何の話か・・・?って・・・・この時期の話題と言えば、当然、「宝くじ」の話。
年末、有楽町まで行って購入した宝くじ。 300円が当たったくらいで、また今年も大外れ!
3億円が当たれば嬉しいに決まってる。でも、もしも3億円が当たったらと考えると、ちょっと人生変わってしまう切っ掛けとなりそうで恐ろしい。今の貧乏(?)な生活でも十分満足なんだから、3億円当たらなくって正解かも・・・・と妙な言い訳をこじつけている自分。
今晩、全国の日本国民の中には、少なくても数10人は3億円の当たりくじを手に、ワナワナと興奮の中で過ごしている人がいる。まあ、それは、僕ではない事がはっきりしてるのだから、まあ、関係ない!
毎年、毎年、懲りずに宝くじを買っては、意気消沈している夜なのだ!
2011年、僕にとっても忘れられない一年でした。そんな2011年も、あと三時間少々で終わり、新しい年となります。今年一年、沢山の方々にご心配をおかけして、また色々な支援を頂戴して何とか乗り切ってきました。本当に有難い気持ちでいっぱいです。特に、うちの職員さん達には、いろんな意味で世話をかけました。自分でも不甲斐ない程わがままを言ってきたように思います。これが、一職員だったら許されないような我儘に、黙って理解してくれた職員のみんなに感謝しています。そして、そんな職員のみんなが大切に思ってくれて育んできた「和」が実を結んだのも、今年になってからだと感じます。グループホームもデイサービスも、みんなが協力して、なんとかサービスを良くしようと努力してきた結果、サービスの質も向上したと同時に、職員全体の協調性、相互理解など多くにわたって改善されてきたように思います。
生憎、施設長としての僕が療養に専念してた分、職員自らが考え、前向きに前進してくれた。そんな皆の気持ちが、この施設を とても良くしてくれたと思っています。皆のこの一年の働きに心より感謝し、いつかは恩に報いることが出来る様、僕は新たなる年には、今まで以上の全精力を投入して、職員の皆が更に幸せになれる様がんばるつもりです。
本当に、今年一年、職員を含み、沢山の方々にお世話になりました。この感謝の気持ちを忘れずに、明日からの新しい年の始まりを、自分自身も生まれ変わる気持ちで更なる飛躍を目指して頑張ります。どうか、皆様のお力添えを心よりお願い申し上げます。また、皆様にとって新しい年が、明るく健康で幸多い年でありますようにお祈り申し上げます。
平成23年12月31日
玉田 浩一
今年も残すところ、あと三日となり毎日が俄然慌ただしくなってきました。一昨日のブログにも書いたように、銀行や郵便局には、お年玉を新札の紙幣に交換する人達がいっぱい。大半が一万円札への交換が多く、今のお年玉の相場は一万円の様に見受けられる。僕の子供の頃のお年玉は百円だったように記憶してるが、あれから50年、当時のお年玉の十倍の金額が一般化しているようだ。
沢山の子供を抱える家族には大きな出費である。しかし、少子社会の今、お年玉を出す方の家族も昔に比べると小さくなって、稼げる額も小さくなって当然の様に一人の大人の負担額は大きくなっても仕方ないのかもしれない。私の家庭をみれば、兄妹は一人。子供がお年玉をおねだり出来るのも叔母一人、爺さん婆さんと親の兄妹が少ないので、収益が上がらない。と言う現実的な問題が発生するわけである。
まあ、そんなこんなで、年末のこの時期は何かと物入りな時。自転車操業の親父にはお年玉は苦しいぞ!
