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ブログ-施設長の部屋

2010/11/30
ちょっとやれば出来るじゃん!!

dsc02696.JPGdsc02697.JPG整理整頓が出来ないのではなく、下手糞なんです。其の証拠が、この写真です。

2010/11/30
この散らかり具合は・・・どうよ??

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デスクの上の散らかり様を観てもらえれば自ずと部屋の中の様子も想像できるかと思いますが、これが男の部屋の実態です。

パソコンのキーボードを中心に、名札、時計、ペンなどの筆記用具、香水、I-Pod用のケーブルやマスクなどなど・・・・いやあ~整理されていませんね!なんぼ男の部屋と言っても、もう少し何とかならんものでしょうか・・・・?結局、全ての小物、本当に何のたわいも無い小物の一つにも、それなりに残すだけの理由が僕にはあって、其の捨てられない理由によってこの机の上に積み重ねられているのです。言ってみれば、僕なりの捨てれない理論が存在するのです。

立派な経営者は、捨てるものを見極める天性といわれる技を持っているそうである。僕は本当に捨てることが苦手で、やたら溜め込んでしまう。この調子でお金もためることが出来ればよいが、お金はパッパラパーと使い放題。ぜんぜん貯まらない。いったいどうなってるの・・・?と嘆くばかり。

こうやって世間に恥ずかしい一面を公開することで、密かにこのずぼらな自分自身の性格の是正を目論んでいるが、さてどうなることやら・・・・?また、このブログを書いた後にデスクの上が整理されたら写真を掲載することとしよう・・・・

2010/11/27
Thanks Given Holiday!

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 My God! It’ll be the end of this year soon!  Time sure flies quick as an arrow!

 日本から遠くはなれたアメリカでは、今週末は感謝祭の休日となって、七面鳥のローストとアップルソースの感謝祭ディナーが各家庭で準備されるのです。アメリカにおける感謝祭とクリスマスは年間行事の中でも非常に重要なホリデーであり、この時期にアメリカを旅行するのは、色々な意味で観光客にとって避けたい時期かもしれませんね。

ともあれ、感謝祭で七面鳥のローストを食べて、数週間後には再びクリスマスディナーに七面鳥のローストを食べることとなるので、この時期は七面鳥にとっては最悪の日々なのかもしれません。贅沢な話ですが、食べる側にしても七面鳥が続くと、多少なりとも「飽き」てくるものです。ローストした当日は温かな鶏肉を皿にとって食べるのですが、次の日には、残ったロースト肉のスライスはサンドイッチの中に入れ、野菜たっぷり入れたスープに使われたり、兎に角、捨てるところの無いまで利用してしまうのです。

こうやって二回、大きな行事を行って、次にニューイヤーズイブ。New Year’s Eveをお祝いするのではなく、新年に変わる瞬間を皆がこぞってお祝いする。そんな新年のお祝いがアメリカ式。日本でも、大晦日の夜の紅白歌合戦を家族で観て、年越しのそばを食べて、近所のお寺の鐘楼で除夜の鐘をつく。・・・やる内容こそ違うものの、皆で新年への新旧交代をお祝いする姿は同じです。ただ、日本のようにそれから以降の三が日、何が何でも酒びたりの日々を過ごす文化と違って、アメリカでは1月の2日から平常通りすべての事柄が始動し始めます。学校も2日から開始。仕事も2日から平常通り。日本人感覚の正月休みってアメリカでは体験できないのです。

 僕自身、アメリカから帰ってからの人生、仕事の関係もあって正月にゆっくりと休むという事なく過ごしてきたので、今更、正月にのんびりとお休みする事は苦手です。でも、ほんの一瞬でも良いから、自分の中の一年の締めくくりだけはつけて新たなる年を迎えたいと思うのです。その為にも、あと残すところ一か月。この間に整理できる部分を整理し、改めるところを改め、新年に向けての準備を整えていく。そんな日々がこの一カ月です。

2010/11/26
尾鷲での研修への参加

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今日は、朝から尾鷲市で認知症に関する研修に参加した。尾鷲に9時半に着くために、家を朝の6時半に出発。朝の6時半といっても、意外に沢山の人たちが会社へ又は家に車を走らせる人の多さに驚いてしまう。まア、それでも、普段よりはスムーズに伊勢自動車道に向けて、津インターまでスムーズに導かれ、そのまま高速道路を一路南に、巡航速度100数十キロで・・・・

