太陽の家

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ブログ-施設長の部屋

2009/10/20
実習二日目 

のべ180時間の実習の二日目。まだ16時間しか経過していない。しかし、沢山の生徒さんには馴染みをもって接していただいているが、今日はとても痛い経験をすることとなった。知的障害を舐めていたわけではないが、今日の実習では午後の部では部屋の中での活動が主体となった支援を行っていたが、利用者A氏は、僕の担当する居室の隣の生徒さんであった。午前中の軽作業のときに、私の作業を手伝ってくれる生徒さんが、別棟にいる彼と目が合って、お互いに作業しながらであるがアイコンタクトやアかんべーなどを行っていたようである。それが原因かどうかは分からないが、午後の部に入ろうかと言う時に、そんなA氏が自分の居室ドアを思いっきり叩いている場面に遭遇した。やさしい口調で接したつもりで、彼にドアをたたくと手が痛くなるよ!と諭したつもりが怒りの刃がこちらに向かってきた。両手をあげて攻撃態勢である。まぁ、この手の暴力なんて、うちの高齢者施設でも偶に経験するのでそれほど恐怖心はなかった。が、しかし、彼は違っていた。

思わず自分の顔面と頭を両手で覆ったほどである。右手をきつく殴られ、おまけに右の耳と頭部にパンチを食らった。非常に痛かった。でも、何も反撃することも考えずに身を引いたが、それでも執拗に追いかけてくる。挙句の果ては宿直室の窓ガラスを彼は素手で殴り始めた。ガラスが割れて怪我でもしたらどうしようと!いう恐怖心が、何とか彼の興奮を制止しようと声掛けをしたら、もう数回殴られた。あまりにも興奮が激しいのと音を聞きつけて指導員の先生が駆けつけてくれた。救われた気持ちが正直なところであった。

 知的障害を抱える人々は、何かの微妙な違いでスイッチが入ることがあるらしい。彼は心臓病を抱えているので過度な興奮は避けなければいけないらしい。その言葉を聞いてから、僕は至極反省をした。知的障害者への対人援助なんて、十年は早いわ!と言う風に自分なりに猛烈に反省をしている。対人援助の難しさがここにあるようである。指導員の先生曰く、暴力行為に際しても普段からの信頼関係が大きな力を発揮するそうだ。知的障害があっても月日をかければお互いの新r内関係の構築につながり、それで相手の行動を抑制することができるそうだ。たかだか一か月の実習で、そこまでの力量をつけることはできなくとも、それなりの勉強はしたいと改めて感じた一日であった。

 それにしても彼のパンチはきつかった。一日を終えて帰宅して腕の痛みに、シャツの袖をめくったら腫れていた。痛い教訓であった。(笑)

 

2009/10/19
実習初日

 今日から一か月、太陽の家を離れて知的障害者更生施設にて実習をさせていただくこととなった。施設の皆様には園長先生をはじめ、食堂の給食担当の皆様にまでお世話をおかけする日々が続きます。本当に何も分からない新参者ですので、多大なるご迷惑をおかけすることとなります。

 私の実習は今日の朝8時30分より開始。朝礼にて昨晩からの入居者の様子や注意事項などの申し渡しをお聞きする。次に、指導員の先生から施設内を見学させていただき一連の生活の流れをお伺いする。私も男性と女性、合わせて8名の入居者の方々を担当させていただくこととなり、入居者の居室を訪問、自己紹介をさせていただく。まぁ、ここまでは、いくらなんぼでも私にもできます!って余裕をもって実践することができたが、ここからが問題である。

 なにせ初の知的障害者。認知症高齢者には慣れてはいるものの、やはり少し勝手が違う。・・・・・・・・大きな違いは利用者のスピードである。高齢者の場合は動作も会話も緩慢(表現が悪いなぁ~・・・・おっとりしてる!の方が良いかも)そのスピードに合わせて我々、介護職員も話し言葉はスピードを落としてハッキリとお話をさせていただく。しかし、知的障害者の社会も高齢化しつつあるとは言うものの、やはり若い分だけ話す言葉も早い、行動も早い。高齢者のスピードに慣れきっている私には、ついて行くのが儘ならない状況である。それと、彼ら(彼女も含む)は、同時に多重に話しかけてくる。どちらに応えようか迷っている間に、待ちきれない相手は矢継ぎ早に質問の嵐を浴びせてくる。本当に忙しい一日を過ごした感想が正直なところである。

