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ブログ-施設長の部屋

2010/3/9
Vacancy・・・!

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只今、3戸の空きあり。1号室は築3年、2号室は築2年、3号室は築1年です。

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2010/3/8
介護に伴う社会的責任の重さ。

 高齢者介護に限らず、障害者支援にしても社会的責任は他のどのような業種よりも重いものがあると考える。これには、人の命が左右される事から、当然のごとく重大な責任が付加される。

 特に認知症介護に際しては、認知症に対する高いスキルと介護技術が求められる。一般的な高齢者と違って、認知症高齢者は言葉や表現力を失った人が多く、自分の気持ちや要望を他者に伝えることが困難な状況が多く見受けられる。つまり、介護職員の方からの気づきが多く求められるのである。言葉で言い表さなくとも、相手の気持ちを理解し、適切な支援が行えるだけの技術が求められている。

 しかし、このようなハイスキルの人材を確保するためには、それ相応の賃金を準備しなければならない。ただでさえ介護報酬の小さい(総額は規模に比例する)小規模事業所の場合、高額なサラリーを保証する事すら困難であり、そのことから、当然のように募集に集まる人々には、経験値の少ない初心者が多い。

 このような文章を書くと、あたかも全てのサービスの低下の要因として介護初心者を要因として捉えられがちではあるが、決してそればかりの原因ではない。介護に経験の在る無しはそれ程の影響は無く、介護をする者の認識の中に社会的責任の重要性を持っているか否かが問われると思う。つまり、全ての介護職員の職場における行動に対し、人命を守る為の責任が存在する事を認識しているか?と言える。

 社会的責任に対する意識の低さは「虐待」を招き、助長する。または、個人情報の保護に関する意識も低く、無意識のうちに利用者の人権を蹂躙してしまう。虐待は、暴力ばかりが虐待ではない。精神的な屈辱を与える、意識的に金銭上の制限や規制をかけて相手に対して心労を加える。また、心理的に相手に対して威圧感を与え続け過度のストレスを与える行為や性的な嫌がらせを行う事である。相手を暴力で押さえつけ、傷害を加えていないから虐待には相当しない。等と勘違いしている介護職員も多い事と思う。

 虐待の多くは弱者に対して行われることが多く、その理由の一つに、相手が何も訴える術を持っていないことが一番大きな理由の一つだろう。相手は認知症高齢者だから、誰もその人の言う事を真剣に受け止めないだろう・・・!このような勝手な解釈をつけながら相手の嫌がる事を故意に行う。

 どこかに訴えられるから虐待はしない!ではなく。虐待行為そのものが相手の人格と尊厳を著しく傷つける行為であり、表面化しなくても虐待を行うことは、介護職として、高齢者をお世話する者として恥じる行為である。その事を十分認識すべきであり、介護事業所を運営する管理者、経営者自身もそれらの行為に対する事前の予防策を形成する必要がある。

 単なる悪ふざけであるとしても、取り上げるに足りない程度であり、その事象の大きさに関係なく介護職として如何に高齢者と接するのか?をもう一度真剣に考えてみたいものである。そして、私達高齢者介護を行う全ての職員には、それらの責任を十分に理解し尊重することが問われている。単なる、作業としての介護ではなく、相手と同じ気持ちで生活を共にする覚悟が介護職には必要不可欠であると考える。

2010/3/7
最後のあがき!

 梅の花も咲いて、毎日、温かな汗ばむような陽気の日もあれば、今日のようにダウンジャケットを着ていても寒さを感じる日もあり、本当に体温調節の難しさをヒシヒシと感じる毎日である。これだけ天候が変化すると、元気な若者でも風邪をひいてしまう。特に今日などは小雨交じりの一日で、只でさえ肌寒いのに傘を差しても効果の無い霧雨のような雨に、体の芯まで冷える。本当に寒い一日でした。

 しかし、この寒さも言ってみれば、この冬最後のあがき!のような感じがする。巷では飛び交うスギ花粉の影響で「かゆみ」「はなみず」等の症状の御仁を沢山見かけるようになってきた。寒い毎日もあと数週間もすれば過ぎ去り、半袖シャツで通りを闊歩できる日が近付いている。

 太陽の家の職員の皆さん、ここで風邪をひくとバカ者扱いされるから、もうしばらく頑張って。体調の管理をしっかりと行ってくださいな!もう少しの辛抱です。春は、すぐそこまで来ています。

2010/3/5
相手を敬う気持ち!

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今日は何だか眠れない夜を過ごしている。何度も眠るつもりでベッドに入るが、その度に言い忘れたこと、書き忘れたことが頭を横切り、また机に向かいパソコンの電源を入れてしまう繰り返しだ。

 さて、前述の他者を思いやる気持ちの中で、機械的な介護という表現をした。また、僕の大嫌いな水臭い、薄っぺらな介護について、もう少し説明をしてみたい。

 この業界に身をおいていると、色々な事業所の特色が見えてくる。そして、研修に於いても色々な事例を考える機会は多い。それらのなかで僕が一番嫌いなものとして馬鹿丁寧な敬語をつかった接遇の仕方である。極端な話、僕はグループホームの入居者のことを『ご入居者様』と言う表現すら嫌悪感を感じている。入居者は入居者であって、御も様も不要なのではないか?と思う。同時に、家族に関してもご家族様という表現が一般的であることに少しだけ残念な気がしている。確かに、我々の事業の運営費用は、この方々あってのことではある。しかし、実際の介護に手間隙かけず、思いやりもなく、言葉だけ丁寧ならば全て良しという感覚で事業運営されたのでは本末転倒ではないか・・・?

