太陽の家

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ブログ-施設長の部屋

2009/8/11
天災・・・

今朝がたの地震で目が覚めた方が多い中、私は地震の揺れには気づかなかった。震源地に近くなくて助かったと言えるかもしれない。私のベッドサイドには書棚がおかれており、もっと大きな揺れがあったなら、当然、この書棚が私の寝ているベッドに倒れてくることとなる。常々、この危険性を察してはいるが何の対策もとっていない。今朝がたの地震さえも気づかない事を考えると何かしらの対策を急がねばならないと感じた。

 そして、地震だけではなく台風8号、9号の襲来による豪雨による被害も大きい。8号の直撃を受けた台湾の被害はすさまじく、被害にあわれた人々に同情の念が絶えない。日本においてもこの夏の異常な局所的な豪雨災害にお見舞を申し上げたい。豪雨や台風、地震などの影響を受けているのが広範囲であり、二次的な影響として農産物への影響も深刻である。日本の食糧自給率は二年連続で増加し、今ようやっと41%に改善された。改善されたと言いながらも1%の増加。残りの59%の食糧を海外に頼っている。日本は不況だと言いながらも裕福な国のようである。海外に食糧の大半を頼りながら、70%弱の食材を残飯として廃棄している。汗水流して貯めたお金を支払って食品を輸入し、加工品の大半を残飯として捨てているのは、本当に馬鹿げている。

 17年前に私は鈴鹿商工会議所青年部の広報委員長をさせてもらった時、環境問題についての文章を書いたことがある。あの当時に環境問題への警鐘は珍しかった。エコも今ほど一般化していない時代であったが、あれから17年の歳月がたち、地球規模の温暖化現象により異常気象が切実な問題となってきている。今からの時代、日本でも何が起きてもおかしくない状況である。

 鈴鹿川や海からも。ある程度の距離をもつ太陽の家は、土砂災害や鉄砲水の危険性も少ないと考えてきた。風水害に対する対策マニュアルについても、この地は安全であろう!という思い込みがある。しかし、最近の異常ともいえる雨、風、竜巻などに対応するリスクマネージメントに検討を要すると思える。

 太陽の家を利用して頂く高齢者の皆さんの命を守るためにも、最悪の事態を想定して対応策を練りなおさなければいけない。と感じている。

2009/8/10
太陽の家 新人研修

日時 : 平成21年8月10日 (月曜日) 午後2:00より

場所 : 太陽の家デイルーム 

参加者 : 真弓、杉浦、佐脇、江藤、

講師 : 施設長

 研修内容 : デイサービスの一日の業務内容からの気づきに関して参加者によって洗い出しを行った。

         必要と思われる行為(支援内容)の意味をしっかりと考えることに重点を置き、お茶一杯の重要性を改めて学んでもらった。

         同時に、個々のサービスに隠れて見えないリスクを再考し、リスクマネージメントについて考えた。

考察 : 短時間ではあったが、このような研修の場を繰り返し持ちながら、新人職員では気づかない要点を学んでいけるような感触を持てた。提供できるサービスの全体を見つめながらも、細かな注意点を繰り返し反復的に思い起こすことで、不慣れな業務にもなじみ感が持てる。また、新人職員間の連携の輪の構築に役立っているようでもある。以前より、新人職員間の横の連携が取りづらくお互いに遠慮も重なり率先的な行動に出ることへの躊躇いがあったようであるが、これらの新人研修の繰り返しは連結の強化につながると期待する。

2009/8/8
外国人職員からのおみやげ

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うちの施設には2名のペルー人介護職員が働いている。その一人がペルーに残した実父の病気入院の報を受けて一時本国へ帰国していた。南半球に位置するペルーでは、今が日本の気候とは逆の冬に入る頃である。彼女たちペルー人労働者との接点は、非常に偶然なものであって折しも人材不足で喘いでいた時期に求職の問い合わせ電話からが始まりである。

 とても流暢な日本語で電話をしてきて面接を希望する外国人ということで、私自身も興味を持った。その頃に私どもの姉妹施設でもブラジルからの介護職員の採用もあり、非常に熱心に働いてくれる印象があった。取りあえず、一度面接することとなり太陽の家の会議室で面接。時間より少し早い目に訪れたのが今の職員さんたちである。語学力はともかくとして、非常に熱心であり、気持ちもやさしい。それと勤勉である。とても偏見的な見方かもしれないが、発展途上国の人々は勤勉さに欠けると思っていたが、意外や意外、一生懸命に働いてくれる。それと土曜だろうと日曜だろうと働いてくれる。

