今日から一か月、太陽の家を離れて知的障害者更生施設にて実習をさせていただくこととなった。施設の皆様には園長先生をはじめ、食堂の給食担当の皆様にまでお世話をおかけする日々が続きます。本当に何も分からない新参者ですので、多大なるご迷惑をおかけすることとなります。
私の実習は今日の朝8時30分より開始。朝礼にて昨晩からの入居者の様子や注意事項などの申し渡しをお聞きする。次に、指導員の先生から施設内を見学させていただき一連の生活の流れをお伺いする。私も男性と女性、合わせて8名の入居者の方々を担当させていただくこととなり、入居者の居室を訪問、自己紹介をさせていただく。まぁ、ここまでは、いくらなんぼでも私にもできます!って余裕をもって実践することができたが、ここからが問題である。
なにせ初の知的障害者。認知症高齢者には慣れてはいるものの、やはり少し勝手が違う。・・・・・・・・大きな違いは利用者のスピードである。高齢者の場合は動作も会話も緩慢(表現が悪いなぁ~・・・・おっとりしてる!の方が良いかも)そのスピードに合わせて我々、介護職員も話し言葉はスピードを落としてハッキリとお話をさせていただく。しかし、知的障害者の社会も高齢化しつつあるとは言うものの、やはり若い分だけ話す言葉も早い、行動も早い。高齢者のスピードに慣れきっている私には、ついて行くのが儘ならない状況である。それと、彼ら(彼女も含む)は、同時に多重に話しかけてくる。どちらに応えようか迷っている間に、待ちきれない相手は矢継ぎ早に質問の嵐を浴びせてくる。本当に忙しい一日を過ごした感想が正直なところである。
今日は午前と午後の二回、軽作業を行った。本当に単純な軽作業である。プラスティック製品の再生のために不純物となるシールをはがす作業である。入所者の方々は、本当にまじめである。午前に2時間、午後に2時間。わき目も振らず仕事に没頭している。本当に集中して作業を行っている。我々のような、なまじ知恵の有る者は何とか楽をして作業をこなす事を考え、無駄話をしたり、ちょこっと手を抜いたりすることを考えるが、彼らは本当に虜のように作業を進める。もちろん、愚痴も言わない、文句も言わない、馬鹿らしい・・・と言って作業を途中で放り出さない。そんな彼らの姿に感動した!
うちの周りを毎夜、毎夜、騒音撒き散らして走り回る暴走族もどきがいるが、彼らがこんな作業を任せられた場合は、どんなふうに行うのかを考えていた。もちろん、与えられた作業は、其れなりにこなすだろうが、不平不満の連続で、それほど作業は捗らないのではないだろうか?仕事の内容はともかく、仕事をする姿勢が、一般人も見習わなければいけないと感じた。
若い分、昼食の量も多い。ご飯のおかわりが出る。高齢者は食が細いので、一食150g程度のご飯でも満腹感を感じている(中には、満腹中枢が壊れている方は別として)そんな高齢者からは考えられない。そして、これは高齢者も同じで食事することが楽しいようだ!おいしそうに食べる昼食を介助しながら、人間にとっての食の重要性を感じた。
午後の作業の後は入浴の介助。僕も高齢者の入浴の介助は行ったことがある。(最近では行わないが・・・)(実習先の副園長先生に入浴介助を普段から行っているのですか?と問われ、最近はやっておりません!と答えくらいである)が、ここでも高齢者との違いがはっきりと出現した。何せ、言うことを聞いてくれない。湯船につかる前に体を洗うつもりで誘導したつもりが、そのまま掛け湯もせずにどぶ~ん! 髭剃りのシェーバーを大事そうに抱える人や、シャンプーしてる最中に話をしないように促しても話に夢中であったり・・・・本当に戦場のような様相であった。でも、事故もなく介助を終えて脱衣所へ。そこでも、利用者の着替えに手こずっている職員さんの姿が。彼らは、本当に自由人です。青空に浮かぶ一片の雲のように、自由に気ままに自分の道を進んでいきます。
朝の申し渡しの時間に園長先生が私を職員さんに紹介しがてら、慣れると可愛いですよ!と言われた。たった一日だけしか体験してないが、知的障害者の人たちは、お風呂に入る姿や仕事をする姿勢を見てると、本当に愛らしく、かわいらしい存在であることが良く理解できた。明日は二日目。一応、明日の課題作成と今日のレポートも書き終えた。1か月は長いが、途中で投げ出さないよう、しっかりと勉強しながら見聞を広めたいと思っている。
