太陽の家

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ブログ-施設長の部屋

2011/1/27
エアコンが故障してしまいました。

今朝から急に、それも何の前触れもなく館内のメインエアコンが故障してしまいました。太陽の家では、一階、二階共にメインのエアコンは大型の集中管理式ガスエアコンを使っていますが、それが今朝から全く作動しません。昨晩は動いていたようですが、この寒い酷寒の季節に暖房が切れてしまうと、これは大きな問題となります。偶然、天候も良く、陽の光も沢山降り注ぐ一日でしたので、昼間は何とか寒いなりに対応は出来ます。 こんな時の為に石油ストーブでもあれば代替暖房器具として活用できるのですが、我が家にしても全ては電気に頼っている始末。急場しのぎともならないエアコンでは、ここに持ってきて・・・などと言う手は使えないのです。

 もう寒さには勝てない、ましてや利用者の皆さんに風邪などもってのほか。急きょ、浴室の浴暖くんやら、各個室(相談室など)の電気エアコンをフル稼働させ、それぞれのドアを開放して対応しました。今回の故障の原因は、エアコンの中に組み込まれている電気系統の配線トラブルが原因らしいのですが、文明社会の便利な器具が壊れると、その影響は非常に大きなものとなる一例のような事件でした。

 ただ、二階のグループホームには、各居室には単独のエアコンが設置されているために、今回の故障の及ぼす影響は比較的小さなもので、その点では助かったかな・・・?と思っています。業者の話では、明日には部品手配を行い修理できるようにしてもらうそうで、今日一日だけは、利用者も含め、一枚余分に防寒具をはおって頂く事となりました。

 こんな時の為にも灯油ストーブの一つでも買っておくべきでしょうか…?迷うところです。

2011/1/25
デイサービスのおやつ作り

まずはお疲れさまでした! 初めて利用者の方と一緒におやつ作りを実施しました。実は、随分と昔に一度クリスマスケーキを一緒に作った事はありますが、その時には、利用者の方々は見てるだけ。一種の料理教室のような催しでした。平均年齢80歳をゆうに超えた年配の方々を相手の料理教室って、想像するだけで笑えると思いますが、そんなイベントを過去には実施しています。そして、今回のイベント。レクリエーション会議の最中、職員(特にフロアー長の熱い訴えかけ)のくどき落としに屈してしまった施設長。そんな熱意に動かされた結果のイベントでした。

 今日のおやつは「小さめのホットケーキにあんこと生クリームをサンドしたお菓子」を作りました。利用者の方々にホットケーキを焼いてもらい、それぞれのプレートにあんこと生クリームを分ける作業も利用者の皆さんに実施して頂いたのですが、今日ほど嬉しそうな顔を観た事がない程、皆さん大喜びでした。フロアー長は、それでも課題は残ったと言うのですが、残念ながら全ての利用者の方々にもれなく作業に参加してもらう事は不可能です。そこには、衛生面の問題や器具や備品の数の問題も存在します。ましてや、利用者の皆さんが満腹になるほどのお菓子を食べて頂く事も健康維持の上で困難かと思うのです。

 僕から見て、改善できる点としてアドバイスするなら、作ったお菓子を食べている時に個々のテーブルで世間話が無く、皆さん静かに食べていた点くらいですね。本当なら、美味しい?とか、次には何を食べてみたいとか?どうすれば上手にホットケーキが焼けるか?昔はこんな食べ物が食卓にあがったの?とかいう話題があればさらに良かったように思えます。個々の職員さんが担当するテーブルをどのように運営するか?をしっかりと職員が理解している事で、これらの世間話は可能となります。次回、機会あればチャレンジしてもらいたいですね。

 まあ、文句は兎も角、まず利用者の皆さんが喜んで頂けた事は、やってみて成功と判断すべきでしょう。何をするにも、高齢者には事故が付きもの。という意識は、全ての行動やイベントを消極的とします。出来る限りの制限や制約を取っ払って、ここに来て良かったと思って頂けるような介護に向けて、細かな配慮を怠らずに大をみる介護を実践して自立支援に結び付けていきたいですね。

 と、ここまでブログを書いている時に、利用者のご家族から電話連絡が入った。帰宅された利用者のカバンの中に他者のズボンが混入していたという知らせである。せっかく職員の努力を誉めたところに大失敗。やれやれ・・・・

