今日の昼間も温かい一日でした。
風邪は肌寒いのですが、風を避けて日の当たる場所にいると
ジャケットは不要な程温かくなってきました。
それに伴い、花粉が飛び、鼻炎の人には苦しい季節になるのですね。
僕は一応、病院のパッチテストでは花粉症の診断は受けていないのですが
いつもこの時期になるとジンわりと頭が重く、痛くなって
毎日、微熱が続き始めます。
これも何かの花粉か・・・の影響を受けているのでしょう。
自分が好きン亜ことをやっている時には、そんな症状も全く気にならないから
どちらかと言えば自分勝手な拒否反応と言えるかもしれません。
今日、うちの太陽の家と関連企業の方とお話をしていて
私たちは、「気合だ!」「精神力だ!」「根性だ!」と
発破をかけながら育てられたものですね!と
お互い、妙に納得して、古い者と言われる世代なんでしょうか・・・と
お互いの顔を見ながら笑っていたのですが
同時に、最近の人は不調を訴えて病院受診すると
いとも簡単に医師から「適応障害」やら「パニック障害」等の診断がつきます。
ちょっと先生方、本当に診察して言ってんの??と疑いたくなってしまう。
人間ですから、ドクターにそのような診断を受けると
その時点で自分でも、その病気になり切ってしまう。
そして、そんな病名の診断に対し、逆に安心感を覚える。
そんな時代のような気がするのですが・・・
確かに我々の若い頃よりも、背負っているストレスの量と質は
全く異なり、昔にょりも巧妙ないたずらをするストレスが
多く、この社会を覆い尽くしていることは事実。
非常に生きづらい社会となっているのですが、
このような時代だからこそ、「気合だ!」と
あのプロレス、アマレス親子のような(ありゃ、多分に演出が入っているけどね)
檄を飛ばして生きるのも悪くないかもしれない。
今の時代、気合、精神力を言うのは
夜になると徘徊するヤンキーの暴走族の連中位のもので
家で大人しくゲームに熱中する若者は
そんな「精神力だ、気合だ!」と言う野蛮なことは言わない。
時代が時代だから、僕もいい歳こいて、いつまでも尖がってないで
そろそろ大人しく余生を考えてみよう・・・と。
ソラマメは生で食すのが一番うまい!
ソラマメを湯がくと、蒸れた足の匂いがすると言う人がいる。
だからではないが、生が断然うまい。
生のソラマメにイタリアンチーズをスライスして一緒に食べる。
チーズはハードタイプのペコリーノロマーノ、パルミジャーノか
グラーナ・パダーノがとてもよく合う。
塩も何もいらない。チーズの味が、ソラマメの青臭さにぴったりと合う。
今日、ソラマメを植えたことはブログで書いた。
この初夏には、ある程度の実をつけることと思う。
そのソラマメは、絶対にチーズをのせて食べる!
ソラマメの鞘の内側にある白い綿毛状のものも
スプーンでそぎ取って食すことができる。
これもまた美味い。
イタリア人ってのは、日本人と同じ美味い物を知っている人種だ。
虹の丘の畑で採れた野菜は、その都度ブログで紹介することとしよう・・・
美味しいものは職員にも食べさせてやりたい。
共に働く者、食も共にしていこう。
今日は、ソラマメとジャガイモの苗を植えた。
先週造った畝の一本にソラマメを、
もう一本にジャガイモを植えた。
カラスの襲撃を受けないように、ジャガイモには一寸ばかりの細工をした。
両方の苗に液肥をおいて、しっかり育ってくれるようにお願いした。
畑の土が良くないので、成長は望めないかもしれないが
なんとか、この春には芽をだして、畑に彩りを添えてほしいと願っている。
それと、今夜は、毎週楽しみにしている韓国歴史ドラマの最終回。
NHKのBSで放送していた『秘密の扉』と言うドラマである。
僕の韓国ドラマ好きは、「イ・サン」から始まり
毎週日曜日の夜9時には、必ずテレビの前で一時間過ごす。
韓国の歴史ドラマの中でも、この『秘密の扉』は異質と言えるくらい
シリアスなドラマだった。
最初に観た「イ・サン」の父親の実話(歴史上ではそうなっている)
イ・ソン が第22代朝鮮王朝を受け継ぐ前に米櫃で処刑され死ぬまでの
ストーリーが24週にわたって放送された。
韓国のドラマと言うと、シリアスな反面、そこかしこに道化役がいて
チャラケた演技で笑いを誘う場面があるが、この秘密の扉には
そのようなチャラケは一切なかった。だから、その分、重い番組ではあった。
僕は根がシリアス(・・・笑うな!)な人間だから、
