太陽の家

  • ホーム
  • 太陽の家とは
  • 施設のご案内
  • サービスのご案内
  • ブログ-施設長の部屋

ブログ-施設長の部屋

2012/2/11
ボケと言う言葉、第二段

以前のブログで、僕は、認知症と言う言葉に響きに病気をイメージすると書いた事がある。医療モデルと生活モデルの観点からみても、最近では年寄りを含めて社会的に認知症が話題に上がることも多く、この言葉自体は、社会的な認知を得たと思う。そして同時に、認知症は、独り歩きして、年老いて物忘れが見受けられる頃となると、大半は「認知症」と診断される傾向にあるのではないか?と思う時がある。

 それと逆に、明らかに認知症の症状である周辺症状が出現しているにも拘らず、それ相当の評価を認定されない要介護度判定も実在し、まだらでありながらも超不安定な精神状態を呈する要介護者も存在する。正当な要介護認定を受けることが出来ないと、介護保険サービスの利用に制限を受け、その分、家族介護の量が増加し、家族が受ける負担は計り知れない。

 同じ要介護度の判定を受けている要介護者をみても、抱える問題はバラバラである。認知症専門のグループホーム入居者を見ても、今の要介護度認定は身体的な障害に多くの視点が向けられているように思える。かなり改善されたとはいえ、認知症の分野における認定調査は、調査員では難しいのかもしれない。その理由に、認知症の諸症状は、第三者が関わる時に限って、安定する傾向にある。誰しも、他人さんには本音を出さない、また、余所行きの自分を出そうとする。もちろん、認定調査員とてプロである。色々な方向から調査対象者を試そうとするが、そこは、人間心理、巧みに高齢者も自分自身を繕って対応しようとする。

 高齢者の要介護度を判定すると言う難しさは、誰しも言うように非常に困難を極める。家族や介護者に夜間の状況などを聞き取り調査をしながら、影の部分をしらべる。しかし、それとて万全ではない。多少なりとも家族や介護者の主観や目論見も混ざってしまう。短時間の接見で、その人を見ぬくということはとても難しいという現実。そして、真実が伝わり難い現状。また、同時に年齢による物忘れに対しても、認知症と言う言葉で片づけてしまいがちな点。共に矛盾する作業を我々は、慎重な顔して実践している。

 そんな労力をかけて意味の無い(?)調査、認定審査、認定を繰り返すよりも、年なんだから物忘れもあるよ!と片づけてしまう方が現実に沿っているのではないか?そこで、認知症と言うよりも「ボケてきた!」で笑って済ませる方が、年寄りにとっては生きる重荷にならないのではないか?と考えるのである。

 

2012/2/10
生まれて初めて歯の神経とやらを抜いた。

ガキの頃に数本の虫歯治療を行って以降、大した歯の治療の必要も無く今までこれたが、この歳になるといよいよ歯の治療が必要となってきた。今年に入って、左上の奥歯に痛みを認識し始め、その都度、歯医者に行っては痛みを訴え続けてきた。私は根っからの小心者で、痛みに対して非常に弱い。こんなものくらい!って歯科医師に笑われるような症状にも、痛い!痛い!と繰り返し言ってきたが、ここに来て、夜も寝れない程ズキズキと痛み始めた。

 予てより、痛みがひどいようなら神経を抜くしか手立ては無いと言われていたこともあって、今日は朝から診療予約を入れて受診する決心をした。決心と言うと、神経を抜くと言う決断となるわけで、診療台に座るや、麻酔を打たれ、あれよあれよと言う間に歯を削られ、麻酔の効きが悪いと、追加の注射をして・・・と大騒ぎ。診療中も歯科医師や助手と話を続けたため、喋りすぎ!と叱られ、トホホ…・恐怖感をごまかすため、しゃあないねん!と一人思いながらも黙って治療を受けた。

 治療には、さほどの時間はかからなかったものの、やはり麻酔が効いている状態だと、口に違和感を感じ、食事するにもいろいろと不便なことが多いものである。食べたものが口からこぼれる!まず、これが一番大変。次に、痛くない部分まで重い感覚で、余計に全ての歯が痛みだしたような気になる。やはり、健康って大事だ!と改めて感じた歯痛だった。

2012/2/8
異文化との交流・・・?!

