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ブログ-施設長の部屋

2012/12/22
今月、二回目の更新です。

 こんなことって珍しいですね! 月に一回だけブログの更新がなされたというのは・・・ 認知症介護指導者養成研修を大府で受けている報告はさせていただきましたが、前期研修が昨日いっぱいで終了しました。これから5週間は、自分の施設で個別課題を実施して、来年の1月末に後期研修の初日に論文発表を行わなければなりません。最初は、実践者やリーダー研修程度の研修とたかをくくっていたのですが、この指導者養成研修は、そんなどころか非常に厳しい研修で、さすがの私も途中で何度も根をあげそうになりながらの毎日を3週間おくりました。朝も早よから、夜は遅くまで。暗いうちに出発して暗い中帰ってくる連続で、おまけにいっぱいの宿題を出され翌朝8時半までに、すべての宿題を提出しなければならない。往復4時間の通学時間の僕には大いなるハンディです。夜帰ってから宿題をやって、プリントアウトして提出に備えて寝る。

自宅にプリンターが無いっていうのも恥ずかしい話ですが、いちいち事業所に夜中に入り込んでプリントする。そんな毎日でした。

 まあ、そんな毎日ですから、自ずとブログを更新する余裕すらなく、自分自身の気持ちも「ブログどころじゃないよ!」って・・・。(失礼!!)

 まあ、研修の話題が出たから、ついでに、どのような研修か?についてご説明しましょう。 研修は座学で認知症に関連する制度、介護、医学と人材育成について学び、同時にグループワークを行いながら論文の書き方、発表方法などについて学びます。はっきり言って、この座学のレベルは、かなり水準が高く設定されており、大学院レベルの事を教えています。講師に招いている先生方も、その道の先頭を走る人ばかりです。介護保険制度を考え出した先生やら、人材育成を大学で教えている教授や、人権問題について専門に研究している方など、本当に幅広い知識を学ぶことができます。

 さて、では、この研修を終了させることで何のメリットがあるの?と言うと、認知症の人を支える人々を育てるための人材となっていくわけです。今回の厚生労働省の策定したオレンジプランの中にも、書かれているとおり、平成29年度末には日本全国に2200人の認知症指導者を養成するとあります。平成24年度末の指導者数が1600名ですから、あと700名は養成しなければいけないこととなります。聞くところによると三重県は他の府県より指導者の数は少ないようです。

 指導者の果たす役割は非常に重く、今の認知症介護に携わる人々の意識改革から、あらたなる資源開発にまで力を発揮しなければいけなくなるです。僕なんか、老体に鞭打っての毎日ですから、それと年齢に応じた物忘れの人物ですから・・・・どこまで役に立てるのやら・・・・と少々、将来が不安になります。

 さて、そんな私の個別課題について少しお話をしましょう。私の個別課題のテーマは、認知症の人の目線にたった介護をオレンジプランの考えに基づいて実践するための意識改革を考えています。非常に壮大なテーマでしょう!これをすべて個別実習で行うのは多分無理です。私の学習を担当してもらっている講師の先生にも指摘を受け、課題のボリュームと軸を考えて課題研究を考えないといけませんと注意され、昨日一日がかりで課題のボリュームをそぎ落とすことに明け暮れました。おかげさまで、何とか、実習課題をそぎ落とし、目的に近づけるために研修をプログラミングすることができました。

 このように、ダメ出しを繰り返し、何度も頭を絞り、考え方をまとめていくのですが、大学のゼミみたいなもので結構、やってみると面白い。自分自身が変化していくのが感じられますね。

 まあ、そんな12月を過ごしてました!と言うご報告です。

2012/12/7
久しぶりの更新です

12月に入ってから僕は毎日、愛知県の大府に通っている。認知症指導者養成研修なるものを受講しているためだ。毎日、電車での通学。近鉄で名古屋へ、名古屋からJRで大府へ、大府駅から路線バスで東半月まで、そこから約一キロを徒歩で・・・・家を6時に出て、研修センターに到着するのが8時半。講義の開始が8時50分。その前に、もう一つやることがあって、前日の講義のレポートを教科ごとに一枚づつ書いたものを8時半までに提出しなければならない。徒歩で研修センターに到着が8時半。レポート提出期限が8時半。本当に毎日、ギリギリの綱渡りである。

さて、そんな通学の雰囲気を少し、このブログを読んでいただける皆さんと分かち合いたいと思い、今日は電車の中の様子を描いてみたい。最初に僕は生まれて初めて、こんな長時間、それも朝早くから電車に乗って通学することとなったわけで、何もかもが初体験。定期券なんてここ何十年も買ったことはないし、毎日朝の4時半におきてどこかに行くというのも初めて。満員電車ってのも、都内では常に満員電車で揺られるものの、ほとんど毎日大府までの区間で座席に座って行けたこともない。つまり、道中、すべてにおいて立ちっぱなし!ってのは初体験。

