毎年、10月の第二週目の終末に開催されていたF-1日本GPが
新型コロナの影響で中止となった。
サーズや新型インフルが蔓延した時よりも、このコロナウイルスは巨大な影響を及ぼしている。
今なお、特効薬も見つからず、新規の感染者が出続けている。
日本では、幸か不幸か、新規感染者数は比較的少ないものの
それでも根深く根絶できる様子は見られない。
このような状況の中で、F-1GPと言えば、鈴鹿サーキットのレースエリアは
普段の鈴鹿とは全く違った、日本に居ながら、海外のレース場にいるような
ほとんどが海外からの関係者で埋め尽くされ、逆に日本人のスタッフの数が小数と言うような
まさしく別世界の雰囲気を醸し出している。
僕もF-1GPの仕事に関わる様になって20数年、毎年、この頃には一週間をべたで出勤している。
僕にとってのF-1は仕事以上に、自分のライフワークともいえるかもしれない。
遣り甲斐、生きがい、達成感の全てが、このF-1ウイークに結集されている。
海外の仲間も一年に一回、この場で再開し、会話し、時には食事を共にする仲間たち。
そんな連中とも、一年間のご無沙汰、SNSやメールだけの会話で今年は終わってしまう。
ここ数年、そろそろ引退を呟きながらも、実際にF-1から遠ざかるのも
心情的に非常につらい部分がある。
先にも書いたように、僕のライフワークがなくなることは、
認知症予防の中でいわれる「空の巣症候群」のような・・・
廃人になってしまいそうで恐ろしい・・・
グループホームの玉ちゃんと裏口で鉢合わせた。
タバコ吸おうよ!と声を掛けたら
もう、ずいぶん前に辞めました!と言う。
喫煙者がどんどん減っていく。
今では、うちの事業所で喫煙習慣のある者の数の方が小数となってきた。
ただでさえマイノリティ的であり、非国民扱いを受ける喫煙者。
いよいよ僕も辞めなきゃならないの・・・?!と
でも、今日、新たにタバコ1カートン、買ってきたばかり。
Smoking Habit(スモーキング ハビット;喫煙習慣)は、次第に追いやられる運命か??!!
久しぶりとなる外出を実施した。
昼ごはんを食べるだけだけど、志摩賢島まで遠出したのだが
今回のコロナ禍によって、外出を控えて、数か月ぶりに市外に出た。
もう十数年前から馴染みのお店に行ってみたが
その割烹料理屋さんも、コロナに関連し営業再開をつい最近行ったとのこと。
久しぶりに新鮮な魚介類を食べたいと思い
高速をぶっ飛ばして賢島まで。おおよそ一時間半の道のり。
お昼時前に到着し、魚の塩焼きやら、刺身の盛り合わせなどを注文して食べてみた。
今の旬が何かわからず、ただ単に出される料理を食べるだけ。
マア、和食に関しては、とんとわからない自分である。
カマスの子供みたいな魚。としか理解できていない。しかし、味は分かるんだよね(笑)
この度のお昼ご飯を食べて思ったことに
賢島駅近辺のお店は、どこもが閑古鳥が鳴いている。
寂しい限りで、賢島までの特別列車が近鉄から出ている割に観光客が少ない。
遊覧船乗り場にも客はいない。ましてや、遊覧船自体、開店休業状態。
よくよく考えてみれば、賢島駅の周辺って、ビュースポットってのがない。
要するに景色の良いところは、有名ホテルや旅館が占有していて
小さなお店には、それらのメリットが生かされない。
そして、次に、料理がつまらん!(失礼ながら・・・)
純和風にこだわるのもいいが、もう少し、いろいろなテイストが選択肢の中にあることも大切と思う。
たとえば、スペイン風の魚介料理、イタリア風等、和風だけにこだわらず、
その日の雰囲気でチョイスが広がればありがたい。
先日、菰野のアルケッチアーノの奥田シェフが
東京虎の門にある新たなレストランで提供している
寿司屋さんの紹介がされていた。
日本の握り寿司を塩とオリーブオイルで食すレストランを造ったそうだ。
生魚を塩とオリーブオイルで食すのは、イタリア人がカルパッチョと称して
結構好んで食べるスタイルである。
それを考えれば、すしをオリーブオイルで食べることって、決して邪道ではないと思う。
逆に、味が想像できる。
イタリアンの調味料を使った、和風の食べ物。
食べる者にとって、新たな興味を持って、味の広がりが期待できそうだ。
ぼくは、この開拓心というか,創造ってのが田舎のむうどしょくには不足しているような気がする。
古臭い文化は、それなりに大切ではあるが、そんな文化に工夫と変化を加えることで
新しい食文化が作られるこれこそが。イノベーションではないだろうか・・・?!