 最近の社会実験とかで高速道路が無料となっている区間だけに走行車両も多い。伊勢道から紀勢道へスイッチし、片側一車線で対面通行の高速道路は、道路幅も狭くて走りづらい。僕は特に、路肩の白線を踏んでしまいやすいのか、タイヤが大きな音を立てて、枠を外れている警告音に驚かされてしまう事がたびたびである。真っ直ぐ、道路中央を走っているつもりでも、結構左により過ぎていたりするのだが、この紀勢道だけは道幅が、一般的な高速道路に比べても狭いような気がする。そうこう言っている内に、大内山に近くなって霧が出始めた。最初はモヤ程度が、だんだんと霧が濃くなりあたり一面が濃い霧に包まれるまでになってしまった。久しぶりに霧の中で運転することとなって、多少ワクワク感もあったが、その時の状況をカメラに収めてきたので見てもらいたい。

 しかし、道路幅が狭いだの、霧だ出ただのと色々と文句ばかり言ってるようだが、この紀勢道のお陰で尾鷲までの所要時間がぐんと短くなったことは事実である。今日の僕も朝の8時過ぎには尾鷲の警察前を走っていた。つまり2時間弱で尾鷲に着いてしまうのである。昔に女房連れて尾鷲に旅行に出た頃は、それこそ片道4時間もかけて尾鷲まで旅行したものである。あと2年もすれば紀勢道も尾鷲までのルートが完成する。そうなると尾鷲まで一時間で行ってしまうのか・・・・?!

紀勢道の完成も兎に角、最近、尾鷲にマクドナルドが出来た。今まで一番近くても新宮と松阪にまで足を伸ばさないと手に入らなかったマクドナルドが尾鷲の市街地で購入できることとなったようだ。流石に9時半予定の研修に、現場到着が8時過ぎでは早すぎるので、僕もさっそくマクドナルドの朝マックとコーヒーで時間つぶしを行った。

 ブログを書きながら感じたことではあるが、僕の生活の中に近代文明というか今の時代の超便利モノのオンパレードであり、それらのモノによって僕の生活は快適に便利に保たれている気がする。このモノが無い生活を考えると、今では非常に不便を強く感じることとなるばかりか、自分の生活事態が成り立たなくなりそうである。高速道路、安定して走れる車、24時間、時間制限と場所の制限を受けることなく一定した味と品質の食品を味わうことが出来ている生活。こんな便利な生活がある暮らし。これを恵まれていると表現すべき?

2010/11/24
予防接種、鼻水、禁煙、風邪の因果関係

まったく脈絡もない話題なのですが、まず、新型インフルエンザと季節性インフルエンザの混合ワクチンを接種。同時にワクチン接種した太陽の家の職員さんの大半が接種場所に鈍痛を感じ、その翌日には痒みに変わるなどの訴えを聞きながら、僕にはそのような症状は感じられず。しかし、インフルエンザの予防接種後に咽に痛みを感じ始め、その内に鼻水が止まらず、丸一日はティッシュペーパーの箱を抱えながらの仕事を行い、また、同時に周りの人たちに菌をばらまき散らして公害と言うか、感染症の一番悪いパターンを自らが踏襲するという不始末。また同時に始まった禁煙外来。初回の受診から2週間が経過し、なんとか禁煙は成功に向かいつつある今、タバコも吸っていないのに風邪ひいてどうやの?

まあ、一連の騒動は、以上のような細かな事柄を経て同時に起こった出来事なのです。特に因果関係と言われるものは無く、全てが独立し同時に発生しているだけの事なのですが、これが当事者にとってみれば、意外と関連付けたくなるものなのです。例えば、タバコを辞めたから風邪をひいたとか、禁煙外来の待合室で風邪に罹患したとか・・・・

そんなこんなで、なんとか今でも禁煙は成功しているのですが、あと4週間、禁煙が継続できれば、その時点で禁煙外来は終了するという。そんな現状が今の私の中でフツフツと騒ぎ出しては落ち着き、また騒ぎ出すという。そんな毎日です。

でも一番辛いのは、太陽の家の「風鈴の会」への参加が無くなった点です。唯一と言っていい程、職員さんとの交流の場(なんと、寂しいのでしょう・・・唯一の交流の場とは・・・・!)に参加する事が無くなったことでしょう。いろいろな職員さんの意見やら要望を聞けたのですが、それも今となっては貴重な時間でした。今後、タバコを吸わなくなった僕が、どのような交流の場をセッティング出来るかが課題となりますね!