クリスマスを終えて、さて、いよいよ年の暮れと言う雰囲気。郵便局を筆頭に銀行から役所まで沢山の利用者でごった返している。昨日も銀行に出向いて、その待ち時間の長さに圧倒されてしまった。長蛇の列に耐えて銀行でやるべきを終え、その足で郵便局へ。郵便局でも長蛇の列。もともと郵便局の窓口は進み具合が遅い。デジタル化されたと言えども、まだまだアナログいっぱいの郵便局の窓口では、一人の利用者をこなすのに十数分を要する。本当にひどいものである。以前、窓口の苦情受付箱に、待ち時間の長さを訴えたことがあるが、今になっても改善されていないようである。
まあ、そんな事はどうでもよい。とかく世の中全体があわただしい! 車の往来も多いが、運転手のマナーもいつにも増して最悪の状況が展開されている。割り込み、ショートカット(コンビニの駐車場を横断する連中。)、無謀な狂騒的運転等など。昨日は、救急車がサイレンを鳴らして交差点に進入しようとする中でも、一般車両が車を停めることなく、普通のように(いや、若干、申し訳なさそうに足早風に通り過ぎようとしている。)当然、救急車も交差点を左折することも出来ず、交差点手前でウロウロしている。免許を取得する時に道路交通法を一部勉強したが、救急車両が近づいてきたときには、その救急車両の進路に関係なく、道路の端に車を寄せて停車することが義務付けられているのではないか??? そんな事は、どこ吹く風。年末の忙しさを言い訳かどうか知らないが、優先順位を全く無視できる社会感情が恐ろしい。
正月は東洋の文化と歴史の中では特別の儀式かもしれないが、そんな正月も、過去の正月イメージからかけ離れてきている。三箇日は包丁を持たないと、おせち料理を準備するのだが、世の中の家庭ではおせちすら作らずデリバリー物で間に合わせる。ピザやフライドチキンや最近では弁当に至るまで、なんでも食べるモノに苦労はしない世の中。正月の一日から、商売人は商売を行い、それに向かって消費者は群がる。当然、車の往来も増える。どうせおせちも作らないのなら、年末にバタバタと走り回って忙しく動き回る必要性も無いのではないか?
なんだか、周りがバタバタするから、自分もバタバタしないと非国民呼ばわりするか????なんて心配に駆られて動き回る人が多いように感じる。年の瀬くらい、ノンビリとゆっくりと迎えたいものである。正月の際まで働き(高齢者の介護)、正月早々から仕事に追われ(高齢者の介護)その間、数日の休日は有るとしても、その為に忙しい時間を大掃除に充てる。一体全体、何のための正月なのか・・・・?わからない。
リスクマネージメントとは、今の社会では、あらゆる分野で重要視されている項目であるが、例外にもれずタレント業界でも、とんでもないケースが発生したようだ。最近売り出し中(?・・・・僕は馴染みが無いが名前だけは聞いたことがある人物)が、韓国で開催された映画祭に参加した時に立ち寄ったレストランで、ウエイトレスの韓国人女性にサインを求められ、自分のサインでは無い他者である日本人の某有名歌手の名前を書いた。と言う話のことである。実際、ネット上では、彼の写真と、彼の残してきた「偽りのサイン」の写真が公開されているが、とんだ大失態である。同じ日本人として恥ずかしいし憤りも感じる。
以前、僕はF-1の日本GPのパドック内で、業務として(ここが重要ですよ!)、その当時のF-1の王者であるミハエル・シューマッハにプログラムにサインを求めた事がある。もちろん、事情を説明して、業務としてサインを求めたが彼ははっきりと断った。彼なりの論理としては、業務で有る以上はチームの許可を取ってから正規ルートを使ってサイン要請をしてくれ!と言いたかったのだろう。流石に世界のF-1チャンピオンとして自覚と誇りを持った対応である。
それに比べ、今回の日本人タレントのとった行動は、幼稚で狡猾な行動であり、韓国国民を舐めた行動として非難されて当然の行動である。後の言い訳として「韓国人を馬鹿にしてやった行動では無い!」と言っているようだが、大そうな意図も無く軽はずみな行動であるならば、尚の事、やった本人の軽率さと馬鹿さ加減を露呈したことになる。その時に一般の人からのサインに応じる気分で無ければ、はっきりと自分はサインはしない!と断るべきだろう!気乗りしないにもかかわらず、どうせ読めないんだからふざけ半分に他人の名前を書いたとしたら、有名人としてはふさわしくない最低の行動だと思う。この軽率な行動自体、リスクを考えられない弱点があったようである。
先だってからカジノに百億円もつぎ込んだ御曹司の話やら、損失隠しに法外な企業買収を行ったかのような粉飾を行った上場企業でもリスクマネージメントの低さが目立つ。情報時代、ネットやテレビの普及と配信スピードの変化に、人間さんの意識改革が伴っていない。良く言えば、情報社会の落ちこぼれ的被害者かもしれないが、それでも、有名になればなるほど自分を律する姿勢を強化してほしいものである。
この写真をみて、どう思いますか?皆さん・・・・・
そのまんま女子高校生のノリでしょう!実は、彼女達は太陽の家のれっきとした介護職員です。来る19日の月曜日には、デイサービスのクリスマス会を開催予定なのです。その中で、彼女達はのど自慢を計画しているようです。だから、この写真のような情景が展開された!と言う訳なんです。
