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ブログ-施設長の部屋

2012/5/31
介護職員さんは個人事業主?!

看護師や医師は業務独占。(業務を独占するという意味ではない!念のため) 社会福祉士、介護福祉士は名称独占。要するに医師や看護師ってのは免許を持っていないと業務に就くことができない職業であり、介護福祉士や社会福祉士ってのは、免許はなくても同様の業務は行えるが、その名称を名乗ることは出来ない職種である。そして、これらの職種の人々は、言ってみれば個人事業者なのである。医師や看護師は〇△□病院で働き、介護職員は全国に散らばる介護施設で働く。その道のスペシャリストであり、そこそこ経験と知識を求められる点では医師も看護師も介護職員も、ほぼ同じである。しかし、前にも書いたように、何が何でも〇□△病院や××老人施設でなければ働けない!と言うわけではない。

 社会福祉士や介護福祉士の資格に合わせてケアマネジャーの資格を持っていれば、全国のどこの施設に行っても、ほぼ同じ内容の業務を行うことができる。だから個人事業者と言っても差し障りないのである。この個人事業者の集合社会が病院や施設を構成しているわけだから、離職率が高く、定着率が低い現実が問題となっている。当太陽の家においても同様、職員の定着率は、今でこそ安定はしてるものの、以前は糞ミソな状況で、職員同士のイザコザ、労使関係は最悪な時代が存在した。

 今、毎日曜日ともなると新聞の折り込みチラシに混ざってくるのが寄合空人情報チラシである。本当に多くの福祉施設や病院が看護師や介護職員を募集している。入れても入れても辞めていく職員。それはそれで仕方ないことではあるが、事業主にとってみれば、この求人チラシの経費も馬鹿にならない。結構な金額を支払い、結構な経費を負担しながら新入職員を育てている。ようやく一人前となって仕事をしてもらえる頃となると退職を告げられる。経営者、管理者にとって一番心臓に悪い瞬間である。

 ここで問題としたいのは、ここの人材が、その働く施設や組織のために働いていない点である。働いていないのか、働かせていないのかは後で述べるとして、看護師は患者のために自分の生きがいを設定し、介護職員は入居者の高齢者に焦点を当てて業務を行っている以上、そこにはチームワークは存在しない、ましてや、その施設がどうなろうと、知ったこっちゃない!のが職員ン側の言い分である。確かに、職員を一つの意志のない道具と考え、時間さえ努めてもらえればよい!と思い込んでいる経営者の元では、働く意気込みにも影響を及ぼすし、生き甲斐すら見出せない環境である。だからと言って、職員を育てようにも、トップ人事が考えるほどスキルアップや考え方の改善は容易ではなく、それこそ血の汗を流す努力を必要とされる難行である。経営者からすれば、これくらいの事、なんで理解できないんだ!と声高に喚き散らしたくなる気持ちも理解できる。

 しかし、よくよく冷静に考えてみれば、施設あっての要介護者、要看護者であり、その中でお互いが専門性を駆使して必要なケアとキュアを執り行えることがベストで必要不可欠な問題であるとするならば、お互いにさらに歩み寄れる妥協点を探らずして、提供サービスの質の向上はあり得ない。行政が打ち出している雇用改善交付金など「金」の問題ではないようだ。(もちろん、ここで働く以上、その職員にも生活していかなければいけない責任がある。だからお金も必要である!)が、それでも、そこそこ居心地の良い働き場所が存在するならば、そこの場所で仕事を認めてもらいながら業務に合った金額の報酬を受けることができれば、それこそ一番理想とする職場となるのではないか!と考えている。

 キャリアパス制度は、紙でそろえるのではない。職員の中に息づいて職員の目標とされるものでなければいけない。まだまだ開発途上ではあるが、太陽の家は、さらに職員の生きがいを追及して働き甲斐のある施設として改善に改善を繰り返していく。

2012/5/31
巨人×楽天の試合

昨日の巨人と楽天の試合は面白かった。共にチームのエース格のピッチャーを充ててきた試合は、試合後半まで零点のままで進んだ。7回裏の巨人の攻撃でちょっとしたミスから、楽天の田中投手は巨人の高橋にツーランホームランをあびて、そのまま決勝打としてしまった。巨人の杉内投手は、9回を投げ切りノーヒット、ノーランという偉業を成し遂げ、そのままゲームを終了。流石に楽天の田中。惜しくも敗戦投手となってしまったが、その力はすごいものがある。同様、巨人の杉内投手も素晴らしいピッチングであり、おまけに一時は完全試合!?を期待される素晴らしい出来栄え。完全試合と言う点では、惜しくもチャンスを逸したが、そのプレッシャーたるや、我々が想像でいる圧力ではない。大きなストレスを感じながらの投球であったろう。

