僕が高齢者福祉以外の仕事として、この鈴鹿サーキットにお世話になっている事は、随分昔のブログでも紹介させてもらいました。鈴鹿サーキットでは、いろいろなお仕事をさせてもらってますが。このF-1に関しては、主に海外から来るチーム関係者、ドライバー等の日本、特に鈴鹿での生活、作業、アクシデント対応などの幅広い分野のお手伝いやアシストを行っています。それと同時に、レースに伴うイベント、例えばF-1ドライバーズパレードや表彰式などの準備、運営も担当しています。この仕事は、F-1チームの言ってみればコンシェルジュのようなもので、とにかくチームが問題無く快適な鈴鹿市での滞在や、レース運営が出来るようにサポートする事をメインの業務として行うため、語学力もそうですが、色々な気遣い、気付き、そして何よりもホスピタリティー精神を必要とします。
毎年、チーム関係者は時間に追われて作業をします。彼らは自分の趣味で業務を行ってるのではなく。それこそ生きる場所ですから、必ずレースに勝利することを目指して全力を注いでいます。その分、皆が真剣です。他はどうでも、自分チームを大一番に考え行動しますから、ある面で利己的になります。こう説明すると、この仕事も高齢者の介護の現場と似てませんか?気持ち的には、皆さんの要望通り叶えてあげたいが、そこには色々な弊害となる問題が出てきます。それらの障壁を一つづつ取り除き、出来る限り要望に近いものにまとめ上げていくことが、私の仕事です。時には、相手の気持ちをなだめたり、突っぱねたりして笑いあり、涙あり・・・・結構難しい業務なんですが、まんざら今の高齢者の介護に結び付かない異業種でもないのです。まあ、鈴鹿サーキットの仕事も先に言ったように「コンシェルジュ」であるならば、高齢者介護も同じように「ヒューマンサービス」ですから、結局は同じように「人」相手の業務となるわけですからね。
さて、では、数あるビッグレースの中で、なぜ僕がF-1に燃えるのか?それは、F-1の組織運営力とその規模の大きさが並ではない為です。F-1こそ世界のセレブが一堂に集まります。普段、テレビや雑誌でしか見れない本物のセレブが、このレース期間中は、鈴鹿サーキットのパドック(ピット裏のスペース)を闊歩しています。もちろん、僕たちは受け入れる側の人間ですから、そのようなセレブを追いかけ写真を撮ったりすることはしません。ただ、そんなセレブ達が集まる会場の同じ空気を吸える事は嬉しいし興奮もしますね。
それと一般観戦席にしても、このF-1の場合、観戦客の目の色が違います。目が黒い、青い、緑なんて話ではなく、観戦客の皆さんが本当に楽しみにしてるレースであることが一目瞭然分かるのです。もちろん、日本で開催されるレースの中では、並はずれた高額なチケットを購入してもらっているわけですから、観戦客も中途半端な暇つぶし的な観戦では無い事は確かです。また、ここのレーシングコースに至るにも、とてつもない渋滞や混雑の中をとおり、沢山の観客をすり抜け、苦労して到達するのですから、観客の皆さんも真剣勝負です。 本当に沢山の人が集まり、この鈴鹿までくるだけで体力の半分を使い、残りの半分を応援する選手に向かって放出し、疲れ果てた体を引きずり、お土産の記念品を購入して、最後の力を振り絞って自宅へと帰っていくのです。だから、ちょっとした事も大きなトラブルに発展することも多々あります。
お客さんも真剣勝負、選手も、チームも真剣勝負、スタッフも真剣勝負。僕は、この真剣勝負の熱い鈴鹿サーキットの中で仕事をさせてもらえることに生きがいを感じています。この2週間。太陽から離れますが、毎日、太陽の家で起こる問題や素晴らしい介護等の状況は見ます。毎朝、毎夕、鈴鹿の業務外に太陽の家を確認します。また、うちには有能なスタッフが沢山います。そのスタッフを信じて、少しだけ僕のやりたいことをやらしてもらおうと考えています。僕の我儘かもしれませんが、一年に一回。このF-1だけは、誰にも譲れません。 スタッフの皆、協力を頼みます!
