慣れな隊員の皆さんに失礼の無いよう最大限の気配りをすることが僕の仕事であった。F-1は今も昔も変わらず、関係者の出入りに厳格である。むやみやたらと入場パスを発行してくれない。当然、僕なんかに発行されるパスは存在しない。当日、必要な時間帯だけ他人のパスを拝借しての入場である。入り口でパスをお借りして、自衛隊のオープニング曲が終わってコースから退場する時には、パスもお返しする。そのまま徒歩で控えに使わせていただいていたホールまで移動。そこでは隊員の皆さんに食事の弁当とお茶をお配りして、昼食を食べていただく。僕は、そのホールの外で食事が終わるのを待ちながら、時間を過ごす。

 ちょうどF-1の決勝レースが開始される前の、一番人々の期待が高まり、それまでレース場わきの土産物屋やホットドッグスタンドから観戦客たちが指定席に戻り始めるころである。VIPたちを運ぶヘリコプターの離発着がピークに差し掛かるころでもあり、屋外待機中の僕の周りには、高級スポーツカーを運転するセレブ達やヘリコプターから降りてVIPシャトルを使って特別観戦エリアへと先を急ぐ金持ちばかりがうごめいていた。次第に観客席から人々の歓声が高まり、それと同時にF-1マシンのエンジンが一斉に雄たけびをあげてレースがスタートしたような雰囲気が伝わってくる。

 僕はF-1のマシンが走り回るレース場に居ながら、その映像は見れない。ただ音だけを頼りに、猛スピードで走り去るマシンを想像することしかできなかった。今でも、僕はF-1レースに関係する仕事をしていながら、レースそのものにそれほどの興味は持っていない。もちろん、レーサーへのあこがれも然程大きくはない。それは、この頃の経験が、僕にはF-1は単なる仕事としか感じることができなくしてしまったように思う。

 さて、話はころっと変わって、半人前のもう一つの出来事。それは東京に半分業務で出かけた時の体験である。東京の晴海で見本市があって、その見本市に出かけた折。まだまだ田舎者で貧乏な僕が、身の程知らずにも、東京の青山で食事をしようとしたことに由来する。こんなしゃれた店で食事できれば・・・と思いつつ入店。お店の格も確認せず、席について驚いた。メニュー価格が想像以上に高い。自分がまかなえる額ではない。そのまま、ごめんなさい!と断って店を出ることもできたが、見栄というか、そんな自分が恥ずかしかった。隣の席にソフトスーツに身を包んで、モデルのような美女二人を伴って食事する若い男性は、そんな僕の財布の中身とは関係なく、惜しげもなく次から次と注文をしている。僕は、そんな彼らの大盤振る舞いを横目に、一皿の料理を待ち、料理を味わう余裕すらなく、そそくさと店を出たことを今でも屈辱の気持ちとともに思いだすことがある。

 苦境の時というか、一番苦しかった時。今の僕にも、そんな時代が存在する。しかし、強がりを言うわけではないが、貧乏で力も無かったが、夢だけは持ち続けた。チャンスという機会を追い求めた。苦しい時こそ、冷静に自分を見つめ、その時できることを探した。そして、ただひたすら耐えた。昨日の鶴瓶の家族に乾杯って番組の中で鶴瓶はこう言った。

 人生では「機会」「出会い」「縁」を大切にしなければいけない!とあった。人との出合いを大切に、そこに生まれる縁を大切にすることで、機会が生まれる。それがチャンスに変わる。と!

2012/5/1
野菜中心の食生活

昨年から野菜を中心の食生活に変えた。それでも、まったく牛肉は食べないかといえば嘘になる。たまには牛肉や豚肉も食べる時もある。ただ、全体的に肉よりも野菜のウエイトが大きくなってきている。特に生野菜の摂取量が増えた。自分一人でレタス1個分は食べる。最近は「わさび菜」と言う野菜を毎日食べる。僕のサラダは、グリーンの葉っぱとともに、ルッコラ、アンディーブ、セロリ等とありあらゆる野菜を混ぜて、自分のオリジナルドレッシングで食べる。ソラマメも生で食べる。ブロッコリもカリフラワも生で食べる。ソラマメなどは生でチーズとともに食べると美味い。こんな食生活の変化は、血液中の悪玉コレストロールの減少に効果があるようだ。一昨年までの自分は、血液検査をするといつも言われていたのが悪玉が善玉よりも多いから気をつけろ!とばかり言われ続けてきた。それが、ここにきて悪玉の減少傾向がみられるのだ。この食事を継続しながら、さらに適度な運動を加えれば、さらなる効果が期待される。この夏に向けて、もう少し体を絞り、短足が少しでも目立たないようにシェイプアップを図り、ちょい悪イタリアおやじのプチメタボ腹ではなく、自己コントロールを達成したシャープなイメージで乗り切りたい。

 そんな夏を目指している。


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