高齢者介護とは、全くかけ離れた話題をひとつ。今日は、レストランにおけるドレスコードの是非について書いてみたい。
ドレスコードとは、そのお店が自らが店の雰囲気を重視し、来客には服装の下限を定めていることを指します。服装の下限と言っても、人によって評価に格差があります。例えばジャージでも高級ブランドの販売する一着上下のジャージ数十万円であっても、ジャージはジャージです。値段ではなく、その服装がフォーマルか?カジュアルか?である一線を引いているのですが、僕は、このドレスコードに大賛成です。言ってみれば、店側が自分の判断で店の挌を決めて、ある意味で客を選んでいる。人によっては、店側が客を選ぶとは遺憾である!と反論もある事と思う。この鈴鹿の田舎には、ドレスコードを指定するレストランは見当たらない。恐らく有ったとしても、鈴鹿二十万年の中のレストランに数件ではないだろうか?その理由は、客を選ぶことが客の減少に直結して、売り上げに大きな打撃を与えるからである。
レストランも営業収益があって初めて成り立つ。商売だから客層うんぬんより実利を追求するのは理解できる。しかし、普段着も、ちょっと見栄をはっての外出着も一緒のフロアーで、同じ食事を摂る。誰しも、その日の気分は違うし、特別な日ってのも持っているはずだ。それが、この田舎では特別な日としての演出も出来ない。せめて人の目に触れにくい死角となる店のコーナーを使わせてもらって、特別な日のディナーを演出するのが精一杯である。
田舎だから仕方ないとは思うが、これではいつまでたっても田舎のまま。テーブルマナーに不慣れで、高級レストランに偶然行く機会があったとしても、物おじして気が引けてしまい、せっかくの美味しい料理を味わうどころか緊張の冷や汗で何を食べてたのか全く記憶にない。そんな状況に陥る田舎のオッサン、おばやんとなってしまうのである。お店を選べないことは、非常に不幸なことであり、客も育たない、同時に店も育たない。慮法の悪循環が田舎のレストランには存在する。
東京でも、大したことない。格式高い高級ホテルのレストランと言えば、ドレスコードにフォーマルな所もあれば、スマートカジュアルとしてするレストランもあり、唯一、大物シンガーのディナーショーなどでカクテルドレスやタキシードを指定する場面がある程度。東京ではドレスコードは、そのまま代金の高さに比例するだけのドレスコードでしかない。と言うのが現実である。ところが、ヨーロッパやアメリカにおいては、それなりの格式と厳選された場所で、ごく一般の客が、特別な日を簡単に演出できる場が用意されている。日本の食文化との違いであろうか・・・もちろん、日本には割烹料亭なるレストランが存在する。しかし、それとて、我々一般小市民が行ける場所かと言えば、決してそうではない。日本式割烹とは、選ばれたセレブだけの楽しめる、敷居の高いレストランであり、それこそ限られた人だけの場所として、一般市民でも利用できるドレスコード云々とは少し意味が違うので、その点に誤解のないように。
まあ、何を言っているのか、甚だ分かりずらい、的を得ていない文面となってしまったが、つまりは、日によって変わる気分を、食文化も含めて、日本人ってのは楽しむことに疎い!と言うことが言いたいのである。食事をすれば早飯! 予約を入れてまで食事を楽しむ事を嫌い、味覚、視覚、演出より値段とスピード、尚の事、量さえ満たされれば、それでOKという食文化が重宝がられる日本の文化では、介護の世界も手短なニーズさえ満たせば万事がOKとなりがちなのは、それこそ国民性か・・・?!