 表現方法ひとつで、一般の方々へ与える印象は大きく変わることは理解している。僕が、利用者の方々を爺さん、婆さんと呼ぶ、はたまたご利用者様と呼ぶのでは、どちらが好印象を与えるか位は理解できる。しかし、その上においても尚のこと、『爺さん、婆さん」と呼ぶほうをチョイスしたいと思っている。僕の感じる「爺さん、婆さん」の言葉に「ご利用者様」には無い、親近感と温かみを感じ、もっと普通の透明性のある関係が見えてくるような気がする。これに関しては沢山の異論があることと思うが、逆に「ご利用者様」から僕が感じるものとして、行政の指導を遵守した介護、法的にも何の違法性もなく、しっかりとお世話しております式の姿勢が伝わってくると同時に、それだけの介護であると言っているような気がするのである、つまり、良くも無く悪くもなく。と自慢(自慢はないか・・・・?)しているように聞こえてくるのである。

 僕の中の爺さん婆さんは人間である。人間である以上、飯も食う。汚い話ではあるがウンチもする。感情の起伏も当然ある。泣く、わめく、笑う、そして喜ぶ。五感を使って自分自身を表現するのが人間であるから、この人間くささを生きる糧に大切にしてあげたいし、職員全員で守ってあげたいと考えている。外の抱くイメージや印象を中心においた介護を目指すのではなく、あくまでも利用者本人の満足を第一目標において介護する姿勢に極端な敬語は不要である。

 でもでも、僕も不必要な喧嘩腰のものの言い方はしたくないし、いたってジェントルな男気取っている以上、外に出す文章は「利用者ご家族様」と表記することにしている。(この辺でも人間くさいでしょ!)

    

 

2010/3/5
人を思いやる気持ち!

 なんで感嘆符なのか?当然のことながら、介護の世界に絶対持ち続けてほしい気持ちだからです。

 相手を想う気持ち。それは相手を可哀想と想う気持ちではないので誤解の無いよう。相手が誰であれ、その人の気持ちを考えれば、何事もむげには出来ないものと思う。ましてや、その対象者に認知症があって色々と記憶回路が途切れてしまっている人ならば尚のこと、その瞬間に自分自身を見失っている気持ちを考えれば、必然的に不安感や自分自身が無くなっていく喪失感に戸惑う気持ちが理解できるし、その人達に機械的に対応することも出来無いはずである。

 もちろん、そんな私自身、24時間、365日、全ての時間を家の婆さんや爺さんのことを考えているわけではない。しかし、少なくとも、自分が自分の好きな時間を過ごしている時、必ずと言っていいほど頭の片隅でうちの婆さん達の顔を思い浮かべている。そして、常に思うことは、うちの婆さん達には、その時の自分に与えられているような自由な時間は無い。と言うことを考えてしまう。もちろん、認知症が邪魔をしてる関係で、その人の自由を認めることによって生命の維持が困難であることから致し方ない制約を設けてしまうこととなっているわけだが、だが、それまでは自由に大空で羽ばたいていた鳥を籠の中に入れてしまったような、そんな一抹の寂しさを感じてしまうのである。

 私は、太陽の家の職員の全てに考えてほしい、常に持ち続けてほしい気持ちとして、私達が関わっている人達は、少し昔には自由に自分の思うまま外にも出かけ、自由に活動していた人たちであること。そして、毎日、色々な体験や経験をして泣き、笑い、喜びを感じて生きてきた人であること。そして、今、思うように活動こそ出来なくなってきたけど、喜びも感謝も悲しみも感じる人であることを考えてほしい。

 偉そうな事を言うようではあるが、水臭い、機械的な、仕事としての介護はしないでほしい。この人達が楽しめるよう、喜べるように過ごしながら、介助する自分達も幸せな気持ちに慣れるような仕事を実践してもらいたい。確かに高齢者介護は重労働である。しかし、どうせ仕事するなら、適当にあしらった一時間も、その人の気持ちを考えて接した一時間も時間の尺から考えても同じ一時間。それなら、骨身を惜しまず相手に気持ちで接し、相手に喜んでもらえるように介助したい。

 グループホームで暮らす高齢者は、ここで提供されるサービスが唯一の生きる糧であり、この糧の質によってその人の余生が決定されてしまう。そんな重要な役割を介護職は担っている。その重要性を十分理解し認識してもらいたい。

   迷い、不安、苦しみ、寂しさ、悲しみを分かってほしい。 暗闇の中で一人ぼっちの不安感を理解してほしい。毎日が笑いで包まれているに越したことは無いけど、楽しみより一人ぽっちの不安感をもっと分かってほしい。今日、私が職員会議で話をした事。認知症の私と同じ気持ちで居てくれるだけで安心するのですよ!太陽の家の職員さんには、暖かな思いやりに溢れる気持ちを持ってほしい。と願っている。


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