 今日は午前と午後の二回、軽作業を行った。本当に単純な軽作業である。プラスティック製品の再生のために不純物となるシールをはがす作業である。入所者の方々は、本当にまじめである。午前に2時間、午後に2時間。わき目も振らず仕事に没頭している。本当に集中して作業を行っている。我々のような、なまじ知恵の有る者は何とか楽をして作業をこなす事を考え、無駄話をしたり、ちょこっと手を抜いたりすることを考えるが、彼らは本当に虜のように作業を進める。もちろん、愚痴も言わない、文句も言わない、馬鹿らしい・・・と言って作業を途中で放り出さない。そんな彼らの姿に感動した!

 うちの周りを毎夜、毎夜、騒音撒き散らして走り回る暴走族もどきがいるが、彼らがこんな作業を任せられた場合は、どんなふうに行うのかを考えていた。もちろん、与えられた作業は、其れなりにこなすだろうが、不平不満の連続で、それほど作業は捗らないのではないだろうか?仕事の内容はともかく、仕事をする姿勢が、一般人も見習わなければいけないと感じた。

 若い分、昼食の量も多い。ご飯のおかわりが出る。高齢者は食が細いので、一食150g程度のご飯でも満腹感を感じている(中には、満腹中枢が壊れている方は別として)そんな高齢者からは考えられない。そして、これは高齢者も同じで食事することが楽しいようだ!おいしそうに食べる昼食を介助しながら、人間にとっての食の重要性を感じた。

 午後の作業の後は入浴の介助。僕も高齢者の入浴の介助は行ったことがある。(最近では行わないが・・・)(実習先の副園長先生に入浴介助を普段から行っているのですか?と問われ、最近はやっておりません!と答えくらいである)が、ここでも高齢者との違いがはっきりと出現した。何せ、言うことを聞いてくれない。湯船につかる前に体を洗うつもりで誘導したつもりが、そのまま掛け湯もせずにどぶ~ん! 髭剃りのシェーバーを大事そうに抱える人や、シャンプーしてる最中に話をしないように促しても話に夢中であったり・・・・本当に戦場のような様相であった。でも、事故もなく介助を終えて脱衣所へ。そこでも、利用者の着替えに手こずっている職員さんの姿が。彼らは、本当に自由人です。青空に浮かぶ一片の雲のように、自由に気ままに自分の道を進んでいきます。 

 朝の申し渡しの時間に園長先生が私を職員さんに紹介しがてら、慣れると可愛いですよ!と言われた。たった一日だけしか体験してないが、知的障害者の人たちは、お風呂に入る姿や仕事をする姿勢を見てると、本当に愛らしく、かわいらしい存在であることが良く理解できた。明日は二日目。一応、明日の課題作成と今日のレポートも書き終えた。1か月は長いが、途中で投げ出さないよう、しっかりと勉強しながら見聞を広めたいと思っている。

2009/10/17
太陽の家 うちの丸子さん  Vol.26

 今日のお天気は朝から曇り空。厚い雲が空全面を覆い隠し、日の光も見えないような暗い一日のスタートである。そろそろ外の気温も肌寒さを感じる程となってきました。お散歩も上着を着ないと寒すぎる季節になってきましたのでしょう。