駅で電車を待つプラットホーム。田舎の駅には、通勤通学時間以外は閑散とした静けさが漂うプラットホームがある。一人、電車を待つ反対側のホームでは、電車待ちの男性が、携帯電話を使って話しをしている。携帯を持つ手を耳に、もう一方の手をズボンのポケットへ。そして、会話しながら、ウロウロと移動する。靴のつま先で、ホームのコンクリートをイジイジと、こすりつけながら、方向を変えながら動き回る。
こんな行動パターンは駅のホームだけに限らず、色々な場面で目にする。人間はなぜ、携帯電話で話すとき一箇所に留まって話をしないんだろう?想像するところ、何か話しの内容に罰の悪さを感じているからか?それとも、会話の内容があまりにも馬鹿っぽいので、他人に聞かれる事に恥ずかしさを覚えるのか?よくわからないが、人が公共の場で携帯電話を使って誰かと話しをする時、チョット注意深く観察してみると面白いかも。
東大阪の石切さんと親しまれる石切剣箭神社へ行ってきました。それこそ一人旅。一人旅と言っても、他の用事で大阪へ行ったついで・・・と言ってしまえば罰あたりな話ではあるが、昨年、病気した時のお札をお返しに行ったのですが、日本人の信仰心に触れて、また、門前町のお店を散策しながらひと時の安らぎを感じてきました。石切さんは、思いの外小さく、伊勢神宮のような山懐深くでなく、生駒山のふもとではありますが、住宅街のど真ん中にあって、街並みからも庶民的なイメージを感じました。恐らく、その場所に建立された当時は、静寂な生駒山の山裾に、遠くに大阪城を眺める高台に開かれたお寺さんのようですが、近頃の爆発的な人口の増加に、一気に社を囲むように、民家が密集したようですね。
偶然、車のナビゲーションを頼って行ったのですが、昔の石切さんへの旧街道を指示され坂道をゆっくりと進んで行くうちに、社のど真ん中に出てしまいました。普通では考えられない場所に忽然と車が迷い込んでくるのですから、その場所でお百度を踏んでいる方々を驚かせたのは、謂わずと知れたこと。近くにいた神社の関係者には、お詫びして、十分と安全を確認しながら車を移動させました。神社の守衛さんの指示通り、無事に駐車場に車を移動させて社の門をくぐることが出来ました。
三重ナンバーの車でもあり、神社の守衛さんには丁重な指示をいただき、本当に恥ずかしい思いと共に心からの反省を込めてお詫びしてきました。
病気平癒を祈願して頂戴したお札をお返しして、そのお礼の気持ちを込めて社に手を合わせてきました。古くから馴おくじ染みの神社らしく、この日も平日に関わらず沢山の方々がお百度を繰り返して見えました。そして、その門前町には色々なお店が軒を連ね、客の呼び込みに一生懸命でした。食事処、地元の名産、お菓子や衣類を売る店など、細い坂道の両側にびっしりと立ち並ぶお店は、そのまま京都の清水寺への坂道を思い出させました。
門前町にある食事処から漂う「おでん」の香りや、漬物屋さんから漂う香りなどが入り混じって、その通りを独特の者にしています。日本の原風景ってのが、こんな身近なところにも存在してたようで、改めて日本文化の素晴らしさを感じる旅でした。
ここ数日、またまた高齢者への虐待の報道が多くみられる。その多くが認知症高齢者を対象とした介護する側だけの視点が原因で虐待が発生している。認知症高齢者の中には、自分の意思を上手に伝えられない問題や介護する者との意思の疎通が取れない問題を抱えている人も多い。虐待の大半は、このような問題を抱えた重度な認知症高齢者に対する精神的ストレスの発散を本人に向けてしまうことに起因している。
高齢者に限らず我々のような介護を実践する業務は、ヒューマンサービスであり、言ってみれば「ホテルマン」や「バス・タクシーの乗務員」「飛行機の乗務員」などと同じ職業でもある。ただ違う点と言えば、相手に特定の疾患があって一般人でない点である。そして、我々はそのような特定の問題を抱える人に対するサービスの提供を行う以上は、専門職としての知識とスキルを必要とされる訳であるが、問題は、この専門職と言われる所以である専門知識の習得に有ると考えられる。
専門知識には、認知症をしっかりと理解することだけにとどまらず、精神的な疾患に対する理解、その対応方法、自分自身の受けるストレスの解消方法などを含めた広範囲なスキルを必要としている。今の介護の問題は、その専門性を如何に習得するか?如何にしてハイレベルなスキル保持者を雇用するか?に掛ってきている。ハイレベルなスキルを持つ人を雇用するには、それなりの給料の支払いは必須である。大学卒業の学力をもって、高齢者介護を行う人材を探してもなかなか見つからない。それどころか、学歴やスキル、経験を問わないという条件で無いと必要最低限の人材確保も難しいのが現状である。
