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ブログ-施設長の部屋

2011/11/1
バルーンが飛んでいました。

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先週末の土曜日、この鈴鹿は風も無く穏やかな朝を迎えていた。早朝の景色を眺めながら心地よい朝の空気を体中で味わっていた。何処からともなく聴いたような音が聞こえてくる。

 熱気球のバーナーの燃える音。

 ふと上空を見上げると西の空に三機の熱気球が飛んでいる。いつぞやのブログにも書いたように、風任せの熱気球の遊泳は、本当に気持ちよさそうである。地上から眺めていても、心地よさが伝わってくる。もちろん、気球を操縦する側にとっては、命がけのフライトであって、一瞬たりとて気の抜けない操縦だとは思うが、そんな緊張の瞬間は地上の私には伝わってこない。それよりも、フワフワと浮かんでは、風の流れに身をゆだねている姿が気持ちよさそう。そして恰好イイ! 僕はそれ程の高所恐怖症ではないが、高い所にあがって下を見ると、何処やら体の一部がすくんでしまうような、妙な感覚に襲われて気持ち悪い。気球にのって、優雅な時間を過ごすことは不可能だと想像するが、それでも、地上から眺めている分には、とてもう優雅で楽しげである。今日一日、楽しくなりそうな・・・そんな晴れ晴れとした気持ちにさせてくれた。

 写真の掲載順が違っているので申し訳ないが、上から順に地上に降りた気球を関係者が片づけようとしている写真、地上に降り立った瞬間の写真、空を悠々と浮かんでいる写真である。恐らく鈴鹿在住のバルーン・チームだろうが、こんな優雅なフライト。また、見せてくれると嬉しい!

2011/11/1
観察眼

面白い話を仕入れた。

うちのケアマネが、職員の肌の調子を見て、体調や環境の変化を読み取ると豪語していた。僕は、話途中で会話を聞いたので、詳しくは分からないが、彼女いわく、観察眼の訓練になるから、相手をよく見て普段と違う個所を探してみるとよい!と言う。

なるほど・・・確かに一理ある。相手を観察することは高齢者介護には必要であり、その人の体調の変化を鋭く見抜く力は必要であるかもしれないね。と、関心しながら話を聞いていた。

彼女は、確かに人の気分を読み取ることに長けている。時として僕の体調不良も指摘する時もある。しかし、相手の調子を読み取ることは自由にやって良いが、それを相手に伝えることには意義がある。特に自分では何ともしようのない体調不良を指摘されてしまうと、その分だけ言われた本人は悩み、動揺する場面もある。相手によりけりかもしれないが、その言える相手と言えない相手を判断することも必要である。

千里眼(観察眼)ってのは、時と場合、使いようによってはとても強烈な武器になる事も理解しなければいけない。

しかし、読売巨人軍・・・情けないね!チャンスを生かすことが出来なくて今年のゲームは昨日のヤクルト戦で終了してしまった。今年は主力選手に故障や怪我が多く、打率からみても低レベルな打撃率で打てない、守れない、最悪の年となった気がする。応援する側の熱い思いも届かずに、とうとう敗退。残念至極である。しかし、中日が勝てば、それこそバーゲンセールなどで恩恵を被る事が出来る訳で、それこそ地元球団を応援すべきかもしれない。

2011/10/25
白黒の映画もおつな物ですね。

今からさかのぼる事50年程度前の映画、当然カラー映像になる前の映画って、今のCGが溢れる映画全盛時代の今では、逆に新鮮なイメージさえ感じることがある。特にアメリカ映画の白黒時代は、今観ても感動出来る対策が多い。大半をスタジオのセットで撮影はしているものの、出来あがりはカラーCGでおまけに3D映像よりも真実味が強く表現されているように感じる。3D映像の代表作として「アバター」も面白い映画だったが、少し現実離れしすぎていて泣けない、同調できない映画だった。それに比べて「怒りの葡萄」や「アラバマ物語」などの古い映画を観賞する時、映画の主人公に同調し、同じような悲しみ、苦しみを共有できるように感じる。この当時の映画は主に人種差別や貧困層の苦悩と現実的な生活苦の描写が多い。

 この時代がハリウッドの黄金時代として反映するわけで、日本にも進出したテーマパークであるユニバーサル・スタジオの元祖であるアメリカ合衆国のロサンゼルスにあるユニバーサル・スタジオは、実際に撮影に使った広大な敷地に設置されたスタジオを使って観光客を招き入れたスタジオツアーが切っ掛けとなったテーマパークである。私自身もロスのユニバーサル・スタジオには、複数回行ったことがあるが、白黒映画発祥の地として興味深いテーマパークである。近代の映画をテーマにしたパビリオンは、それなりに最新の技術と演出や特殊効果を多用して楽しめるのだが、やはり回数訪れると多少の飽きがくるのはいがめ無い。 それと同様、1970年代の今では時代遅れを感じる映画よりは、それより20年前の白黒映画の方が新鮮さを感じるってのは何故なんだろう・・・?