今日のお天気は朝から曇り空。厚い雲が空全面を覆い隠し、日の光も見えないような暗い一日のスタートである。そろそろ外の気温も肌寒さを感じる程となってきました。お散歩も上着を着ないと寒すぎる季節になってきましたのでしょう。
雨が降り出す前にお散歩に出なきゃ!とばかりに、今日の丸子さん達は朝早くからお散歩支度。例のごとくパジャマの上に普段着を重ね着。本人もズボンの裾から見え隠れするパジャマが気になるようで、時々、ズボンの中に手を入れて、中にはくパジャマをたくし上げている。ご家族には申し訳ないが、僕は丸子さんの重ね着に対して改善する必要性を重要視していない。その理由に彼女なりにパジャマがパンツの裾から見え隠れする事に一種の恥ずかしさを持っているからである。パジャマがみえようが見えよまいが関係無くなった時には、それなりの世話を焼こうかと考えている。それでは遅すぎるのでは?という考え方の方も多いとは思うが、僕は利用者の自立した意思を尊重する方を選んだ。何かの原因が潜み、パジャマを重ね着することに何かの意味を持って行っているのではないかと思うからなんです。もちろん、機会があれば彼女にその理由を聞こうと思っている。寒いからという理由であればズボン下をはくとか・・・他の対処方法を考えてみたいとは思うが、それでも、彼女の気に入る方法で様子を見る事の方が重要な気がする。
さて、今日の丸子さんのパジャマの話よりも書きたい内容があったのだ!。それは、お散歩終わりにいつものようにデイルームでお昼までの時間を過ごされた。お友達の三子さんとも意気投合し、二人で席を同じくして何やら話をしている。
二人の様子を覗いに同席させてもらった。
その会話の内容はお二人のご主人の話である。お二人ともご主人を先に無くされている経験者で、境遇的にも良く似ているお二人の会話は、一生を振り返って自分の人生をお話しされるのだが、その話の中心には必ずご主人が絡んでくる。世間話をしているように聞こえるが、実は亡くなったご主人がどういう人であって、どのような人生を歩んできたのか・・・という事を話し合っている。夫婦とは他人同士が結婚という儀式を通り抜けてひとつ屋根の下で暮らし始める事から始まる。結婚の方法は皆それぞれ違ってお見合い結婚、恋愛結婚、強奪婚(そんなのがあるのか・・・?笑)等など。どのような切っ掛けで結婚したかの問題でなく、どのような人生を共に歩いたかが重要なようである。うちの丸子さんも三子さんも共に、もう一度、若いころのご主人に再会したら、もう一度結婚しますか?という私の問いかけに、二人して「うん!」とうなずいた。
そして、その後も二人して、繰り返し、繰り返し、同じ話を続けていました。
私がブログを書き始めたのは、日本福祉大学の中でブログを書き始めた数年前から習慣的に書けるようになったことが切っ掛けで、このホームページにも「施設長の部屋」と題したブログページを開設した。習慣的にとは書いたものの、今はブログを書いている状況ではないと言う時もある。そんな時は更新ができないでいるが、私の問題は更新の時期でではなくブログの文章である。
普通、手紙やレポートなどを書くときには下書き、読み直しなどを繰り返し、ミスの内容に文章の構成まで考えて丁寧に書く。しかし、ブログと言う奴は自分がその時に思ったことを滝のように打ち込んで完成させることが多い。よって、文章中に変換ミス、誤字、脱字や文脈のおかしなところも多い。先日、私の東京に住む大学の友人からも指摘を受けたのが誤字、脱字である。その友人は、誤字脱字が僕の書き方だから良いんではないの!とは言ってくれたが、やはりそろそろ、書いた文章を読みなおすようにしなければいけないと思い始めた。
だって、自分の書いた文章が世間一般に流れ出ているわけで、不特定多数の方の眼に触れるわけだから、それなりに責任をもって書く必要性を感じたからです。まぁ、それでも、考えて考えて書く文章は、嫌いなんです。あくまで不特定多数の未知の人々に向かって話しかけるように、キーボードを連打するのでしょうね・・・!
