先週の今頃は、愛知県安城市のグループホームで行われていた虐待報道をうけて走り回った。
随分と昔から、利用者に対する暴言や暴行が行われてきていたようで
その真相はすべてが明かされていないようである。
その事業所に勤める介護職員による内部告発がきっかけとなって
表面化した今回の虐待問題。
全国に一万件を超える事業所が存在する中で
このような虐待が行われることは、真面目に介護を行っている事業所にとっては
とても辛いし、寂しい限りである。
認知症の人を支援することは非常に難しいことは確かである。
良かれと思って介護する者も、理解力の低下した認知症の人がすべてbに拒否する姿勢に
悶絶することもしばしばであり、そのストレスは大きなものがある。
認知症ケアは、そのような場面での葛藤との戦いともいえるかもしれない。
しかし、私たち自身が、その道の専門職としての認識を捨てて
感情的になってどうする!
非常にお粗末な認識しか持ち合わせていない現場に
この連中を育てていくためには何をするべきか?大いに悩むところだ。
報道では、この虐待を氷山の一角と言う。
この評価が恐ろしい。社会全体が、認知症グループホームに対し同じような色眼鏡で見始める
どうせ見えない場所だから!認知症で虐待を受けたことすら忘れるから!という
甘えは、絶対に表面化する。
昨日の夜、鈴鹿市白子駅前カフェ・バー・クレス において、第三回 認知症を考える会(お福の会)を開催しました。
今回は、鈴鹿市長をお迎えしただけでなく、鈴鹿市医師会長まで出席いただき非常に緊張する会となりました。
前回同様、鈴鹿市白子駅前のカフェ・バー クレスを会場に、夜8時から10時までの二時間
たっぷりと話し合っていただきました。今回で3回目となるお福の会宣言の読み上げを
鈴鹿市社会福祉協議会 局長にお願いしました。
そして、今回の話題提供は、お福の会・鈴鹿の代表である真鈴川先生から
肺炎治療(特にNHCAP;介護を必要とする高齢者等)に対する診療ガイドラインを説明していただきました。
NHCAPに分類される高齢者の肺炎治療には、本人の予後を見通して、全体として延命がQOL保持と両立しない場合には
医学的介入は延命ではなくQOLを優先する。このガイドラインに関して、患者の立場として、また介護する側の覚悟について
話し合いを行いました。非常に難しい課題でもあり、また人間の永遠のテーマでもある「生きる」こと、「生きるための支援」と
結論のない大きな課題の前に話し合いは堂々巡りとなってしまいました。
毎回、この会の進行をさせていただいておりますが、数多くの専門職と医師の方々の思いを一つのラインにのせることの
難しさを痛感し、無力な自分自身に腹を立ててしまうのです。
お福の会の骨格となる「立場・職種を超えて共通言語で認知症を語る」までには、まだまだこのジレンマを乗り越えて
いかないと立場を超えることは難しいのかもしれません。
まぁ~色んな意味で勉強させていただいております。
『お福の会』とは、知る人ぞ知る、知らない人は皆目何のことかわからない。
始まりは2008年1月に放送された、NHKスペシャル「認知症 なぜ見過ごされるのか」
この番組製作スタッフと出演者が収録後に、『まだ話し足らない!』と新宿の小さな居酒屋『お福』で
認知症について議論したことが発端となり、全国の認知症に関係する仲間たちに声をかけ
職種、立場を超えて『認知症』を共通言語として理解する場が創られました。
残念ながら新宿の居酒屋「お福」は存在せず、今は品川区大井町にあるバーロマンに不定期とはなりながらも
継続的に開催されています。
認知症を共通言語として理解する。職業・立場を超えて意見を言える場。
これは、我々のような介護分野で働く者を含め、医療側と対等な立場で意見交換できるという
とても奇遇な場であると感じています。
そして、お福の会では、参加者全員で「お福の会宣言」を唱和するのですが
今回は、このお福の会宣言をご紹介させていただきます。
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人は人として生まれ人として死ぬ
そしてその過程で誰もが認知症という病に遭遇する可能性をもっている
かつて認知症になると「人格が崩壊する」「こころが失われる」と
恐れられた時代があった
だが、今や私たちは知っている
認知症になっても自分は自分であり続けることを
付が欠けているように見えても月が丸いことに変わりはないのと同じである
自分が、認知症になっても家族の一員、社会の一員として、友人として
権利と義務を有する国民の一人として生活を続け人生を全うしたい
同じように家族や友人が認知症になってもともに人生の旅路を歩き続けたい
「お福の会」はそういう思いを持つ市民が本人や家族、医療、介護、行政、
その他の立場を超えて集う場である
認知症になっても生活の主体者として人生を全うできるように私たちは力を尽くしたい
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丁度24時間、昨日の今頃から上京し,品川駅傍のコクヨビル 大会議室に向かいました。
東京に行っても、福祉の仲間と話をして、少し時間をつくっては、旧知の友とランチして帰路につく。
何時もの業務の場所が変わっただけで、特にほか何もエクサイトメントはない。
さて、そんな慌ただしい移動の中、近鉄線に乗り込んだ。
隣りのオバちゃんが、突然、車内のシートに座りながら電話をし始めた。
これっていわゆるマナー違反!人間、歳を重ねると図々しくなる
このオバちゃん〔50代かな〜)、 悪びれる事なく数分間の会話を
それも周りの人にまる聞こえのボリュームで話しする。
特急電車とは言え、近鉄線はローカル電車。
まぁ、そんなに目くじらたてずとも…….
と思いながら、田舎の雰囲気を楽しむように自分に言い聞かせていた。
すると、今度は、別のおばちゃんグループのばか騒ぎ!
女が三人寄れば姦しい?!
そんなレベルではない。
大笑い!笑いながら手を打つ。相手の会話にかぶせて話す。
これは、携帯電話による会話以上に
周りのものにとって迷惑この上ない。
ネットで特急券予約するシステムに、
おばちゃん注意報又は警報を付け加えてもらいたいものである。
手元に参議院選挙の投票所入場整理券が届いた。
三重県からは一議席をめぐり二人の候補者が立候補している。
選挙権は国民にあたえられた権利であって
自分たちで代表者を決めることができる権利である。
しかし、
どの政党の演説を聴いていても、ピンとこない。
どちらを選んでも変わり映えしないようなイメージしか伝わってこない。
今、高齢者福祉も障害者福祉も含め、日本の社会保障制度自体がピンチと言われ
昨日も「社会福祉種別協議会正副会長会議」に出席していたが
その中で出される課題の一番が人材難であること。
次に報酬の低さによる健全な施設運営の難しさだった。
100%が税金で運営される社会福祉
濃厚な社会保障を担保するには、今の税制度での維持は難しい。
どの政党も「増税」を掲げて、社会保障の充実を唱えるわけにはいかない。
何もかもが中途半端!嫌われることは避けたい、ましてや候補者の一人でも
多くを当選させたい!そんな思惑が日本の国策をダメにしているような気がする。
義理と人情で投票には行きたくない。
この国で生まれたことを、この国に生きることを喜べる、そんな日本になってほしいと願う思いも
僕の生きている間に変わることはないだろうね。