三重県社会福祉協議会が音頭をとって、三重県下7地区に分けて社会福祉の地域ネットワークの構築にむけ活動を行っています。今日は、ブロック会議の初回を桑名・員弁地区の会議が行われ、それに三重県地域密着型サービス協議会として出席してきました。先月だったと記憶してるのですが、三重県全域の福祉団体の担当者を津市の県社協に集め、このブロッグ別会議推進への協力依頼があり、その記念すべき第一回が桑名で開かれたのです。
出席者は三重県老人福祉施設協会、三重県デイサービス協議会、我々(三重県地域密着型サービス協議会)、桑名市社協、員弁社協、桑名市地域包括、三重県社協と沢山の関係者が集まり、地域でどのように社会福祉を担っていくのか、そこにある課題の洗い出しなど、情報の共有化を目指した画期的な会合なわけです。しかし、この参加メンバーを見てても医療関係者や他の社会資源と言われる団体の参加が抜けています。
本来ならば、県内のまたはブロック単位の関係機関が全て集まり、お互いの意見交換を実施できるのが理想なのでしょうが、なかなか全員のスケジュールを調整したりと、都合よくは進まないようです。
今日の会議の中で各参加団体からの現状報告や課題の報告などを提議しては、色々なアドバイスや調整に向けて有意義な意見交換は出来たのですが、やはり主となる問題は、先の東日本大震災で受けた被害の大きさに、次に東海、東南海、南海地震の三連動型大震災に対する防災関連お話しが多く出ていました。
ホームヘルパー事業所がサービス提供中に被災した場合に、どのようにヘルパーは要介護者の安全確保を行うべきか?そこで自分自身の命も差しだしても要介護者の命を救うべく努力すべきか?と言う質問も出てきました。高齢で自力で避難できる身体的機能の低下した高齢者を大半を女性のヘルパーが一人で、何処まで救助出来るのか?これは、我々、グループホームの一人夜勤の体制でも同じような課題を抱えているわけで、とても難しい課題だと思いました。
先日、アメリカ、日本、台湾の現役大学院生達と三国をテレビ中継で結び、東京を主体として中東の民族紛争や国際テロ組織に対する人としての倫理観を話し合っていましたが、その中で人の命の尊厳と言うテーマがありました。国際テロ犯であっても、人間としての尊厳は守る必要性があるという意見や、テロ行為自体が戦争意識の延長戦にある以上犯罪者として公正な裁判を受けて死刑となっても仕方ないと言う意見に分かれて熱論繰り返されていました。
高齢者で自立した生活の出来ない障害を抱えた方々の命を、どのように守っていくのか?これは、簡単には結論は出せるものではありません。さりとて、若い介護者の命を捧げて高齢者の命を守る必要性(・・・・この言葉は間違っているが、どうもうまく表現出来ない)は・・・・と考えてしまう。正直なところ、極限の場で何をどのようにチョイスするのか?現場に課せられた非常に重い選択を強いられる事となるのです。これは、事業所のトップが、やはり職員の心理的ストレスを緩和するために、出来る限り早急のうちに話し合い、一つの方向性を見出さなければいけないのではないかと思うのです。
まあ、こんな事を考えながら、今日の地域ネットワーク会議に出席してたのですが、このような意見交換の輪が広がり、他業種の福祉関係者との交流と共通認識を持てる関係づくりが成長して行く事を切に願うのでした。
東南海、南海、東海地震の発生が危惧される中、東北の策の震災被災地では、津波を防ぐための防潮堤の建設など、次に備える会議が盛んにおこなわれている。この鈴鹿市においても、津波に襲われない確率は低いかもしれないが、絶対に無いとは言えない現状がある。そして、特に若松地区、長太地区など伊勢湾に面した地域では、避難場所に適した高層建築物の少ない地域であり、それこそ、先の震災の津波の規模が襲来した場合、多大な被害が予想される地域である。
その津波被害から住民を守るために頑丈で高い防潮堤や防波堤で囲い込むことが一番のような構想に対して、この前の震災で経験した想定外の津波から身を守る事の可能な防潮堤はあり得ないと言う教訓は何処へ行ったのやら・・・と素人考えで心配をしている。
どれほど高く防潮堤を積んだところで、その結果、一部でも地盤の緩みで堤の決壊があれば、そこを起点に大量の海水が襲ってくる事にはならないのか?と言う懸念です。それよりも、市内の至る所に避難可能な構想の避難所となる公的建造物を建てる方が有効な手立てとならないのかな?と考えてしまうが、これも素人の浅はかな考えだろうか?特に海岸近辺の土地は入り組んでいて、道路幅も狭い。その中を車を使って非難することは到底考えられない。当然徒歩で逃げる事となるが、我々のような高齢者介護を担っている者とすれば、高齢者や障害者の避難にかかる時間や力を考えても、近くに逃げる場所が存在する方がありがたい。また、延々と防潮堤で海岸を塞いでいく費用よりも、避難場所を建築する方が、経費的にも安く上がるのではないだろうか?
