子供を虐待して逮捕されるニュースが多すぎるね。
自分の実の子供に対し性的虐待する父親のニュースには
人間とは思えない恐ろしさを感じる。
男を愛しすぎたあまり、相手の性器をちょん切った阿部定事件の
猟奇性とは違った、もっと鬼畜な低俗性を感じる。
今の時代の犯罪と言うのは、過去のそれ以上に短絡的で
非現実的な漫画チックな甘さがあるような気がする。
あたかもゲームの世界で遊んでいるそのままの延長線上にある
仮想空間での犯罪の様な。
ボタンを一回クリックすると、全てが簡単にリセットできる勘違いなのか?!
太平洋戦争以前の日本人家庭のように、沢山の子供を産む時代は
全ての子供に満足な物を与えることのできない社会だった。
一般的な子供の服には「継ぎはぎ」があたっていた。
そんな服が「普通」な社会から、裕福さを求めて努力した者の子孫にあたる
そんな世代が、今、起こっている冷血な事件の主である。
これは単に育て方を誤った!と言う言い訳では済ますことができない
そんな悲しい日本人社会に、この先の時代はさらに不安になる。
昨日のブログは、何を考えてんの・・・?と言われる内容となった。
今、読み返してもオカシイ!!
何がボンジョールノ!だ・・・!!!
と、叱られるかもしれない。
でも、これって意外と真剣な気持ちを書いたつもり。
僕の人生65年の中で得てきたものの多くに
実現する前から、冗談のように吹聴してきた。
冗談から駒ではないけれど、夢は心の中で押し殺すより
公の場で公言し、引くに引けずに現実化するように努力する。
僕の場合は、そのような無謀なまでに自分を負いこむことで
夢が現実となると考えている。
これは、僕のもつ性格でもあり、そこには幸運も加担しているかもしれないが
100歩引いても、やはり夢は実現できる、そして、実現するために
努力することが大切だと思っている。
人それぞれ、『夢』を持っており、その夢に向かって突き進んでいると思う。
時間かかっても良い、少し夢が変化してもいい、とにかく
自分の夢に向かって諦めない事。
そして、運が無い!と諦めないで努力を続ける。
そうこうしているうちに「運」もジワジワと味方してくる。
何事も諦めない。常に自分から腐らないこと。
人が何を言おうとも苦にしない。人は人、自分がどうなろうと
自分のやったことに他人は、何も損することもない代わりに
何も得ることはない。言うなれば、自分の努力の一番のうま味は
自分しか味わえない!そう考えれば、人が言うことって戯言でしかない!
自分を信じましょう!
と言いながら、イタリアンレストランをやる・・・??!!ほんま??