明日から土曜日、休みだ!という感激のことばではない。
金曜日がなぜ好きか?
NHKの番組の人生劇場「72時間」と言う番組がある。
カメラクルーが場所を決め定点カメラで、一か所のテーマに沿って定点カメラで収録する番組です。
ある飲み屋の様子だったり、大手のガソリンスタンドだったり、一番変わっていた場所にお盆の頃の
大型共同墓地にカメラを置いて、その墓地に来た人を収録し話を聞いていく。
この番組を観ていると、人生の縮図を垣間見るような気になる。
僕なんか、まだまだ甘ちゃんだな~とおもえてしまう。
今日はその金曜日である。
今日の72時間で紹介していたのが都内の貸しスタジオだった。
仲良しバンドが、集まってきて音楽の練習をする。
本当に色々な考え方を持った人がいる。
色々な考え方が人に興味を沸かせ
もっと知ろうと交流を深める。
時として感情がストレートにぶつかりすぎて喧嘩にまでなることもあるけど
こんな人間関係が面白く興味がある。
でも、若い人はNHK,観ないよね!!!!
昨年ころより、うちの通所介護事業所に遣ってkる要介護者の年齢が
自分と同じ世代、または自分より若い世代が増えてきた。
2025年問題と言われる、団塊の世代が75歳を迎える年
認知症の人の数も爆発的に増加するようである。
ぼくも、その中の一人かもしれない。
以前のように、自分の先輩をお世話するというスタンスで接していたが
これからは、僕の後輩をケアする。そんな時代になってきた。
僕も決して体調管理を充実させているわけでなく
脂肪肝、高脂血症、高血圧と生活習慣病をもっている身として
いつ何時、要介護者になるかもしれない。
いや、要介護者となっても不思議ではないんだ。
僕は、自分が要介護者となった時に、僕の世話をしてもらうために
この事業を始めた。そして、職員さんには上質のケアを学んでもらいたいと
願い続けてきた。
まだ、ちょっと目的を果たし切れていないので
今すぐに要介護者になることは避けたい。
これすでに、人生に対する未練なんでしょうね。
今年になって早々、グループホームの協議会会員事業所にむけアンケート調査を行った。
ぼちぼち回答用紙が送られてきており
いま、集計を始めたところだけど
一昨年に実施した結果に比べても
人材難がさらに厳しくなってきているようだ
不足傾向にある、または完全に人員不足の事業所を含め6~6.5割の事業所が人員不足瀬戸際の
職員数のようである。
逆に、職員に余裕ある事業所は、一人や二人の余剰ではなく、5人や7人も余剰を抱える。
極端に二極化しているのが見えてきます。残念ながら、地域を設問に居れていないので
地域別に人材確保の難しい地域性は判断できませんが
どうも地域性ではないようである。
また、今の地域密着型サービス事業所の抱えている課題は
人員確保のむつかしさ以外に、
サービスの質の維持、管理
就労環境の整備と給与額を課題と考えています。
つまり、働いてくれる人がいない、欠員は避けたいがために
無資格の者を採用せざるを得ない。
スキルも経験もない新人職員に人財育成が必要となります。
給与額も先輩職員が、新人で経験もなく採用され
今の時代の最低賃金を超えて雇用されるなど
長年のスキルを持つものも、全くの素人も同じ給与額からのスタートとなる
そんな矛盾した終了環境があり、それによる先輩諸兄の離職につながる。
自分より後にぬうしゃしてきた無資格者が、自分と同じ額の給料を当初から
支給を受けるとなると、先輩諸兄にはたまったものではない。
そんな悪循環が、介護の業界に蔓延し、今後さらに継続的に社会福祉の業界で
働いていくためのモチベーションは低下していく要因となります。
このまま団塊の世代が認知症となっしまう2025年。
日本における介護職員の数は、提供サービスの質は?