高く堅牢な防潮堤に囲まれ、その存在で「安心感」は持てるかもしれないが、逆に避難するきっかけを遅らせることや、防潮堤に頼る気持ちが心の緩みに直結しそうで恐ろしい。私のような素人が考えることだから、色々と複雑な問題が絡んで、そう思うように事は進まないだろうが、高齢者の安全を確保するためには、防潮堤だけではなく、持てる能力で避難できる場所の確保が重要な気がする。
この写真は、アメリカの衣料品会社の通販カタログからお借りしたものですが、アメリカの桟橋は西も東も関係なく、この写真のような建造物が岸壁から海に向かって突き出しているのです。日本で言う電柱のような丸太を組んで作っているのですが、結構がっしりと、大きなもので、桟橋の上は車も走行できる程頑丈につくられています。果たして何のために桟橋がつくられているのかは知りませんが、もっぱら市民の釣りのポイントになっていたり、夕暮れや早朝のジョギングや散歩場所となっているようです。
アメリカのカリフォルニア州の海岸べりは、陸地が高台から急に断崖絶壁となっている場所が多く、切り立った崖っぷちから、このような桟橋が海に突き出ているのでから、散歩するにしても、海風を浴びながら結構気分転換にも適していて、気持ち良いのです。そして、これらの桟橋を中心に海沿いに遊園地やショップが立ち並ぶ場所を「ボードウォーク」と呼ぶのですが、サンフランシスコから近い(それでも車で2時間)サンタクルーズと言う街には、木製フレームのジェットコースターやメリーゴーラウンドなどのある遊園地があります。日本で言う縁日みたいな小規模な遊園地ですが、それなりにアメリカの古い文化がそのまま残されていて、50年代のアメリカにタイムスリップしたような気分になれます。 ロサンゼルス近郊ではサンタモニカが有名ですね。
兎に角、アメリカて国は、世界の先端を走る文明国家ですが、いたる所に昔の文化が残り、1900年代初頭の建物や品々が今でも現役で活躍している国なんです。日本は、少しでも古くなると新しいものに変えてしまう消費国家ですが、古いものもリフォームしながら使い続けて行く文化も、これからの時代は必要な手段なのかもしれませんね。
今朝がたの雨と風はどこへやら・・・? 今日の夕方の市内の空の写真です。雨はあがったものの吹き返しの風は強く、昼間の豪雨によって調整池を兼ねた駐車場は水浸し。今回の台風15号も、日本各地に多大な被害を残し、負傷者も多く出てしまったようである。先の台風12号の被害も癒されないまま台風15号の長雨で豪雨。先の震災で大打撃を受けた東北にも、河川の氾濫などで、またまた痛めつけられているようである。 この台風のさ中、利用者の方と苦笑していたのは、今年の日本、何かの罰があたったようだね!と・・・・
新幹線も東名も、不通になり沢山の人の足を奪った。とても困った天候に、ただひたすら耐えることしかできないのが人間。しかし、それでよいのかもしれない。旧約聖書のノアの箱舟ではないが、神様の悪戯で地球を水浸しにして悪を一掃するつもりか・・・・?
この台風が通り過ぎる明日以降、日本全土が穏やかな天候であってほしいと望むところだ!
写真とタイトルの不一致・・・?いやいや、そうでもないんです。この写真は今日の一日の業務を終えて駐車場に向けて歩く、太陽の家のスタッフなんです。今日の朝は、一番台風の雨風が強い中、手はずを整え、色々と準備して利用者のお宅まで迎えにあがり、利用者の皆さんは雨にぬれることもなく、ただ、職員達は上から下までずぶぬれ状態です。もちろん、これで良いのですが、本音を言えば「なんでここまでして、台風の日のデイサービスの提供を行うの?」となるわけです。
しかし、よくよく考えてみると、利用者の肩の中には一人暮らしの方もいます。一人暮らしの老人が、台風だからという正当な(?)理由でサービス提供を中止されてしまうとどうなるか・・・・?一番困るのは昼食でしょう。買い物もままならない老人達ですから、冷蔵庫の中に余分な食品が入っているのか?また身体の不自由をおして調理も出来るのか?答えはノーです。結果的に一食を抜いてただ寝るだけで終わってしまうのです。
私達のサービスは、そのような人の為に存在するわけですが、そこには、介護する側の生活も同様の理由で重視しなければならない点でも、非常に難しい課題を抱えています。それでも、我がスタッフは、それも幼子を抱えた主婦でもある人達は、朝からそんな老人たちを思い、職場に来てくれるのです。私達は、そのようなスタッフの力を借りて、サービスの提供を待ちわびている老人達の生活を守っているのです。