 さて、その彼女がペルーから日本に戻ってきた挨拶に来てくれた。そして頂戴したのが写真のお菓子である。ネッスルのチョコレートたっぷりのマシュマロやチョコバーである。私は、わざわざこんな大量に荷物を抱えて帰ってきてくれた気持ちがうれしい。めったに帰国できないだろうに、自分の物ではなく他人へのお土産に気遣う。そんな気持ちに感謝です。

 ほんの気持ちです!と昔の日本には、相手を気遣う心があった。でも、最近では相手を気遣う心遣いが逆に相手に余計な負担を与えてしまうという変な風潮が日本には生まれてきた。規律、規範は社会と共に変化するが、なんとなく人間関係がぎくしゃくして寒々しいように思える。

2009/8/7
ケアマネジャー連絡協議会

日時 : 平成21年8月7日(金曜日) 13:30から

 場所 : 労働福祉会館にて

2009/8/7
One Flew over the Cuckoo’s nest —2

『カッコウの巣の上で』の二作目の紹介ではありませんが、昨日の話題についでPart2となるブログを記します。

せっかくジャック・ニコルソン主演の映画についてお話をしたつもりですが、話の内容は日本とアメリカの制度の一部を愚痴っただけに終わってしまいました。今日は、もう少し、映画の内容に沿ったお話を展開しようと思っています。

 この映画の中に描かれた施設は、私が覚えている日本の古いタイプの精神病院そのものでした。そして、まるっきり監獄のような檻の中に、私たちと同じ人間が収容されているわけです。日本の昔の家には座敷牢なるものが存在しました。今は無くなりましたが、私が子供の頃には、縁日などには必ず見世物小屋が建ちました。例によってとても胡散臭いオヤジが、強面風に呼び込みをしてる。「世にも可哀そうな・・・」「人間でありながら、半身は牛の・・・」だとか言う、あの手の見世物小屋です。古い日本の社会では、障碍者は世間から隔離されていた。同じように生まれながらにして障碍を持っている人の一部は見世物小屋で働かされました。生まれた家庭の経済状況によって、障害者の命運ははっきりと差が出ていたわけです。一方は座敷牢、片や見世物小屋の見世物になる。どちらも人間らしさは感じられない時代が、この日本にもありました。障碍者自身には何の落ち度もなく、先天的または後天的な疾病から障碍を持つこととなる人々に対する世間の風は冷たいものであったようです。

 障碍のとらえ方も未熟な社会でした。障碍を遺伝的なものととらえ、自らの家系の『恥』と考える社会性があった時代です。あの頃から50年の歳月がたち、障碍に対する社会の感覚は、かなり理解が伴うようになりつつありますが、まだ、西欧諸国に比べると日本は遅れています。 戦後60年の歳月が流れ、世代は変わりつつありますが、世代は新しくなって変わったことは、東京以外の地方にしても都市化が進み、相識関係が希薄になっただけのようです。つまり地方でも「多面性」、「一時性」や「匿名性」がすすんで「隣は何をする人ぞ」的な思考が蔓延しているだけに感じます。障碍者に対する理解は乏しく、一歩退いて見てしまう。そのような風潮がみられます。

 私が学ぶ日本福祉大学には、沢山の障碍者が一緒に社会福祉を学んでいます。身体もあれば、精神に障碍を抱える人もいます。また、視力、聴力に障害を抱える方も、一生懸命に勉強して社会福祉士の国家資格を取得して、現在は立派なソーシャルワーカーとして働いているような人もいます。特に日本福祉大学は障碍者学生が多く学ぶ大学のようですが、学内には、そのような障碍者を支援して少しでもその人の持つハンディを埋めようとするボランティアグループが組織されています。我々が支援する大学の障碍者は若い人が多いのは当然ですが、中には性同一性障害なる問題を抱えた人もいます。普通の男性ですが、自分自身は女性であると訴えています。また、精神に障碍があって、学校に通学することに苦痛が伴う人もいます。適応障碍と言われる発達障害の一種ですが、人ごみや慣れない人の中では自分自身を見失ってしまうのです。このような人達を貴方がたは、どのように感じて、どう対応するでしょうか?