2011/1/24
敬語の使い方。

 最近の介護職員さんのなかの敬語がちょっと変である。変と言うよりも完全に敬語にはなっていない場合が多い。恐らく本人はいっぱしの敬語で対応しているつもりだろうが、実際に話し方を聞いてると敬語ではなく、単にフレンドリーな表現を敬語と勘違いしているケースが多い。例えば、今日のデイサービスでの会話に、何か利用者の方が迷いがあったのか、介護職員が声をかけている。「・・・・いいよ~♪」 (軽~いニュアンスで語尾を引っ張るように言っている) 

 相手は年配者であり、サービスの利用者である。言ってみれば『お客様』である。何がいいよ!なんだ?「それで良いですよ」ならともかく(この言葉にしたって正しい敬語では無い)、相手は歳下の友人でもなければ、自分の親でもない人に向かって「いいよ~」は無いだろう。研修のたびに尊厳や人格尊重、思いやりなどについて教えられていても、正直言って何の役にも立っていない現状に少々苛立ちさえ感じる。私が常に唱える「出来ることは自分でやって頂く、出来ないところも最小限の支援に済ませる介護」には、相手の人としての尊厳を尊重して接する事が基本にある。あくまでも年長者であり、私達よりずっと経験も豊富な高齢者に向かって、友人またはそれ以下の対応は拙い。

 僕自身、赤の他人、それも初対面の人から古くから知り合いのような口調で話しかけられた場合、非常に不愉快な気分になる。ましてや自分よりも若い人に、上から目線でものを言われる、指示される事には少なからず抵抗がある。誰一人として好んでデイサービスなどに来ては居ない。家に居ても生活に不安があるから施設サービスを利用しているのである。その点を理解すれば、私達は、この利用者の皆さんは友人でもなければ仲の良い顔見知りでは無い。私達は介護の専門職として、ここに来て頂く皆さんのお世話をさせていただく介護職なんだ。

 日本人でありながら正しい日本語を使えない現象は、若者だけに限らず成人した子供を持つ親にしても同様の現象がみられる日本人社会。自分自身を含めて、もっともっと勉強し、自分勝手な日本語を流暢に操っている錯覚に気づくべきだ。

2011/1/20
気弱な高齢者。

 私の父の話である。最近、身内に重篤な病が連続的に起こっていた。年齢も年齢ながら、最近特に老化が早く進んでいるようでもあった。そこにきて、身内の悩みは年老いた父には厳しすぎた情報であったのかもしれない。人は、時として自分の精神で処理できないときに、退化という現象を引き起こす。つまり、聞きたくない!と物事の全てから耳をふさぐように自分自身を幼児化させてしまうのである。幼児の場合、難しい話や込み入った問題は解決する必要も、それについて悩むこともしなくてすむ。問題を直視しなくてすむように自分の耳をふさいでしまうのである。

おそらく、私の父も、其の現象が起こっているのか・・・?僕は精神科医ではないのではっきりとは分からないが、どうも様子が変である。情けない、悲しい、さびしい等、僕の父に対する気持ちはともかくとして、これも父にとって、強烈な外部からのストレスから自分自身を守るために、必要不可欠な機能なのであろう。今後、どの様な支援をしていくのか今は不明ではあるが、この現象は私の父に限ったことではなく、高齢者の多くに存在する恐怖観念、孤独感情などから逃げたい。其の思いに駆られて出現する自己防衛本能とすれば、私達の行う介護や支援にも、更なる検討が必要ではないかと考える。

 高齢者が気弱になる状況。もうそろそろ辛い思いから開放してあげることも必要ではあるが、開放することと同時に希望を持ってもらえるためにも正しい解釈へのお手伝い。要するに不安の現況である、先に待ち構える危険を過大評価しないで済む支援。が必要では無いかと考えている。

2011/1/20
軽飛行機のお話

 昔、僕がまだ会社員だった頃のお話で申し訳ないが、ちょうど30歳を迎えようとするある時。僕は会社の長期出張でアメリカの中央部にあるネブラスカ州に居た。アメリカ全土をターゲットにして、ちょうど中間地にあるネブラスカ州が便宜上、どこに行くにもアクセスしやすい環境と理由なのかは知らないが、兎に角、そんなアメリカでも何も無い州の典型と言われる田舎に住んでいた。西と東の間に4時間の時差がある大国ゆえ、会社の出張と言えば新幹線ではなく飛行機を使うこととなる。当然、飛行機に乗る回数も多いし、また、移動する距離もかなりの距離を移動する粉が多くなる。この時の仕事の詳細は忘れたが、何かの理由があって一般的な旅客機ではなく、双発エンジンのセスナに乗って出張したときのことである。セスナの操縦は、其の当時の生産課マネージャーが行った。アメリカでは比較的たくさんの民間人がパイロット免許を所持していて、うちの会社にもパイロット免許を持つマネージャーが居たのである。彼は、順調にリンカーン空港を離陸。目的地まで特段のトラブルも無く到着。僕は、軽飛行機を降りて自らの業務をこなし、またすぐに乗ってきた軽飛行機に乗って帰路についた。もちろん、うちのマネージャーが操縦。僕は後部の座席に一人で座って外の景色を眺めていた。