雇い入れた人材を適切に教育し、それなりに育て上げれば、その人たちは介護の現場に留まらず次のステップへ進んで行く。誰だって介護の現場に一生を捧げるほどの体力も気力も持ち合わせていないのである。全ての人間が自己実現への欲求をもって生活している以上、ある意味自然の摂理でもある。経験を積んで、そのスキルと知識を別の形で生かしていきたいと思う気持ちは当然である。
まあ、そんな理由は虐待を肯定できる理由にはなりえない、また虐待は、どんな理由であっても肯定してはいけない。同じ人間として、いじめや暴言、暴行を受けるゆわれは全くあり得ないのである。弱者である(この言葉自体、あまり好きではないが・・・)人達を守らなければいけない立場の介護施設として、これらの事実を恥じなければいけない。同じ職域で頑張って働いている者たちの社会的な立場を守るためにも、一部の軽率な分子による暴力行為や暴言を認めるわけにはいかない。
日本語ってのは、とっても難しい言葉があるのですね。啓蟄、寒かった冬も終わり、次第に気温が上昇するにつれ、地中で眠っていた虫たちが地上に這い出てくる、そんな様子を語った言葉ですが、今日はそんな言葉がぴったりと当てはまる陽気の一日となりました。太陽の家の玄関先の梅の木にも花がチラホラと開花し、微かですが梅の匂いが漂っているような気もします。ただ、今日は一日中西風が強く、物干しに干した洗濯物が大きく揺れています。
毎年、3月の寝釈迦の頃(卒業式のころ)には、最後の冬将軍が到来して大雪にみまわれる。そんな時期です。まだまだ寒い日が続きます。本当の春は、もう少し先の事となりそうですね。
昨年の今頃は、同じように穏やかな日々を過ごしながらも、例の3・11の東日本大震災をうけてから日本全土が暗く、厳しい月日を過ごす事となりました。一年たっても原発の放射能汚染によって自宅を放置しなければいけない人々も多く居ます。社会全体が、今回の地震災害の大きさに驚愕し、同時に何時また起こるかも知れない巨大地震に対する備えを兼ねて、いろいろな活動が実施されています。今日も、この地方で同じような地震災害や原子力発電所の事故が発生した時の被害状況を想定したアンケート調査が行われました。
私達、高齢者介護を実践する者としての社会資源の一翼を担う者が、将来の災害に対して、如何に役立つか?どうすれば一般の被災者を同じ被災者でもある我々がお手伝いできるのか?を真剣に考え、訓練を行いながら実際の被災場面での問題点や課題を身をもって経験することが肝心かと考えます。
東日本大震災の恐怖から一年、そして今、東海、東南海、南海大地震がささやかれ、同じような大規模災害を受けて日本全土が沈没しない為にも、市民一丸となって体制の構築が必要と思われます。
今日、三月一日からピーチ エーイビエーションが華々しく就航した。成田と関空発の国内線格安航空機だ。通常の料金の半額から程度の格安航空運賃で旅行が可能となった。格安なだけに、今までのレギュラー航空会社のサービスと違って、座席間隔も狭く、食事などの飲食は実費、手荷物などにも一定の制限がある。
安いから、ある程度窮屈でも、飲食できなくてもエエヨ!と思う人が乗れば良い。とっても考え方が現代的と言うか、徹底的な無駄の削減が低コスト絵な運賃を生み出したワケである。安くて旅行に出かける顧客の増加が目論まれているようだが、こんな理論が社会福祉に、特に高齢者福祉サービスに取り入れられたら…?!と考えると恐ろしい。
利用料が安くなったから、介護報酬がマイナス改訂されたから、提供サービスも下がって当然。と言う考え方だ。入浴サービスは希望者に実費。食事も好みの献立を実費、トイレを使う場合は一回100円、昼寝の必要な利用者には、昼寝スペースの購入を一回200円………ってな具合に、全てのサービスを有償、個別価格設定にしてしまえ!と言わんばかりの高齢者施設ってどうなの…?となる
まあ、しかし、介護保険で一律の利用料金の割には、提供されているサービスの質に格差がある今、逆に言うと個別価格設定の今、個別の価格設定と共に確実に価格に見合うサービスを保障するLCCも、顧客の本来のニーズにあっているのかもしれない。