 よくよく考えてみれば、9回の表、楽天の攻撃を三人で終えれば、そのまま巨人の勝利。おまけに完全試合がかかったイニング。調子よくツーアウトまで追い込んで、三人目のバッター。このバッターさえ獲れば完全試合。東京ドームには、たっぷりの巨人ファン。怒涛のような大声援に包まれ、バッターに向かってボールを投げる。恐らく、普通の者なら、この感性だけで舞い上がり、キャッチャーミットまでノーバウンドでボールを投げ込むことすら困難な状況であろう。過去にも数名の者しか達成できていない完全試合がかかっている。おまけにはちきれんばかりの歓声。

 ここで少し落ち着いて考えてみよう!・・・・この大歓声、言ってみれば巨人が負けても勝っても、なにも傷つかない、損もしない単なる観客。ビールを飲みながらほろ酔い加減で、必死になって戦っている選手を眺めながら、それこそ勝手な独りよがりの妄想を抱いて、勝手にファンと称し、大騒ぎしている連中だ。まあ、大したこたア~ない!勝手に騒いでろ!と思えれば、それはそれで太っ腹。しかし、人間である以上、そうそう無闇な感情コントロールも困難である。

 人間が受けるストレス。それを制したものが、この場合でも勝者につながる。プロと呼ばれる者には、技術と同時に強靭な精神力が求められる。この試合は如実にそれを物語っていた。

2012/5/31
若い連中の思い込み

年老いてくると、人生のいろいろなネジレと言うか、不可思議な状況が見えてくる。若いうちは気にならなかった事柄も、歳とともに気になり始めることが増えてくる。例えば、食事の作法。今の若者、(先日は僕と同年代のおばちゃんでも、同じような無作法な食事をみた)の箸の持ち方、食事の姿勢、食べ方が成っていない。肘をついて食べる。片手を上げて食事を隠すように黙々と食べる。携帯メールを送受信しながら食事をする。前かがみになって器を持たず食事する。

 端的に言って、今の無作法は、人間の食事ではないという点ですべてが間違っている。人として食事を楽しむ。と言う意味をもう一度、日本人のすべてが考え直すべきである。欧米では食事にかける時間が長いと言う。確かに個人主義の国、アメリカでも食事の時間を大切にしている。レストランにおいても、必ずと言っていいほど食前酒を楽しみながら食事を楽しみ、そこで話を楽しむ。ジョークを交えて馬鹿笑いするという会話ではなく、それなりに場の雰囲気を十分に考慮した会話を考えて話をする。ある意味、そこには知性や技術や経験と言う「技」を必要とする。それに引き替え、日本人の食事は、とてもあっさりとしている。ただ単に空腹感を満たすだけ。家族でともに食事しながらも「個」なのである。家族ならまだしも、たまに若いカップルでも、そのような場面に出くわすことがある。デートの最中だろうと思しきカップルに会話がない! ただ黙々とモノを口の中に放り込んでいるだけの姿は、見ててもさみしいものである。

 僕が一番許せないのは、若者に対して、しっかりとマナーを教えることのできない年長者が多いこと。すべてに関し年長者が主体となって(支払いまでも)まかなうべきと思い込んでいる若者が多いこと。そんな殺伐とした味気ない、ただ客に食事を作って提供するだけで楽しむ演出を怠っているレストラン側と・・・日本人の食に関する気持ちは、これから先の社会を考えると、どこかで学び改善を要する問題だと思うのだが・・・・!!??

2012/5/28
若いのに・・・!

まあ、今に始まったことではないけど、銀行やスーパーマーケットの駐車場など、特に大きなショッピングセンターなどの駐車場には、必ず身体障碍者用駐車スペースが設けられているが、その駐車枠に若い人が当然の権利として駐車する光景を目にする。空いているのだから、だれが使っても良いのであるが、車いす利用者を搬送するうえで、時として邪魔になるときがある。まあ、その配慮のなさも若さゆえと理解するとして、常に僕なりに心配になるのは、元気で若いうちから「楽」をし続けることで、年老いてからの身体機能の如実な低下を心配するわけさ!