 雨が降り出す前にお散歩に出なきゃ!とばかりに、今日の丸子さん達は朝早くからお散歩支度。例のごとくパジャマの上に普段着を重ね着。本人もズボンの裾から見え隠れするパジャマが気になるようで、時々、ズボンの中に手を入れて、中にはくパジャマをたくし上げている。ご家族には申し訳ないが、僕は丸子さんの重ね着に対して改善する必要性を重要視していない。その理由に彼女なりにパジャマがパンツの裾から見え隠れする事に一種の恥ずかしさを持っているからである。パジャマがみえようが見えよまいが関係無くなった時には、それなりの世話を焼こうかと考えている。それでは遅すぎるのでは?という考え方の方も多いとは思うが、僕は利用者の自立した意思を尊重する方を選んだ。何かの原因が潜み、パジャマを重ね着することに何かの意味を持って行っているのではないかと思うからなんです。もちろん、機会があれば彼女にその理由を聞こうと思っている。寒いからという理由であればズボン下をはくとか・・・他の対処方法を考えてみたいとは思うが、それでも、彼女の気に入る方法で様子を見る事の方が重要な気がする。

 さて、今日の丸子さんのパジャマの話よりも書きたい内容があったのだ!。それは、お散歩終わりにいつものようにデイルームでお昼までの時間を過ごされた。お友達の三子さんとも意気投合し、二人で席を同じくして何やら話をしている。

 二人の様子を覗いに同席させてもらった。

 その会話の内容はお二人のご主人の話である。お二人ともご主人を先に無くされている経験者で、境遇的にも良く似ているお二人の会話は、一生を振り返って自分の人生をお話しされるのだが、その話の中心には必ずご主人が絡んでくる。世間話をしているように聞こえるが、実は亡くなったご主人がどういう人であって、どのような人生を歩んできたのか・・・という事を話し合っている。夫婦とは他人同士が結婚という儀式を通り抜けてひとつ屋根の下で暮らし始める事から始まる。結婚の方法は皆それぞれ違ってお見合い結婚、恋愛結婚、強奪婚(そんなのがあるのか・・・?笑)等など。どのような切っ掛けで結婚したかの問題でなく、どのような人生を共に歩いたかが重要なようである。うちの丸子さんも三子さんも共に、もう一度、若いころのご主人に再会したら、もう一度結婚しますか?という私の問いかけに、二人して「うん!」とうなずいた。

 そして、その後も二人して、繰り返し、繰り返し、同じ話を続けていました。

2009/10/16
ブログを書くこと。

 私がブログを書き始めたのは、日本福祉大学の中でブログを書き始めた数年前から習慣的に書けるようになったことが切っ掛けで、このホームページにも「施設長の部屋」と題したブログページを開設した。習慣的にとは書いたものの、今はブログを書いている状況ではないと言う時もある。そんな時は更新ができないでいるが、私の問題は更新の時期でではなくブログの文章である。

 普通、手紙やレポートなどを書くときには下書き、読み直しなどを繰り返し、ミスの内容に文章の構成まで考えて丁寧に書く。しかし、ブログと言う奴は自分がその時に思ったことを滝のように打ち込んで完成させることが多い。よって、文章中に変換ミス、誤字、脱字や文脈のおかしなところも多い。先日、私の東京に住む大学の友人からも指摘を受けたのが誤字、脱字である。その友人は、誤字脱字が僕の書き方だから良いんではないの!とは言ってくれたが、やはりそろそろ、書いた文章を読みなおすようにしなければいけないと思い始めた。

 だって、自分の書いた文章が世間一般に流れ出ているわけで、不特定多数の方の眼に触れるわけだから、それなりに責任をもって書く必要性を感じたからです。まぁ、それでも、考えて考えて書く文章は、嫌いなんです。あくまで不特定多数の未知の人々に向かって話しかけるように、キーボードを連打するのでしょうね・・・!

2009/10/16
太陽の家  うちの丸子さん  Vol.25

 丸子さんシリーズも25話となった。100話まで継続できたら記念にパーティーでもすっか・・・?と一人ほくそ笑む!