 きっと対応する事。話しかけられたり、何か支援を求められたりすることに抵抗を感じて、面倒くさい!と考えられると思います。実際、大学の教室でも、彼らを見る一般学生の目は結構冷ややかです。特に差別的な行動こそありませんが、率先して支援するという態度は少ないのです。1981年を「国際障害者年」とすることを国連総会の場で採択し、『完全参加と平等』をテーマに世界各国において色々な取り組みが行われた。日本も、この後よりノーマライゼーションや自立の理念へと施策をシフトさせるが、本当の意味の障害者支援の施策は5年~10年の歳月を必要とした。世間一般に浸透しつつあるバリアフリーという言葉も障害者の障壁を除いて、出来る限り自立できるような社会を目指す。という意味を持っている。しかし、現実問題として障碍者(高齢者を含め)へのバリアは完全に消滅したわけではないのです。建物も、道路も、車も障害者に優しく考慮され改善されてきたが、人々の感情の中には、まだ障碍者はお荷物である意識が根強く残っている。また、社会保障を受ける姿勢に対する恥意識(スティグマ)も感情のどこかに残っているように思う。

 私たち福祉の専門職は、もっともっと、声を大きくして社会福祉が市場経済に与える影響をしっかりとPRしていくことが必要である。障碍者や高齢者への福祉を生産性の無い事業と考える社会の一部に申し上げたい。経済的な発展ばかりに視点を置いて人々は豊かになれない。確かに個人的には裕福になるかもしれないが、その富も一時的なものであり市場における力の不均衡は最終的には市場経済システムの崩壊を招く。最近の世界的な金融危機や環境問題が、それを物語っている。私たちの心から共に思いやる気持ちをなくしてしまえば、それは社会の崩壊へとつながる。 余生が幾ばくか分からない高齢者にしろ、ハンディを抱えて重荷と思える障碍者も、決して無駄な存在ではない。この人たちの人生を尊厳をもって見守ることは、将来的に自分自身にフィードバックされる社会の構築に努力していることとなる。人間は平等に老いるし「死」を迎える。決して『今』は永遠ではない事を知ってもらいたいと願っている。

2009/8/5
One Flew over the Cuckoo’s nest

私が20代の頃に観た映画のタイトルです。邦名は「カッコウの巣の上で」だったように思います。生意気にも、私はこの映画をアメリカの映画館で観ました。ジャック・ニコルソン主演のこの映画は、かなり有名ですから、このブログを読まれる方の中にもご覧になった方は多いことでしょう。話は変わりますが、主演のニコルソンは、この映画の前にも『Five Easy Pieces』という素晴らしい映画を主演しています。共に、社会的な問題に着目した映画で、非常にインパクトの強い作品でした。

 さて、この『One Flew Over the Cuckoo’s Nest』は、犯罪者のニコルソンが刑の執行を逃れるために精神病質を装い、その結果、刑務所ではなく精神病院に入れられることから始まります。最初は、バカにしていた同僚となる患者達も、共に生活する中で自分以上に人間らしく、素朴で純朴な人間であることに気がつきます。そして、彼は、同じ人間が精神に疾患があるというだけの理由で鉄格子で固められた病室に監禁され、自由を束縛され、身体を拘束される扱いに対して立ち上がります。治療する側からは反体制的というか、それまでの形式的なシステム化された治療体制を破壊する不穏分子と問題視されるようになります。

 拘束服や檻に近い独房生活や電気ショック療法など、とても人間に与える治療と表現するにはおこがましい現状が、そこにはありました。体制に反発し、他の収容患者の先頭に立ち、解放運動を先導する彼には、強烈な副作用の伴う投薬が行われ、廃人化へと追いやられていく。そのような映画でした。この映画にはハッピーエンディングは無く、とても重く暗いエンディングで締めくくられていたのですが、映画を観終わった後の自分自身の気持ちが妙に落ち込んでいたことを覚えています。

