太陽の家

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ブログ-施設長の部屋

2012/2/10
生まれて初めて歯の神経とやらを抜いた。

ガキの頃に数本の虫歯治療を行って以降、大した歯の治療の必要も無く今までこれたが、この歳になるといよいよ歯の治療が必要となってきた。今年に入って、左上の奥歯に痛みを認識し始め、その都度、歯医者に行っては痛みを訴え続けてきた。私は根っからの小心者で、痛みに対して非常に弱い。こんなものくらい!って歯科医師に笑われるような症状にも、痛い!痛い!と繰り返し言ってきたが、ここに来て、夜も寝れない程ズキズキと痛み始めた。

 予てより、痛みがひどいようなら神経を抜くしか手立ては無いと言われていたこともあって、今日は朝から診療予約を入れて受診する決心をした。決心と言うと、神経を抜くと言う決断となるわけで、診療台に座るや、麻酔を打たれ、あれよあれよと言う間に歯を削られ、麻酔の効きが悪いと、追加の注射をして・・・と大騒ぎ。診療中も歯科医師や助手と話を続けたため、喋りすぎ!と叱られ、トホホ…・恐怖感をごまかすため、しゃあないねん!と一人思いながらも黙って治療を受けた。

 治療には、さほどの時間はかからなかったものの、やはり麻酔が効いている状態だと、口に違和感を感じ、食事するにもいろいろと不便なことが多いものである。食べたものが口からこぼれる!まず、これが一番大変。次に、痛くない部分まで重い感覚で、余計に全ての歯が痛みだしたような気になる。やはり、健康って大事だ!と改めて感じた歯痛だった。

2012/2/8
異文化との交流・・・?!

今日から太陽の家では、海外からの研修生を二名受け入れている。以前、介護職員としてペルー人を雇用していた時も、それなりに異文化の交流があったが、今回はブラジル人の研修生である。まず、大きい! 日本人とは違って体格が良い。食生活が日本と違うせいか、体のつくりが違う。そして、考え方も違う。顔立ちは日系人だけあって、日本人風の顔はしているが、それも、人物全体から醸し出される雰囲気は生粋の日本人とは異なる。何が違うのか、はっきりとは言えないが、やはり根底に存在する考え方の違いが、そのまま態度や行動に違いを生じさせているように思う。

 そんな研修生と一日過ごして、終わりがけに反省会と意見交換会の場を持った。もともと短期間の研修と言う事もあるので、利用者の全体像を把握して介護することは困難であるので、表面的な傾聴を中心とした介護を実践して頂いた。入浴介助の現場にも立ち会ってもらったようだが、それなりに感じることは多かったようだ。

 利用者の皆さんも毛色の違った研修生の訪問で、皆さんが余所行き言葉で応対をしていたのが笑える。皆さん、それなりに笑顔で、根掘り葉掘り、時折、大阪のおばちゃん的図々しさを発揮して、年齢やら結婚やらと質問をしていたが、意外と皆さん、利用者の方々は楽しそうであった。特に面白かったのは、重度の認知症を患っている男性利用者さん、普段だと職員に抵抗ばかりしている人なのだが、今日の研修生の片言日本語の語りかけには、終始苦笑い。言うこともちゃんと聞いてくれている。と言うと、普段の拒否ばかりの行動って、確信犯なの?と疑ってしまう。まあ、認知症って、そんなもんだ!と・・・・

 うちの職員も、物珍しそうに接していた。特に言葉が変になってしまう傾向になりがちだった。相手が日本語を理解できないのではないかと言う心配からか、ちょこっとカタカナ言葉を交えたり、身振り手振りで話をしたり、特にゆっくりとはっきりとわかり易く説明しているリーダーが印象的だった。まあ、時には、こんな研修生を受け入れてみるのも変化があって、ちょっとした息抜きになって良いのかもしれない。そんな感想を抱きながら苦笑いする私だった。

  そう言えば、最後の意見交換会で研修生が、朝礼で私が職員にミスに対する注意をしてた姿が恐ろしかったと言っていたが、本当の私を知らないな!と思いながら、ちょこっと悔しくて腹立たしい思いでいたが、内心では「日本人男性の本当の優しさは、外人のお前らには分かってたまるか!」と一人でぼやいていた。