 若いうちに歩く癖をつけていかないと、それこそ年老いてから身体機能を維持することが難しくなってくるよね!と勝手に心配し、それこそ、「余計なお世話!」と言い返されかねない事なんだが・・・また、慣れた奴なんかに注意でもしようものなら、若いうちから膝を酷使した結果、膝関節が摩耗して逆に歩けなくなったら、どうしてくれるんだ?!」と反論されそうだが、しかし、膝関節の摩耗よりも、体内に蓄積されたエネルギーの消費をどう考えるか? 特に楽をする若者に限って言えば、その大半が小太り又は小太り以上。あと10年もすれば生活習慣病と診断されるような体型である。

 健康意識の高まりで高い月の会費を支払いながらスポーツジムに通い、余分なエネルギーを消費する。エネルギーを消費すれば当然のごとく腹が減る。空腹感はマクドナルドで満たし、気になる太りすぎを懸念するがあまりダイエットコーラを飲み、食後は黒烏龍茶で脂分を洗い流す。それでいて、疲れるからと、ショッピングに行けば入り口にできる限り近い場所を求めて、車を無意味に走らせる。ショッピングから戻れば、疲れた体を癒すがために昼寝する。十分な昼寝が功を奏して、都合よく夕食も食事がうまい。食べれるということは健康な証拠と勝手な言い訳をつけながら、たっぷりとエネルギー補給を行う。おまけに、一日の疲れを癒すために、ほろ酔い加減よりもチョコット多い目の酒を楽しむ。あ~ア、今日も一日健康でよかった、よかった!と床に就く。

 何か違う!なんだか変な世の中、間違っているとは思いませんか?

2012/5/25
ウエルフェアー2012をみて。

今日から三日間、愛知県のポートメッセなごや(国際展示場)にて、第15回国際福祉健康産業展が開催されている。今日の朝から、うちの職員2名を同行し、会場をぐるりと回ってきた。今回のウエルフェアには、私なりに若干の期待を持って参加したつもりだが、実際に会場に赴いてみると、その規模の小ささに落胆してしまった。

 今回は、身体的機能が重度化した利用者の移動、移乗に際し、介護負担を軽減するための機具と、足こぎ式車いすの導入を考え、ぜひ実際の商品を目で確認し、操作方法を見てみたいと思っていた。しかし、移動用リフト系は一点のみ、足こぎ式車いすは狙っていた商品を見ることができたが、わざわざ名古屋まで出向いて、駐車場料金を700円も支払って参加するメリットは感じられないものだった。

 私がこの事業を始めたころは、もっと多くの出展社があり、疾患別の特別食の販売やら、障碍者用のユニバーサルデザインの食器など幅広く展示されていたものだ。もちろん、出展社側も商いだから、商売につながらないと判断すれば継続的に出展は出来ない。売れないから出展しない?出展社が少ないからモノを買わない?と、これは鶏と卵と同じで、問題の解決にはならない、単なる水掛け論ではあるが、しかし、それにしても、年々、名古屋の福祉機器展を見ていると、規模の縮小が目立ってきている。

 これは、すべてが主催者や出展者側の問題化と言えば、そこに集まる客側にも大きな問題が隠れているように思う。展示会に参加する者の多くは、勉強を兼ねてライ書する者が多いように見受けた。要するに冷やかし客である。何だかんだと説明を求め、サンプルを集め、試食試飲するだけの客である。そして、以前に比べると介護施設関係者が減少しているように感じた。入館時に受付で、来場者を区分けするため介護施設関係者、一般、企業と数種類に色分けされたディカールを着けさせられる。今回は、金曜日だからかもしれないが、一般の入場者が大半を占めていたように思う。同時に、福祉関係者の面々を見てても、決裁権のない一介護職員が偵察に来ているような人も多く見受けられた。

 見本市には、企業側はそれなりに出展経費をかけ、人件費など多額の費用を負担しながらの参加を行っているわけで、それこそ死にもの狂い。そんな場所だからこそ、見る側も死にもの狂いで徹底的に聞いて、見て、確認する行為が求められるのではないか?入場者側にも、お祭りに参加し、タダで試食してくるデパ地下で腹を満たすおばちゃん族のノリで参加するのでは、それこそ、見本市自体が縮小傾向になってしまっても文句は言えないところである。

 まあ、こんな状況であるから、来年は名古屋には参加せず、東京か大阪の見本市に参加して、この太陽の家にフィードバックできる新たなアイデアや機材を探しに行こうと考えている。

2012/5/22
今どきの親は子供を放し飼いにするな!

