Mt.View市の市役所本館の写真。20年前のMt.View は小さな町でしたが、IT産業の発展により
市役所も斬新なデザインに生まれ変わりました。隣に私立の美術館も併設しています。下の写真は
市役所エントランスと二階、三階へつながるメイン階段の写真です。
市役所にて紹介された市立のシニアセンターの写真です。この施設の役割は自立している高齢者の
コミュニティの場であり、鈴鹿市でいえば社会福祉協議会のような役割を持っています。
自分で通ってきて、他者と交流したり、同じ趣味のサークルで楽しんだり、かなり自由に
老後を楽しめる施設です。このシニアセンターの敷地は、さすがに広く、同じ敷地内に
デイケアセンター(通所型です)、子供のナーシングケア施設の3つの施設が併設されています。
これらの施設利用には、メディケアなるアメリカ流、健康保険に加入していることが必要となります。
先般、秘密裏にカリフォルニアに行った。
サンフランシスコ近郊のSanta Clara Countyに用があっての渡航であるが
サンタクララと言えば、マイクロソフトやアップルの本社があるシリコンバレーで有名な場所である。
まず、街自体に若いIT企業のスタッフが流入してきており 、高齢化率を極端に下げている。
65歳以上人口が、15%を若干上回る程度。
若い世代の大量流入で、出生率も高く、日本の抱える逆ピラミッド現象は見られない。
そうは言うものの街の歴史は古く、サンホゼ市(SAN JOSE)やクパティーノ(CUPERTINO)近郊は
古くは明治・大正時代より移民が、農地を開拓してきた地域である。
日本からも多くの日本人移民が海を渡り、苦労した地域と聞く。
現地には東洋系の二世、三世や、メキシコ・プエルトリコ等の南米からの移民も多く
その数は白人の数よりも多い。
さて、そんな土地柄もあって、いろいろな人種が入り混じり、多種多様な文化が混在している社会を構成している。
それに加え、今なお、アメリカ合衆国全体の課題である医療保健の公的化は、日本のそれに比べると
非常に不便で使い勝手の悪い、経済的にも貧困層には冷たい制度として改善の余地を感じる。
メディケア、メディケイドと二種類の健康保険システムは存在するもの、保険金額が非常に高額であり
全ての国民が負担できるほど軽微ではないことから、貧富の差が医療と介護に大きいな影響を与えている。
まず、日本のように特別養護老人ホーム等の施設が極端に少ない。
ホスピスの類は、日本よりも多く存在するものの、そこに至るまでのレベルの高齢者に対しては
行政自体が音頭を取って在宅ケアを中心にシステムが構築されている。
認知症に関しても、一般的にアルツハイマー病が大きく捉えられていて、レビー小体型認知症や前頭側頭型認知症等の
病態は全て『認知症/dementia』と言われている。
また、認知症・アルツハイマー共に有色人種に発症率が高く、白人の1.5倍~2倍と言われている。
これは、私の個人的な持論であるが、白人のアルツハイマーが少ない理由として
宗教的な要素、生活環境の要素と気質の要素が大きく影響しているのではないかと考えている。
つまり、白人社会の多くがキリスト教の基、宗教活動やボランティア活動が盛んであり
生活水準も比較的高く保たれ、余生の過ごし方が他人種と違う。そして、白人の古くからの血筋である狩猟民族として
古くゴールドラッシュ時代から培われてきた権利と自由の思想が、人間の生き方、死にかたにも影響していると考えられる。
それは、欧米人特有の自力で生きることが出来なくなることをエンドステージとしての考え方として
寝たっきり老人や経管栄養チューブでの延命に対する考え方に大きく影響していると思う。
さて、ついつい長々と書いてしまった。続きままたの機会に・・・
「トイレ」だけでは、何お話しか分からないですよね・・・
実は、うちのもう一つの認知症グループホームでのトイレにまつわるお話しです。
認知症の女性高齢者。要介護3。
この人の癖は、トイレに入ると用を足してなくても、最低5回、水を流す。
そして、記憶の障害からトイレに頻繁に行く。
先日は夜間を通して数えると69回のトイレに行った。
単純に24時間で割り算してみると、一時間に2.76回、トイレに通ったこととなる。
勿論、この間、睡眠時間も多少なりともあるので、覚醒時のトイレ回数は非常に多い。
さて、トイレに行って、一度フラッシュすると、どれくらいの水を流すこととなるのか?
一説によると一回の大便を流すのに15リットルの水を使うらしい。
最近の新しい水洗トイレに関して言えば、かなり改善されてきて、一回に5リットル程度まで少なくなってきているようだ。
それでも、69回の排尿、排便回数×5リットルは、345リットルの水を流したこととなる。
そして、この人が用もないのにトイレの中で5回フラッシュするとなれば、345リットルを5倍しなければならない。
その量実に1725リットル。
これが認知症ケアの基本にあるわけです。
水ももったいない。でも、その人に制限を加える事も出来ない。
もちろん、トイレに通う前に気をそがせるための働きかけも行っている。
しかし、本人さんは、先にトイレ!と言い続けて、事が進まない。
こんなやり取りを毎日、認知症グループホームでは行っています。
認知症となる人が増える!と叫ばれ、地域支援の輪を膨らませ
いろいろな支援体制の拡充と拡大を目指してきた。
今は、そのような地域資源の和を元に、地域共生社会の構築と叫ばれる時代である。
さて、そのような地域の中で、まずは認知症の予防は予てよりの課題であり
不老長寿の妙薬の開発以上に喫緊の問題として社会全体の大きな目標でもある。
認知症を根本的に根治する薬の開発は期待薄であり、社会全体には認知症にならないことに対する
諦めの意識の方が高まりつつある。その証として、認知症の保険が、急激に販売を伸ばしているそうだ。
さて、本当に認知症は予防できないのか?については、医学者ではない自分が言うべきことではないものの
現状では認知症は予防することは困難であると考えている。
この理由として、人の寿命の延伸が大きく影響している。医学の進歩と国民皆保険制度によって
国民全体が医療と密接に結びつき、手厚い看護が行われることとなり
同時にそれまでの人の加齢に伴った死に至る病(例えば癌など)を乗り越えてしまった。
それにより平均寿命は延伸され、そのことによって老衰のような臓器の経年的劣化(・・・?)くらいしか
死ぬ理由がなくなってしまったというのが現実なのだ。
この寿命の延伸の過程において、脳細胞の器質的変化がおこり
人々は認知症を発症していく。この流れは、人の寿命が延びれば延びるほど
傾斜はきつくなり、高齢者の認知症はほぼすべての人において
認知症となるリスクを抱えているといえる。
言うなれば、高齢化は同時に脳の衰退が起こることは、逆に言えば自然の現象である。
このように認知症は根治出来ないわけで、そのような社会の中で生きなければならない自分たちは
今後、認知症となっても、その認知s機能の障害が生活の障害とならないよう支援することが必須となる。
地域連携、共生社会の構築とは、そのような支援体制をつくることと僕は理解している。
まずは、人が90歳を超えて長生きする世の中には、老衰で死ぬのと同じように認知症となってしまう。
そのことを全ての人が理解する事が重要となる。