 1970年代の話ですが、実際にアメリカの精神病院でも、映画の内容に近い治療が行われていました。遠い過去には精神疾患は悪霊に関係する病気として、邪気を追い払うために水を張った大瓶に頭から突っ込まれたり、火あぶりにしたり、その光景は恐ろしいほど人間性のかけらも見受けられない状況だったようです。そこまで非科学的ではないにせよ、70年代のアメリカで、日常的に身体拘束や虐待が精神疾患の患者を中心に行われていました。実際、私も1980年代にアメリカのカリフォルニア州を訪問し、高齢者施設を見学したことがあります。日本式のグループホームのような一般家屋を施設に利用している小規模な施設から、特別養護老人ホームのような大規模施設まで数か所の施設を見学して回りました。そして、その全ての施設に感じられなかったものが「人間性」です。小規模施設の場合は暗く、狭く、認知症高齢者たちを家屋内に閉じ込めていました。日本と違って屋内では行動は比較的自由があるようで、ソファーの表皮を手でつまみながら、中綿を引きずり出していたり、人形を抱いてロッキングチェアーをゆすり続けている老婆が居ました。大規模施設にはMSW(メディカル・ソーシャルワーカー)や看護師、介護職員や理学療法士などの有資格者も沢山働いていました。しかし、建物が刑務所と同じ立て方で、職員の詰め所を中心に放射線状に長い廊下が伸びており、個々の居室が設置されていました。その当時は、その建物を見学しながらも、少人数で見張るには便利な設計だ!という評価をしていました。しかし、あの施設ですら拘束服などが日常的に使われていました。つまり、指先まで覆いかぶさる拘束服が、堂々と準備されてるがごとく、壁のいたるところに懸けてありました。

 日本に比べて、アメリカの社会福祉は比較的早くから実践されているように学んできました。リハビリテーションの考え方も傷痍軍人の社会復帰を目的に考え出された技術です。そんなアメリカですら、70年、80年代は福祉後進国だったのです。日本は第二次世界大戦後GHQによる社会福祉マインドへの転換を強要されて初めて生活保護法、児童福祉法等が整備され始めたのです。戦後の復興から高度経済成長へと移行する中で、経済的には西欧並みに向上させることが出来たのですが、一方では公害問題、核家族化、賃金の格差などの社会構造が変化。いろいろな場面で日本の社会福祉制度にもほころびが出始め、社会福祉問題が大きな課題として浮上。福祉三法から福祉六法体制へ変化し、諸外国を模倣しながら先進の福祉を取り入れようと努力してきました。しかし、実際の福祉の質は、上から下へ画一的な措置を前提とし、「ほどこし」の感覚が根強く残っていました。世界でもトップレベルの高齢化社会である日本。財政的にも「ほどこし」政策を続けようにも、逼迫する財政からはすべてをまかなうには至らず、2000年4月1日から介護保険制度の施行となりました。

 介護保険制度は「自立」と「連帯」の理念がうたわれ、利用者本位のサービスの利用にむけてケアマネージメントが採用され、同時に多様な事業主体の参入が認められ、市場原理を利用した提供サービスの向上に向けて21世紀の日本社会へ出帆することとなるのです。この制度がなければ私たちの太陽の家は存在できません。営利法人であり、あらゆる面で社会福祉法人に比較しても不利な立場にあることは、世間には知れていません。これは、愚痴ではないのですが、営利法人は利益で潤っている!と言う事実はありません。制度的にも営利法人の運営する高齢者施設には社会資源の協力を仰ぎにくいところがあります。つまり、利益追求型の企業へのボランティア協力は不要という考え方が社会にはあるようです。しかし、実際に見て頂きたいのは社会福祉法人は、どんどんと施設を拡大、充足させていますが、営利法人の拡大はほとんどありません。

 それもすべて経営手腕と言われてしまえば、それまでですが。営利法人と言えども社会福祉を実践する中で利益はでないのが現実です。介護の現場は非常に過酷な労働環境です。それは肉体的にも精神的にも重労働です。職員は週40時間、週休2日を守り、残業は認められず、定額の規定給を受け取り自らの家庭を養っているのです。この3K労働の現場から沢山の有資格者が転職し、介護の現場から離れて行きました。そして、世界的な金融危機から製造業から流出してきた無資格労働者が福祉の業界に入ってきています。幾度もの変革を繰り返しながら、社会福祉を継続させようと努力してきましたが、ここにきて、また振り出しに戻ったような気がします。職員を育て、質の向上を望める時になっては崩れ、また新人教育に勢力を注がなければならない日本の社会福祉の現状。小規模施設の大半が介護職員の獲得に苦労しています。求人に費用を重ね、やっと獲得した職員も定着せず、苦労する経営者も多いことと思います。私のところも同様に人材難に悩んでいます。