2012/2/8
震災における障碍者への支援

音無き不安、光無き恐怖と書かれたタイトルを見て、本当に大震災時における恐怖や不安は健常者には想像できない程のものであろうと感じた。東京直下型大地震が話題に上がって間もない今日、朝夕二回程、東京近郊で震度2を観測した地震があった。あれ程過密した大都会で大きな地震に襲われた障碍者の不安を考えると、私たちが思いやってあげなければ!と強く訴えたい。

例えが悪いかもしれないが、私の愛する愛犬の一匹が視力を失った。小型犬の女性だから、なおの事小ぶりのダックスフンドである。普段家の中を自由に歩き回っていた彼女も、失明してから、我々人間の移動が見えない。見えないと言う事は、音で相手の行動を察知する以外に方法が無くなるわけで、そんな彼女は、我々の急な行動を回避できず、時々、結果的に足で蹴られる時がある。最近では、そんな突発性の事故を嫌って、音を聞いて、大げさに逃げる行動に出るようになった。すると、今度は、自分のいる場所と家具の距離を察知できずに、家具にぶつかる事がある。

見てると本当に可哀想に、また不憫に思い、家の中で私たち家族は、不意の行動に最新の注意を払う事となった。犬でさえ、暗闇の世界は不安定極まりないはず。ましてや、そんな不安定な環境に、周りの多くの人間さえもパニック状態で右往左往する中では、障碍者は安全地帯に非難する事すら難しくなる。聴覚障碍者にしても同様、自分の身の回りの異常に即、反応できない。

我々、健常者は、もしもの災害発生時には、そんな障碍者の苦悩を理解して、出来る限りの援助の手を差し伸べて欲しい。視覚障害者が、聴覚障碍者が、我を忘れて逃げ惑う健常なもの達になぎ倒され、踏みつけられる、そんな姿は見たくは無いと思っている。

2012/2/7
ブログネタの提供を受けたのですが・・・・

今日の仕事、終わりかけの時間に太陽の家 居宅介護支援事業所のケアマネから二つのブログネタを提供された。一つは、私自身の職員への接し方が以前に比べてもやさしくなった!と言う件、そして、二つ目には、昨日の僕のブログネタではないが、居宅介護支援の中で、彼女なりに感じる「要介護認定の不思議」についてであった。私が職員に優しく接することに、自分自身が今でも自問自答を繰り返している。という段階で、その処遇方法に結論は出ていない。太陽の家を設立した当初は、自分自身も福祉は初めての業務であり、暗中模索の連続であった。周りの職員は、それぞれ色々な施設での経験を積んだ者が多く、私自身、彼女達に頼り切っていたところもあるが、逆に経営者として自分の目的と意味を見失わないように、結構意地をはっていたところはあった。そんな、負けてたまるか!という意地の局地が、結構荒くれた存在であった自分が居た。ところが、それから数年の時が経ち、自分自身も福祉を学び、それなりの資格取得も達成した今では、逆に全開、フルスロットルで走らなくても、職員を管理できる状態となったと思っている。その気持ちのゆとりが、優しさとして出てきてるのかもしれない。

次に、要介護認定の不思議については、守秘義務という厄介な代物が存在するお陰で、詳しくは述べることが出来ないが、要するに要介護認定基準のあいまいさの問題が、大きく高齢者介護を後退させている。と言うことである。要介護認定も人が判定を下している。もちろん、一次審査は点数によって機械が判定を下す。その判定を基に、介護認定審査会なる有識者のグループが、細かな点をつついては審査を行う。誰しも、自分自身の要介護度を高く評価される事には抵抗があるはずである、と思うが(考えてみてほしいのは、貴方は動けなくなった老人・レベル5でっせ!と評価されている様にに感じる人もいるかもしれない。
しかしあながち、そればかりではないようなのだ!そこには、いろいろな環境が左右するわけで、家族支援を望めない要介護者は、出来る限り限度額の多い要介護度を求めるわけである。高い要介護度を設定されると、その分、利用できる限度枠が拡大する。1割負担は受益者負担としても、枠の拡大は利用範囲の拡大とイコールだからだ。また、施設の場合は、要介護度によって介護報酬に開きがある以上、高額の要介護度の利用者の方が実入りは大きくなる。