丸子さんシリーズも25話となった。100話まで継続できたら記念にパーティーでもすっか・・・?と一人ほくそ笑む!
さて、今日の丸子さん、相変わらず夕方近くになると気分不安定となる。いつもの体調不良の訴えと共に薬局まで薬を買いに行きたい病が出没するのです。今日はちょうどデイサービス利用者の軍団が大挙して送迎バスに乗り込む途中に外に出ようとする丸子さん。デイ利用者の元気組に大声で諭されて少しだけ機を逃したようである。施設の玄関前で出かける気持にもなれないようで看護師に促されて帰ってきてしまった。
デイルームの一階で看護師が一生懸命に話しかけている。別にそれほど気分不安定でもなさそうに看護師との会話を続けながらも、いろいろと不調を訴えている。その内にグループホームの担当者がやってきて丸子さんの要望を聞き始めた。
やはり丸子さんの決心は固いようである。がんとして外出は取りやめにはならない。職員が同行して前にスーパーへお買い物に出かけることとなった。ちょうど、僕も柿が食べたかったので1000円を財布から出して少し硬い目の柿を買ってきてくれるように頼む。僕の個人の財布から出しているお金だから丸子さんにも分かるように、僕自身の財布を見せて、そこから1000円札をだして渡す。ここのところをいい加減に行うと、ゆくゆくにとんでもないトラブルに巡り合わせることとなる。つまり、お金の出何処が丸子さんのなかでごちゃ混ぜのアイスクリームとなってしまうのである。僕のお金が最終的には丸子さんの財布から出して勝手に使われたと言われるのだ。まぁ、そんなことは丸子さんだからではなく、認知症の人の大半が持ち合わせている特技みたいなもんで、介護する中で金銭トラブルは絶えない。
さて、無事、注文の品は届き、おつりも領収書も一緒に届いた。自分が事務所で食べる分2個以外の残りは職員で食べるように、丸子さんに同行した職員に渡す。
まあ、こんな一日の締めくくりは平和な一日である証拠みたいなもの。職員さんだって対応の仕方を心得たもので、上手く丸子さんを納得させ、夕食へつなげてくれた。こうやって考えてみると、丸子さん達はある意味幸せなものだ。何だかんだ言っても職員は訴えを聞いてくれ、なんとか要望をかなえてくれようとする。愚痴だって一生懸命聞いてくれる。食事もまあまあ美味しいし、部屋は暖かで心地よい。大嫌いな入浴さえなければ最高のユートピアなんだと思う。今日なんて、午後一番で海へドライブ。ちょっと風は冷たかったけど十分に外の風を感じて、青い海と空を眺めてきた。少しだけ一緒に暮らす人ともめることはある。まァ、共同生活介護だから・・・仕方ないし!それに、そんな事は一晩寝れば忘れてしまう。認知症って、世間一般では怖い病気と言う認識が強くなってきてるが、意外とこの世知辛い世の中で生きていくには楽な余生の過ごし方かもしれない。(認知症高齢者を抱えるご家族には不謹慎な言葉かもしれないが)。
うちの職員さんの一人が、認知症の方々への話しかけの仕方について課題提起をしている子がいた。彼女は何が正しいのかはかり知れず、常に悩みながら毎日、認知症の利用者へ話しかけ続けているそうだ。彼女の言う話しかけの方法とは、単に一般常識としての会話の持ち方ではなく、言葉を理解できなくなった認知症高齢者との接遇の仕方に迷いが生じているのである。距離の取り方、傾聴の深さ、依存と自立の境界線等が自分の中で確立されていない不安感のようなものである。僕は、彼女には今のままでいいのよ!と言ってあげたいと思っている。今のままの環境を壊さないように接することが一番幸せなことなのではないかと思う。もちろん、介護スキルを向上させるためには現状維持よりは改善を目指す必要はあるのですが、僕はスキル向上に際して、職員さんの「自己覚知」を同時に求めてゆきたい。援助する側が自分自身をよく理解し、自分の弱点も合わせて受け入れる。己を知って、相手に対して自分がしてあげること、して上げられない事を正直に表現できる姿。そして、裸で高齢者の中に飛び込んで行く。認知症高齢者との接し方は援助側が素直な自分で接することが基本だと思う。私たちの発する言葉に含みがあってはいけない、何もかも包み隠さず素直な表現で接する今の姿勢こそ一番貴重なのではないでしょうか!