こんな長い表題の通知文が厚生労働省から、随時発信されるのですが
今回の件は、通所介護費の請求単位を2区分上の報酬区分で算定できる制度の案内。
つまり、コロナ対策で費用が掛かっている通所介護、通所リハ、ショートステイの事業所は
通常の提供時間の2区分上の請求ができるよ!と言った制度のことであり
言ってみれば、通常のサービス提供を水増し請求できる。
これについては、単なる水増しできるには、それなりの条件が満たされなければならないのだが
僕は、この制度は、事業者にとっては嬉しいが、実際に悪い頭をフル回転させて考えてみると
どうも割に合わない制度のような気がしてならない。
事業者は2区分上げて請求できるということは、一回の利用に対し200~300点増額できる。
一日30名の利用者に対して考えれば、60,000円~90,000円(単純な計算式で正確な数値ではない)
事業収益が上がる。付きに4回だけ活用できるという条件から、ざっと見積も手も20~30万円のうわのせとなる。
しかし、この制度を活用するということは、今現在、重度の要介護状態の利用者が介護保険の限度枠いっぱいの
サービスを利用している場合、自費負担が生じてくる。または、今までの通所介護利用時よりも高額な負担を強いられる。
介護報酬の単価自体も以前に比べると、かなり減額されてお値打ちになってきているから
この上昇分は当然と言えば、当然と解釈できるかもしれない。
しかし、この制度を活用するためには、担当する居宅のケアマネジャーを含め
ご家族の同意と事前の説明が必要となる。
ただでさえ煩雑すぎる制度活用が、更に煩雑となる。
家族自身も費用負担が増える。
何とも言い難い、悪しき制度のような気がして仕方がない。
僕自身に欲がないわけではないが、この目先の利益を求めるより
もっとやるべき事はあるような・・・
どうもスッキリとしない制度である。
ちなみに太陽の家では、この加算設定は取り入れない!今までのままでいきます!!
今日、地域包括支援センターに出かけた帰り道、
幹線道路の交差点を伝送車いすに乗った障碍者に会った。
片側二車線の鈴鹿の中ではメインに相当する大きな通りを横切ろうとしていた。
電動車いすは、あまり一般の人にはなじみ無いと思うが
要するに車いすが、搭載した大型バッテリーを使ってモーター駆動するもので
四肢麻痺の障害を持つ人には、とても便利な移動ツールである。
ただ、電動車いすの弱点として、前輪の径が小さいことである。
以前から僕は、鈴鹿市だけでなく、日本の道路整備の不備を感じている一人であり
歩道と車道のつなぎ目が粗すぎると思うのである。
一般的に歩道は、車道より10㎝~15㎝ほど盛り上がっている。
尚のこと、つなぎ目にはコンクリートブロックの塊が埋め込まれている。
歩道事態も平たんではなく、水はけをもくろんだ傾斜が車道方向についている。
極端に古い施工の道路では、歩道上に歩道橋の階段が設置され、歩道の3/4を占有しているところもある。
歩道を歩く人すべてが健常者だけを想定しているとしか思えない。
そんな道路整備の現状が日本の交通インフラの改善すべき点であると思うほどである。
障害があろうが無かろうが、屋外を自由に自分の思うまま
外出できることは、その人の日々の生活の質に大きく影響する。
自由に安全に外を移動することが出来る地域。
鈴鹿市もそのような自由な街になるといいと思った。