先のブログにも書いたように、介護保険をビジネスと考えて運営する法人にとっては、これらの要介護度と言うのは、とても大きな注目点なのである。だから一番良い方法として、重度であろうと軽度であろうと、要介護者には、一律の報酬として、その人に本当に必要なサービスを提供してナンボ!というシステムに変えれば、提供されるサービスの質も向上するのではないか。この場合、担当するケアマネジャーの資質が非常に大きなポイントとなってくる。必要とするサービスと提供できるサービスの格差。ならびに、僻地での供給源の格差等に関しても、共に大きな別の課題を背負い込む事となるからである。全てのケアマネジャーが公明正大に社会福祉の担い手として、客観的な第三者判断を持って、偏りのない計画を作成し、それに伴ったサービスが提供される世の中であれば可能であるかもしれないのだから、残念ながら、この私の書いている方法論も机上の空論と言わざるを得ない。

2012/2/6
介護報酬改定について・・・・第二段

 介護保険の報酬改正がこの4月に実施されることは、このブログでも数回書いてきた。今日は、グループホームの介護報酬改正に関して、自分なりの考えを書いてみたい。まず、今回の新たな改正で変わった点は、要介護1、2の介護報酬が切り下げられた。要介護③以上に関しては据え置き。そして、新たに1ユニットの事業所の報酬と2ユニット以上の事業所の報酬に差を付けた点が大きく変更となった。ご多分にもれず、グループホームの介護報酬も下がった!と言うべきだろう。

 ここで問題となるのは、要介護1・2の介護報酬が下がったと言うことである。認知症に限らず要介護1・2のレベルの高齢者と要介護5の高齢者と、本当にどちらが介護に時間がかかるか?と言う疑問である。普通、要介護1というと、初期の要介護状態と考えがちである。(少し、言い方が変だが) 確かに要介護1の高齢者は自立している方が多い。さて、自立と言っても、自分で移動や食事、排泄が出来ると言う人達であって、認知症を患って重度の記憶障害があったり、精神的な疾患(老人性の鬱など)を持ち合わせていても、要介護認定に取り入れてもらえにくい点が実際の認定調査でも課題となっている。逆に要介護5の高齢者は、概ね身体機能御が極度に低下している人が多く、その大半は寝たきりに近い状態である。つまり、要介護1の高齢者は、健脚で自由に動けるが、記憶障害のために行方不明になり易い。行動は活発、言動も活発、介護者にも言ってみれば負担の多いけーすが多い。逆に要介護5の高齢者は、寝たきり状態であれば、行方不明になる心配は少ない。(当然だが・・・)、排泄もオムツなどに頼ってしまうケースが多い。それぞれ、違った対象であり、それぞれに専門性が要求される。もちろん、中には、支援の量で言えば、まったく支援の必要のない要介護1の高齢者も存在するが、大半は何らかの社会的資源の支援を必要とする人が多いのである。

 簡単に言ってしまえば、要介護1と5では、介護報酬の単価は1.5倍程の差がある。報酬単価を設定した役人さん達は、要介護5の方が身体介護の量は多く、要介護1の方が身体介護は少ないはずだ!と言う理論を持って設定されているようである。だから、要介護1・2に関しては、それ程の支援の量は必要ではないから、単価を下げましょう!と評価されたのかもしれない。これは、認知症の高齢者だけに限らず、本当に高齢者に関わる疾病や症状を理解して、そこにサービスを供給している支援者の実情を理解しているのか疑問である。

 グループホームにおける認知症高齢者の姿は、普段、短時間の訪問程度では見えにくい。認知症の高齢者の生活支援には、粘り強い根気と我慢が必要不可欠であるが、ほんの少し関わるだけでは、認知症特有の周辺症状(BPSD)は表出されない。だから訪問者は、何も一般のばあさん、じいいさんと変わらない!と思いこんでしまう。ところがドッコイ!な現象が、日常的に職員の頭を悩ます状況が見え隠れするのである。当然、職員にかかるストレスは大きく、少数の介護であり完全個室ユニットであることからストレスの固まりを虐待という非人道的行為で発散してしまうことも起こりえるわけである。