僕は怒っている! 何に対してかと言えば、子供のしつけに関する今どきの親に対してである。

最近、常に感じることだが、今どきの親は子供を叱らなくなった。そして、自由奔放、何の制約もないのびのびした環境で子育てを希望する夫婦が多いようだ。今日の近所のスーパーマーケットでも、子供が走り回り、商品陳列棚の間でかくれんぼをしている。また、幼児が用事を乗せたベビーカートを母親から離れた場所で、それも単独で押している。狭い通路をやみくもにカートを押して歩く状況は、献立に迷いながら品定めをして買い物してるオッサン、オバサンには危険である。

 どちらの方向に行きたいのかわからず、こちらの方が自分の思う方向を譲らなければいけない状況があった。まあ、100歩譲って、相手は幼い子供のやること。そんなに目くじら立てて憤慨する必要もないわけだが、それでも、親は何も言わない。こちらの方がハラハラ・ドキドキする状態である。

 今どきの親の考え方はともかく、夕暮れ時のスーパーは、夕ご飯の材料を調達して、速やかに夕食の調理にかからなければいけない者ばかり。みんな結構、先を急ぐ者が多い中、子ずれの客にも同様の権利があるといわんばかり、または、公共の公園で子供を放つ親のように、本当に子供は自由に、思うまま走り回る。これは、はっきり言って「暴力」である。あなた方以上に、私にも安全に、そして速やかに買い物ができる権利がある。相手が無邪気な子供だから責任はないにしろ、それらのガキを管理する義務は親は持ち合わせているはずだ。これらの無頓着な(横着な?)親に声を大にして言いたい。

「あなた方の勝手な理論を掲げて、子供を放し飼いにするな!」と。

2012/5/22
サービス利用者の主張と介護する者の感情

デイサービスにしろ、入所系施設利用者にせよ、今の介護保険利用者とサービス提供者との感情的もつれ。ってのはどこからも聞こえてくる悩みのようである。苦情と言うレベルではなく、個人的な感情のもつれもあるし、肌が合わないといった些細な理由で特定の介護者を無視したり、避けたりする利用者感情が存在するということである。我々、介護する側には、公平性や平等なサービスの提供を義務づけられている以上、利用者を差別することは出来ない。元より、バイスティックの7原則の中には、平等の前に、非審判的態度を求める項目がある。如何なる状況であっても、利用者を評価、判定することはしてはいけないのである。

 理論上は、利用者のすべてに対して平等で公平な安定したサービスの提供が行われるべく、介護者自身が自分自身を律して業務にあたっているはずであるが、そこに、少なからず感情の因子がからんでくるのである。これは人間である限り、当然と言えば当然の姿であるが、そこをもう一度考えるべき職業が介護職員であり、直接処遇者と言われる職種である。

 しかし介護職員だから、専門職だからと言って、文句は言うな!と切り捨てることは、介護職員の負うこととなるストレスの観点から適切な処置とは言えない。すべての介護職員が修行僧のように厳格な規律を守って厳しい修行を積んできた者でない以上、すべてを理解して相手に対して公平な感情を維持しろと言う方が無茶苦茶な説法である。

 今日、この話題にふさわしい話が飛び込んできた。うちの介護職員の一人が片麻痺の女性利用者の入浴を介助してた時に、一番の新顔になる職員の介助を拒否したという話である。本人の口からの訴えではないので、本人が受けた感情的負のダメージに関してはよくわからない。しかし、この女性利用者は、過去にも新人イビリが目立つ利用者でもあり、新人たちは概ね最初のころに洗礼を受けているような、とても難しいタイプの人である。一歩退いてみてみると、若くして脳梗塞を発症し、左半身不随となり発語にも多少の障害が残ってしまった女性だけに、ある意味、身体は一般の高齢者に比べても若い。脳の機能も高齢者と違って若さを保っており、我々の言うことは概ね理解できる状態である。心身ともに健康で、ただ単に身体機能に不随が存在するという状況は、さぞやストレスフルでフラストレートな気分であるだろうと考えられる。自分に置き換えて考えれば、今の自分自身の行動に、物理的に制限を受けながら、毎日を暮しているとすればどうだろう・・・?!自分が思うまま行動し、必要と思った時にショッピングに出かけ、自分の欲求どおおりに活動できる我々が、活動の制限を受けるわけである。これは辛い。ただでさえ、じっと家にいることを嫌う若い世代に、そんな制限ある生活なんて出来っこないはずである。そう考えれば、ある程度、彼女のわがまま(取りあえず、わがままと表現させてもらう)には理解が伴うはずである。

