認知症道中膝栗毛も第17話まで続いた。(めずらしい・・・と、影の声)
さて、17話までくると、タイトルにその時のテーマでも添えたほうが活用しやすいと考え
今回から、お話のテーマを入れてみることにした。
今回は「物忘れに」についてお話ししましょう。
認知症=記憶障害と繋がるのですが、特にアルツハイマー型認知症の方にとっての
記憶という作業は、年を追うごとに厳しくなっていくものです。
物忘れする。と言うより、新しいことを覚えておくことができなくなるのです。
ですから、普通の様に会話していて、私たちからすれば、あの時言ったのに!と思いながら
相手は、聞いた事を覚えておくことができず、約束をすっぽかしたい、鍋を焦がしたり等の失敗をしてしまう。
結構、これらの失敗やら聞き損じってのは、本人のプライドに深く傷を残すこととなるわけで
ここで、周りの者の配慮が大きく影響を及ぼすこととなるのですね。
認知症の診断を受けていなくても、高齢ともなれば、若い時の様に全ての事象を覚えておくことはできなくなります。
失敗しても、お鍋を焦がしてしまっても、そんなこと気にしない。
一度失敗したら、どうすれば同じ失敗をしなくても済むのか?それを本人と一緒に考え
共に解決策を導き出すようにすると、認知症の当事者のプライドを尊重しながら
その人らしい生活を維持していける。
そんな介護が望まれます。
短気は損気!怒らない!嘆かない!笑って済ませましょう・・・・って、これが家族さんにとっては一番つらいんだけどね!
でも、大丈夫ですよ。こんな支援を続けていくと、認知症となっても穏やかな状態で過ごすこと可能となります。
認知症の方々をケアする中で、どこの職員さんも、ケアマネジャーを含めて
「傾眠」と言う用語を多用する傾向にある。
実際にネットで「傾眠」を検索してみるとよく理解できる。
傾眠とは本来、人の意識障害を表す用語として、医療現場で使われている言葉です。
意識レベルがはっきりとしている状態を「意識清明」と言い、
そのレベルから徐々に意識レベルの低下と共に言葉が変わっていきます。
「明識困難状態」から「昏蒙」→「傾眠」→「嗜眠」→「昏迷」→「昏睡」と言うように
その言葉によって、その時の意識レベルが表現されています。
認知症の方々が、昼夜逆転現象のあおりを受けて日中にウトウトされるのは
「傾眠」と記録してしまうのは、適切な言葉で表現していることとならないのです。
介護の専門職も、少なからず医療用語を活用し、情報の共有を図らなければなりません。
このように、介護職員さんも日々の介護記録作成においては
的確な言葉を使って多職種との正確な情報伝達を目指したいものです。
認知症と味覚って、即、病気につながるようでなく軽く見られがちだけど
これが、結構、重要な課題であり、同時に「好き嫌いの激しい人」と軽んじて評価されてしまいがちなテーマなんです。
僕はグルマンを気取り、結構味に対して煩い『人』を装っている。(実は、それほどの美食家ではないのですよ!)
この美食家なるもの、結局は人のお口の中の舌で感じた信号を、脳の中でも
特に前頭葉とよばれる部分で視覚から入る情報や臭覚から入る情報の全てを合成し、うまい!って評価を決めている。
もちろん、そこには経験値と言うものが加えられ、今までに味わった経験が「旨い!」の評価のレベルを調整してくれることとなる。
ここで、認知症となった僕は、目で見たお団子を、美味しいお団子として認識できなければ食欲もわかないはず。
お団子の櫛を片手でつまむことができなければ、どうやって口の中に入れるのか分からないはず。
食べ方を忘れることを失行。お団子と認識できないことを失認と言うのだけど、
これらの障害はアルツハイマ―型認知症、脳血管型認知症、レビー小体型認知症などの病型によっても
出現の仕方が違う。
人間いつまでも、美味しく口から食物を摂りいれたい。
美味しいね!と美食家を気取って生活を継続したい。
そのためには、認知症の早期発見、早期治療を行いながら、食事する環境をもう一度見直すことが大切になると思っている。
匂い、見た目、色彩、そして、雰囲気(照明や音楽、温度も大切)そして、何よりも「誰と食べるか・・・」が
一番大きな課題となってくるのでしょうね・・・・
認知症、上手くお付き合いしたいものです。
先日、認知症介護指導者の先輩と電話で会話していて
いよいよ、僕も研修指導者を引退しなきゃ!と言う話をした。
その理由の第一に、言葉が出てこなくなった。
ただでさえボキャ貧が課題だった自分。
更にボキャブラリーが貧祖になり、口頭で説明するにも
上手い表現が頭に浮かばない。
そして、端的に衰えを感じるのが文章力。
以前は、誤字脱字は多かったが、結構自分でいうのもおこがましいが
それなりに上手な文章で、意味の通じる分を書いていた。
しかし、ここ最近になって、文章を書いていて感じるのは
支離滅裂とした、混沌とした文章しか書けない。
機能低下と言うが、外部から見た私の変化は見えにくいかもしれないが
内面では、切実なる問題が進行しつつあるのかもしれない・・・・(笑)
この日本が、ウクライナのように他国の侵略を受けるとなったら……
認知症の人達は、どうなるのだろう?
家族が連れて難民として国外に避難するのだろうか?
それとも、死を覚悟でグループホームに居残り、いつもの生活を継続していくのだろうか?
いずれにせよ、認知症の人を抱えて家族全員が無事に国外退去は可能だろうか?
そして肝心なグループホームの職員たちは、砲弾やライフルの玉が飛び交う街に居残り、
この街にとどまりながら認知症の人の支援を継続できるのか?
人間の精神状態が極限の状態下において、冷静に安全を確保し、平和を待ち望む毎日を過ごすことは可能か?
今のウクライナの状況を報道で見る限り、戦争状態の下で高齢な要介護者を非難させることは
かなり困難なアプローチとなっている。
非難するにも瓦礫が散乱し、爆撃による穴ぼこがそこら中に存在して
車でも移動が困難な道路状況を考えると、要介護者を連れて避難することは
ほぼ不可能な状況と言わざるを得ない。
毎日のニュース報道を観ながら、日本が同じ状況となったら、どうする?と考えてしまう。