これは日本だけに限らず、昨今のドライブマナーの低下は底知れず悪化傾向にあるようだ。日本の場合は特に道路事情も悪く、道路自体が入り組み、狭く、曲がりくねっている。太陽の家の前の中央道路は広く、直線的ではあるが走りにくい道である。走りにくいとは、とても危険な道路であり油断していると飛び出してくる車両と接触したり、急に右左折する車両に追突したりする危険性を含んだ道路である。
また、私たちのような通所介護事業所は朝夕の特定の時間帯(それも通勤ラッシュにかかる時間帯ということで、一般車両にはいろいろとブーイングが出ているところでもあるが・・・)に大きなワンボックス車両を住宅街の狭い路地などを走り回っている。そして、この狭い路地に大型ワンボックスは非常に運転に注意が必要で、一つの角を回るにしても何度か切り返しをして、ようやく通過していく。そんなサーカスのような運転を余儀なくされている。
しかし、今日の話は、そのようなドライビイング テクニックの話ではなく、こんなにも狭い、入り組んだ道路事情の中を緊急要請がでて急いで現場へ急行する救急車や消防車の話である。
仕事でもプライベートでも車の生活の多い自分がよく目にするのは、救急車が優先されていない今の交通事情のことである。運転免許試験では緊急車両がサイレンを鳴らして接近する場合、運転者は車両を速やかに減速し左の路側帯に寄せて停止しなければいけない。と習ったはずですが、このようなルールを守っている運転手さんを見たことがない。特にひどいと感じるのは、交差点に進入しようとする救急車がいても、交差点の信号が青だからか、急いで交差点に入り救急車の前を横切る車両が多いことである。言ってみれば、緊急車両が交差点入り口で、通過車両の通り過ぎるのをサイレン鳴らし、赤灯まわして待っている姿があるわけだ。
暴走族も爆音鳴り響かせて威嚇はするものの、往来の激しい交差点では一旦バイクを止めて安全確認をしたのちに赤信号無視で交差点を通過していくが、緊急車両のように赤信号を無視できる立場の車両までも、暴走族と同じように交差点で足踏みすることがある。これはどうなんでしょうか? 私たちの職場も緊急を要する体調変化の起きやすい高齢者がたくさん生活を共にしています。一刻一秒を争うような緊急時に救急車が何よりも優先されない道路って最低のマナーと思う。
救急車に自分が乗せられて病院へ搬送される時に、道路事情が悪くって助かる命を捨てることとなるかもしれない。と考えれば、もう少し対応も変わることであろう。
先にも書いたように、高齢者バスや幼稚園バスなどが朝夕の通勤ラッシュ時に道路を走ることに腹を立てるドライバーや、横断報道をあるく人を煩わしい存在と思っているドライバーもやさしさや思いやりのかけらもないエゴイスティックな人間としか言いようがない。少し昔に交通標語の中でこんなのがあった。「狭い日本、そんなに急いでどこへ行くの?」
サーキットでレースをする中にもいろいろなルールが存在する。一定のルールに従ったうえでお互いのドライビングテクニックやスピードを競うのがモータースポーツと言われるもの。ルールを無視して、自分自身が最優先の道路事情は品祖な国民性の証拠のようなものだ。
グループホームは、認知症のお年寄りが一人で生活するにはいろいろな問題があって不都合。それならば、認知症の人だけに特化した専門の施設で共同生活を行いながら、共に助けあって認知症の進行を少しでも遅らせる、また、専門職の適切なケアの元で安心した生活がおくれるように造られた施設です。認知症を患うことには記憶に障害を抱えることが大きな問題となり、外出しても家に帰れなくなったり、行方不明になったりして大きな問題に発展することもあります。
そのような中で、太陽の家では、入居者の方々だけで朝方の散歩を勧めている。当初より入居者の一部の方から外出の要望が高まり介護する側からみても、同じ敷地内だけの生活は、あまりにも悲しくわびしいものがある。と言う判断で時間の許す限り、職員が同行し外出を行ってきました。私自身も時々、お散歩にお付き合いしていたのですが、私たち職員が同行するお散歩の場合、入居者さんは全ての決断を依存してしまいがちでした。例えば、お散歩ルートの決定、道路を横切るタイミング、休憩を取るタイミングやお散歩の距離等について、入居者さんの気分は二の次に成りがちでした。
そのようなお散歩を見つめながら、湧いてくる疑問は、自分で行き先も決めれない散歩を散歩と呼べるのか?という疑問でした。これは「散歩」ではなく「歩かされている」のではないか?という疑問になってしまうのです。
認知症=記憶障害=帰れない=交通事故 or 転倒骨折などなど・・・
単独行動に潜む数々の課題を考えると非常にリスキーなお散歩です。大切な人たちをお預かりしている施設としては、事故を起こしてしまってはご家族に申し訳ない。また私たちの社会的な責任問題にも発展しかねない問題に直面することとなるのですが、私は敢えて入居者さん主体のお散歩を選択しました。つまり、職員の引率ではなく入居者さんだけで外出し帰宅する「お散歩」です。
先にも書きましたが、いろいろなリスクを想定すると決断は鈍りましたが、まずご家族に相談しました。それと、入居者さんの半単独行(入居者さんの後ろから一定間隔の距離を保ちながらお散歩を見守ることです)を見ながら、安全確認を行い、実際に交差点や道路横断の仕方や赤信号で停止したり、細かな確認動作をチェックしました。この半単独行を何度も確認し、ある程度の信頼を得るようになってから次に入居者さんだけの外出を行いました。
また同時に、私どもの施設の周囲には商業施設が多く、これらの店舗にも状況説明を行いました。もしも、お年寄りが道に迷っていたり、交通事故の危険性が見受けられる場合には施設に一報いただけるように協力依頼を行いました。
次に、もしもの時のために外出される方には、施設名称、電話番号と住所を記したIDカードを首からかけていただくようにしました。もちろん個人名は記入しておりませんが、施設に入居される人であることが分るようになっています。
ここまでのステップを踏んで、ようやく入居者さん単独のお散歩は実現しました。最初は2名の方がお散歩されていましたが、今では3名の方がお天気さえ良ければ毎日外出されます。また、もうお一人が、つられて散歩グループに入りそうです。
僕は、認知症になって施設に入所すると同時に、部屋の中、施設の中だけに閉じ込められる生活だけを強制したくはありません。立場を変えて自分自身に置き換えたとっすれば、恐らく強烈なブーイングの毎日になってしまいそうです。
自分自身の思うように、思う場所へ、自由に出かけることができない生活。そんな動物園の檻の生活は人間の生活ではないと思います。