今日から太陽の家では、海外からの研修生を二名受け入れている。以前、介護職員としてペルー人を雇用していた時も、それなりに異文化の交流があったが、今回はブラジル人の研修生である。まず、大きい! 日本人とは違って体格が良い。食生活が日本と違うせいか、体のつくりが違う。そして、考え方も違う。顔立ちは日系人だけあって、日本人風の顔はしているが、それも、人物全体から醸し出される雰囲気は生粋の日本人とは異なる。何が違うのか、はっきりとは言えないが、やはり根底に存在する考え方の違いが、そのまま態度や行動に違いを生じさせているように思う。

 そんな研修生と一日過ごして、終わりがけに反省会と意見交換会の場を持った。もともと短期間の研修と言う事もあるので、利用者の全体像を把握して介護することは困難であるので、表面的な傾聴を中心とした介護を実践して頂いた。入浴介助の現場にも立ち会ってもらったようだが、それなりに感じることは多かったようだ。

 利用者の皆さんも毛色の違った研修生の訪問で、皆さんが余所行き言葉で応対をしていたのが笑える。皆さん、それなりに笑顔で、根掘り葉掘り、時折、大阪のおばちゃん的図々しさを発揮して、年齢やら結婚やらと質問をしていたが、意外と皆さん、利用者の方々は楽しそうであった。特に面白かったのは、重度の認知症を患っている男性利用者さん、普段だと職員に抵抗ばかりしている人なのだが、今日の研修生の片言日本語の語りかけには、終始苦笑い。言うこともちゃんと聞いてくれている。と言うと、普段の拒否ばかりの行動って、確信犯なの?と疑ってしまう。まあ、認知症って、そんなもんだ!と・・・・

 うちの職員も、物珍しそうに接していた。特に言葉が変になってしまう傾向になりがちだった。相手が日本語を理解できないのではないかと言う心配からか、ちょこっとカタカナ言葉を交えたり、身振り手振りで話をしたり、特にゆっくりとはっきりとわかり易く説明しているリーダーが印象的だった。まあ、時には、こんな研修生を受け入れてみるのも変化があって、ちょっとした息抜きになって良いのかもしれない。そんな感想を抱きながら苦笑いする私だった。

  そう言えば、最後の意見交換会で研修生が、朝礼で私が職員にミスに対する注意をしてた姿が恐ろしかったと言っていたが、本当の私を知らないな!と思いながら、ちょこっと悔しくて腹立たしい思いでいたが、内心では「日本人男性の本当の優しさは、外人のお前らには分かってたまるか!」と一人でぼやいていた。

2012/2/8
震災における障碍者への支援

音無き不安、光無き恐怖と書かれたタイトルを見て、本当に大震災時における恐怖や不安は健常者には想像できない程のものであろうと感じた。東京直下型大地震が話題に上がって間もない今日、朝夕二回程、東京近郊で震度2を観測した地震があった。あれ程過密した大都会で大きな地震に襲われた障碍者の不安を考えると、私たちが思いやってあげなければ!と強く訴えたい。

例えが悪いかもしれないが、私の愛する愛犬の一匹が視力を失った。小型犬の女性だから、なおの事小ぶりのダックスフンドである。普段家の中を自由に歩き回っていた彼女も、失明してから、我々人間の移動が見えない。見えないと言う事は、音で相手の行動を察知する以外に方法が無くなるわけで、そんな彼女は、我々の急な行動を回避できず、時々、結果的に足で蹴られる時がある。最近では、そんな突発性の事故を嫌って、音を聞いて、大げさに逃げる行動に出るようになった。すると、今度は、自分のいる場所と家具の距離を察知できずに、家具にぶつかる事がある。

見てると本当に可哀想に、また不憫に思い、家の中で私たち家族は、不意の行動に最新の注意を払う事となった。犬でさえ、暗闇の世界は不安定極まりないはず。ましてや、そんな不安定な環境に、周りの多くの人間さえもパニック状態で右往左往する中では、障碍者は安全地帯に非難する事すら難しくなる。聴覚障碍者にしても同様、自分の身の回りの異常に即、反応できない。