 自家用飛行機で時間の制約無く勝手に離発着できる便利さから横着からか、僕は出張先でコーヒーをがぶ飲み。まったく想定していない事態に巻き込まれるとは夢にも思わず。自家用軽飛行機というモノを知らなさすぎた。良く考えてみれば理解してなければいけない事を、すっかりと忘れていた。忘れていたと言うより、当初より考えにも及ばなかった。・・・・・そうなんだ!軽飛行機なるモノには便所がついていない。飛行距離も短く、搭乗人員も少ない軽飛行機にトイレまで設置できないのである。この重大な事実を、事もあろうか僕は想定もせず、沢山の飲料を飲み、おまけに搭乗前にトイレにも行かず、そのまま『えい!やぁ!』とばかりに乗り込んでしまった。そして、操縦を担うマネージャーも日帰りのフライトを気にしてか、そのままリンカーン空港に向けて出発してしまった。

 案の定、飛び立って暫くすると、尿意が起きてくる。やばいぞ!と思えば思うほど尿意は強くなり、次第次第と我慢の限界を超えようとしつつあった。満を持して、操縦しているマネージャーに悲痛な訴えをする羽目になった。軽飛行機と言えども、一応はフライトプランなるものを提出しているらしく、むやみやたらと、その辺に着陸して立ち小便などできっこない。しかし、そうこうする間に、僕の膀胱は破裂寸前にまで膨張し、我慢の限界をこえ鋭い痛みまで出るようになった。その時の自分自身の様子は記憶に薄いのであるが、おそらくとても悲壮な状況であったことと思う。操縦士のマネージャーは、僕の為に緊急無線を入れてくれて、一番近いコミュニティー空港(要するに田舎のちっぽけな飛行場)に着陸許可を取ってくれた。

 飛行機が着陸して、その後、どの様にトイレに走ったかは覚えていない。しかし、今まで耳にしたことの無いアメリカのど田舎の空港でオシッコをした経験は、今でも鮮明に僕の記憶に残っている。

ついでに、ニューヨークとデトロイトなどを仕事で回って、会社のあるリンカーン、ネブラスカへ戻る時のハプニング話を一つ。もちろん、このときの飛行機は、コマーシャルラインであり、一応大型のジェット旅客機である。僕は、数日の日程で出張を繰り返し、ようやくネブラスカに帰ることが出来ると言う日。ニューヨークのラガーディア空港を出発するジェット旅客機を待っていた。冬の寒い一日のことで、飛行場の外は細かな雪がふぶいているような状態であった。ニューヨークの冬は寒い。もちろん雪も多い。当然、飛行機のフライトスケジュールも乱れる。話は脱線するが、ほんの先日ほどの東海地方に降った雪でさえ、地元の交通機関はボロボロになるくらいだから、ニューヨークの冬だから、当然飛行機も遅れる。僕の飛行機もボウディングが開始され、シートベルトを着用してもなお出発の兆しは見えなかった。

『おい、おい、大丈夫かよ・・・?次の乗り換えをシカゴでしないと、ネブラスカまで今晩中に帰れなくなるそ!』と心配に。そして、其の心配が現実となる。ちょうどシカゴのオハラ空港に到着したのは1時間数十分を上回った時に着陸。僕のスケジュールはオハラからリンカーンへの飛行機の待ち時間を一時間しかとって居なかった。ニューヨークからの便を急いで降り、広いオハラ空港のウイングを端から端へ全力で走って、リンカーン行き飛行機の出発ゲートについた頃には、すでにボーディングゲートは閉鎖。搭乗予定の飛行機こそタラップの先には居るものの、すでにタラップと言うか乗り込みゲートは飛行機から離れつつあった。急いで、関係者を捕まえ事情を説明。係りの者から飛行機の操縦席に連絡。駐機エリアから滑走路に押し出されることをタクシーイングと言うが、そんな状態から飛行機は再び元の駐機エリアに戻り、通路をコネクト。閉じたドアを開けて、遅れてきた僕を機内に入れてくれた。一旦動き始めた飛行機、そこに乗り合わせた他の乗客にお詫びを言いながら席に着いたことがあった。