 また、職員の負担は大変だね!と他人事のように澄ましてしまうことは可能かもしれない。しかし、ここまで報酬単価が下げられてしまうと、小規模ユニット程、施設経営が成り立たなくなっていく。ただでさえ9人・1ユニットだけの施設運営では、自ずと売り上げの上限が決まってしまう。そこにきて要介護1・2の率が増えれば、その分売り上げの目減りが顕著に表れてくる。当然、事業所としては現在の入居者に関しては、要介護度のアップを望む、つまり介護放棄まで行かない程度の低レベルな介護を進める事で、その利用者の身体機能は著しく低下する。また、新規入居者の選定では、要介護度の重い人を優先する。つまりグループホームの特養化が危惧される。

 ただでさえ、認知症ケアのスペシャリストになるべく研修と研鑽に努めてきたヤル気ある介護職員達の気持ちを無視して、事業所の事業収支が最優先課題となった運営に阻まれ、更なる介護の質の低下が起こりえる。

 認知症に限らず、人間社会の中で役目を終えたと考えがちの高齢者たちには、それなりの適切な声がけ、支援、援助と見守りを提供し続けないと、それこそ、肥大化する社会保障費用で日本国としての経済活動も公共事業もままならない状況となってしまうのではないかと心配する。もちろん、営利法人だけが悪ではなく、社会保障全体を食い物にする、そんな輩が増加する、そんな悪いスパイラルへのシフトが行われているような、そんな危機感にさいなまれてしまう。

2012/2/6
第46回スーパーボールに興奮!!!

今日はBS1で朝から、アメリカンフットボールのチャンピオンシップであるスーパーボールが中継で放送された。ニューヨーク・ジャイアンツ Vs ペイトリオッツの対戦。最終的にジャイアンツの勝利で、今シーズンのフットボールは幕を閉じたわけだが、このジャイアンツとファイナルで戦ったのは、そう・・・私の故郷(?)であるサンフランシスコ・49ERであり、奇しくも僅差でサンフランシスコは敗れ、今回のスーパーボールへの出場は叶わなかった。

 またペイトリオッツは、昨年の一昨年のスーパーボールの勝者であり、このチームを率いるクオーターバックも超有名なQBである。スーパーボールを生で感染するには、よほどの金持ちか、根気よく長期間の座り込みをしてチケットを手に入れるかしなければ観る事の出来ない。それ程、全米の市民の憧れの一戦なのである。ネット上でもチケットの売買は行われているが、それこそプラチナチケットと呼ばれるほど、オークションでは高額なセリが行われ、一般人の我々には高根の花。そして、アメリカ人の二人に一人は、この試合をテレビで見る。つまり、視聴率は50%、全米2億の住民の半分、1億人がテレビにくぎっ付け!そんな超どでかいイベントなのである。

 今回の46回スーパーボールも接戦を潜り抜けながら、ジャイアンツの方に運は味方した。きわどいところで逆転し、そして僅差を守り抜いた。最後の最後まで緊張を緩めない、ペイトリオッツの攻撃に、確実に対応できたジャイアンツの勝利は、観てる者を興奮のるつぼへ導いた。49ERと言えば、その昔、アメリカンフットボールの伝説的ゲームを見せてくれたジョー・モンタナの第4クオーター残り3分の大逆転劇がある。

 僕は、この日、女房と連れだって香港旅行に出発するために名古屋空港の出発ロビーのテレビで観戦していた。最終クオーターの頃には、飛行機の搭乗が始まり、次第に出発ロビーから人の波が消え、ロビーのテレビの前には、僕とあと少しの人がテレビに見入っていた。なんせ、その時、サンフランシスコはベンガルズに3点差で負けていた。残すところ3分。49erの攻撃となり、ショットガンフォーメーションを繰り返し、レシーバーには、これまたスーパーヒーローのライスをおいての連続パスの攻撃。最終、エンドライン近くになって、それまでのライスからテイラーにロングパスを投げ、タッチダウン。のこり数秒という場面でのタッチダウン勝利は、出発ロビーでテレビにくぎ付けだった他の乗客と大声あげて喜んだものだった。