 さて、そこで次に、こんな差別的な介護職員が受けることに対して、もう一歩踏み込んで話を進めたい。一応、彼女を理解することは、軋轢を感じた本人が冷静な気持ちとなれば可能とする。しかし、これらの軋轢にしても数重なれば、そんな理解力もへったくれもなくなるわけで、そこに行きつくまでに介護職員として、遣らなければならないことが存在する。それは、信頼関係の構築である。ここでいう信頼関係とは、深い部分でお互いの心がつながる信頼関係ではない。「私があなたを介護しても、安心しててくださいね!」と言う信頼関係である。この関係づくりに一番効果的な行為は「会話」である。単なる日常の会話でよい。あいさつ程度から少しだけ踏み込んで、自分の好みの色やファッション、好きな事などの話から、相手との共通な話題を探す行為である。人間である以上、些細な感情のもつれも生じると同様、少しの会話を実施するだけで相手を分かったような気になるものである。お互いが通じるものがあると思わせること。この働きかけが、一番最初に実施されるべきである。

 それと同じくして、やはり同僚の応援と言うのも欠かせない。自分が受けた軋轢を話すことによって、少なからず新人職員の人格を傷つけて痛手は癒すことができる。先輩職員の一言「ドンマイ!ドンマイ!」と、温かな思いやりの一言ですべては丸く収まる。介護の現場ってそんなところさ!

2012/5/21
至福の時

天候の良い一日、自宅裏庭のベランダでスイングベンチに揺られ音楽を聴くことは、僕にとって最高にリラックスする至福の時である。表通りの喧騒から離れ、裏庭には静けさが存在する。風の音とともに時折上空に飛来するジェット旅客機の音が、眠気を誘うかのごとく・・・今日、聴く音楽はやはりトニー・ベネットか?!それとも、ジェットストリームか?

 それほど多くはない木々の新緑の葉っぱが風に揺れ、かすかなジャスミンの花の香りが僕の鼻をくすぐり、こうやってノートパソコンを膝に乗せて、おもいついたままブログを書き込んでいく。こんな時は頭の中も余裕がたっぷり!いろいろな思いが駆け巡っていく。同じ駆け巡っていくにも、仕事の時とOFFの今日は、随分と重みが違う。OFFの日は、面倒なことは一切考えない。夕食の献立に思いをはせ、時には流れる音楽の音色にうっとりと聴きいり、軽く目を閉じて惰眠をむさぼるのも良いかもしれない。風が少し肌寒いものの、一枚余分に着込んだ長袖のカーディガンで十分に事足りる。

 その昔、僕の一番好きな場所は同じようにカリフォルニアの下宿のバックヤードだった。学校の教科書をもって、同じようにスイングチェアーに腰を下ろし、本を読むとき。それは、何とも言えない最高の気分であった。乾燥した空気とそよかな風に包まれ、均一に刈り込まれた緑やわらかい芝生とオークツリー、庭の隅には真っ赤なバラ。パターグリーンの先には、まだ時期的に誰も入らないスイミングプールは水をはったまま、全自動のプールスイーパーなるクリーニングロボットが、時折水を吐き出しながら水面のごみを集めている。

 僕の家の裏庭からは、鈴鹿の総合病院の建物が見える。昨年の一時期、あの建物の中にしばらくの間お世話になっていたことを思い出す。僕は、もう、あそこに戻る必要はないが、今もあそこに世話になっている人が大勢いることを思うと少し胸が痛くなる。こうやって、自分が思うように外の空気を吸って、好きな時に音楽を聴き、好きな葉巻をくゆらせ、飽きてきたら部屋に戻る生活。健康だからできることであって、その有難さをしみじみと感じるのである。

2012/5/16
今日の驚き!

