グループホームの入居者の方若干名よりおと~ちゃん!と呼ばれる。お一人は「お父さん!」と、もうお一人には「おと~ちゃん」と呼ばれる。
ご自身のハズバンドを思うのか、それとも単なるオッサンとして総称的にそう呼ぶのかは理解できない。そう言えば、お一人は僕のことを「おじちゃん!」とも呼ばれる。
これは、やはり、オッサンと呼べない!失礼だから!という気遣いで「おと~ちゃん」と呼んでみえるのでしょうね!(笑)
でもお一人は、僕をお父さんと呼んだ後に涙を流して「嬉しかった!」と呟かれた。僕は心にジンと来るものを感じて、涙がにじんだ。僕は何もしていないのに、ただ単に二階に上がって、挨拶をしただけなのに・・・その方は、椅子に座ってテレビを観るでもなくジッとしていた。だから声をかけてみた。ただそれだけなのに・・・
その方は、テレビの映像をぼんやりと見つめながら、きっと遠い昔の思い出に旅をしていたのだろうと思った。お父さんと仲良く旅行でもしていたのだろうか・・・僕にはわからないが、グループホームの入居者の方々をみていると、何処となく寂しげな表情をする時がある。とても良く理解できる。そして、家族から離れてこの施設に住まなければならない事も理解できる。
私たち介護に携わる職員の中には、家族から離れた生活を強いられている。と考える者もいる。職員研修のときに色々な施設の職員さんたちに集まってもらうと、そのような考え方の職員さんをよく見かける。確かに、家族とは別の、離れた場所に共同生活とはいえ一人住まいを強いられている。寂しいだろう、辛いだろうではなく、その寂しさを我々専門職が拭い去って上げる努力をして、初めて入居者の方々の余生に光が差すのではないだろうか?
介護職として現場に関わる職員のすべてが、この人たちの余生について、もっと真剣に考えて、もっと素晴らしい余生をおくれるように支援することができれば、入居者の方々も生きてて良かった!と思ってくれるのではないだろうか?
私たちは、この現場を離れると、すっかりと入居者の方々を忘れることができる。逆にそうしないと、精神的なストレスで自分たちが潰れてしまう。だけど、ここの現場にいるときだけは100%年寄りのことを考え、支援し、その人の真横にいるようにしてあげたい。
僕には子供が居ない。つまり、僕の老後は孤独なものである。そんな自分もゆくゆくは施設で一生を終えることとなるはずである。そんな自分が住める施設を目指したい。少なくても、この太陽の家だけは、ぬくもりのある、やさしい思いに満ち溢れた施設にしたい。そう願ってやまない。