2011年の12月1日。とうとう今年も最終月となってしまいました。社会人となって(この言葉にはちょっと恥ずかしさがある。だって、社会人となって、すでに30年を超えている者としては、恥ずかしいよね!)以降、1日の過ぎ去る速度が変わった。それはつまり、1日の内にやらなければいけない事が多いと言う理由からです。午前中はアレしてコレして・・・午後からは会議が入って・・・と言う風に1日中、せわしく仕事していると、朝起きて夜寝るまでの時間があっという間に過ぎ去っていくのです。毎日を、この調子で過ごしていると1日、1週間、1カ月が早く過ぎてしまい、おまけにこの1年の長い時間経過の中に、自分なりの目標や余暇の予定がある事によって、楽しみを待つ気分として、その分、ドンドンと日の過ぎ去るスピードがアップしてしまうのです。
幸せな時、楽しみな時、そんな自分が大好きな時間を過ごしていても24時間という経過スピードと、逆に病気で病院のベッドに横たわっている人にも、時間経過は全ての人に平等に流れて行きます。病気で苦しんでいる時、連続的に点滴が必要な患者さんも、気の遠くなるような時間を要する治療も、大好きな海外旅行を楽しんでいる自分も、経過時間は同じなのです。ただ、その経過時間を快く思えるか苦痛に思ってしまうかの違いだけなのです。今年の自分は療養の1年でした。年初めに大病を患い、その治療にほぼ1年かかってしまいましたが、そんな苦痛と心労を受けながらも、とうとう12月の最終月を迎える事となりました。
これは、後になって思う事ですが、あの気の遠くなるような長期間の治療も、今思えば意外と早く終えることが出来たようにも感じます。気持ちの持ちようによって、人は苦痛や困難な閉塞感にも立ち向かえることが可能なように出来ているのですね。人間の精神力って意外と強いとばかり油断は出来ません。拷問のような苦痛に四六時中長時間にわたって浸されている中では、こんな悠長なことも言ってはいられません。その言う特殊なケースはの除いて考えれば、緊張の時間、緊張を緩める時間、全てを忘れる時間と、自分の気持ちを転換できる場面を意識的に設けていくことで、掛るストレスは随分と緩和されます。
介護職員と言う仕事は、航空会社のフライトアテンダントやホテルのボーイさん達のように「対人」を業務としている職業です。対人である以上、ある意味命にも大きく関係してくる業務ですから、そこに発生する責任は重大なものとなります。その点では我々の業務は、フライトアテンダントよりも、ホテルマンよりも重度なリスクを背負っているのですから、ここで受けるストレスには注意を払わなければいけません。何でも無い事も、処理することをなおざりにする事で、大きな精神的負担となりえます。管理者は、職員の細かな精神的ストレングスにも留意して、それなりに必要な処置をしなければいけません。また、同僚職員は、同僚として、日々の変化を注意深く見守っていかなければいけません。
光陰矢のごとし。と言う言葉どおり、私達の生活は現在は存在しません。未来から瞬時にして過去に流れ去っていきます。過去に悔いを残さない為にも、過去を素晴らしいものとするためにも、時運の未来を大切に考えて行動するよう神経を使いたいと思っています。
今回の研修は、認知症対応型事業所管理者研修の中のひとつである「権利擁護とリスクマネージメント」が、私の担当となってしまいました。権利擁護とは、特に認知症高齢者の意思能力に障碍を抱えた状態に付け込む悪徳な商人や心無い介護職員による金銭、介護内容、行動による全ての悪質行為から守るためのシステムの事であり、憲法で保障される人権を守るための制度のことです。またリスクマネージメントとは、リスク、つまり危険性を知り、未然に防ぐことを目的とした、言うなれば「気付き」を増やすための研修です。認知症という症状が、まだまだ社会全般に理解されずに、特に一般社会では、家族の一員が認知症を患う事の受容が出来にくいケースも多く、その介護の中で精神的負荷から暴力や暴言を浴びせてしまうケースも少なくは無いのが現状です。さて、そんな研修ですが、研修を受ける対象者が「管理者」と言うのですから大変です。管理者になろうとする人には、それなりの経験や資格を持っている方が大半で、謂わば「この道の猛者」と言われる人を相手に、じっくりと2時間、私の講義に注目させなければならないのです。いつもの調子で、面白おかしくパワーで押し切る講義形式では、相手も納得できな事と思いますし、そう考えると胃が痛くなる思いがします。
さて、私の講義といっても、認知症グループホームの協議会の研修で開催したり、うちの事業所内の研修で実施した程度。一応、パワーポイントを使って解説を入れるのですが、今回の管理者研修では、相手の履歴から考えても、今までに色々な研修や講義の中で、権利擁護とリスクマネージメントについては、何度も何度も勉強してきているわけですから、通り一辺倒な内容では受講者の興味にはつながりません。講義の内容もおろそかにできない、また切り口にも工夫が必要であると言う点では、非常に頭が痛いのは事実ですね。