2010/11/17
高齢者と「におい」について

年を重ねる内に、「加齢臭」だの何だのと邪魔者扱いされるのが年寄りのようである。自分も、加齢臭漂う年齢となりつつあり、それなりに自分自身の放つ「匂い」には、神経を使っている。例えば、入浴に際して加齢臭を防止する石鹸を使ったり、香水を使ったり、また、部屋の中ではアロマオイルを使ったりと、それはもう、大変な努力と言ってよいかもしれない。しかし、まだ自分の場合は、自分なりに予防的処置を行うことが出来る。これが、もっともっと年齢を加えて、おまけに自分自身の身体機能が低下していくと、これまで気にしすぎるほどケアに余念の無い自分であっても、それら一切の事柄がどうでもよくなってくるのである。

それは、異性を意識することがなくなると同時に、または、自分自身の見栄もなくなると同時に、多少、風呂に入らなくても関係なくなってしまうようである。其の内に、垢では、人は死なない!と言う理屈をこね始めて、入浴を面倒がることに。風呂にも入らない。自分のオリジナルの歯も無くし、全てが義歯ともなると、歯を磨く手間も無くなる。当然、それなりに口臭もきつくなる。口は臭い、体も不潔、着ている衣類も洗濯もせず、万年同じ服。こうなると、世間一般的に嫌われる年寄りの代名詞のような存在となってしまう。

前回の職員Aさんの書いたブログのように、介護に携わる人を見て、高齢者の匂いに対する同情というか?半分、嫌悪感をあらわに知り合いの方々からかけられる言葉。「よく介護の仕事を我慢できるね!?」

 しかし、介護の世界って、言うほど臭くて、汚くって、厳しいばかりの職場ではないんだ!現に、太陽の家に来てくれるデイサービスの利用者さん達は、皆さん、清潔にしているし、特に体中から異様な匂いを発していることも無い。ただ、排便だけは、コントロールが難しく(これは、ある意味、薬に頼りすぎることが災いして下痢や極度な便秘に甘んじることが高齢者には多い)大量の便にまみれることもある。こんな時は、流石に部屋中に便臭が漂い、とても息苦しいときもある。しかし、そんな特別なとき意外に、年寄りだから臭い!という説は事実とは異なるのである。

 若者にしても、年齢を重ねていくうちに、放つ体臭は変わり、次第次第と他人から「くさい!」と言われるような年齢となっていくのです。年寄りよりも、今時の女子高校生の方が不潔で臭い!若さにあぐらをかき、手入れを怠っている若者の方が不潔であると言うのは、面白いはなしである。

2010/11/17
職員Aの独り言・・・・(とうとう、いや!やっと手に入れた文章です。

これって職業病、、、いや特技です。介護の仕事をしている。と人に言うと、人から言われるのが、お年寄りのウンチやオシッコの世話が良くできるね~、私なら臭いに堪えられない~エライね~と言われます。いえいえ、私は匂いフェチで食べ物も匂いを嗅いでから食べますし、人を好きになるのもその人の匂いで好きになってしまったりと、当然のように良い香りが大好きです。なのでくさい臭いには抵抗もありますし、大嫌いでもあります。太陽で働き始めた一週間はお年寄りのあれこれの臭いでご飯が食べられず、今日こそは辞めようと毎日毎日思いながら仕事をしていました。でもいつの間にか気にならなくなっていたのです。慣れてきたからかなぁと思ったし、何故平気になったかさえ考えてなかったのですが、知らず知らずのうちに臭わない呼吸技を習得したのです。それは臭いの危険地帯では口で息を吸い鼻で吐いているのです。無意識で行っているのです。なので不意に入ってくる臭いには対応出来ないのが残念ですが…例えばですが、電車に乗り合わせた酔払い中年の口臭だとか、エレベーターの中に残されたオナラの臭いとか、不意の臭いには困惑する事がありますよ!

