なんだかんだと勝手な理由をこじつけて、
世の中では10連休だのと言っている日本。
何度も書いているけど、なぜ、一斉に国民の祝日を
作り出して国民全員が連休を取らなければいけないのか、
理解に苦しむのは僕だけではないと思う。
この業界に限らず、10日間完全に閉鎖することのできない業種は沢山ある。
ここまでしないと仕事を休めない日本人と言わんばかりに
国民一斉に右にならえ式に休みを取る。
ここまでの連休が重なれば、旅行に行く人も増える。
観光地は普段よりも観光客でいっぱいになる。
ついでに、ホテルや交通機関も、特別価格を設定し
いつもよりも割高価格で商いをする。
日本で必要なことは、半強制的に休みを取らせる社会ではなく
いつでも思う時に個人のリフレッシュのためのまとまった休みが取れる社会
そんな社会をつくるよう働きかけることが、僕はもっとも求められている気がする。
有給を最低5日はとりなさい!
10連休にしましょう!
働き過ぎの日本人には、とても大切な号令だけど
このような方法で、本当にリフレッシュできるような休みがとれるのか?
もうすでに昨日の話となるが、4月3日は、母の誕生日である。
この年齢となっても、宗教的な儀式や慣習を全く知らない
非常識な人間極まりなく、おそらくあの世で母も嘆いていることだろう。
こんな育て方をした覚えはないのに・・・と!
かろうじて母の命日には、仏壇と墓参りをするくらい。
盆もお彼岸も関係ない。
そんな不義理を少し反省し、また、放ったらかしにしてことを恥じて
誕生の3日に生花を持参し実家の仏間を訪れた。
線香に火を点け、灯明を点灯し(近年では、油を燃やすことはしない、小さな電球が
灯明の代わりに点灯される)
手を合わせて、じっと仏壇を見つめながら
度重なる親不孝を詫びてきた。
母の死後、誰も済まなくなった実家も
次第次第と姿を変えていく。
ライフラインはそのまま継続してつながっているものの
キッチンや居間は、泥棒が入った後のように荒れている。
探し物をして、部屋の中の物を移動させたからだ。
いつかは、部屋の整理をしなければいけないと思いつつ
中な整理できないでいる。
長年の生活の歴史は、本当にいろいろな物に溢れかえる。
母が住んでいた家にも、処分しきれないほどの物があふれている。
量の問題ではなく、僕の中の心の整理がつかないからかもしれない。