今日は車に関する驚きを二つ経験した。一つは、また、また、ちょっとおしゃれな車に、僕の愛車を煽られた!と言うお話。特にチンタラ標準的スピード(標準的と書いたのは、制限速度を超えて流れに沿ったスピードと言う意味で、そのように表現した)で走行中に、僕の車の真後ろにベタリと鼻先を押し付けるように近寄って運転する車。それは、ヨーロッパの車。コンパクトな車だが、結構機敏な走りに定評のある車である。僕のルームミラーに相手の運転手の顔がはっきりと分かる位べったりと!猫か何かが飛び出してきて急ブレーキでも踏めば、そのまま後部に追突される距離である。そして、その運転する人は若い女性である。驚いた、以上にあきれ果てた。何と無謀な!!

 次に紹介するお話は面白い話。片側二車線のバイパスを津の三重県総合文化センター向け走行中。僕は車内温度が上がりすぎるために運転席と助手席の両方の窓を開放して、追い越し車線を走行してたのです。二つ先の信号を右折するつもりで追い越し車線を走行。運悪く(?)手前の信号で赤信号、強制的に停止を命じられてスローダウン。僕の左側には軽トラック。次いで右側の右折ラインにシルバーマークを付けてた軽車両。最初、左の軽トラックから漏れ聞こえるラジオの音。そして、右側の右折車線に入ってくる軽車両が近づくにつれ、聞こえてきたラジオが、ステレオのように両方から聞こえ始めたのです。しっかりと、二台の軽車両に挟まれたように停車したのですが、偶然にも両隣の車両が同じAM放送を聴いてた。ってなわけで、それも両方の車両を運転するのはオジサン。聞いてたラジオ番組も「ラジオショッピング」だった。『通常は〇〇円のところ、本日限りのお得なお値段・・・・』ってな調子である。この偶然に思わず笑えてきた。ってお話。

 えっ?面白くなかった?! そりゃ、申し訳ない!

2012/5/15
最近は読書にはまっている。

先日のブログでも紹介したように、最近、よく本を読む。前回紹介した本はすべて読み干した。昨日見つけた里中李生という三重県出身の作家の書いた「一流の男、二流の男」を読み終えた。本屋さんで立ち読みしている中で、このタイトルにひかれ、おまけに同じ三重県人が書いた本ということに、とても興味がわいた。

初めて読む作家のエッセイであるが、とても人生に対して厳しい視点を持っている人で、言葉自体も厳しい。それこそ「あほ、ボケ、カス」の言い回しである。軟弱い現代の若者を糞呼ばわりして、ヨワッチイ人間は死ね!と言わんばかりの厳しさ。これまで読んできた高野登氏のホスピタリティーからは、180度、真反対の作風である。

 ところでそんな里中氏の理論から判断されると僕は一流の男か?二流の男か?答えは二流の男となってしまう。その理由は、僕の中に彼が言うほどの厳しさが欠けているからである。里中氏の言う一流の男とは、昔、好んで読んでいた大藪晴彦氏のハードボイルド小説の主人公のような人物なんだろう。すべての物にこだわりを持って、自分の成功のためなら愛する女まで犠牲にできる男。それでいて、自分を世界にアピールし、思い描く姿に向けて夢を実現していく男。そして、二流の男は、そのまったく正反対のダメ人間で、マクドナルドやサイゼリアなどのファーストフードで空腹を満たし、肉欲だけに植えているだらしない男を言うらしい。

 しかし、本当のところ、スーパーマンのような超できる男を応援し、できない男を拒絶するような文章を書きながらも、どこかで二流の男たちを鼓舞し擁護する優しさが、この本には存在する。高野氏のホスピタリティーを正当方とするならば、里中氏の文章はサディスティックであり暴虐的であるかもしれないが、お互いに求めるところは同じような気がするのである。実際に彼の本を読んでみると、僕の言う面白さは理解いただけることと思う。所々で、僕自身も似たところがあるとも感じる。言葉はきつく、悪いけど、本当に相手を信じ、思う姿が隠されている。ただ、表面的に見る限りでは、とても津もなく横着で横柄な態度に、周りからは理解しがたい人物と映るかもしれない。

 本を読むということは、楽しい。紙に書かれる活字を読むことは楽しい。i-padなどで読む電子書籍よりも、やはり紙に印刷された文章を読むことの方が何十倍も楽しめる気がする。もしも、このブログに興味をもたれる方がいたら、とりあえず、自分が読みやすい活字の本を買ってきて、または、自分が興味を抱くジャンルの本を読まれることをお勧めする。テレビから仕入れる情報よりも限りはあるが、それらの情報量よりも中身の濃い知識を得ることができるはずだ。


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