 

 毎日毎日、利用者様の顔を見て思うのが、大正・昭和・平成を生き抜いて来た方達は素晴らしく、私にはとても真似の出来ない〓しぶとい(?)方達(今の若者には、このしぶとさが欠けているような・・・・)で尊敬の念で一杯です。これからは毎日笑ってて貰えたらなぁと思う毎日です。

 

 ※この文章は、太陽の家の職員Aが書いてくれた文章です。正直に高齢者介護の現場の感想を書いてくれてます。この職員Aさんは、太陽の家の風鈴の会に一つの話題を提供してくれたと思っています。これから、風鈴の会では、この文章について話し合ってみたいと思っています。

2010/11/14
とても珍しい光景!

今日の午後、自宅の裏庭にカラスが二羽降り立って、フェンスの上にとまって何やら物憂い雰囲気。其の普段には見受けられない状況に、何か感じるものがあって、ベランダの窓越しに外を見たら、そこには、カラス二羽に鋭いまなざしをおくりながら、とても用心深げにいる一羽の別の鳥。体長およそ30センチくらい。鳩ではない。猛禽類の目つきをした鳥で、知識の乏しい私からは「はやぶさ」という名前が浮かんできた。良く観ると、その猛禽類らしき鳥の足には、すずめ一羽が捕まえられていた。片足ですずめ一羽を押さえ込みながら、すぐ近くに待ち受けて、隙あらば・・・とチャンスを狙うカラス二羽に必死ににらみを効かせていたのである。

 その時にカメラには遠く、写真撮影できなかったことが悔やまれるが、確かに、今日の午後、私の自宅裏庭には、ハヤブサらしき鳥がいた。カラスから逃げるように、其の鳥は、捕まえたすずめを抱えて、その場を飛び立ち、そのまま何処か見えない空の果てに飛び去ってしまった。一緒にからすも後を追う形で飛び立ったが、カラスすら後を追うことを諦めなければならない程のスピードだったのか・・・しばらくすると、追いかけた筈のカラスは、いつの間には、我が家の裏に程近い電信柱の天辺に飛び来たり、カァ~カァ~と鳴いていた。

後ほど、インターネットでハヤブサを検索したが、最近ではハヤブサという鳥は絶滅に近い種のようで、今日の裏庭にいた鳥が、本当にハヤブサだとしたら、写真を撮影してくべきだった!と後悔している。

 さて、そんなハヤブサとからすの一羽の餌となるすずめをめぐっての攻防戦を見てるとき、二階のグループホームから歌が聞こえてきた。青い山脈と言う歌を利用者と一緒に職員が歌っている。日曜の午後に自宅裏庭で過ごすことは多くは無いが、こんな賑やかなグループホームは久しく観たことが無い。最近、グループホームの職員の自己評価を読ませてもらっている中でも、一日の過ごし方について書かれた意見が多い。歌をうたいながら賑わっているグループホームを感じていると、最近、本当にグループホーム自体が変わってきている感じがする。職員の和もそうだが、職員一人ひとりが、グループホームにおける一日の過ごし方みたいなものを考える習慣が育ってきていると言う証拠であろう。其の考えかたには、とても賛同を覚える。認知症高齢者に話しかけても返答が無いことを理由に二日で退職した若者がいたが、認知症介護は、本当に職員の考え方で介護が変わることを実感しようとしている。

2010/11/9
そう言えば、職員さんの書くブログ・・・・まだア~・・・?