 飛行機が大好きな僕であるが、偶然、今まで大きな事故に巻き込まれることも無く、無事に利用さしてもらっている。アメリカの飛行機は、日本のそれとは随分と違って、大陸間を移動する交通機関として生活の一部に同化した存在であり、決して特別な乗り物では無かった。そんな飛行機が例の9・11事件以降、テロの道具となり厳重極まりない警戒大勝となってしまったようである。今の時代だと、僕が体験したようなことは、絶対に不可能なことであり、臨機応変は対応は望めなく、シカゴのオハラ空港の待合ロビーで一夜を明かすこととなるのであろう・・・・・

2011/1/17
めったにない雪景色

1月16日の早朝から、この地方では最近めっきり珍しくなった雪。こんなに降るとは、天気予報では大荒れの天候と聞いてはいたものの、実際に朝起きてびっくり仰天。まあ、昨日は日曜日でデイサービスはお休みだが、グループホームは利用者の方が生活している。と言う事は、必ず職員が居なければいけない。誰も職員が居ない施設なんて考えられないわけで、雪が降ろうが槍が降ろうが、何が何でも職員さんは出社しなければならない。「犬は喜び、庭かけ周り・・・・」♪ ♪ 的余裕もなく、如何にして施設まで行こう??!!って心配が出勤前の職員さんの脳裏に浮かぶ事だろう・・・

しかし、そこは責任感の強い太陽の家の職員さん達、日曜、月曜の二日間、グループホーム担当もデイサービス担当者も、徒歩や自転車を使って出勤してくれた。本当に有難い話で、誰一人として穴をあけることなく職員さんは時間通りスタンバイ。しかし、先のお知らせでもご案内したように、この天候、道路状況では例えスタッドレスを履かせた送迎車両でも、危なくって迎えに出発させられない。これくらいの雪で・・・・(雪国の人には笑われるかもしれないが)一番恐れるのは田舎の狭い路地を通行しなければいけないことからの脱輪や横転事故。鈴鹿は都会のような顔を持ちながらも、やはり耕作を中心とした農業がおもな産業の地域。各家庭は大きな敷地に大きな家、しかし、家々を結ぶ道路は狭く、舗装されている分少しくらいの雪にも滑りやすく非常に危険な、ハイリスクな道路事情が存在する。また、乗降の折に足元が滑って転倒などでもあれば、即骨折。雪の日の一日、家の外に出ない方がより安全と考えざるを得ない。そんな訳で、今日のデイサービスのサービス提供は急きょ中止となった。

デイサービスを中止する場合は、それぞれの利用者のお宅にお電話して中止の声がけをさせていただく必要がある。仮に連絡がつかない場合は、担当のケアマネジャーに連絡し、それでも一人暮らしの高齢者宅には、直接職員が出向いて安否確認を兼ねたご説明に伺う。

この気まぐれな冬型の天候に、普段とは違った緊張と責任が生じてくるのである。

2011/1/17
大雪により、本日のデイサービスは中止といたしました。

 昨日からの雪の影響で、今朝から太陽の家の前の道路をはじめ、市内の道路はアイスバーンとなっており、スタッドレス装着車であってもスリップ事故の危険性も多く、また、通勤ラッシュと重なり、市内の車による移動には普段の2倍から3倍の時間を要していました。これらの諸条件が重なり、デイサービスのお迎えに伺うことは多大なるリスクと考え、中止の決定を行いました。日中に高齢者お一人だけとなる世帯もあり、非常に苦しい決断ですが、送迎車両を含んで事故のリスクを考えると、今日一日はご辛抱頂く方が良い。という結論に達しました。午前11時となって道路状況も若干改善されてきました。また、明日からのサービス提供に今日の分も合わせて職員一同頑張りますので、皆様のご理解とご協力をお願いします。

