


老人デイサービスを運営していて、思うことがある。
高齢者の末期がんの利用者に対する緩和ケアについてである。
過去に、うちの事業所を利用して頂いた要介護者の中にも末期がんの方々がいた。
うちの親戚にも末期の癌で療養生活をしながら息を引き取った者もいて
年齢に関係なく末期の癌患者に対して、何かデイサービスで特別なことはできないものか・・・と
いつも考えている。
特段の医療における救助ができない状態の方々に
在宅を継続しながら、日中だけでも案和を継続しながら
お迎えが来るまでの少しの時間を有意義に使うことを目的に
何とかなりそうな気がするのだが・・・
デイサービスには看護師が常駐しているうえに、適切な医療の協力を得ることが出来れば
ホスピスや緩和病棟にて終焉を待つ必要はなくなるのではないか。
もちろん、緩和ケアと言うのは、僕が思う以上に介助する側の精神的ストレスも大きい。
支援する者のストレスケアも重視しなければならないが、
癌の宣告を受け終焉を待たなければいけない者の気持ちを考えると
何かのお役に立ちたい。そんなことを考えてしまう。
今日、一人の新規の利用者の方を担当する契約を行った。
アルツハイマー型認知症と南朝の問題を抱えている。
物忘れがひどく、短期の記憶に障害を受けている。
家人の話によると、自分でモノを整理しているうちに、しまい込んだ場所を忘れ
探してみるけれど発見できないと、家族の誰かが盗ったと疑う。
耳が遠いので、自分の世界に閉じこもり気味となり
周りの者との空間共有が出来にくくなる。
世間でいう、認知症の人だ。
対人援助の専門職としては、First インテークを行うが
なかなかケアマネジャーの思うようにインテークがしにくい。
認知症の人だから、意思の疎通が図れない。そんなことを考えながら
取り合えず介護計画を作るために必要な情報だけを収集しようと努める。
本人に聞いて、答えてくれるなら良いものも
本人の疑いの目は、ケアマネジャーに注がれているのを感じる。
どこの誰かもわからない奴が、自宅に転がり込んできて
根掘り葉掘り自分のことを聞いてくる 。
これは、立場をかけて、自分に置き換えてみれば十分に本人の気持ちは理解できる。
理解できる以上に、僕なら、最初から切れて、相手のケアマネジャーを怒鳴りつけている。(笑)
とにかく、認知症はともかく、 人の生い立ちや生活歴を聞くためには
それなりに馴染みを作ってからでないと介入は難しい。
人の信頼を得るためには、それなりの服装、市政、表情や声色までにも
十分な神経を使い、其れこそ、高齢者専門の詐欺師のつもりで
相手を抱え込む力が必要なのかもしれない。
今日のアプローチを終えて学んだこと。
それが、このブログに書いたように、認知症の人ではなく
人として相手に近づくこと。
最近要聞く言葉にポストコロナが気になる。
ポストとは、郵便ポストのポスト❕と言われれば理解できると思う。
POST =日本語で『置く』とか『柱』などの訳が良く知られている。
そして、同時に『~の後』と言う意味もある。
今回のポストコロナは、『新型コロナ感染症の後』と言う意味で使われている。
僕も先月のブログに、このコロナウイルス感染症 が落ち着いたときに
何ができるかによって、自分の人生(余生が)が変わると言ってきた。
おそらく、今年のF-1日本GPは開催されないと思っている。
下手すりゃ、来年のオリンピックも中止されるのではないかと考えている。
これは、日本だけの問題でなく、国際的な感染拡大の終息が見えてこないことから
国際的な活動は、今後一年間程度、特効薬が発見されない限り
とても難しい事業となるのではないか。とっ考えるからである。
今、目先の感染症への恐怖だけにとらわれているばかりでなく
この感染症が及ぼす私たちの生活に及ぼす影響を考え
そのために今なすべきことを考える必要性を強く危惧している。
ある意味、コロナと共存する生活も覚悟しなければならないかもしれない。
しかし、そこまでの長期間、我々は自身の行動に制約を維持し続けることは難しい。
その為にも、我々ができることは何で、どのように防御していくのか?
我々自身の考え方を根底から変えなければならない時代が来る。
これこそ、人間の思考と生き様のパラダイムシフトと言えるかもしれない。
新型コロナウイルス感染症が大きな社会問題となってきた頃から
要介護者の家族が自発的に介護保険サービスの利用を中断し始めた。
都心部のデイサービスなどでは、この介護サービス利用の自粛が
事業所の経営を圧迫し、事業継続を諦めるところも出始めている。
利用者自身というより、家族が利用者の新型コロナへの罹患を恐れて
通所介護などの一切のサービスを中止する。
新型コロナウイルスの及ぼす影響は計り知れないほど大きい。
介護保険事業所だけでなく、規模の大小に関係なく
多くの企業が倒産や経営破綻に追い込まれている。いったんはだけた事業がつぶれてしまう。
非常に痛ましい、苦しい状況が続いているのが今である。
僕は、この未曽有の国難と言われる感染症の中で
如何に事業を継承し、ここで働くスタッフの生活を守り抜くのか?を考えている。
医療機関であっても、この新型ウイルスの集団感染が発生する恐ろしい病に対して
介護事業所は、非常に微力だ。医療行為となる検査も、治療もできない。
ただ単に防御を徹底させることしかできない。
施設で共に働くスタッフたちにも、普段以上の自己管理を求めざるを得ない。
外出や交流などのソーシャルリレーションにおいて、
かなりの制限を自分なりに実施しなければならない。
自だけは分がキャリアとなって、利用者に広めること だけは避けなければならない。
介護の業務でストレスをいっぱい受けながら、発散できる 遊びを自重しストレスでいっぱいの余裕ない日々。
こんな苦労に耐えながら、介護スタッフは頑張って働いてくれている。
医療現場で感染症ウイルスと戦っている、最前線の医療関係者同様
我々のやろうとしていることは、他の誰にも真似のできない
非常に重要かつ専門的な業務を行っている。
年齢と共に肥満が進んでいる。
現、73キロ、20歳のころの自分は53キロ。
なんと2お数キロのゲインだ!
病院を受診すると必ず言われる、「運動しなさい!」
新型コロナの影響で外出もできない、運動ができないから痩せることがない。
そうなると、やせるための手段として、食事を変える?!
僕がアメリカに暮らしていた頃、ベジタリアンが流行っていた。
動物を殺生し、その肉を食わない。動物を殺生せず、ミルクやチーズなどの乳製品は食べるベジタリアンもいる。
また、逆に乳製品さえ食べない人もいて、その様な主義の人々をヴィーガンと呼ぶ。
完全な採食主義者のことだ。
ベジタリアン文化はヒッピー文化だけではない。
日本においても古くは奈良時代頃から、大乗仏教では肉を食らうことを禁じている。
また、禅宗では、肉を一切使わない精進料理ってのがある。
美本陣はみな、古代から徹底したベジタリアンなんだ・・・
健康には良い。しかし、乳製品を食せない寂しさは計り知れない。
一日でも 食卓から乳製品をなくしてしまうと、禁断症状さえでてくる。
チーズを僕の体が欲する!
これでは,痩せるどころか、燃焼しきらない脂肪が内蔵にまとわりつく。
僕の肥満体系の一番の悪玉が、内臓脂肪である。
不規則な食事時間、偏った献立、脂質を中心にした自分の嗜好。
やはり、食事でダイエットなんて無理。
残るのは運動で消費する。それしかない・・・