先日書いたように、職員さんにブログを書いてもらおう!と言うナイスなアイデア・・・・次の日に職員さん(フロアーリーダーに)確認してみた。それとなく、顔色を伺いながら話をしてみたら、少しは書いてくれたようだ。でも、やはり、自分で納得がいかないらしく、未だに誰も原稿を届けてくれない。

このブログを読んでくれる人々も僕もそうですが、上手な文章を期待してるわけではないと思うのです。ましてや、読んで楽しい文章なんか、文筆家でもないのにかけるわけが無い。このブログを読んでくれている人たちは、人生を共有したいだけなんだと思うのです。誰しも色々なことを社会に対し感じ、時には憤りも感じ、時には諦めに陥り、何もする気が起きない。そんな感情の揺れを共有することで、自分自身が孤立することから逃れることが出来ると感じてくれれうのではないかと思うのですよ。これも、あくまでも僕の想像ですから、真実の所は分からない。しかし、そこまで言わないとしても、少なくとも、太陽の家の職員さん像というかイメージはより伝わりやすいと思うのです。

これから先に、太陽の家での介護職を考えている人には、僕が書いたブログを読むよりも職員さんの書いたブログを読むほうが、より一層、職場の雰囲気と職員同士の和を理解できると思うのです。さあ、太陽の家の職員のみなさん、何でも良いのです。自分自身が感じる年寄り像でも、世の中の不思議やら無駄を書き出してみれば、それなりに自分自身も何かを学ぶはずです。明日くらいには、ブログの原稿を待っています。そして、明日の施設長の部屋には、職員AさんやらBさんという表題でブログを掲載できることと思います。

2010/11/9
最近、広がりつつあるブログ読者の輪

 ひと昔前のはやり言葉で聞いたことがある「わ!」ですが、最近、特にこの施設長の部屋を読んでくれる人々に驚かされることがある。つまり、予想もしていない場所で、ブログのネタを振られることが時々あってビックリするのです。どこのルートから、このホームページに到達したのか不思議に思うこともしばしば・・・・やはり、色々な人の目に触れる機会は多いんだ!と改めて感慨深く、又同時にこのブログの影響力も侮れない気がして、一瞬恐怖すら感じてしまう・・・・

 さてさて、ブログネタはともかくとして、今日、地元の中学生の職場体験学習として二名の生徒が太陽の家にて、介護の仕事を体験している。ここ何年か、地元の中学から生徒たちが職場体験という実習を行っている。毎年、色々な中学生たちが色々な職場を三日間体験してるようだ。その実習生たちを見ていると、とてもしっかりとして大人顔負けの中学生で、対応する我々のほうが、普段から腑抜けた仕事をしていると反省しなければいけないほどの子供たちである。まあ。もちろん、学校の先生方が、話し方から全てのマナーを教えているから出来ることではあると思うが、それでも、人生経験が未熟な分だけ、真摯に職場実習に入ろうとする分、中途半端は中年男性を面接しているときよりも、立派な態度である。

 片や、学校内のいじめがあって自殺した女子中学生のニュースが報道される。何が大きな原因かは想像でしか言えないが、話を聞いて感じることは、「命」の軽さのようなものを常に最近の若者から感じてしまう。自分の命も軽く扱える若者たちは、他人の命(それは動物であったり、人間であったり)さえゲームの一部、ゲームの延長線上のアバター的な捕らえ方をしてるように思う。今の若者にとって、人間として、若者としての自分や周りのものに対するイメージ像は、年代に関係なく偉大であったり、崇高なものであったりする。自分のアイデンティティーを重要視し、自分自身を追い求める姿は一昔前の自分たちの世代と同じである。私たちの時代は、安保闘争の時代を過ごした若者が、大衆的人格を否定し、個別性とオリジナリティーを求めて反発していた。今の若者も、こと個人の人格と言う点では、昔も今も大差ないということであり、そこで大きな違いは、今の若者が「命」はリセットできるものと勘違いしていることであろう。モノの命が、映画の中、ゲームの中では簡単にリセットできる。自分にとって不都合となれば、いつでも全てをリセットして、やり直しが可能であると錯覚している点がおおきな違いであるように思う。

 話は脱線したが、今、太陽の家で職場体験を実践する負たちの中学生には、そのような「命」の軽さは感じることなく、もっと煮えたぎるよな熱い熱意を感じる。この子達には、どんな将来が待っているのか?私たちの中年の感性で捉え、評価すると高得点の中学生たちも、其の多くが私の言う「出来ない奴ら」だとするなら、出来ると判断される者たちが少数派となってしまい、それこそ苦労を背負い込まなければいけなくなる世の中だとしたら、馬鹿らしくて仕方ない・・・・と人生を諦めたくなってしまう・・・・・。


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