   施設長   玉田浩一

2011/1/15
太陽の家にご寄付を頂戴しました。

太陽の家始まって以来初めて現金のご寄付を頂戴しました。今話題になっているタイガーマスクではなく、この寄贈主は昨年末にお亡くなりになった入居者のご家族様から頂戴しました。金額と送り主のお名前は伏せますが、今回寄付いただいたお金で、太陽の家のグループホームの利用者の皆さんの役に立つ品を購入したいと思っています。グループホームの利用者の方々からはマッサージチェアーなどの意見も出ておりますが、全員に役立つ品を検討して購入したいと思います。また、意見がまとまり、購入させていただいた時点で写真を入れてご紹介します。

今回のご寄付は、太陽の家始まって以来初の出来事で、とても驚きました。まさか私達のような施設に寄付を頂戴できるとは想像もしておらず、感謝の気持ちをどう表現したら良いのか分からずひょっとして、とても失礼な対応をしてしまったのではないか?と後になって心配したほどです。皆さんの介護保険から介護料を頂戴して運営している施設ですので、本来ならば受け取ることのできないものです。しかし、現実の問題として、高額な電化製品や備品などの購入は、今の収益では買い替えることも難しいのも事実で、今回のような心遣いは非常にありがたいと感謝しています。

2011/1/14
もう一つの感動。

今日は、僕自身が大きく感動した事が多くあった。もう一つの感動は、新人職員についてである。金曜日のデイサービスは流石に利用者が多い一日である。週のうち一番多い日と言っても過言ではない。職員にしてみれば多忙を極める一日であろう。その中で、私は事務所のパソコンに向かって仕事をしていた(・・・・・本当!ですよ・・・・?)。その時に聞きなれない女性の声で、利用者の人々に音頭をとっている声が聞こえてきた。それ程沢山の職員が在籍しているわけもない弱小の施設ではあるが、正直、その時の声の主を想像できなかった。とても気になって、席を立ってデイルームに出て聞いてみたら、先日採用した新人職員が音頭をとっていたことがわかった。この職員、採用してまだ日は浅いものの、僕の目には不安を感じさせる人物であった。慣れないこともあって、職場にいても「一傍観者」であった。後ろ手に組んで、黙って利用者の後ろに立っている。特に声がけするでもなく、何もしない。先輩職員から指示された事は、しっかりと出来るくせに自分から、輪の中に飛び込んで行こうとする意欲が感じられなかった。実を言えば、つい先日、この職員の処遇についてフロアー長に話をしたことがある。フロアー長には、このまま新人君が変わろうとしなければ、個々の職場で働いてもらう事は出来ないかもしれないとストレートな意見を言った。その時、フロアー長は、僕に少しの時間を求め、自分たちの力で働きかけてみると言ったのである。

 その働きがけが功を奏したのか、彼女は変わった。見事に利用者の方々と交流出来ているではないか!それも、大きな声で、リズム的に楽しそうに交流し始めた彼女を見て、僕は嬉しかった。同時に、フロアー長の意見を聞いて、待ったことに感謝した。もう少しで、有能な人材を手放すところだったかもしれない!と思った。

2011/1/14
グループホーム太陽の家

うちのグループホームの最大の特徴として、入居者による自治会が存在し、それが定期的に運営されている点である。もちろん、入居者である以上、それなりの認知症は患ってみえる。そして最大の問題は記憶障害であり、過去の記憶がほとんどが消し去られてしまうことである。一般的に言って、認知症高齢者による自治会などナンセンスと言われる方も存在すると思うが、私も職員も含めて、記憶障害と自治会運営とはまったく連結しない理論であると考えている。

 今日、私の元に管理者兼計画作成担当者(妙になじめない名称だが・・・要するにグループホームのケアマネであり責任者でもある)から自治会の議事録が届いた。内容を確認して思ったことが、とても活発な意見交換が行われていると言う事実である。参加者が自由な意思決定を行い、自分の主張を行っている。これは、とても重要な事で、太陽の家に生活する入居者の皆様が普段から本当の意味において自由な生活を送っている証ではないかと思うのである。虐待や身体拘束ゼロ運動は実施し、それなりにOJTの機会や施設内研修の実施を行っては来た。そんな機会を通して、個々の職員がそれらの研修を咀嚼し、理解したことの結果、このような温かい介護に視点が向きつつある証拠ではないかと感じるのである。部外者には「自画自賛」と捉えられるかもしれないが、僕は、今日の議事録をみて感動した。次は、この自治会で揚がった要望や意見を如何に取り入れて、改善すべきは改善し、維持すべきは維持できるよう職員全員の協働体制の中で作り上げてほしいと願っている。

 太陽の家のグループホームに入所して良かった!と言ってもらえるような介護を目指して!


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