 しかし、人材難と言って介護を放棄するわけにはいきません。この施設を選んでいただいて、今なお利用して頂く方々の生活を守り抜かなければなりません。そして、私たち専門職は専門職としてのプライドとして身体拘束、虐待等をしない!させない!を守っています。また、個人情報保護に関しても注意深く慎重に取り扱うことを約束しています。先にも書きましたが、営利法人だからレベルが低い、質が悪い!と言われないよう職員一丸となってスキルアップに努力しております。

 人間性のある介護と支援。ここに暮して良かった!と言ってもらえるような施設づくりに努めます。

2009/8/5
熱中症について

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毎日、毎日、暑い日が続きます。連日35度を超える気温に我が家のアニマルセラピスト達(?)もバテバテの状態です。昨日は、名古屋港にかかる名港トリトンで作業中の人が熱中症で倒れた。そして、その人を救助するためにヘリコプターまで出動する大騒動があったそうです。今日は、西風が強く、木陰で少しはすごしやすい天候ですが、しかし、油断は大敵です。

人間が一日に必要とする水分は1.5リットルから2リットルと言います。2リットルのペットボトル飲料を一日かけて飲み干さなければいけないのですが、普通の人には結構きついと思います。私の知り合いなど、若さにものを言わせて、日中に飲むお水が500cc以下と少ない人もいますが、エアコンが効いた快適な事務所でのお仕事をしている人ですから、ある意味仕方のないことかと思えます。

 このような高温の夏を元気に乗り切るには、何といってもよく食べ、よく飲み、よく寝ることしかありません。高齢になるほど体内の水分量は少なく、その分補給する水の量は多い目に摂取しなければ熱中症だけではなく尿道に雑菌が繁殖し炎症を起こしたり、高熱がでたり等の別の病気も心配です。

 よく食べるためには、やはり日中の活動を継続することが必要です。暑いので空調の効いた快適な室内でゴロゴロしてばかりでは食欲も増進されません。よく飲むためにも同じように日中に汗をかくような生活を心がけると自然と水分補給は行われます。若いうちは、これらの活動が自然に(半強制的に・・・)行えるのですが、高齢となり普段から行動の幅が狭まっている人は、一体全体何をすればよいのか?が分からなくなりますね。

 以上のように、行動範囲や活動内容が小さくなってくる高齢者の出来ることは少ないように思えます。ただ、起きているだけでテレビのお守りをすることは決して良いことではありません。出来れば、目や耳に衰えがあり、非常に難しいかもしれませんが趣味を探してみてください。読書や音楽鑑賞も良いのですが、先にも書いたように五感の衰えが伴ってなかなか気持ちが乗らないこととおもいます。例えば「散歩」「俳句」「家庭菜園や園芸」「カラオケ」「詩吟」などのように体力をそれほど必要としない趣味を持つことが良いのではないでしょうか?

 日中に日の光を浴びることでビタミンDが合成されます。ビタミンDは造骨細胞を活発にし、骨租しょう症を予防してくれます。俳句を考えることで脳内の細胞、特に大脳の言語をつかさどる細胞の活性化に効果があります。家庭菜園や園芸を行う中で指先を使い、足腰の筋肉を鍛えたりできます。カラオケや詩吟をたしなむ中で、やはり脳の活性化に役立ちます。色々な活動を行うことで、日中に覚醒し、夜間の睡眠を十分に取れるようにしてあげることから健康で健全な生活が継続できるというわけです。

 自然界の中の食物連鎖の一コマが消滅してしまうと、まったく関連ない動植物が同時に滅びることと同じように、人間の体も全てが連鎖して機能を維持しています。年齢に関係なく健康で明るい毎日を過ごすためには、何もおろそかにはできないと言うわけです。暑く湿度も高く過ごしにくい日本ですが、みんなで知恵を絞って元気で明るい家庭を目指していきたいですね。

 

2009/8/4
8月のお誕生会

ハンドベルの演奏dsc01495.JPGdsc01503.JPG

 8月4日(火曜日)に、お誕生会を開催いたしました。 今月のお誕生者は7名の利用者様です。皆さんとともにお誕生日をお祝いしました。今月の出し物は、ハンドベルによるバースデーソングの演奏、二人羽織、兄弟船などを楽しんでいただきました。