ふつう、出張と言っては特急の指定席に座り余裕で名古屋へ行くのだが、僕が乗っているのは伊勢若松駅から急行の名古屋行。二番目の車両に決めている。しかし、僕が若松から乗車するころには、すでにすべての席は、他の乗車客に奪われ去り、空き席なんてのは皆無。仕方なしに名古屋までに下車しそうな人の前に立ち、空きが生まれることをひそかに祈りながらつり革にぶら下がっている。次々と名古屋までの間で電車が停車するたびに降車するより乗車してくる人のほうが多く、次第に電車の中は人の量が増える。四日市を過ぎるころには身動きが取れないほどの人でいっぱいに膨れ上がり、僕はできる限り女性客から遠ざかるように少しづつ移動し、何かの不運で痴漢に間違えられないよう自己防衛に努める。

さて、そんな満員電車を繰り返し使っていると不思議なもので、皆さんが同じ客車に乗り込んできて、同じ場所に立とうとするのである。ふと気が付くといつものオッサン(僕もオッサンだけど)が居る。あ~ぁ、あそこにもいつものコートを着て耳にイヤホンさして新聞読んでるオッサンが居る・・・という風に。そして面白いのは、この満員電車の乗客同士、全くの赤の他人同士でありながら暗黙の了解のような、条例でも法律でもなくだれともなく生まれてきたルールのようなものがあるらしい。そして、そんな暗黙のルールから少しでもはみ出てしまうと、途端にルール違反者に対して白い目を向けるのだ。だからと言って、違反者に注意を促したり怒ったりはしない。内心は不愉快に思いながらも直ぐに素知らぬ顔をする。

まず、満員電車の乗客は、自分の決まったテリトリーを持っている。それは座席に座った者も、つり革族も同様、ここからは私の領域ですよ!入ってこないでください!と声に出して言わないまでも、心の中で線引きをしているのである。だから、電車が揺れて僕がバランスを崩して足の一方でもラインをクロスしようものなら、それこそ痛いほどの視線で攻撃してくる。不可分の領域というのだろうか・・・朝の通勤ラッシュってのは、本当に興味深いものである。この研修は年明けて2月初旬まで続くのだが、今のところ遅刻もなく皆出席で通っている。1週間が経過して、そろそろ満員電車にも慣れてきて、ツ通学が苦にはならなくなってきたが、それでも、この距離を通うってのは、この老体には少し厳しい。まあ、これも今の今まで悠々自適な生活をしてきたこともあり、今の僕に与えられた試練と、最後まできっちりと通い通していくぞ!と新たな決意を感じながら久しぶりの寝坊を明日は楽しめることと思っている。

2012/11/29
とんでもない・・・どうなの?これ!

また新たな政党の発足。それも一晩で結成され、その翌日にはつるむ同志が集まり何だか分けの解らない状況が今の日本で起こっている。長い間の一党支配から民主党が政権を奪い取り、結局破局。期待された未来は泡と化し、古い政治に戻るのか?新たな息吹を育てていくのか?と有権者を試すような開き直り政党。

僕の仕事が仕事だけに、あまり政治のことは言いたくはないが、それでも今の政治家には多少なりとも幻滅を感じてしまい、日本よいう国の将来を危ぶんでしまうのである。大阪発祥の政党にしろ、東京から出てきた政治家も含めて、どうも日本の長になることだけが目的としか感じられない政治家ばかり。または、前回の政権奪取の波に乗って政治家になった者たちの生き残りをかけて、政党を乗り換えながら代議士の椅子を守ろうとする。国民の生活を云々というより、選挙の票集めに必死で、いかにすれば国民にソッポを向かれないか?ばかりを気にする政治家しか目につかない現状。国会議員も安くなった、または重みが無くなったとしか言いようが無い。

政治って、こんなにも軽く政界を渡り歩くことができるのだろうか? 小学校の頃の仲良しグループみたいなもので、昨日まで仲良しグループの仲間だった子が、一夜明けて次の日には敵対していた別のグループに移ってしまう。強烈な意志や並外れた意識の高さを持つリーダーが居ない今、すべての政治家はドングリの背比べ的であり、それだけに日本をみる諸外国の目もB級の演劇を見てるような冷めた状況であるのも仕方ない。

大同団結と言うなら、だれが政権を握ろうとも、日本のためとなる事項を徹底的に話し合って、お互いに協力し合いながらシステムの再構築を目指すべきだろう! 原発ゼロや脱原発も大同の元ならなんだってできるはず。お互いの主張ばかりを相手の主張にかぶせて、声張り上げて言い争うだけでは何も変わらない。

それともう一つ、昔の国会議員に比べ、今のえらいさん達の字の下手くそなこと!頭脳明晰であることは確かだが、字が無茶苦茶で、決して美しい字がかけるわけでもない。幼稚な字しか書けないから人格がないわけではない、しかし国会議員となる人は、ある程度の達筆であってほしいと願うのは古臭いおやじ感情かしら?

