太平洋戦争を僕は知らない世代である。
終戦から八年後に生まれているからだが
それでも、今のように贅沢な時代ではなかった。
戦後の復興最中であり、まだまだ日本国民は裕福な生活とは言えない時代でもあった。
繁華街では白装束で軍帽をかぶり、松葉杖で支えた身体で募金を募る人もいた。
母が、そんな人たちを『傷痍軍人』と呼び、戦争で怪我をして生活苦のために
街頭で 金銭の施しを求めていた。
戦時中ほどではなかったものの、田舎の百姓の子供のおやつといえば
サツマイモや米菓子やトウモロコシ等の畑でとれるものだけ。
生クリームたっぷりのクリームパフなんて食べたことはなかった。
チョコレートだって、上等な砂糖菓子なんて口には入らなかった。
子供たちは、多かれ少なかれ皆、継ぎはぎのあたった服を着ていた。
毎日、同じ服を着て、袖のところで鼻をぬぐうから、袖口が光っていた。
ゲーム機もないから、遊び道具は自分たち手作り。
木を削ってピストルに似たおもちゃを作り、戦争ごっこをやった。
そのころ流行っていた漫画の主人公の絵が入ったメンコは
田舎では高級な遊び道具で、僕たちは牛乳の厚紙の蓋をつかって
メンコ遊びをしていた。
戦後八年も、まだまだ日本の社会は発展途上国の様相であり
急激に社会が発展し始めるには、終戦から二〇年の年月がかかった。
本当に貧乏で、何もない不便な時代だったが
それでも、子供時代は楽しかった。
皆が共に貧乏だから、貧乏でも何もなくても恥ずかしくなかった。
テレビも、冷蔵庫も、車なんてめっそうもない。
そんな時代を過ごして、六〇数年がたって
自分の生活も随分と近代的になり、裕福になった。
でも、まだ何かを今でも求め、探して生きている。
人間てのは、どこまで行っても欲深いものだ。
この欲深さと併せて、生きることへの執着も果てしなく続く。