 アメリカ人がなぜ、フットボールを好むのか?それは、パワーの競技であると同時に作戦の競技である2点が、アメリカ人の開拓魂に訴えかけるところが大きいように感じる。アメリカ人って、意外と情にほだされる人種である。拳銃と暴力がはびこる無法な国と考えがちだが、結構これでいて古臭いモノの考え方をする人種なのである。なにせ、アメリカンドリームが今なお、国民の憧れ、そして、そんな夢を達成した者への素直な称賛。日本人のようなネタミや嫉妬は、アメリカ人の場合少ない。どちらかと言えば、勝者に対する称賛の方が多いし、努力してつかむ勝利に対する気概は、世界の中でも珍しいほど強い。だからと言う訳でもないが、世界のあらゆる国の紛争に対して、出て行かなくても良いのに加担して傷を増やしてしまう。

 まあ、そんな事はどうでもよい。今日も、アメリカ中の国民が、このジャイアンツとペイトリオッツの試合に興奮し、わめき、叫びそして歓喜の涙に酔いしれたのではないだろうか?日本でも、この中継をみて感動し、歓喜の声に興奮さめやらぬ者がいたのではないだろうか・・・・?

2012/2/5
少しだけ変わる介護保険?

この4月から介護保険が、少しだけ変わる事は知っていると思うが、この『少しだけ』と言うのは意外と曲者で、介護施設の根幹を揺るがす危険性を含んでいるものと考えたほうが良さそうだ。例えば、デイサービスのサービス提供時間を考えても今までとは、全く違った考え方を基本に据えている。今の一般的提供時間は、市内の通所介護施設のどれもが6時間〜8時間の提供時間を採用している。これが、4月からは7時間〜9時間のサービス提供時間にしなければ、報酬額は下がってしまう。恐らく、市内の全ての事業所において、サービス提供時間の延長が実施される事になるだろう。この一時間の延長は、単なる時間の問題ではなく、もっと深い意味で課題を背負う事となるはずだ。

太陽の家では、いまの時点で提供時間を7時間を少し超えて提供してきたから、あと30分余分に施設で時間を潰してもらえれば、そのまま新たなシステムに沿う事は可能である。問題はここに有ると僕は考えている。俗に言う6-8(ロクハチ)から7-9にするだけでは、利用者の満足や家族の理解は得る事ができない。自分の立場に置き換えて考えてみれば理解できると思うが、ただ単にダラダラと時間を潰す施設で、利用者は満足できるか? 不完全燃焼の利用者は、今まで以上に施設に置き留められて鬱憤が溜まり、そのはけ口が自宅に戻って家族にむけて発散されたら?又、 利用者の皆さん、楽しそうに一日を過ごしてもらえているように思っているが、決してそうでは無い。利用者は利用者で、誰に気兼ねなく寝っころがって、お菓子をつまんで楽にしていたい。と考えている人もいるはずだ。

家族の立場にしてみれば、最初の内は、この新システムを歓迎するだろう。一時間余分に自分に時間を確保できる。しかし、その分の費用負担も増加する。費用がぞうかする以上、それに対する付加価値を求めたくなる。其れが30分ないし1時間の時間的余裕だけで他に無ければ、そんな事業所のサービスを継続しようとは思わないだろう。特にメリットが無ければ、わざわざ時間延長されるより、時間短縮で安くあげる方が利用者にも家族にもメリットは大きい。

先に話をした様に、姉妹施設の様に専門性を前面に置いた介護の方、利用者メリットは見出しやすい。逆に言うと、サービスの質の問題が、大きくクローズアップされやすい。事業所に限らず、そこに働く介護職員の資質まで厳しく評価される時代となりつつある。今までの様な、単なる年寄り預かり所的発想では、施設経営が成り立たなくなる。言うなれば出来の悪い職員はクビにして出来る者を高額な給料でも雇い入れる方が経営は楽になり、利益も大きくなる。同時に、能力の低い施設は、其れに応じて利益の上がらない苦しい経営に甘んじなければいけないし、職員に支払える給料の額も縮小されがちとなる。