今日の朝のテレビ報道の中で、現代版海外移住の話題が紹介されていた。日本では古くは明治から大正年代にかけて、貧しい農家の二男、三男などが海外の新天地を求めて大量に移住した時代があった。しかし、現代の海外移住の多くは子育て世代に多く、その理由として日本の行く末を不安に思う気持ちが大きな原因であるらしい。また、福島の原発の後遺症である放射能汚染や年金制度の破綻から将来への期待が出来ない点をあげている。
明治、大正の時代に移住した人々は、子沢山の水飲み百姓と言われ、引き継ぐ遺産も無いことから海外に出て、一旗揚げようという意気込みを持って渡航した人達である。基本的に移住する根本理由が違う。今の世代は子供を中心に人生を考える。しかし、昔の日本人は「家」を中心に人生を考える。「家長」とか「家徳」とかが大手を振って成り立つ時代であった。だから、水飲み百姓でなくとも、家督を相続する長男以外は、全てが”スペアー”の時代。自分に何も授かる物が無ければ、他で儲けてこようという考え方が自然に発生する土壌があった。
アメリカの今を作っている白人社会も同様、イギリスやフランスから遠く離れた未開の地で、一旗揚げるつもりで海を渡った人達の子孫で構成されている。みな同じ夢を抱いて、未開の荒野を耕し、作物を植え、家畜を育て、家族を育ててきた。何処で、どのように暮らそうとも、寝てるだけでは夢はかなわない。先日のテレビ番組でフランスで一流モデルを夢見る女性がインタビューに応えていた。
「 夢は自分でつかむもの。夢をただ単に待っていても夢はかなわない。」まさしく、その通り、世の中には、沢山の頭の良い御仁が沢山いる。年齢に関係なく頭脳明晰で、それなりの社会的地位を築いた人達は、生まれながらにして頭が良かったわけではない。全ての人が生まれた時は、同じくらいの頭脳の持ち主だったはず。もちろん、その中でも特に優れたIQを持つ人もいるが、それでも大半の子供たちは、同じレベルでスタートをきる。そして、義務教育、高校、大学と生育段階で、徐々に格差が生まれる。成人を迎える頃になると、頭の善し悪しを理由に、社会に背を向ける者まででてくる。しかし、よく考えてみれば、頭のいい連中、または社会的地位を持つ人たちは、それまでに多くの困難を乗り越え、自らが努力を惜しまず努力してきた結果が、今のその人だと。
言うなれば、今の僕は、それなりに努力もせず、自分で頑張ってきたということも無い、いたって平凡で一般的な生活をダラダラとしてきただけの人間で、同じような歳で日本を動かすような人を羨んだりするのは、筋違いというものだ。そのように社会の成り立ちを学ばず今まで過ごしてきて、この歳になって気付くのが、遅すぎた気がしてならない。もう少し早くに気付いていれば、今の自分では無い自分が存在したかもしれない。
そう考えると、今の若い世代に時を粗末にするな!と忠告したくなるのも、歳をとった証拠かもしれない。はははは・・・・
昨日の男女二つのサッカーの試合をみて思ったこと。それは、タイトルのごとく完全なチームワーク(チーム プレー)の重要性である。男子サッカーのザック・ジャパンは、一点を獲得する事の出来ない惜敗と評価され、女子サッカーのなでしこジャパンは、先制された一点を逆転して勝利へと結び付けた。僕は、それ程のサッカー大好きなファンではないが、時々、世界戦などをテレビでみる時がある。戦略は僕には理解できないが、男子と女子の試合を見比べてみると、男子サッカーよりも女子サッカーの方が、チームプレーが出来ていたように感じる。ボールのすすむ先を予測しながら、個人個人が同じ絵を頭に描きながら、その理想的なパターンを目指して、各選手がフィールドを駆け巡っていたように見えた。当然、得点圏でのシュートチャンスを確実にものにした女子サッカー。それに反して男子サッカーには、世界で活躍する超有名スター選手ばかりのチーム構成の中、見た感じ、それぞれのプレーヤーの頭の中では、バラバラで統一性の無い絵が描かれていたような、チャンスに対応できていない。そんな感じを受けた。
介護の業務の中でもチームプレーが要求される。その理由に、数居る職員によって異なる支援の量と質、方向性では要介護者に混乱が生じるし、また、単発のケアでは、効果も薄く改善に期待が持てないからである。どんなに優れた技術を持っていようが、卓越した知識を持っていたとしても、しっかりと周りの支援者との連携がとれなければ、この男子サッカーと同様、得点につながらない、哀れな介護の実践となってしまう。