今日のデイサービス終了後のひと時、フロアーのピータイルに直接座りこんで、マイク片手に、カラオケに熱中している彼女達。こんなに自由に気ままな姿を管理者の僕の前にさらけ出して、大丈夫なんでしょうか・・・・?真剣に練習しているのか、遊び半分なお気楽モードなのか・・・?分かりませんが、こんな施設なんです。太陽の家って。
今日、デイサービスの利用者個人ファイルを点検した。十分出来ていると思いきや、書類上、腑に落ちない点を見つけた。それは、透析食を提供している利用者のかたの特別メニューの記録が昨年から抜けている。今でも、その利用者の方は元気に何の変化も無く通所介護を利用されているので、特に食事面での問題は無いようだが、記録としての過去のデータが皆無である。即刻、職員に聞いてみたら、ある程度まで保管するが、期間終了と共に処分してしまうと言う。
「えっ・・・・・・・」と絶句!である。
平成23年になってから以降、今まで、確認しなかった僕も管理者失格だが、特に疑問にも思わず破棄してたなんて・・・・・・・・
我々の業務の大半は記録と言われるほど、書いて残すことが多いのが介護や看護の業務です。本当に一秒も無駄にできない程、逼迫した現場作業の中で、いちいち細かな内容を記録すると言う事は大変な労力を必要とするし、時間も不足しがちなのは十二分に理解しています。しかし、私達の行っているサービス提供は、生きている人間を相手の業務ですから、後々になって体調不良や命にかかわる重大事件が発生した場合、私達の行ってきた業務内容の正当性を証明するために唯一、利用できるのが記録なんです。人間の記憶とは、得てしていい加減な物であって、時には自分に有利なような言い訳をしてしまうこともある。それが人間だから致しかた無いのですが、重大な問題を前にして「人間だから仕方ない!」と言う言い訳は通用しないのです。
仮に重大な問題が発生した時には、関係所轄から事情説明を求められます。ニュースなどで耳にする「事情聴取」です。それらの説明は、過去を事細かに聴取して、その時の状況を出来る限り真実に近く再現する必要性があります。その時に、記録が重要な役割を果たすのです。例えば、デイサービス利用者Aさんが、デイサービスを終えて自宅に帰った。有ってはいけない事ではあるが、自宅に帰った途端に下痢と嘔吐を繰り返したとする。当然、ご家族はパニックになります。病院を受診するにも昼食に何を食べたのか分からない。ご家族としては、太陽の家に電話をして、その日の献立や利用者Aさんの状況を質問してきます。そんな時に、ご家族の質問に対し、的確な返答を行うためには、その時の記録が必要です。その時の全てを職員が記憶しているとは限りませんし、前にも述べたように自分に都合良い説明を行う事はしてはいけません。どう言う状況でも、しっかりと真実をお伝えするように心掛けないと、そのことが原因で利用者Aさんが命を落とすことになると、それこそ重大事件に発展してしまいます。そして、担当する職員は刑事事件の被告となってしまうのです。
言ってみれば、記録と言うモノは、とかく面倒くさいモノ扱いされがちですが、我々の行動を証明する唯一の証拠物件なのです。だからとても重要な代物なのです。
頭の良い職員さんでも、全ての出来事やその日の詳細な状況を記憶にとどめることは不可能です。だから文字として、時に必要であるならば写真も添付して記録に残すことが求められます。これは、基本中の基本です。
時々、自分の書いた過去のブログを読み返す事が有る。有るわ有るわと、誤字、脱字だけでなく意味プ〜な文章。恥ずかしい。以前、日本福祉大学で学んでいた頃、学校のネットワークを使ってブログを書いていた。もちろん、読んでくれるのは学校の同級生達であり、その当時から誤字、脱字、意味プ〜文章は指摘を受けていた。なんせ、文章を書くのは書くが、書き終わって公開する前に読み返さない、そのままネット上にアップする。だから当然と言っていい程誤字、変換ミスがある。そんなブログを読み返していて、自分でも何を書いたんだ?と考え込む場面に出くわす。そんな時は、読んでくれている人たちに申し訳無い気持ちになる。同時に、この僕の一大欠点はブログの文章だけでなく、職員さんへのアドバイス文章にも現れている。これは笑って済まされるものではない。自分の立場からも、今後はもう少し慎重にならなければ…(^-^)/さて、今日は皆既月食が見れる夜なのに、この鈴鹿では、あいにくの雨模様。空には雲が張り詰め、時折雲の切れ目から月は見えるものの、中々くっきりはっきり見えない。普段からの行いが悪いからか……まあ、僕のブログといい、皆既月食を邪魔する曇り空といい、うすらボケの玉ちゃんは、今日もシコシコとブログに下手な文章を書き込んでいる。
久しぶりにデイサービスの送迎に出た。朝一番で自宅に迎えに行き、デイサービス終了と同時にお送りする送迎業務。結構、大変な仕事だけど、無事に仕事を終えてみると何かと感じることが多い。その中でも、今日は、年寄りさん達の顔をみてて思ったのが、このタイトルのとおり。みんな寂しいんだ!と言うこと。
デイサービスを利用中には、家が一番ええ!と言う年寄り達。そりゃそうだ!何もしなくても、誰にも何にも云われない。こうしろ、ああしろと言われずに、一日中寝っ転がって、食いたいものを頬張り、飲みたいものを飲んで、眠くなれば昼寝も自由。そんな生活の方が楽に決まっている。だから、デイサービスを利用中の年寄り達は、緊張の連続でお疲れなのだ!