介護職員に限らず高齢者福祉を担っている者すべての資質が問われる現在ですが、全ての関係者や事業所が悪いのではないのです。もちろん、まだまだ勉強不足な点は否定できません。でも、この写真を見てもらって、この嵐の中、利用者の安全だけを第一に考えて自宅まで迎えに行き、それ以降、帰るまで、色々なサービスを提供し、今から帰って家族の為に夕御飯の支度をする女性達の後ろ姿。疲れているはずなのに、これからは家族の為の自分を提供するのでしょう。毎日、毎日、お疲れ様です。と言いたくなってしまいました。
この写真は昨日の夕方に撮影したものですが、この台風の影響からとても奇妙な現象がありました。
鈴鹿市内の山間部は晴れてとても大きな夕日が覘いているのにもかかわらず、平野部の一部地域では車のワイパーが間に合わないほどの集中的な豪雨。狐の嫁入りを極端にしたような天候に、びっくり仰天でした。
愛知県の日進市における花火大会の中止のニュースは、色々な意見が彷彿する問題を抱えている。事の発端は、東北地方の震災復興を兼ねて福島県、宮城県、岩手県の花火を日進市のお祭り会場で打ち上げようという企画から始まっている。この情報を知った一部の市民から、花火打ち上げによる放射能の汚染は大丈夫か?と言う疑問の声が上がったわけで、一部の市民からは、それらの花火を持ちこむ車の除染も完璧でない以上、放射線汚染を広げることにならないかと言う懸念から、花火大会自体が中止となったというニュース。この報道を聞いて皆さんはどのようにお考えか?
僕は一番に感じた事として、花火による放射線汚染の可能性について疑問を投げかける市民の存在は普通かな!と思った。多少、神経質になりすぎてやしないかとも思える内容だが、それとて自分の家族、特に幼児を抱える人々にとっては大きな問題である。放射線汚染が目に見えない存在であり、どこまで汚染され、どのように生体に影響を及ぼすのか分からない現状では、ある意味仕方ないのかもしれない。と考えた。しかし、腹立たしいのは、運搬車両が放射線を市内を通過することによって放射線をまき散らすと言う意見を持ちだした市民に対しては怒りを通り越して呆れてものが言えない。前述のとおり、放射線汚染は恐ろしい、しかし、いたって少数の台数でしかない花火関係者の車両が、福島県から訪れたにせよ、その車から放射線gまき散らされる危険性、そしてその放射線を道路脇で浴びる危険性を考えてもクエスチョンしか浮かばない。
僕たちは健康診断や病気治療の目的でCTやレントゲンを使って放射線を浴びることが皆無では無い人生をおくっているにも拘らず、一部の極論者によるアホな理論に翻弄されるのは止めてほしい。同じ国民として、福島県民であろうが三重県民であろうが、今回の震災被害を共有し同じ目線で対処することが、強いて言えば我々の国を元の元気な日本に戻す一番の力であると考えるべきだろう! ニュースでは国を超えて台湾からは、今回の震災に多額の支援金を集めてくれて、おまけに災害救助隊の派遣もいち早くおくりこんでくれたと言う。人種を越え、国を超えての支援を受けながら、日本人同士がお互いの「生」を育むことが出来ない、そんな国が今の日本なのか? 個人の権利もそこまでいくと単なる利己主義としか思えない。
うちのエアコンはブログにも書いたように12日から故障している。この亜熱帯的蒸しぶろ状態の日々の中、毎夜毎夜、自宅リビングでは、完全に窓を開放して少しでも多くの冷気を呼び込もうと苦心惨憺する日々をおくっている。まあ、エアコンの故障に関しては、今日の午後から新たにエアコンを買い替えることで、なんとか今抱えている問題は解決に向かいつつあるが、そんな昨夜。僕は、室外であるベランダに出ている方が涼しい事に気づき、外に出た。
うちのベランダは、隣の商業施設の為の駐車場となっており、結構な台数をとめる事の出来る駐車スペースが確保されている。この夜も数台の車が駐車されていた。そして、緑色の小型スポーツ車が一台。その車のわきに妙齢の男女が二名。手には某ハンバーガーショップのドリンクとハンバーガーらしきものをもち、談笑しながら夕食の途中らしい光景が目に入ってきた。このお二人、年齢的には40代くらいと思しき男女。車も派手な小型車であり、身なりも個性的である。ちょっと見、時代の先をあるくようなファッショナブルと言える系の人物。そして、時間が経過し、それぞれのお食事(立ちながらではあるが・・・・)が終わると、まず女性の方が、手にしていたドリンク容器を地面に置いた。そして、そのまま、助手席のドアを開けて車に乗り込んだ。
