エドの後に僕の英会話の先生を受けてくれたのはアメリカ人のジョン。
中学校の英語の教科書に登場しそうな名前だけど、
このジョンは、エドとは打って変わって
非常に硬い性格の教師で、彼はとてもしっかりと
英語の勉強をさせてくれた。
最初に会ったころは、少し贅肉がついた小太りの若者だったけど
次第に体が締り始めた。
彼は密かにスポーツガーデンのプールに通い
水泳をしてぜい肉をそぎ落とした、非常にストイックな男性だった。
日本で英語の教師をしながらも、アメリカに 戻ったら
テキサス州立大学の大学院に入学すると言って
願書を書いていた。あの当時は、まだパソコンが普及し始めた初期の時代
まだ手書きでいろいろな書類を、枠内に小さな字でいっぱい埋めていたことを思い出す。
ジョンは、願書が受理されて大学に戻ることとなり
そん時点で日本を離れ、僕の英語教師も居なくなってしまうわけだけど
他にもアンディー、ブルック、コーディーと数名の英語教師が
僕の英会話をトレーニングしてくれていた。
アメリカ人、カナダ人、オーストラリア人と
色々な国の友達。
昨年、ブルックは日本に久しぶりに立ち寄って連絡をくれたけど
他の先生たちは、今、どうしているのか・・・
昨日のブログに続き、今日も僕の家庭教師の先生の話題。