 特に二人羽織では、職員4名が犠牲者となり、顔中クリームだらけで、食べることの難しさを改めて考えさせられた内容でした。しかし、世界のある部分では、食べることもままならない人たちもいるのに、何と贅沢な!食い物を粗末にして!とお叱りを受けそうな二人羽織ですが、それでも、久しぶりに利用者様の笑顔と大笑いの渦に、犠牲者の職員たちも満足げな感じでした。

 また、次回のお誕生会にも、利用者の皆さんの笑顔を見れるような企画を考えたい。と思っております。

2009/8/4
音のない盆踊り

イヤホンで曲を聴く「無音」の盆踊り――!!  愛知県東海市の住民らが、こんな常識破りの試みをして反響を呼んでいる。

■騒音対策もあるが、地域振興を主眼に

  「こええよ…」
  「儀式に見えるぞ」
  「どこのカルト宗教か」

 ネット上では、無音盆踊りを想像して、こんな極端な声も漏れる。これらは、2ちゃんねるへの書き込みだ。

 この盆踊りを行ったのは、愛知県東海市の大田町住民ら。町内にある東海市青少年センター駐車場で2009年8月1~2日にあった地元の夏祭り「ザ・おおた・ジャンプフェスティバル」で、民踊団体などの50人がイヤホンを着けて実際に「炭坑節」など4曲を踊った。

 仕組みは、FM電波で曲を飛ばし、踊り手が携帯ラジオで受信するというもの。両日とも1回、15~20分間、ラジオを浴衣の帯に挟んだ踊り手が、静かな会場の中で耳のイヤホンを頼りにステップを踏んだ。

 この無音の盆踊りの記事をネットで読んで、とても興味をもったので皆さんにお知らせしたくブログに紹介します。僕は、騒音公害や近隣住民の苦情の世の中に違和感を感じながら読んでいました。私の家の横には大手のゲームセンターがあります。もちろん、商業地域に建てられた自宅ですので、深夜になっても人の動きがあることは承知で建築しています。ある面、常に人の目があるという点では、安心できる面もあります。しかし、深夜の2時、3時になっても若者の話し声や笑い声等が聞こえてくるのも困った問題でもあります。しかし、それがために安眠を妨害されていると考えることもありません。

 そして、逆に音楽もなく、浴衣を着た集団が輪になって無音で盆踊りを行っている姿は客観的に見ても変です。同じようなステップで下駄や草履の地面を踏む足音が響き、同じようなリズムで手を打つ音が響くほうが不気味なような気がします。夏ですから部屋の窓を開け放ち、生ぬるい風でもいいから肌で自然の風を感じながら、スイカを食べ、蚊取り線香のにおいにいぶされつつ遠くに流れる盆踊りの音楽を聴きながら日本の四季を感じる。とても日本らしい光景であると思いますが、皆さんはいかがでしょうか?

  この無音の盆踊りの実施は、そのまま今の日本の高齢者問題を感じさせます。つまり、周りの住民との関係が疎遠になり個々の家が孤立化していることです。高齢者単独世帯が増え、隣で誰一人知らずにひっそりと亡くなっても知らない。そんな隣近所の関係の崩壊が、このような無味なソサエティーに変わってきている証拠のような気がします。

 そう言えば、今日放送されたNHKのクローズアップ現代、企業の内部統制いついてを観て同じような気持ちになりました。内部統制とは、企業に課せられたコンプライアンスへの対応が、働く者の労働意欲を奪うことにつながり、同時に仕事に対して恐怖観念さえも抱かせてしまう結果となっている現状を取り上げていた。私たちの福祉の世界も同じような内部統制に近い「リスクマネージメントやあらゆる起こりえる問題に対応するためのマニュアル作成」等が義務付けられています。これらのマニュアル作成には、介護からはかけ離れた次元の対策を事前に洗い出し、その対応策をマニュアル化することが求められています。そして、それらのマニュアルや書類は、「情報開示」の名のもとに、その存在をチェックされます。確かに、人命を預かる仕事ではありますから慎重であり、真摯な対応は当然です。しかし、これらの資料を作成するために、一日中デスクにかじりつきで、コンピューターの画面に向かって、文字の羅列が必要となります。私たちの主たる業務は、高齢者の介護です。高齢者に直接関わることよりもまず書面を準備しなければいけない現状はいかがな物でしょう?


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