コンクリートの支柱の根元に咲く白いスミレ。
昨日、太陽の家の裏側、通用口で見つけました。
アスファルトとコンクリートのわずかな隙間から
芽を出して、花まで咲かしているスミレの生命力におどろきです。
雑草は、必死で生きようとする。
雑草より高度な知能を持つ人間は、
同じ人間同士が争いながら混迷の世の中に突入しようとしている。
何かが違うよね!!
いせ真一監督とは、東京のお福の会で何度かお話をさせていただきましたが
監督は覚えていていただいたようで
今回の自主上映会に際し、お礼のメールを返信していただきました。
上映前にも、上映会場で参加者の方々とお話がしたいとおっしゃっていたのですが
次は、映画見ながら酒飲んで話をしたいですね!と
言っていただきました。
特に自慢するわけではないのですが
『縁』ってのは面白いです。
前回のブログで鈴鹿市でも上映会をやりたいと書きましたが
結構、真剣に思っています。
なぜ、そのように思うようになったかと言うと
この映画をネタに、参加者と意見交換をしてみたくなったからです。
この映画の撮影場所に北海道のグループホームが使われていたのですが
そのグループホームのいろいろな場面を観ながら
認知症の人の過ごしやすい環境とは?
認知症の人が 家族をどのように感じているのか?
そして認知症の人は介護者をどのように捉えているのか?
僕は偶然にも、まだ認知症と診断はされていない者だけど
認知症となったときには、どの様なことを思うのだろうか?と
これらの疑問について話し合ってみたいと思い始めました。
音楽やテレビの役割は?
音楽療法とか、タクティールケアとか、バリデーションとか……
それよりも、その時の自分の思い、気分をシッカリと読み取って
支援してくれる方を選ぶのではないか……..?!
とか話し合いたいネタばかりです。
お友達の真鈴川先生を誘って、上映会をやろうと考えています。
今日の午後、一般社団法人 三重県地域密着型サービス協議会の総会が行われました。総会終了後に伊勢真一監督作品「ゆめのほとり」の自主上映会を開催しました。
このドキュメンタリー映画は、北海道の認知症グループホーム『福寿荘』を舞台に、そこで暮らす認知症の人たちの毎日の記録です。我々のような介護を生業にする者は、とかく映画の中に普段の業務の上に発生する疑問やスキルに関する課題解決をもとめがちです。でも、僕は、この映画は「福寿荘」に暮らす人々をみることが大切と感じました。
認知症の人の行動や発言。まさしく、全国のグループホームでの毎日の様子が、そのまま収録されているような映画です。しかし、この映画をみてから、今まで認知症の人と接する中で感じていたストレスが軽くなった気がするのです。軽くなったというより、認知症の人をゆっくりとした視点でとらえることができる気がします。
認知症の人の介護は非常に難しいですね。独りの時も難しいです、しかし、小さなグループであっても支援するには結構高度なスキルと気づきが必要です。私は、このフィルムを観てとても気持ちが穏やかになりました。なぜでしょう?その理由は、自分でも分からないのですが、何となくポワ~ンと気持ちがやさしくなりましたね。
今度、一度、鈴鹿の市民向け自主上映会を開催したいですね。
天ぷら用のタラの芽を掃除していただいています。
このタラの芽は、居宅の所長の実家より毎年送って頂いてる天然のタラの芽です。
所長曰く、裏山にごっそりと自生しているというより、山の中に実家がある!と言った方が
正しい!と言っていましたが、毎年、段ボールいっぱい送って頂いています。ありがたいことです。
揚げたてのアツアツを利用者の皆さんのプレートにお配りしていき
そのまま召し上がっていただくのですから、これはうまいです。
エビのてんぷら、ナスの天ぷら、キスの天ぷら、かきあげ、タラの芽の天ぷら、
少し普段よりおかずの方が多かったかもしれませんが、皆さん完食!
子の天ぷらライブキッチンの実施には、うちが食事を委託している
(株)三重給食センターさんのご理解とご協力があって初めて実現できました。
普段より3名多い6名のスタッフに協力していただきました。
改めて三重給食さんに感謝申し上げています。
うちの父ちゃん、今日、ソファーから立ち上がろうとして転倒したそうです。
普段から立ち上がりと歩行はかなり困難な状態となってきてまして
両腕をもって手引きでも数歩しか歩くことはできなくなってきています。
人間は無意識のうちに状態を前かがみにして体重移動をしながら
立ち上がろうとします。
しかし、体全体の硬縮や硬化によって体重移動がしにくく
バランスを保つことが難しくなります。
うちの父はまさしくその例にそって
転んでしまったようです。
職員が介助していても、こればかりは何とも防ぎようのない事故でもあります。
なぜ防ぎようがないか?と言えば、転倒を恐れすぎる介助は
其の人の持てる能力を摘んでしまうこととなるからです。
転倒させないために、立ち上がりや歩行をさせなければ未然に事故は防げます。
しかし、そうやって毎日を過ごすことで、父から笑顔が消えていくスピードを速めます。
転倒した直後には、写真の赤丸の部分にコブができていました。
でも、あれから数時間が経過した時に見てみると
腫れも引いて、じっくり見ると少しだけ皮膚が切れている箇所が残っているだけと変わっていました。
皮膚が切れていると言っても、虫に刺されて血が出た程度のものですから、
そんなに重篤に考える必要のないものでした。
転倒させないことが絶対条件でもありますが、
僕は転倒をさせない!と言い切る事業所の介護は逆に信用できないですね。
つまり何もさせない!と同等の事を言っているように思えて仕方ないのです。