このように、今回の介護保険の報酬額改定は単なる単価の改定だけにとどまらず、介護の質からシステムの改革にまで手を広げて事業所自体が変わらなければいけない程、根深な変革が裏に隠されていると考えられる。しかし、もしも行政が、このような目論みを持ってるなら、逆に今以上の介護職員離れが起きる可能性も考えてもらってるかが不安である。ただでさえ安い賃金でこき使われ、おまけに資質の更なる向上を求められ、高齢者に尽くさなければいけない職業には魅力を見出せなくなる危険性も持ち合わせている。ただ、一つ言える事は、全てが全て、システマチックな大改革に限られているわけではなく、そこに働く「人』によって、十分なサービスの付加価値を見出せる事も可能では有る。血の通わないシステマチックな介護より温かな人間味溢れる介護を太陽の家のサービスとできれば! (できれば!ダヨ、誤解のないように) 経営者として、このような制度の改正に的確な方針を決断し、職員の協力を得る事がとても重要な鍵となりそうだ。職員ばかりでなく、管理者、経営者自身も変わっていかなければいけない。そんな重要な転換機を迎えている。

2012/2/4
好きな番組

今日は、先ほど食べることについてブログを書いたわけだけど、食べる事と同じくらい好きな事について触れておこう。僕は、テレビってのは、あまり見ない方で、毎日、テレビのスイッチはonになってはいるものの、番組を見てるかと言えば見てない。ただ音が出てるだけ。要するにテレビを付けっぱなしで、映像を見てない事が多い。エネルギーの無駄、と言えば完全な無駄である。

まあ、その無駄なテレビの番組の中で、好きな番組がある。BS日テレで放送される「小さな村の物語、イタリア」と言う番組である。イタリアの田舎町の風景や住人、生活を収録して紹介している。何の変哲もない、寂れたイタリアの小さな村が登場する番組であり、そこに住む人達が村を愛して、家族を愛して、そして、何よりも人生を愛している姿が、見てて気持ちが落ち着く。僕からすれば、何と羨ましい生活だろう!と憧れてしまう、そんな生活である。

そして、イタリアの田舎町の生活には、日本ほどブランド品にこだわる生活はなく、流行も日本のようなスピードで普及していないてんが素晴らしい。街の情景、人々の生活様式やファッションは、随分昔のイタリア映画を彷彿とさせる、時間が止まった社会のように、21世紀の日本からは想像できない程、まったりとした時間が流れているようだ。その昔、ソフィア ローレン主演のひまわりと言う映画の時代から進歩も発展もしていない村。そんな生活に憧れたりしてしまう。

2012/2/4
食べること。

自分にとって食事とは、いったいどれほどの重要性を、何に見出しているのだろう・・・と考えた。今日の昼休憩の時間にグループホームの入れ歯を忘れてきた職員と話をしていて、ふと考えた。 彼女が言うには、満腹になれば味は二の次、手間暇惜しんで旨い物を作って食べるまで気持ちが回らないと言う。 人間の一生の1/3は眠っている時間、そして、少なくとも一日三回は食事を摂っている。人によって食事にかける時間は違うだろうが、日本人の場合、長いと言っても二時間程度。欧米人のように、食前酒を充分に時間を割いてからメインの食事に入る人達は、それこそ夕食に3~4時間。私の知っている白人家庭では、夕食を食べ始めるのが夜の9時。夕方7時くらいから飲み始めて、十分に酒が回る頃からメインディッシュと入ると言うのを聞いたことがある。ゆっくりと時間をかけて食事を楽しむ欧米人に比べて、やはり日本人は食事に時間をかけない人種のようである。

 さて、本題から反れてしまったが、「食べること」って、人によって、随分とその価値が違う様である。また、味に関してもそれぞれの好みに大きな違いがある。食べることに重きを置かない事と、味の好みの相関関係は分からないが、今日話をしていた中では、市内のスーパーの販売する総菜の味付けに関しても意見は分かれた。ましてや、スーパーですでに調理済みの総菜を買ってきて、それがそのまま食卓に上るってのは、私は納得がいかないという話をしたが、彼女は、それ程、その事を問題視していないと言うことが判明。わざわざ苦労して調理する必要性または必然性ってのは、現代人には不要なのか?と考え込んでしまった。