ただ、私の唯一の強みは、物おじしない事です。どんな相手にも自分の話が出来る事です。大勢の聴衆の中でも司会進行は出来ます。以前、この協議会の全国大会で司会進行を任されたのですが、特に緊張することなく完成させることも出来ました。この点を利用しながら、今回の研修も実施して行くつもりです。そして、なによりも、相手にわかり易く、共感を得られる内容で講義を構成する事です。とかく人の話は、特に研修となると、眠くなるものです。声のトーンやスピードが一律した一定の周波数で流れる時、人は、その単調さに眠気が襲います。話すスピード、トーン、間のとり方などに変化をもたせて、時折冗談を交えて、会場の出席者に聴く意義を見出してもらえるように努めようと考えています。
それにしても、いろいろと考えていると、自分の考えがぐらつく時があります。つまり、最初の計画から、資料作りを行っているうちに、講義内容の骨格が曲がっていくと言う現象です。例えば、人と話をしていて、あれもこれも言いたいことがいっぱいあるとすると、話の内容が脱線する時があります。まさしく、その「脱線」という状況が生まれてくるのです。それを、そのまま続けて行って本番を迎えると、それこそ聴いてる方としては話の内容にブレを感じて、何を言いたいのか理解できないと言う事になりかねないのです。とにかく、今は、この問題に注意しながら全体の骨組みを構成中なのです。
まあ、後1カ月、苦しみながらも講義をまとめ上げて、参加者全員が得るモノを感じて帰ってもらえるよう努力するのみです。
アメリカ合衆国の国民の祝日として、11月の第四木曜日がサンクスギブン又は、ターキーデイとも呼ばれる日がある。クリスマスまで一月という時期に、散り散りバラバラとなっている家族も、集まって盛大な食事会をする習わしである。通常は、食卓に七面鳥のローストがあがり、その家の長が、家族全員に公平に七面鳥を切り分けて、個々のお皿に盛り分けるのである。もともと、この風習はアメリカに開拓民としてイギリスから渡米した人が、厳しい環境の中、生きるために得た糧を神や近隣の先住民に感謝の気持ちを込めて、大きな食事会を開いたのが起源である。
七面鳥は、鶏よりも体格が大きく、大食漢のアメリカ人には打ってつけの食材で、一昔前までは、薪をくべるタイプのオーブンで、半日ほどローストして、リンゴで作ったアップルソースと一緒に食べることが多いようだ。丸まると太った脂ののった七面鳥は、ローストする事によって、余分な脂があぶりだされ、元より淡白な肉質は、さらにあっさりとした味わいで、非常に美味しい食べ物である。もちろん、七面鳥の腹の部分が空洞(臓物が取り出されているので)となっているので、その部分にいろいろなハーブやスタッフィングと呼ばれる詰め物をして、肉と一緒に食する。これが各家庭の秘伝の味につながり、その家庭の味は、代々にわたって継承されている。まあ、今でこそ、日本の田舎でも七面鳥をスーパーで見かけることがあるが、僕の子供の頃では、七面鳥なんて手に入らなかった。それで、我が家では代々、チキンのローストを作って食べてきた。もちろん、スタッフィングも入れて、長時間ロースとする。そして、その時に出た脂をもとに、グレイビーソースを作る。
感謝祭の宗教色は年と共に薄くなって、今では国籍、宗教に関係なく、全ての人が感謝祭をお祝いする。そのおかげで、この時期のアメリカは、全ての商店や行楽地などのお土産屋が休業する。だからこの時期にアメリカを旅行しても、精々ホテルくらいしか、営業しているところは無い程で、レストランさえ休業するために、有名レストランで夕食をと計画していても空振りに終わる事が多い。今から十数年前に僕の知り合いが、サンクスギブン ウイークに結婚する事となり招待を受けた事がある。日本から飛行機に乗って夫婦共に渡米したのだが、せっかくのアメリカ西海岸にきたのに、ホテルに缶詰め状態に近い、街に出ても誰もいない。お店は営業していない。とてもつまらない日々を過ごしてしまった事を覚えている。
しかし、このThanks Givenの日本語訳は「サンクス ギビング」と表記されることが多い。まあ、間違ってはいないけど発音は「サンクス・ギブン」の方が正しい。11月、12月とアメリカ合衆国では、一年で最も大きなホリデーが二つ続くのである。この感謝祭、そしてクリスマス。アメリカ東海岸では、めっきりと冷え込む時期に、家族全員が集まって食事会を行う。マンネリとなりつつあるが、少子高齢化社会で核家族化が進み、老人の孤独死が問題となる現代社会。こんな慣例として残された風習は、とても意義ある風習である。チャールズ・ディケンズのクリスマス・キャロルではないが、金儲けに必死になって人間社会が憎悪と猜疑心で蔓延し、他人を信じられない今の殺伐とした社会に、一寸のほんのりと心温まる風習ではないかと思う。
