昨年末から、急激な感染拡大が続いている新型コロナ感染症。
最近では変異種のニュースまで流れ、いよいよ市中、どこにいても感染してしまいそうな勢い。
一部の値域では緊急事態宣言が発出され、それでも人の出は以前程減少したとはいいにくい現状
三重県においても、今までにない数の新規感染者が報道され
今、自分が感染していないことの方が不自然と思ってしまう状況である。
先般、鈴鹿の総合病院を受診した折に、主治医の先生にコロナの恐怖を語ったところ
そう易々と感染はしない!と一喝されたものの、今の状況を考えると、それほど悠長な事も言っていられないのかもしれない。
仕事で、プライベートで、確実に自分をロックダウンすることは難しい。
どうしても外出してしまう。県外の遊興施設に行くことはないが
市内のスーパーで買い物に行くことはあり得る。
また、近所のコンビニで肉まんを買って、そのまま手で触らないように注意しながら頬張ることはある。
この手を洗わないまま買い食いする行為が危険極まりないのではないか・・・
タバコ吸うにも、汚れた手でボックスから口に振れるフィルター部分に触れながら一本の煙草を取り出す。
その手の触れたフィルターを加えて火をつけるわけだから、此れもまた危険極まりない。
もっとも、新型コロナは呼吸器系の疾患だから、喫煙習慣自体が危険極まりない。
何から何まで、この地球上で生きていく上において、私たちの身は危険なウイルスに曝され
いつ何時、ウイルスに感染するやもしれない状況にいる。
油断は大敵、神経質になりがちだが、自分の身を守ることは、この施設を利用する
高齢者を守ることとなる。精出して神経質になろうではないか・・・!
本当に久しぶりに自転車に乗りました。それも早朝からのモーニングランを・・・
お友達の神経内科の先生のモーニングランに刺激を受けて,一度、早朝から自転車に乗ってみようと思い、
ようやく実現させることができました。
どちらにせよ朝早くから目覚める毎日、ただやみくもにテレビを見てダラダラ過ごすのを辞めて
自転車こいでみようと思い立ったのです。
暗がりの中スタートし、陽が昇り、あたりが明るくなるころに自宅到着。
風呂に入り、朝食を食べる。
なんて健康的なんだろう・・・と自画自賛しながら
この挑戦をいつまでも続けたいと願いました。
コロナ禍による社会全体が、人が集まることを避けるようになっている。
昨年末、までは、月に一回は、三重県総合文化センターの研修室を借りて色々なセミナーに参加し、
運営してきたが、今年に入って全ての研修がキャンセルとなった。
しかし、ここ数か月、ZOOMを使った研修を行い始めた。
今週の木曜日には、地元の認知症専門医の真鈴川先生に講師をお願いし
認知症のセミナーを開催する予定です。
二時間の予定の研修中には、講義を二部制にし、その講義を挟んでグループワークをやろうという計画である。
ぼくも、ZOOMを使い始めて、まだ数回程度の経験者だから
そんな思うようなシステムを使いこなして運営することも難しい。
そんなわけで、ZOOMに成れている鈴鹿市の医師会のスタッフに協力いただいて
初めてのグループワークをやってみようとしている。
さて、どうなるのか?
明後日の昼間に医師会のスタッフの協力で、日中に一度、ZOOMの勉強会を実施してもらう。
さて、どうなることだろう・・・
最近、デイサービスのスタッフから腰痛を訴える声がよく聞こえてくる。
若いスタッフが腰を痛めていいる。
この問題に介護ロボットの導入を検討しては見たものの
色々と調べているうちに、なかなかうちの事業所には使い勝手が悪いような課題が出てきた。
その一つが、特養などの重度要介護者ばかりではないのがデイサービスであり
ロボットに頼りたいときってのは、短時間、単発の移乗動作の時に必要である。
つまり、ロボットスーツを着て、脱いで、また付けて・・・という少し面倒な準備時間が必要となる。
いつ必要なの・・・? 今でしょう!!
手袋をはめてパワーが出るシステムならよいが、結構時間かけて準備しなければならない。
非常に使い勝手が悪い。
しかし、今日、グループホームのスタッフの玉ちゃんが帰るとき
貼り薬を使っていることを知った。
皆、愚痴をこぼさないから、声に出さないと僕にはわからへん。
僕に「腰が負いたい!」といっても、完治しないと思って言わないのか?
確かに、僕は理学療法士でもないから、何とも救うことはできないが
スタッフの感じている苦痛は知っておきたい。
そして、何とか、介護による肉体的負荷を軽減できるように考えたい。
今なお、福祉従事者に対する偏見を持つ人が一部に存在する。
介護従事者やケアマネジャーを卑しい職業又は下等な業務を行う者と言った偏見である。
私は、これらの偏見に対して、断固反対する。また、そのような認識を持つ人を徹底的に糾弾する。
自分がその職業についているからではなく、我々の職業を下にみる人は、同じように要介護者を下にみている。
何もできない、無用の人物、生産性のない人と言う認識で要介護者又は社会的弱者を見ている。
社会福祉を切り捨てる事は、そのまま元気で健康でないものは切り捨てられ廃棄処分の対象となる。
そんな社会に生きていて、将来の夢に向かって努力する意欲はわかない。
必然的に将来を卑下して、若者はこの国を離れ、別天地を求めて脱出する。
社会保障とは、そういったものだ。働けるものは働き、働けなくなった時に備える。
それを国を挙げて支援する。それが整っているから、不安なく毎日を暮らせる。
こんな理屈も分からない者は、日曜日や夜間に時間外でも緊急支援にはいる介護者、ケアマネジャーに対し
その汚い口でもって余計なことを発言することを控えなさい!