とても不安な状況になることが予想されます。
昨夜のブログを書き終えて、NHKのクローズアップ現代と言う番組を観ていたら
偶然「科学的認知症ケア」について放送があった。
科学的とは、認知症ケアには、経験値と知識が不可欠であり
そんな経験を積むのに時間が必要おと言われてきた。
しかし、意外と経験値と言う、いたってアバウトなスキル評価ではなく
シッカリと科学的な接遇マニュアルに従って接することで
認知症のBPSDは、かなりの部分で緩和され、不安定な精神状態が落ち着きを取り戻すという内容だった。
そのベースとなるが、今、注目を浴びている「ユマニチュード」
ユマニチュードがなぜ認知症の人の安定に役立つかを
科学的に分析した結果、認知症の人とせ距離、視線を合わせる、視線を合わせ離回数や頻度、
そして、相手の体に触れる場所や強さが最大の効果を得る点をエビデンスとして
証明したのです。
寝ている認知症の人を介助する時に、どこまで相手の協力を得て支援しているか?が
大事なんです。そのために、相手の目を見て、相手の資格に自分を確実に捉えてもらったうえで
支援内容を理解してもらうことで、相手の協力を得ることができる。と言うのです。
手におえないBPSDの出現に打つ手無く困惑している介護職は、声掛けをその人の理解を
得る前の段階から、体に触れ眼もあわさず、シッカリと意思の疎通を行っていない場合が多い。
介助している間中、頻繁に相手の目を見て、同時にやさしく体の一部に触れて
危害を加えないことを理解してもらえれば、それまで抵抗していた人が
シッカリと介助に協力的となるのです。
非常に興味深い結果でした。
私たち、認知症介護指導者が研修の中で常に説明してきた「認知症」も
目からうろこの状態でした。
この番組に興味あるなら、再放送、またはオンデマンドを観てください。
参考になりますよ。
認知症の人のケアって、行政がガイドラインを示すようなケアでは何もできないのです。
現実はもっと、もっと大変な世界です。
決して綺麗ごとでは済まされる世界ではないのです。
今日の夜のニュースでも四日市で認知症の夫を妻が殺そうとして
自宅に放火した報道がされていた。
夫は妻より7歳年上の寝たっきりの認知症。
認知症の人を抱える家族は大変だ!
夜、シッカリと寝かせてもらえない。
下手すりゃ昼間も活発に動き歩くから
家族とすればたまったものではない。
私の祖父が認知症となって、家の中は常に何だかんだと騒々しい毎日だった。
まだ私の祖父は性格が大人しかったので、暴れたり暴言を吐いたりすることはなかったが
いつも妙な不安を訴えていた。例えば、テレビの配線をみて蛇がいるとか、
部屋の隅に人がいるとか言ったことを訴え続けていた。
最終的に、その当時に設立したばかりの特別養護老人ホームに入所した。
入所後、まもなく嚥下が困難となり、食事もとれなくなり
その当時は胃瘻は一般的に行われる時代ではなかったので
自宅でターミナルを迎えるために、施設を退去した。
食事が自力で摂取できなくなると、衰弱するのは時間の問題で
それから間もなく祖父は自宅で息をひきとった。
子供たちが集まってきて、最期を見守る中で昇天した。
祖父は特養に世話になっている頃は
自分のベッドで静かに寝っころがって、いつもお札を数えるそぶりをしていたそうである。
寮母さんが祖父に、何をしてるの?と尋ねると
祖父は「お金を数えとる!」と答えていたそうだ。
こんな認知症の爺さんは、専門職に言わせれば軽いタイプと言われる。
もっとすごいのは、この爺さんの息子の一人。つまりは僕の叔父の場合は最悪のケースに
近いタイプだったようだ。実際に僕が見たときは、その叔父が亡くなる数年前が最後で
最近の状況は親戚筋からの情報でしかないが、
この叔父は介護職泣かせの高齢者だったようだ。
家族を含め介護者の言うことを効かない、自分勝手な行動、排泄のトラブル、
夜中に徘徊、勝手に救急車を呼ぶ、食事制限があるにもかかわらず不規則極まりなく
買い食いを無断で行う。深夜に大声でわめき散らす。
どこの介護施設も遠慮するタイプであったらしい。
おかげさまで地域が違うので、うちのグループホームには入居できなかったが
こんなのが入居したら、恐らく職員より先に僕がノイローゼになってしまう。
医師の診断では前頭側頭葉型認知症であり、その原因が交通事故による
高次脳機能障害だそうだ。これは、薬に助けてもらわないとケアの質だけでは
安定させることができないタイプである。
世の中の認知症高齢者の一部には、このような非常に厳しい症状が出現する人がいる。
それでも、そんな人でも人間である、人の父であり、母である。
今は人間らしい振る舞いはできなくなっているかもしれないが
それでも人間である。回復が望めないから生かしておく必要性が無いとは言えない!
夜勤を終えた職員が、時として帰りがけに
「昨夜はひどかったです!」と一言つぶやく時が、太陽の家でもある。
他人が他人を介護するからできると言います。
真剣に自分の親として見ていたら、とっくの昔に殺しているかもしれない。と
僕は思うことがある。
認知症、それは決して侮れない症状であり、私たちの専門職としてのプライドが無い限り
この仕事はできないのかもしれない。