理学療法士とは、Physical TherapistまたはPhysio Therapist)は、医療従事者(コ・メディカルスタッフ)の一員であり、作業療法士(OT)、言語聴覚士(ST)、視能訓練士(ORT)と共に、リハビリテーション専門職と称されるうちの一つである。施設によっては、これらの専門職を先生と呼ぶ事業所がある。
なぜ医療従事者は先生と呼ばれるのか?それでは看護師も医療従事者の一部であるにもかかわらず先生とは呼ばれない。同じ業務独占の名称であり、ましてや看護師の場合は医師と同じ「師」である。その反面、理学療法士は名称独占の社会福祉士や介護福祉士同様「士」である。漢字ひとつみても、僕には理学療法士を先生と呼ぶ理由が理解できない。
理学療法士の皆さんを馬鹿にして言っているわけではない。リハビリテーションの分野においては、とても重要な役割を担っており、高齢者に限らず障碍者にとっては神のような存在であることは認めている。しかし、それとこれは少しばかり意味が違うような気がするのだが・・・
社会福祉に医療と介護が含まれることは、当然の事実であり、我々介護職もソーシャルワーカーもその分野の一部を担う専門職の一つでもある。地域ケアが叫ばれる中、医療、特に医師も一つの社会資源の一部であり、古い昔のように医師を頂点としたヒエラルキーの元、頂点に立つ医師がすべての意思決定を行い、縦の関係性を駆使していた時代と同じように、医療従事者としてヒエラルキー上部に位置するという昔風の慣習的敬称なのか?
地域で高齢者を支えるシステムとなり、高齢者介護を施設入所だけでまかなうことが実際に困難な状況となるほど高齢要介護者の増加が想定される今、地域における医療、介護、インフォーマル社会資源など関係する専門職と地域資源が同じ立場で情報を共有し、協働することで要介護者を支えていこうという時代において、理学療法士や社会福祉士などの特定の専門職を先生と呼ぶ時代ではないと思っている。医療や介護の目的でもある弱者救済の場に「先生」ばかり増え、救済される側との関係性において主従関係が存在すること自体おかしな話である。立場を超えて、専門性を生かし、伴に支える意識が無くってどうする?!認知症指導者となって修了証書授与式の時に言われた言葉、「認知症指導者となることは、偉い人となったわけではない。」この言葉が心に響く。
そう言う僕も、医師に対しては先生をつけて呼ぶ。同じ立場で要介護者を支えると言いつつも、医師だけは違う。その理由は僕自身の理屈が矛盾しているということなのだろうか・・・?
こんな事に拘っているうちに眠気が飛んでしまって、また今夜も一人紋々としてデスクのパソコンに向かってつぶやいている・・・