2012/11/26
柔道金メダル獲得者に2000万円

柔道>支援組織発足へ 五輪「金」に2000万円、独自の報奨金制度

毎日新聞の記事である。日本柔道の前回オリンピックにおける金メダルの獲得につながらなかった要因を踏まえて、柔道界単独の財団を組織し、今後の柔道金メダリストには2000万円の報奨金をだすらしい。金メダルを獲得して2000万円とは、寂しい金額のように思えるが、少なくとも報奨金が出されるだけ改善されたのではないか?!と思える。

 しかし、オリンピック競技自体国を背負って戦う場であり、観戦する側も選手よりも「国」を応援する場面が多いのがオリンピックであろう。オリンピックの時期ともなると、それまで日本国を馬鹿にしていた国民ですら、日本人選手を応援する。それくらい全国の一般市民の関心をひとえに集めるほど、大きな国対抗イベントがオリンピックである。猫も杓子も一挙に国粋主義に変貌し、テレビをつければオリンピック中継や録画番組のオンパレード。それこそ金メダルを獲得すれば、帰国後のモーニングショーでは、各局からの出演オファーが入り、分刻みでテレビ局での収録が始まる。

 しかし、世間の熱は冷めやすく、数週間もすればテレビへの出演することもなくなり、人々の関心からは遠のいてしまう。何のために(自分のためではあるが・・・)厳しい練習を繰り返し、大いなる国民の期待を背負って、多くのプレッシャーに打ち勝ち、勝利へと突き進むことは並の人間ではできない。僕なんか、自分自身の健康維持のために太ってはいけないことと理解していながら、間食や大食いを辞めることができない。自分のためでもストイックになりきれない人間が多い中、彼らアスリートは、自分自身に厳しく、その瞬間のために努力を積み重ねているのだ。

 そんな彼らの努力に対し、これは一財団の話ではなく、国家プロジェクトとして国が責任もって選手の育成から、その結果までを面倒見れるシステムの構築が求められるところではないか? 社会保障の無い国に国民は安心して生活できない。そんな国で一生懸命働く意欲すらわかない。それと同様、功績を認められる国であることが、若者に大きな夢を与えることができ、如いて言えば生活保護に依存する働ける世代の生活保護受給を減らすことができるのではないか?

 民主党政権となって3年半、社会がどのように変わったかと項目別に指数で先日の中日新聞が報道していた。改善された点、悪化した点などさまざまであった。この国に生まれ育って、ここにしか暮らすことができない国民に、将来的な夢を抱かせてくれる政治がほしい。衆議院選挙をにらみながら、いろいろな政党、派閥が出来上がり、それぞれに好き勝手なことを言っている。すべてそれらしく聞こえる点では、さすがに手慣れた政治家の皆さん。もっともらしく発言するし、納得させられる。しかし、毎日毎日の報道・・・・聞いてても記憶に残らないのだけど・・・・どうなん???

2012/11/23
孫を叱れない爺さん婆さん、そして親

先日のブログでも少し書いたと思うが、最近の爺さん婆さんは孫を叱ることができない。叱るってのは、人前で孫の人格を無視して、叱りつけるという意味ではない。先日、近場のスーパーで買い物中の出来事を紹介しておこう。スーパーという場所には、幼子を連れて買い物に来る母親のために、子供が喜ぶようなショッピングカートを用意しているが、このスーパーも同様、子供を乗せて買い物するに都合よくあつらえられたモノがあって、その子もベビーカート様モノに座り、爺さん婆さんに押されてお買い物を楽しんでいたはずである。が・・・何を血迷ったのか、突然カートの中で暴れだすわ、奇声を上げるは、それはそれは流石の僕も耳を覆いたくなるほどの金切り声で泣き叫び始めたのです。普通、こんな子供の興奮状態に家族はどのように対応するんだろう・・・

 まあ、先日の女流漫画家の飛行機の中で泣き叫ぶ乳児に対し怒りのブログが物議を読んでいると言う話もあるくらいだから、乳児、幼児の「ぐずり」ってのは、ある意味自然の摂理みたいなもので、子供は泣き叫ぶものと思えばそれだけの問題である。しかし、僕が問題だと感じるのは、そんなときの爺さん婆さんの対応の仕方である。

 またある時は、孫を連れて買い物に来ている爺さん婆さんも同様、奇声をあげて走り回る子供を尻目に、子供を規制するでもなく、しつけるわけでもなく、自由奔放に野放し状態で見てるだけであった。電車にのっても同様の話は多くある。子供が靴を履いたまま、座席に立ち上がり窓から外を眺める、座面のクッションで飛び跳ねる(それも靴履いたまま)等の我々の常識は、すでに過去の遺物となってきたように、何も注意すら与えようとしない。

 爺さん婆さんは若嫁に気を遣い、孫の心情を傷つけまいと苦労する。どうせ歳とりゃ捨てられる身にも関わらず次世代にへつらう爺さん婆さん。日本人の老後が長くなるにつれ、歳を取るにつれ世の中にへつらい、人生を悟ったように大人しく自分を殺して生きていかなければいけない年寄たち。

 この世の中、本当におかしい! 弱者救済どころか、一昔前の封建制度のもとで権力者に搾取されて生きてきた時代と何ら変わらないではないか!!少子高齢社会となって、大人よりも権力を握った子供たち! 恐ろしい世の中になりました。


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