夕食後に眺めていたテレビ番組で、富山県だったと思うが、逆転の発想という中から誕生した奇抜で斬新な発想のデイサービスセンターが紹介されていた。普段からテレビと言うものは観る習慣がなく、真剣に見入るのはニュースくらいのもので特に最近の民放の番組は、ほとんどと言っていいほど観ない。(見ないと言うより、見ても番組の内容に笑えない、ついていけない!のが現実ですが)
まぁ、そんなことはどうでもいいのですが、このデイサービスセンターの目を引いた点が、デイルームの中にやたらとタンスや収納引出やらが広いホールのいたるところに置かれていたのである。職員さんも「バリアフリー ではなく バリアアリーですね!」と笑いながら言うように、一瞬その映像を見て家具屋さんがデイサービスセンターを開設したのか?と思える様相であった。デイの利用者は、散乱する家具につかまったり、家具に手を添えて歩いている。私たちの施設では、家具が歩行の障害になるからと言う理由で、極力余分な出っ張りを作らないように配慮しているつもりであった。しかし、逆に壁際には手すりを張り巡らせてはいるものの、それ以外では何も無い空間がある。歩行器や杖に頼らないと捕まるものが何もない状況なのである。
次に利用者が一日のスケジュールを気の合った者同士で決めている。それは入浴時間であったり、昼寝の時間であったり、娯楽時間であったり。多義にわたる。私たち太陽の家では、一日のスケジュールは職員が決めている。入浴の順番まで。また昼食後には全員そろって昼寝。すべてが統制され管理されている。もしも、デイに通う人が自分のその時の気分で、一日のやることを計画して、そのように実行できれば楽しいだろう。
そしてユニークなのが、その施設独自の貨幣を発行して、それでコーヒーを飲んだりギャンブルをしたりしている。また、同時に施設利用中に軽微な作業を行ってお金を稼いでいる。ユーロではなくユーメ(夢?)という貨幣単位も面白い。
また、筋力トレーニングを活用し、利用できるものは何でも利用しながらリハビリテーションに精力的な活動も行っている。その結果、脳梗塞による片麻痺も改善された症例もあるほど、リハビリテーション効果が大きく出ているようである。実際に一人の男性の方は片麻痺が上下肢の両方でなくなり、構音障害こそ少し残る程度まで回復した高齢者の紹介もされていた。もしもそれが事実であるなら、私たちの考える通所介護事業所からは一歩も二歩もリードしていると感じられた。
私たちが毎日行っていることは正しいのか?と考えてしまうほど、この施設の利用者の顔が違った。笑顔も多い、活動的である。何よりも自分の人生に張りを持っている、希望をもっている。片麻痺ですら諦めずに努力して回復させようと言う意欲が感じられた。とにかく、この施設の利用者(ここでは利用者とは呼んでいなかった。お客様と呼んでいたのも面白い)、一日を施設に来て過ごす事に喜びと夢を持っているのがテレビの画面からでもとても力強く伝わってきたのである。どこやらの施設利用者のように「毎日、迎えが来ることを待っている!」と言う年寄りは居ない。もう一度、家族で旅行に行きたい!とか、やりたいことがあるからリハビリする!という人ばかりなんである。
施設の構造からも、即真似することはできないが、支援の仕方をもう一度考えることは可能である。私たちが毎日実践しているケアは本当に高齢者の為になっているのか?個別機能訓練は役に立っているのか?服薬管理はその人のために役立っているのか?入浴介助やトイレ介助は利用者のADL改善に役立っているのか?今回の紹介された施設に比較してみると、服薬管理や統制された機能訓練や至れり尽くせりの入浴介助は高齢者を甘やかすばかりで残存機能までも蝕んでいないのか?太陽の家デイサービスセンターのすべての利用者が今日の番組で紹介された施設のお客様のように輝く目で自分自身の再起に向けて希望をもって臨む日々を持てるようにしてあげたい。苦しくても必ず報いられる将来があるんだ!という気持ちになれるような施設にしなければいけないよね!