高齢者介護をある人は「生産性のない職域!」と言う。私でなくとも、この言葉に腹が立つ人は多いと思う。しかし、なかなか、この生産性の無いと言われる所以に対して反論が出来ないでいた自分が居る。確かに、高齢者には後が無い。どのような訓練や施術を実施しても年寄りは年寄りであって、若返ることも、ばりばり働く事が出来るわけでもない。残すところ「死」を待つだけの生活である。また同時に、介護の現場では、砂漠の中に池を作るがごとく、職員が毎日毎日バケツの水を一生懸命注いでいるような日々を送っているようにも見受けられる。しかし、私達の社会から福祉を除いてしまった世界を想像しても分かるように、福祉の低迷する社会は、夢も希望も持てない混沌とした社会であり、まさしく映画「マッドマックス」の世界がそこにはある。
中世ヨーロッパの文化は素晴らしい文化遺産を残している。その文化遺産は富める者の文化であり、一般庶民の文化では無い。その当時のヨーロッパに暮す庶民は、毎日の最低限度の生活を維持する事だけが精いっぱいであり、そこには将来に対する夢も希望も描けなかった状態だったと学んだ。社会保障が充実しない国の経済は衰退する。そのまま歴史が物語っているではないか!
日本の社会保障制度とは年金、医療、福祉の三本立てで賄われている。社会保障費の額や国民負担率は兎も角として、私達の日本では低水準ではあるが、一応の形は整ってきている。日本の文化、経済の両面に於いて、ただその局面だけに勢力を注げば人間は幸せになれるか?と言えば、必ずNO!である。
私達の実践する高齢者介護も日本の社会保障の一環をになっている。また、今の日本の経済の基礎を築いてくれた先人達の行く末をしっかりと、その人たちの人間としての尊厳を守り見守る事は、そのまま、今の若者達の老後の安心と安全を構築している事につながる。
以上の理由で、私達の行っている高齢者介護、はたまた社会福祉全体は、決して生産性の無い職域では無い!