今日も一日、非常に暑い日でした。日中の最高気温は、私が今日仕事してた鈴鹿サーキットで39.2度と言われていました。昨日、今日と鈴鹿の夏の祭典「8時間耐久ロードレース」が鈴鹿サーキットにて行われていました。あまり、バイクや車のレースを好む人は多くない時代ですが、私は今の仕事を94年から続けており、大きな世界選手権などのお手伝いをしています。今日、写真の人に再会しました。30年ぶり・・・??という位昔の知り合いです。彼の名前はグレイン・クロスビーと言って、オーストラリア人です。1980年代の鈴鹿サーキットの8耐に幾度か参戦し、一度は三位、もう一回はポールポジションからゴールまで一貫して一位を守り優勝したことのある偉大なライダーです。
私は、地元のレーシングチームのお手伝いで、通訳として8耐を体験しています。其の時にお世話したのが、このクロスビーさんです。今日、久しぶりにお会いして、其の瞬間に私のことを覚えていてくれて、昔話に花が咲きました。彼は、僕より1歳若く、同じような年代の頃、目的を同じくして共に鈴鹿の暑い8時間耐久を戦ったのです。
旧知の友ではありますが、ただ単に8耐ウイークの間だけと言う限定された時間の中だけのお付き合いですが、今も忘れずに記憶の底に残っていたと言うのは驚きです。そして、彼との再会を非常に懐かしく、またうれしく思いました。鈴鹿サーキットのお仕事では、色々な有名な外国人ライダーやドライバーと一緒にお仕事することが多いのですが、今回のクロスビーさんの場合は、若い頃の記憶がフェーイドアウトせずに残るということを実証していました。
うれしい一日でした。
今日も一日、暑い日でした。昨夜もそうですが、冷房無しで夜を過ごすことが考えられないのですが。これは、現代の物質文明に慣れきった者の言葉でしょうか?今や、風鈴や蚊帳なんて見ることのない過去の遺物となりつつ、その代わりにエアコンや超気密性に優れた住宅が主流となって、冷機を逃がさない、または熱気を中に入れない優れものが高温多湿な日本社会の現代の風物詩となりつつあります。昔を懐かしむつもりはありませんが、寝室に蚊帳をつって、家の開き戸は全て網戸にして寝てた時代は、今では考えられないほど平安な時代だったのでしょう。今、そのような開けっ放しの生活をしようものなら、強盗、押し込み等の恐ろしい危険が伴い、蚊帳だけの無防備な生活なんて考えられない時代です。
風鈴にしても、冷を誘う音の演出として風鈴はどこの家庭にも一戸はぶら下がっていた物のひとつでした。家の周りの路地を歩いていると、ここの家庭から音色の違った風鈴の音がそこかしこから聞こえてきていました。しかし、今では風鈴の音がうるさい!と苦情のお叱りを受けるような時代です。下手をすれば、風鈴の音が原因で殺人事件へと発展しかねない現代。風鈴をつけることができる家庭とは、逆に言えば人里はなれた場所に位置する住宅か、または豪邸で隣近所が近くにないようなお金持ちしか味わうことのできない風流となりつつあるのかもしれませんね。
文明社会となり社会が複雑になるにつれ、規制や制限などのルールが増やされ、それなりに生活は安泰になったのか?と言うと、そうでもない。尚のこと、ルールを無視する輩が現れて、さらに世の中は複雑で住み難くなってきてるようです。
今日はまだまだ元気だ!ブログの4本目を書きはじめた。今月のブログの総数も過去最高、一日のブログ本数も最高、アクセス数も毎月増加中!と、私自身のやる気(書く気)を自然とくすぐる好材料ばかりではないですか??!! 明日の土曜日は8時間耐久ロードレースの仕事が入っている。そろそろ寝ないと・・・と思いながらも、どうしてもこのネタでブログが書きたい。と思って止まない気持ちでいっぱいだ。このネタとは、音楽である。私がクラシック音楽が好きで!と言う話は以前から何度もお話している。もちろん、ジャズも好きだ。好きは好きだが、同じクラシックにしろ、ジャズにしろ、聴くものと聴かないものが歴然と存在する。まず、クラシックでは交響曲は得意ではない。室内楽が好きである。ジャズでは、4ビートと呼ばれるジャズは得意ではない。どちらかと言えばイージーリスニング的な音楽というか、聴いていて心地よくなる。(本当はくら~くなる音楽が好きなんだ!) まア、この説明も以前、このブログの中で紹介した。
さて、本題に戻ろう。私が好きな音楽を聴く姿勢は、椅子に座って(当たり前か・・・・?)イヤホンを耳に、静かに音楽を聴いていることが多い。もちろん、仕事をしながらBGMとして音楽を流すこともある。しかし、大半は、椅子に座って(または、ベッドで横になりながら・・・・)ヘッドホンをつけて楽しんでいる。クラシックを聴きながら、何か風景や情景を思い描いて聴いているかと言うと、そうでもない。ただ、其のとき、其のときの自分の気分によって聴く音楽は違うし、クラシックにしても年々、好みの作曲家が変わっていく。 そういうわけで、これから先に、自分の其の時の体験や状況を、特定のクラシック音楽を聴くときに思い出すのだろう。
