太陽の家

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ブログ-施設長の部屋

2013/10/16
海外かぶれ・・・

ここ数日間の仕事で、一日中多くの外国人の中で過ごしてきた。すべての会話が英語の社会に居ると、自分の考え方も欧米人的な感覚と変化していく。

彼らはいたって普通に、握手し、ハグし、キスを交わしながら親交を深めている。そして、女性に対しておくびれることなく感情を表出している。感情の表出と言っても、セクハラもどきの感情の放出ではない。相手の人格を尊重し褒める、美しさをたたえると言う意味の表現である。

日本人社会には存在しない表現である。相手が綺麗!と思えば、素直に美しいと言い、相手を称える。僕は海外生活から日本人の持つ遠慮、忍等の心を忘れてしまったのかもしれないが、できれば死ぬまで海外かぶれの人生を全うしていきたい。いつも香水の香りが漂い、さりげなく女性をエスコートしてフェミニストを気取りたい。

2013/10/16
イタリア人的人生の楽しみ方・・・?

F-1日本GPが終わり二日たった。鈴鹿で一緒に仕事をさせてもらった海外スタッフからメールが届き、その一人と電話で話をした。もうすでにイタリアに戻り、会社の事務所で仕事しているという。イタリアのモデナと言う所にある会社と言えば、知る人にはピン!とくる有名な会社である。

この彼とは、僕がこのF-1GPの仕事に携わるようになってから、ずっと鈴鹿で年に一度のレースのたびに接してきて、いつの間にかお互いの中に信頼関係が作られた。 イタリア人ってのは、情熱家でエモーション、とても熱くなりやすくて喧嘩っ早いけれど、女性には弱く、ロマンティストであると思い込んでいた僕は、このイタリアに住む彼の生活を見てみると、決して気楽な毎日を送ってはいないようだ。実際、今回のような日本にきて一週間、朝早くから夜遅くまで働き、本国イタリアに帰ってすぐに会社に戻り、毎日夜9時過ぎまで働いているそうだ。

イタリア人って、ゆっくりと昼食をワインと共に楽しみ、夕食にもたっぷりと時間をかけて会話を楽しみながら、イタリア料理をたっぷりと楽しんでいる姿を想像していたが、やはり世界的に有名な高級トレンドの発信源で居続ける企業だけに、かなりの点で「働き蜂」ばかりなんだ!と妙に納得する。

しかし、こんな働き蜂の彼を見てて、自分の人生のすべてを企業に注ぎ込んでいるかといえばそればかりではない。自分なりの人生を楽しんで生きている。彼は余暇を利用して日本庭園を自宅に作ったり、家族と旅行したり、食事を楽しんだりしながら、しっかりと仕事は仕事で割り切って実践している。

人間は、何せよ前進しなければ「自己実現」は成し得ないと考えている。一日中寝て暮らしても生きていくことはできる。一日24時間、寝る間を惜しんで仕事に没頭しても生きていける。どちらが楽ちんな人生か?僕は、一日中寝て暮らす人生が、決して楽ちんな人生とは思わない。

仕事一途でも良い。10の内の1でも自分の時間が持てれば、その1に没頭して楽しむ。全てを忘れてのめり込む。そして、残りの9を仕事に打ち込む。要するに気持ちの切り替えをk

2013/10/12
F1日本GP

金曜日からF-1マシンの走行が始まる。

今朝は、僕が仕事するGPオフィースのスタッフが、今年のF-1記念としてレーシングコース上で記念撮影を行った。僕はスタッフの一人ではあるが、外部の人間であるから、全員とのスナップは存在しない。

唯一、女性スタッフと共に写真撮影を行ったが、この人とは唯一10年以上前から同じGPオフィースで働く女性スタッフの方で、長く英国で暮らしたことのある方である。GPオフィースとは、グランプリ・オフィースの略称であり、主に外国人チームのレース運営のお手伝いを行う部署である。

今でこそ「ホスピタリティ」が叫ばれるが、ここでは10数年前より「コンシェルジュ」として、多方面のサポートを実践してきた。決してノーとは言わない。要望されることには真摯に応える。それを理念に掲げている。