 

 

2011/10/25
簡単なチキンのクリーム煮の作り方。

 さて先日は無責任な調理師何の被害を受けて、高級食材であるゴルゴンゾーラチーズとジャガイモのニョッキをゴミにさせてしまったので、今日はしっかりと要点をまとめてチキンのクリームソースで煮込を作ってみましょう。

 用意するのは鶏肉のもも肉。 皮を下にして肉の部分をまな板にのせ、包丁の角を使って肉の繊維を切る事から始めたい。次に肉の両面に白コショウ、塩をまぶし、強力粉をしっかりとつけて、余分な粉を叩き落としておく。

 フライパンに無塩バターを一つまみ、サラダオイルを少量入れ、まず皮の部分を下にしてフライパンでソテーする。フライパンに蓋をして、中火で5分程度ソテーすることで皮がパリッときつね色になる。適度に火を入れたら肉を裏返して肉の部分にじっくりと火を入れるようにします。両面にこんがりと色が入ったら一旦フライパンから取り出しておく。

 先ほどのフライパンに残った脂や汚れをペーパータオルで拭き取る(但し、決してフライパンを洗わない事に注意します。うま味成分も洗い去る事になります)

 フライパンに白ワインを50CC入れ、火を強火にしてアルコール分を飛ばします。強火でフランべする時にフライパンのワインに火が引火することがありますが、決して慌てずフライパンを火から遠ざければ火は自然に消えます。さて、アルコールを飛ばしたフライパンに牛乳を100CC加え、出来れば冷ましたブロード(ブイヨンでも良い)を50CC加えます。そこへ、先に取り出していたチキンを戻し入れ、蓋をして中火で煮込んで行きます。時々、チキンを裏返しながらソースの量を確認し、最初の量の三分の一程度まで煮立ったら、塩コショウで味を調える。とろみが足らなければ無塩バターを足してソースの乳化をすすめます。

 以上のステップをすすめ、火を止めてお皿にチキンを盛りつけたうえにソースをかけて出来あがり。細かく切ったイタリアンパセリをかけてみると一端の高級フレンチ料理。家族の方にも喜んでもらえる一品の出来上がりです。

 この料理のコツは、ソースのうま味が重要です。ブロードの味が秘訣です。ブロードが無ければチキンコンソメ、またはブイヨンを溶かしたものでも大丈夫。添えにはマッシュポテトまたはゆで上げたジャガイモが良いかも。もちろん、ソースに味がついているのでジャガイモの味付けは無くても良いはずです。また、煮込みに使う牛乳としましたが、私は生クリームを最初から使います。生クリームを使用する場合は乳化が早く進みます。つまりドロドロになり易く、その分、焦げやすくなります。こまめな確認が必要ですが、出来あがりは牛乳よりもコクのある濃厚な味になります。

写真の無いのが残念ですが。今晩のおかずに如何ですか?

2011/10/25
涙とストレスの相互作用

今朝がたのNHKのテレビ番組をみていて、音楽を聞いて涙することが抱えている心の負担を消す効果があると言う話であった。人は苦しい時、辛い時、悲しい時に涙を流すことがある。涙を流す事で多少気持ちがすっきりした経験もあり、番組を観ながら、「なるほどなァ~・・・・」と共感していた。

 以前から僕流の失恋の痛みからの脱却方法として、より悲しい音楽や映画を見る事で気持ちの整理が着きやすい。そんな感情コントロール方法が、ある意味証明と言うか、裏打ちされたと言うか・・・・まんざら素人療法として意味の無いものではなかった感が嬉しい・・・とほくそ笑んでいたのであった。

 さて、この涙であるが、実際、そのような落ち込み気分の時に悲しい音楽を聞くと、自然と自分の気持ちもより悲しく、さびしくなり自然と涙が頬を伝うのであるが、その時の自分の心は結構客観的な感情になる事が出来て、涙して感情を表に出している自分を第三者的な視点で冷静に見つめている別の自分が居るように思う。その別の自分は、結構どころか冷徹と言えるほど冷静であり、涙している自分を笑って見ているような気もする。すると、第三者的自分に笑われている自分は、何で泣いてるんだろう・・・?と自問自答しながら、別の観点として悲しくふさぎこんでいる必要ないじゃないか!と開き直りを始めるのである。

 次第しだいと開き直りがおおきくなり、次には今まで思い悩んでいた自分がばからしく思えてくるではないか。結果的に、新しい自分自身の生活に向けて、エネルギーの再構築が完了し、気持ちをリフレッシュさせて荒波の世界へ再び飛び込んで行くのである。

 以前、介護職員の背負い込むストレス対策について研修を講義したことはあるが、ストレスを受け始めた段階で、そのストレスの種を冷静に確認し、その物をじっくりと観察する。そうすることで見えない敵が見えるようになってくる。相手がみえないとさらに不安感情が増す。しかし、相手が見えはじめて尚且つ相手がとるに足りない的であることが自分で認識できれば不安感は無くなる。また、相手が見えなくとも、見えない相手を自分自らの勝手な判断で誇大化して評価しない事が、余計な不安感情の増加を抑制することが出来る。私達の社会は対人援助の最たる業種。毎日、沢山の人のお世話を行い、時には施設利用者だけに限らず、そのご家族の心的ストレスの緩和も考慮した支援を実践している。これほどシンドイ業務は無い。時にはホスピスの専門職の技術を求められる事あり、対象者の心理まで踏み込んだ支援が求められる時もある。自分自身の命はさておき、対象者の命を優先に考えなければいけないケースも存在する。つまり、先の東日本大震災の強烈な津波に遭遇した時の救助の是非である。多くの介護スタッフは、あの震災のような巨大津波を想定して一番不安に思っている点が施設利用者の救助と同時に介護する側である自分自身の命のどちらを優先するのかと言うジレンマである。このブログでは涙とストレスについて僕なりの考えを書いている点から、このジレンマに対する僕なりの回答は記述しないが、我々の感情や思いは、例題に記述したことからも理解できると思うが、それほど簡単に割り切れるものではないと言うことが問題なのである。この優柔困難な課題に常に触れている生活。そして、そのプレッシャーに対応出来る精神をどのように形成するのか・・・・これは、前述の悲しい音楽を聞く程度では納得させる事が出来にくい重大な問題なのである。

 まあ、後半に書いてきたストレスというより、介護職員の背負う負荷については後日、別のブログで書いてみたいと考えている。


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