 自分が食べたい物は、基本的に他人には任せられない!という思いが私の中には存在する。もちろん、失敗の無い調理ばかりでは無い、時には出来そこないのご飯!ってのも有るが、それでも、私は素材、調味料、調理方法にも有る程度のこだわりをもって調理する。ましてや、自分の好みの味付けは、他人では出せないとも思っている。麻布のキャンティのバジリコが美味しい。と思っても、それこそ麻布に行ってキャンティを訪れない限り、同じ味は食べることが出来ない。それと同じように、私は自分が食べたいものを、自分で一から作るしか食べる気がしないのである。

 それでは、調理する時間の無い時はどうするのか?という疑問がわいてくる。それはそれなりに、時間がないのだから食べずに我慢する・・・? そんな訳ないな!食べる事の好きな者は、空腹のまま寝床に入る事は出来ないわけで、そうなると仕方なしに家の前のスーパーに行って惣菜を買ってくるか、それともインスタント食品に手を加えて食べるか?という話になってしまう。

 まあ、食べることについて、ダラダラと訳も分からない呟きを書いてしまったが、私にとって食べることは、生きるためだけでなく生活の質を維持するためにもとても重要な行事なのである!

2012/2/4
また、そろそろ、デイサービスの見直し時期が・・・

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最近のデイサービスをみてて、そろそろ提供サービスの見直しをしなければいけないな!と感じてきた。それと言うのも、今の提供サービスが古臭くなってきたわけではないが、その時の利用者の置かれている状況にそぐわないケースが見受けられるようになってきた。例えば、脳梗塞を患い、リハビリに励む利用者Aさん、最近になって脳梗塞の再発を心配するような症状に悩まされている方が居るのだが、その本人の心配を考えることなく、以前と変わらない訓練を継続している事に、本人さんも更に不安感を増幅させる事となっているようである。

 それと、利用者の皆さんと職員の年齢差が、そのまま話題の偏りに影響し、共に話がかみ合わない状況が出没してきているようだ。利用者の皆さんは、それに対して不満は言わないが、職員の話しかけに対して興味を示さない状況が多いということに職員は気付いていない。職員さんは、利用者の前で、何を話しをすれば良いのか・・・恐らく、話題を探すのに一苦労どころか、頭の中は真っ白状態で、兎に角、思いついた話をするのが精いっぱい!ってところだろう・・・。

 適切な訓練、適切な話題、タイムリーでいて高齢者が興味を示す話題とはなんぞや?と言う事柄を、職員自身がもっと考えて責任あるリーダーシップを発揮しないと、太陽の家のデイサービスは腐ってしまう。そんな危機感を抱いてしまった。

 それと言うのも、うちの姉妹施設である「きらめきデイサービスセンター」は、昨年の4月1日から開所したばかりの新設のデイサービスではあるが、一年未満の今、すでに小規模事業所の定員枠いっぱいの利用者でごった返し、おまけに利用希望者をお断りしている現状がある。きらめきには機能訓練専門の理学療法士をおき、一日を通して専門的なリハビリを実践している。要するにリハビリが出来るデイサービスなのである。そんなところが大きな特徴として、利用者がドンドン増えている。

 太陽の家も小規模から通常規模にするには、それ程の時間はかからなかったものの、今は頭打ち状態である。通常期ののマックスまで利用者数を伸ばしたら、ご褒美にデイサービスの職員全員を東京一泊ご招待、赤坂のロウリーズ・プライムリブ東京で夕食を食べて、食後はリッツ・カールトンのラウンジでカクテルを御馳走しようと計画してるにも関わらず、なかなかマックスまで到達しない。あと少しのところにきて足踏み状態である。

 こんな窮地を打破するためにも、太陽の家独自の接遇を考えようと、近いうちに職員研修を実施する予定である。そのなかで、職員と一緒になって、話しかけ方、個別機能訓練の方法などを含めた「新たな気付き」を発揮できる介護の場を創設する勢いで頑張ろうと考えている。


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