そんな年寄りを車に乗せて、いざ自宅へ!ゆっくりと安全運転に徹しながらも車は利用者の自宅前に到着。サイドスライドドアを開けて、ステップをセット。さあ、降りて頂いても良いですよ!と声がけして、手を摂り、転ばないように誘導する。そんな僕達の顔を見上げながら、一瞬だけど、寂しそうな顔を見せる。
送迎車両が自宅に到着する時間は、辺り一面が薄らと暗くなりかける頃というセンチメンタルな時間と言う事もあるが、それにも増して、彼らはチラッと寂しげに会釈すると玄関先で、車が見えなくなるまで立って見送ってくれる。それも思いっきり手を振って。黄昏時に、こんな光景を目にすると、こちらもチョットセンチメンタルな気分にもなってしまう。
デイサービスに通う年寄りのすべてとは言わないが、多くの人は、これから一人で夜を過ごす。一人で夕ご飯。一人で戸締りして、一人で部屋の電気を消して床に着く。テレビという文明の利器はあっても、チャンネル争いの無いテレビって、それ程面白いものではない。特に最近の民放は若者をターゲットにした番組が多く、年配の者が見てても笑えない、意味が理解できない、スピードについてけん!そんな番組が多い。仕方ないから、寝るしかない!そんな孤独な夜を過ごす年寄りには辛い時間なのかもしれない。
僕も療養中は、夜に眠れない辛い時を経験した。眠れないからテレビをつけているが、観てても楽しくない。気持ちも晴れない。そればかりか、放映する番組の大半が殺しの場面や悲劇の場面が多く、正視するのも辛い映像が多すぎた。そんな、辛い夜も、何時の間にやら眠ってしまい気が付いたら朝を迎えていた。という時は多かった。もちろん、睡眠時間は極端に短い。うたた寝に近い。熟睡していないから、昼間に眠くなる。完全な昼夜逆転現象である。そんな時は体力も気力も低下する。気分はブルーなのである。
こんな年寄りに昼間だけでも楽しい時間を提供したい。思いっきり楽しく過ごしてもらいたい。そして、そんな孤独な生活であっても、病院に入院する事に比べれば幸せである。その為に病気にならない様、体力をつけるためにも簡単なリハビリを続けよう。便所くらいは一人で行けるようにしよう!そんな事を考えながら、空の送迎車を運転して施設に戻ってきた。
ここ数日、真冬並みの寒さがやってきた。とうとうと言っていい程、遅がけですが、日中でも寒さに震える時が増えてきています。と同時に、インフルエンザの話題も増えてきました。うちの姉妹施設でも8人のインフルエンザ罹患者が出たこともあって、保健所に届け出たそうですが、集団のインフルエンザ罹患は、事業運営においても非常に厳しい面を持ち合わせています。インフルエンザの施設内蔓延は、そのままショートステイなどの在宅利用者のサービス利用を控える方向に動きます。誰とて、わざわざインフルエンザ・ウイルスが猛威をふるう中に入って行きたくない気持ちが働く事は仕方ない事です。そうならない為にも、施設内での感染症予防には普段から十分な注意が必要です。世に言う、リスクマネージメントです。風邪をひいいて、高熱を出すことは若者でも苦しいのですから、高齢者で抵抗力の弱った方々には、それこそ命に直結する大事です。施設にウイルスを持ち込むルートとして、職員によるもの、または家族によるものの二点が一番大きな要因です。感染源を完全にシャットアウトすることは、施設への面会者を受けている以上困難で、なかなか感染源を断つことは難しいのです。家族の中には、排菌している状態で、面会に来たり、職員もウイルスの潜伏期間に業務に就いたりする以上、抵抗力の弱った高齢者には簡単に罹患させてしまうのです。
まあ、年寄りだけでなく職員も家族も、外出後の手洗いは頻繁に、そして洗う以上正式な方法で手洗いを遂行することで、有る程度の感染症の恐怖はオミット出来るのではないでしょうか?!
皆さんも、空気が乾燥し始める冬場、風邪のウイルスにはご注意ください。