音楽は時とともに、その人の人生とともに・・・という文句がある。私にとっての音楽も、時代時代によって思い出がぎっしりとつまり、それらの音楽を聴く時に、其の曲を聴いていた時代を思い出す。それも、鮮明に。楽しいときも悲しいときも、其の時の感情までリアルに再現されるほど音楽にまつわる自分の体験は深く心に刻まれるようである。
私が1970年代初頭にアメリカに単身渡ったときの思い出の曲は「ロバータ・フラック」の”Killing me softely”である。あの当時のロバータ・フラックと言えば、リリースする曲のすべてがヒットチャート入りするほどの人気の黒人歌手である。ラジオからは毎日毎日、彼女の曲が流れ、今、この曲を聴くとアメリカにいた頃を思い出す。また、G線上のアリアを聴く時、思い出されるのは四駆に乗って山にキャンプしていた頃を思い出す。四駆ブームのときにご他聞にもれず私もジープやらランドクルーザーに乗っていた。そして、かなり頻繁に山へキャンプしに行っていた。其の当時に聞いていたのが、オーボエ奏者の宮本 文昭の曲である。
最近、太陽の家のデイサービスでは、昭和の歌、特に戦後の復興の中で流行した曲を中心に流すことがある。通常のレクリエーションとしての歌とは違って、伴奏も歌詞も入るとデイルームの雰囲気は違ってくる。それまで無関心のように見える利用者も、手拍子し、歌詞を口ずさむのである。それも曲のテンポにあわせて、リズム良く。おまけに歌詞カードもなくても口ずさむことができるのである。通常のレクのときは、歌詞を模造紙に大書きしたものを見ながら、職員のリードを受けて歌っている。この時の歌は、お世辞にも上手とはいえない音程は外れている、テンポもバラバラと、まとまりがない。しかし、本物の曲を流すと、其の曲に応じて歌うことができるということに驚かされる。音楽療法という技法を使って、認知症高齢者を活性化させる方法があるが、まさしくこれが音楽療法であると言える。
まあ、長くなったが、音楽の人に与える影響は目には見えないものの、確実に何かしらの影響を与えているようである。
自己覚知と自律について語ったとこだが、自己覚知には己を知り、自分の出来ない事を他者に依頼し、逆に他者の求めに真摯に耳をかすことが必要で、そう言う訳ではないが、今日の午後、この施設長の部屋のブログネタについて話を聞いてもらった。職員さんは、ブログの読者であると同時に批評家でもある。面白いブログが欠けた後には、必ずなにがしかの感想を聴かせてもらえる。しかし、面白くないと、何も言ってくれない。言うなれば、非常に現実的であり本質に正直である。
そんな職員さんと、このブログについて話をしててアイデアをくれた。一つは真面目な連続性のあるテーマに沿った話題。もう一つは何の脈絡も無い、その日の出来事を書けばいいじゃあないですか!と。確かにそうだ。最近のブログは本数ばかりに神経がいっており、その中身については特に注目すべき点は見当たらない。ブログは一日二本と決まっているわけではない。逆に毎日書く必要も無い。まア、言ってみれば、誰が期待し,楽しみにしているわけでもない。そんなに、焦ってブログの更新をする必要も無いわけである。
しかし、ここで困った問題が生じてきた。少しブログのネタ切れ状態が近くなってきた。その事が、片方で書かなければいけない使命感に惑わされ、もう片方で書けばいい!的な投げやりムードたっぷりの毎日に、書いている自分自身が飽きてきた。そこで、職員さんの登場です。「悩んでいる事があるなら話してください!私は聞き上手ですよ~!」ときた。そして、挙句の果てに一本は真面目口調、二本目はふまじめでどうでもいい話。と分けて書けばいいのですよ!と。
そうかい!そうかい!一本は真面目に、もう一本はグウタラに!・・・・・そう簡単には進まないから悩んでいるのでしょう!文章にするには、それなりに気を使う。個人情報、守秘義務、人間関係の強弱など、考え上げればきりがない程の懸案事項をクリアーにして(少なくとも、文章の影響力の最小の内容)を目指して書かなければいけない。神経は使うは、恥もかくは!本当に気を使う作業なのです。そう簡単に、文章がすすむ場面ばかりではないのが現実です。
でも、彼女の言うように、適当にその時の会話を文章化するだけでブログが完成した。もちろん、この文章が社会に及ぼすマイナス影響は少ない。まさしく不特定多数を対象にしたブログの完成。 まア、彼女の言う事もまんざらでもなさそうだ!
デイルームの室内で、少しだけ元気がないなア~と思って、この暑いさなかに外に出してあげた気持ちが仇となり、大事なアンスリュームは日焼けしてしまった。花はもちろん、葉っぱまで日焼けで台無し。窓際の日当たりのよい場所にいて都合よく生活していたのに・・・・何と言う事でしょう・・・・・
自分自身の無知に腹が立ちます。