ドラマもオチャラケよりは、シリアスな方が好きだ。
昨年の9月に韓国を訪れた時にも、イサンが王様になって造ろうとした
新たな王宮としての街、水原(スフォン)にも行ってきた。
韓国のことはドラマからの延長で歴史を少しかじっただけで
それ程詳しくはないが。中国には大陸続きの小国として
古くから色々と外交に苦心してきた歴史があるようだ。
今回、日本を相手に意地っ張りな、分からず屋のようなイメージで
韓国の無茶ぶりが報道されているが
僕は、今回のドラマの収録が、自分が実際に足を運んで
観てきた王宮跡や城壁を、そのまま使ってロケを実施しているのをみて
更に韓国の街、人々、そして文化に興味を持った。
なんだかとても怪しい雲ゆきの日韓関係だけど
もう一度、韓国に旅し、もっと沢山の歴史を学びたいと思った。
「感動」はアンチエイジングとお話をした。
人それぞれ感動する時ってのは違うと思う。
テレビドラマや映画を観ながら感動し、涙する人も居れば
スポーツを観戦し、自分の応援する選手がファインプレーをした時。
美味しいものに巡り合い、奥深い味わいに感動するとか・・・
感動ってのは、与える方も、受ける方も真剣でないと味わえないと
僕は思っている。
食べる時も、その料理を作った人の感性を想像しながら
味覚を研ぎ澄ませて、ただ単に摂取すると言うのではなく
味わうことが必要と思わない?!
だから、僕は一人で食事しに、行きつけの中華料理店で
ラーメンを食べる時も、携帯電話のゲームやSNSを見ながら
食事することはない。だって、調理してくれた人に失礼だから。
マア、食事中のルールとマナーは別の機会に話するとして
感動する時は、誰しもが真剣に真正面から立ち向かっている時に
その真剣さに応じて高まってくるのではないだろうか・・・
中途半端に、だらだらと仕方なしに仕事してても
そこには、絶対に感動なんて感じることもない。
スポーツも同じく。下手くそでもいい、真剣に自分の出来ることを、
自分の100%を引き出して戦うものには、結果が負けであっても
そこには大きな感動が生じる。
ぼくは、歳を重ねて、ジジイ!と呼ばれる年齢になっても
感動を味わえる生活をしたいと思っている。
今日の夕方に、家族全員がお世話になっている日展画家の先生を
尋ねて有料老人ホームを伺った。
今年で93歳となる先生は、車いすでの移動され、
何度も同じ質問を繰り返すほど、記憶障害が顕著に表れていた。
そんな先生だけど、居室の中には大きなキャンバスが立てかけられており
そのキャンバスの下には、油彩やオイル、筆の洗浄液などの
画材が置かれていた。
つい先日まで肺に水が溜まって呼吸しにくいと言うことで入院されて
私たちも非常に心配をした状態が続いていた方だ。
このお歳で、ちょっとした刺激で体調不良を起こしがちな状態で
それでも真剣に絵を描き続けている御姿を拝見し
今日のこのブログのテーマどおり、人が感動する時を考えてみたかった。
人の大脳は右と左の二つに分かれている。
右の脳は、体の左側の運動機能に影響を及ぼし
左の脳は、体の右半分に影響する。
左右別々の動きをコントロールするのは
右脳と左脳の間にある脳幹が成長することで
全く別々の動きを行うことができる。
ピアニスとが両手を使い、それぞれ別のリズムで、
別の音階を奏でることができるのは
訓練によって脳幹が鍛えられるからだそうで
これには年齢は関係ないそうで
定年を迎えた高齢の人が、初めてピアノを習い
ショパンを演奏できるようになる。
年齢を重ねるとき、「歳だから・・・」と自らが諦めてしまいがち。
歳だからと諦めることなく、練習することで夢が実現する。
それまでより脳の活動が活発化する。
まず、この事実を信じて努力することも大切だ。
そして、音楽を聴いて感動すると、人の心拍数は上がるのだ。
鳥肌立つ!背筋に感動のうねりが起きる。
こんな経験をしたことあると思うが、
音楽を聴いて感動する以上に
その音楽を自分が演奏することで、更に心拍数は上昇する。
そして、その分、脳幹も成長する。
動きにくかった指が動くようになり
鳥肌立つ感動を繰り返し、感性が豊かに
そして、笑顔が増えるようになる。
全ての細胞が元気になった証拠である。
認知症であっても、鬱を患っても、感動することで
更なる感動の輪につなげることができる。
感動すること、そんな刺激を脳に与え続けたい。