あれっ・・・・ドリンク容器は、置いてくのか・・・・?と目を疑っていると、次に男性も同じように反対側の車のドアをあけ車に乗り込んだ。車に二人が乗り込んで暫くしてエンジンがスタートし、その緑色の派手な小型スポーツカーとイケてる風の中年男女は、何事もなかったように涼しげな顔をして走り去ってしまった。先ほどまで車の停まっていた場所には、二か所にドリンクの容器、そしてハンバーガーの入っていた紙袋が残されていた。
僕は普段からイタリアンなちょい悪オヤジを気どっているが、このようなマナー違反はもっとも許せない事の一つで、最初に妙齢と書いた、ある程度の人生経験も積んだような人物が、公共道徳のかけらもない行為に腹がたつ。自分の身なりを気にする人なら尚の事、ルールとマナーを守ってこそファッションが生きると言うものだ! 道徳のかけらもない人物が運転するスポーツカーなんて、恰好良くないし、そんな奴はスポーツカーに乗る資格すらない。
この現実をみて、走り去る二人に同じ恰好を気にする中年(初老。・・・・?)の一人として、非常に寂しい思いになった昨夜だった。
空をみてビックリ! 我が家から西の方向の空一面に 写真のように色とりどりのバルーンがいっぱい。 そう言えば、近所のスーパーでバルーン フェスティバルのポスターを見た覚えがある。この不順な天候の中、うまく雨雲や台風の影響の合い間をぬって開催できたものだと感心する。バルーンと言えば、ヨーロッパ発生のスポーツであり、日本でも世界大会が開催されるなど、知る人ぞ知る的イベントが、この鈴鹿市でも、記憶は不明確ではあるものの1990年代初め頃より毎年継続的に開催されているイベントである。
僕もそれ程、このバルーン協議については明るくないものの、熱気球の特性を生かし上手く気流をつかんで目的地へより近く飛行することを最大の目標とするゲームである事くらいしかわからない。今日も、我が家から一番近くに浮かぶ気球を見てたら、バーナーをゴーゴーと音を立て燃やしながらも、一機の気球が下降してきた。今にも手が届きそうな(実際は、地上20から30メートルは離れているかと思うが)距離まで下降してきた気球から、長い帯のようなものを付けたウエイトのような物が放り出された。なんだか、目標となるターゲットにむけてマーカーを投げているような雰囲気で、地上に落ちたマーカーを確認するスタッフ様の一数人が、投てきを確認した後拍手していた。 熱気球は、元来推進力を風に頼る乗り物ゆえ、コントロール出来るのは浮遊高度の調整だけしかできない。皆さんも御存じなように、空中には、複数の層に分かれて違った空気の流れが存在する。極端な話、地上数十メートル上空では、風は南に吹いていて、それから100メートル上空では真逆の北に吹いている場合もあるようだ。熱気球のパイロットは、その気流の流れを読み取って自らの操縦する気球の高度を調整しながら、右へ左へと方向を変えながら、目的地まで飛行するわけである。
それと、熱気球ってのは、一人のパイロットだけで運転できるわけではない。空中に浮かぶ時点でもパイロットを中心に数名のアシスタントを乗せて、それぞれが役割を持って安全な飛行を管理している。また、さらに、一機の熱気球に対して数名の地上クルーがワゴン車ないしはトラックに予備装備を満載して、常に行動を共にしている。つまり、熱気球の行き先々まで地上クルーは車を使って追いかけているわけである。地上クルーの役割としては、熱気球の緊急時の対応や燃料であるプロパンガスの補充や競技上の作戦や情報などの管理を行っている。時々、気球が田んぼの真ん中に不時着することもあるが、あの大きなバルーン。地面に降りた時に、地上の風にあおられたり、一般道の交通の遮断につながるようなアクシデントから、バルーンや付近の住民の安全を守るために常にスタンバイしている役目を担っている。考えてみれば、一機のバルーンを空高く飛ばすには、本当に沢山のスタッフの協力があって成されている事が良く理解できるはずだ。
それと、この話は僕が十数年前に聴いた話だが、あのバルーンの価格。古い話で確実な線ではないが、あの気球にぶら下がっている籠の部分だけで400万円もかかる高価な物らしい。本場、イギリス製の籠とバルーン本体で一千万円近くの費用がかかり、パイロットになるためには資格取得が必要らしい。とにかく、バルーンと言えども、そう簡単に大空を自由に飛び回るには、それなりのお金もかかるようで、参加するにもちょっとやそっとでは出来ないものなんだね。