流石にマグニチュード9の巨大地震の後遺症というか、影響が日本全国で起きている毎日です。広島、北海道や福島でも震度4や5の大きな地震が、時折襲ってくるのですが、非常に恐ろしい状況が続いていますね。また、東海沖地震や東南海地震が危惧されながらも、この地方での地震発生回数は極端に少ないのです。嵐の前の静けさか?逆に中規模の地震も起きない、この状況が、大きな地殻エネルギーが蓄積されているようで恐ろしい。年寄りに言わせると伊勢神宮のおひざ元の三重県は、大きな災害には縁遠い!と言う人も多いのですが、このまま縁遠い災害であってほしいものである。
さて、それはさておき、日本の国は小さな島国で、そんな小さな国でも経済力は世界第二位を誇っていた時代もあった。今でこそ、随分と落ちぶれてしまい、世界のトップクラスから脱落してしまい。ある意味、まあ、これが本来の姿か・・・!と夢の世界から覚めて現実を見てしまったような気になる。実際問題、経済大国として君臨していたころにしても、一般庶民の生活は先進国のそれとは、大きく隔たり、国民感情だけが報道に踊らされ、如何にも金持ちのような気分に酔い浸り、心良い優越感に踊らされていたような気分である。妙な優越感とトップクラスのうぬぼれが、バブル以降、リーマンショックで脆くも崩れ去り、今の評価は現実社会をそのまま正直に評価されているような気がする。
しかし、お金は有る所には有る訳で、今では時の人となっているが大企業の会長がマカオのギャンブルで90億円近くを失った人もいる世の中。本当に金持ちは居るのですね!!(ちょっと嫌味・・・?)僕もラスベガスではカジノを楽しんだこともあるが、そこは小市民。せいぜい損しても1万や2万程度。一千万や1億なんて賭けることは出来ません。映画「華麗なる賭け」のスティーブ・マックイーンが好きと言う話を以前したことがあるけど、彼も今噂の大富豪の御曹司と同様、大金持ち。そんな主人公がギャンブルとして銀行強盗をはたらくと言う荒筋。大富豪らしく、マックイーンは、常にクールで堂々として窮地に際しても余裕の冷静さ!そんな彼を羨望の思いで眺めていたものです。カジノでは、大金を賭ける客を特別ゲストとしてもてなします。以前、僕がバイトしていたアメリカの造園屋さんの社長も、定期的にユタ州のリノと言う保養地のカジノに通っていたそうです。かれも大金を賭ける乗客の一人で、彼が訪れる時のカジノの対応が違うそうです。これは、その当時、彼とカジノに同行した友人と言われる人が実際に語っていた事で、VIP扱いってのは、素晴らしい。と言っていた。カジノ店に到着したその時から、雲の上を歩くような(要するに地に足がつかない状態)超スーパー特別なおもてなしは、彼を王様のようにもてなす様だ。痒いところに手が届く。求めるモノは、何でもそろえて準備できる待ち受け状態が帰るまでスタンバイされているそうである。もちろん、ギャンブルはポーカーだが、彼専用の部屋まで用意して、一般客は同じテーブルにつけないそうである。
誰にも気兼ねせず、自由に王様を堪能して、その見返りとして大金を納めてくる。要は、大金で満足を買っているようなものである。そう言えば、最近、僕も介護職員の新人研修の場で、介護の仕事は心をこめておもてなしをすることと講義した。利用者に心をこめて王様気分を味わってもらい、その見返りとしての介護報酬を頂戴する。カジノと違って、サービスの質によって価格が変動することは無く、一定の報酬で良質の介護を提供する。今、時の人となっている御曹司が認知症になった場合、それこそ中途半端な今の介護職員の提供できるサービスの質では満足してもらえないのではないだろうか?世の中、全てが金?!いや、そればかりでは無い。その御曹司には、僕の力で定額で少ない介護報酬だけでも満足出来る介護をして見せるわい!
当太陽の家デイサービスセンターでは、日々の介護業務遂行の中で、職員のモチベーションを高めるために、ある目標を設定しました。この目標を達成したあかつきには、職員全員を東京への一泊旅行と初日の夕食を赤坂の高級レストランにて、プライムリブをプレゼントする事とします。プライムリブとは、アメリカ風ローストビーフの名称ですが、ワインを飲みながらプライムリブを食べて、その後は六本木にてお酒を飲みましょう!と言う企画です。
詳しくはフロアー長に聞いてください。
ブログで発表した以上、約束は守ります。
太陽の家 施設長
PS. グループホームの職員には、同様のプライズを企画いたします。グループホームの場合は、全員が同時に参加するのは困難ですので、その点をクリアー出来るモノを考えます。