我々、健常者は、もしもの災害発生時には、そんな障碍者の苦悩を理解して、出来る限りの援助の手を差し伸べて欲しい。視覚障害者が、聴覚障碍者が、我を忘れて逃げ惑う健常なもの達になぎ倒され、踏みつけられる、そんな姿は見たくは無いと思っている。

2012/2/7
ブログネタの提供を受けたのですが・・・・

今日の仕事、終わりかけの時間に太陽の家 居宅介護支援事業所のケアマネから二つのブログネタを提供された。一つは、私自身の職員への接し方が以前に比べてもやさしくなった!と言う件、そして、二つ目には、昨日の僕のブログネタではないが、居宅介護支援の中で、彼女なりに感じる「要介護認定の不思議」についてであった。私が職員に優しく接することに、自分自身が今でも自問自答を繰り返している。という段階で、その処遇方法に結論は出ていない。太陽の家を設立した当初は、自分自身も福祉は初めての業務であり、暗中模索の連続であった。周りの職員は、それぞれ色々な施設での経験を積んだ者が多く、私自身、彼女達に頼り切っていたところもあるが、逆に経営者として自分の目的と意味を見失わないように、結構意地をはっていたところはあった。そんな、負けてたまるか!という意地の局地が、結構荒くれた存在であった自分が居た。ところが、それから数年の時が経ち、自分自身も福祉を学び、それなりの資格取得も達成した今では、逆に全開、フルスロットルで走らなくても、職員を管理できる状態となったと思っている。その気持ちのゆとりが、優しさとして出てきてるのかもしれない。

次に、要介護認定の不思議については、守秘義務という厄介な代物が存在するお陰で、詳しくは述べることが出来ないが、要するに要介護認定基準のあいまいさの問題が、大きく高齢者介護を後退させている。と言うことである。要介護認定も人が判定を下している。もちろん、一次審査は点数によって機械が判定を下す。その判定を基に、介護認定審査会なる有識者のグループが、細かな点をつついては審査を行う。誰しも、自分自身の要介護度を高く評価される事には抵抗があるはずである、と思うが(考えてみてほしいのは、貴方は動けなくなった老人・レベル5でっせ!と評価されている様にに感じる人もいるかもしれない。
しかしあながち、そればかりではないようなのだ!そこには、いろいろな環境が左右するわけで、家族支援を望めない要介護者は、出来る限り限度額の多い要介護度を求めるわけである。高い要介護度を設定されると、その分、利用できる限度枠が拡大する。1割負担は受益者負担としても、枠の拡大は利用範囲の拡大とイコールだからだ。また、施設の場合は、要介護度によって介護報酬に開きがある以上、高額の要介護度の利用者の方が実入りは大きくなる。

先のブログにも書いたように、介護保険をビジネスと考えて運営する法人にとっては、これらの要介護度と言うのは、とても大きな注目点なのである。だから一番良い方法として、重度であろうと軽度であろうと、要介護者には、一律の報酬として、その人に本当に必要なサービスを提供してナンボ!というシステムに変えれば、提供されるサービスの質も向上するのではないか。この場合、担当するケアマネジャーの資質が非常に大きなポイントとなってくる。必要とするサービスと提供できるサービスの格差。ならびに、僻地での供給源の格差等に関しても、共に大きな別の課題を背負い込む事となるからである。全てのケアマネジャーが公明正大に社会福祉の担い手として、客観的な第三者判断を持って、偏りのない計画を作成し、それに伴ったサービスが提供される世の中であれば可能であるかもしれないのだから、残念ながら、この私の書いている方法論も机上の空論と言わざるを得ない。


2025年 6月
           1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30            
月別表示
最近の記事

  • 太陽の家 お気軽にお問い合わせください
    〒513-0808 三重県鈴鹿市西條町495-1
    TEL:059-383-8383 FAX:059-383-7938
  • インターネットからお問い合わせ
  • お電話でのお問い合わせ
059-383-8383
受付時間/9:00~18:00
閉じる  印刷する