さて、今日の丸子さん、相変わらず夕方近くになると気分不安定となる。いつもの体調不良の訴えと共に薬局まで薬を買いに行きたい病が出没するのです。今日はちょうどデイサービス利用者の軍団が大挙して送迎バスに乗り込む途中に外に出ようとする丸子さん。デイ利用者の元気組に大声で諭されて少しだけ機を逃したようである。施設の玄関前で出かける気持にもなれないようで看護師に促されて帰ってきてしまった。

 デイルームの一階で看護師が一生懸命に話しかけている。別にそれほど気分不安定でもなさそうに看護師との会話を続けながらも、いろいろと不調を訴えている。その内にグループホームの担当者がやってきて丸子さんの要望を聞き始めた。

 やはり丸子さんの決心は固いようである。がんとして外出は取りやめにはならない。職員が同行して前にスーパーへお買い物に出かけることとなった。ちょうど、僕も柿が食べたかったので1000円を財布から出して少し硬い目の柿を買ってきてくれるように頼む。僕の個人の財布から出しているお金だから丸子さんにも分かるように、僕自身の財布を見せて、そこから1000円札をだして渡す。ここのところをいい加減に行うと、ゆくゆくにとんでもないトラブルに巡り合わせることとなる。つまり、お金の出何処が丸子さんのなかでごちゃ混ぜのアイスクリームとなってしまうのである。僕のお金が最終的には丸子さんの財布から出して勝手に使われたと言われるのだ。まぁ、そんなことは丸子さんだからではなく、認知症の人の大半が持ち合わせている特技みたいなもんで、介護する中で金銭トラブルは絶えない。

 さて、無事、注文の品は届き、おつりも領収書も一緒に届いた。自分が事務所で食べる分2個以外の残りは職員で食べるように、丸子さんに同行した職員に渡す。

 まあ、こんな一日の締めくくりは平和な一日である証拠みたいなもの。職員さんだって対応の仕方を心得たもので、上手く丸子さんを納得させ、夕食へつなげてくれた。こうやって考えてみると、丸子さん達はある意味幸せなものだ。何だかんだ言っても職員は訴えを聞いてくれ、なんとか要望をかなえてくれようとする。愚痴だって一生懸命聞いてくれる。食事もまあまあ美味しいし、部屋は暖かで心地よい。大嫌いな入浴さえなければ最高のユートピアなんだと思う。今日なんて、午後一番で海へドライブ。ちょっと風は冷たかったけど十分に外の風を感じて、青い海と空を眺めてきた。少しだけ一緒に暮らす人ともめることはある。まァ、共同生活介護だから・・・仕方ないし!それに、そんな事は一晩寝れば忘れてしまう。認知症って、世間一般では怖い病気と言う認識が強くなってきてるが、意外とこの世知辛い世の中で生きていくには楽な余生の過ごし方かもしれない。(認知症高齢者を抱えるご家族には不謹慎な言葉かもしれないが)。

 うちの職員さんの一人が、認知症の方々への話しかけの仕方について課題提起をしている子がいた。彼女は何が正しいのかはかり知れず、常に悩みながら毎日、認知症の利用者へ話しかけ続けているそうだ。彼女の言う話しかけの方法とは、単に一般常識としての会話の持ち方ではなく、言葉を理解できなくなった認知症高齢者との接遇の仕方に迷いが生じているのである。距離の取り方、傾聴の深さ、依存と自立の境界線等が自分の中で確立されていない不安感のようなものである。僕は、彼女には今のままでいいのよ!と言ってあげたいと思っている。今のままの環境を壊さないように接することが一番幸せなことなのではないかと思う。もちろん、介護スキルを向上させるためには現状維持よりは改善を目指す必要はあるのですが、僕はスキル向上に際して、職員さんの「自己覚知」を同時に求めてゆきたい。援助する側が自分自身をよく理解し、自分の弱点も合わせて受け入れる。己を知って、相手に対して自分がしてあげること、して上げられない事を正直に表現できる姿。そして、裸で高齢者の中に飛び込んで行く。認知症高齢者との接し方は援助側が素直な自分で接することが基本だと思う。私たちの発する言葉に含みがあってはいけない、何もかも包み隠さず素直な表現で接する今の姿勢こそ一番貴重なのではないでしょうか!

 


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