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雨の予報の金曜日は快晴となった。朝7時30分。早くもチームの一部はチームのピット前でタイヤ交換の練習を行っている。4本のタイヤを交換するスピードの速さ。これは、ただ単に「すごい!」の一言しかない。インパクトレンチの回転する音が二回。それで、タイヤを外し、はめかえて締め付ける。この工程が終了する。2回・・・それも4本が同時に行われるために、2回にしか聞こえない。ただし、この交換作業だけに関わるスタッフは20数名が関わる。まるでハチの巣に群がる働き蜂のように、マシンを取り囲み、一気に作業を貫徹する。この作業と言うか、動作は素晴らしい芸術作品のようである。

レーシングコースど真ん中。この仕事だからこそできる写真撮影であった。僕の人生の1ページ。

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2013/10/10
F-1 GP 「勝利を得るだけのことはやっている」

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いよいよF-1日本GPも本番近くなって、鈴鹿サーキットのパドックも騒がしくなってきた。昨日までのパドックには、各チームのホスピタリティ テントの設営準備やピットの整備などで忙しく働くチーム関係者でいっぱいだったが、決勝日まで3日となる今、すべての準備は整い、ドライバー、スポンサーなどを迎え、一段と活気が出てきた。

さて、そんなF-1、ここ数年トップを突っ走るチームに、レッドブル レーシングがある。毎回のレースで首位を走るチームで有名であるが、ただ単にエンジン性能が良いとか、ドライバーの腕が良い!と言う理由だけではないようだ。

その理由に、昨日の水曜日、誰しもが準備に奔走している中、レッドブルだけは違った。昼過ぎの3時ころより2時間みっちりと、ピットクルーと呼ばれるスタッフを一堂に集めてミーティングを行っていた。ほかのチームで、クルーたちを集めてミーティングをしている姿を見たことがない中、さすがに首位を独走するチームだけはあると感じた。

我々の実践している高齢者介護、特に認知症ケアにおいても、チームケアや情報の共有化が叫ばれる中。全くの畑違いのF-1業界においても、個々のクルーの情報を共有し、チームとしてマシンを走らせる姿勢が、トップチームとして君臨できている証拠かもしれない。

2013/10/8
F-1 日本グランプリがスタートしました。

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今日、10月8日火曜日、いよいよF-1フラッグが掲げられた。鈴鹿サーキットのコントロールタワー上、パドックエントランスの二か所、計3か所のフラッグポールにF1旗があげられた。

ここ数年、F-1開催の10月は、台風の影響を受けやすい気候になっており、今日も午後から大雨。至る所で雨水が川となり、F1の準備に追われていたチーム関係者に、辛い雨となった。今日一日で、本来ならばF-1を走らせるための中枢機能をもつピット、スポンサーたちを持て成すホスピタリティ テントなどを仕上げて、明日からの稼働に備えるべき大事な一日だが、この雨の影響で作業が滞ってしまった。

我々の作業も、この雨の影響で作業が一日に集中してしまうことを懸念する。なんせ、今週末にはすべてを終える。作業が一日も無駄にできないときの雨は大きい。

巨額の資金が投入されるF1。単なる趣味の範囲ではなく、個々のチームとしても生き残りを賭けた一戦一戦。成果を残してなんぼの世界。遊びではない、真剣で厳しいビジネスの社会がここに凝縮されている。

2013/10/6
記録を更新中!

七里の渡しだったかな? 桑名まで来ちゃいました。

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国道1号線を桑名へ、七里の渡しを見ながら国道23号線をかえってきました。途中、四日市の市内を走行中に偶然出くわした「祭りの山車」何のお祭りか知らないけど、子供たちが山車を引いている姿をスナップ。写真に写っている方々の了解を取ってないので、目隠しをさせてもらいました。

桑名までの往復で60Km程度。いつものツーリングとそれ程大差はないけど、車の量と歩道の整備は行き届いてなく、非常に走りにくい印象が残りました。草が伸び放題、ゴミだらけ、段差と亀裂が多く、ロードサイクルでは走りにくいことこの上ない。また、この写真は別のページで紹介しましょう。

2013/10/4
過去・過去・未来

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一年の歳月をかけて練り上げた一大イベント「東海地区 認知症フォーラム2013 in 三重」も終わり、その後に控えていたF-1日本GPも来週末で終わろうとする今。全ての事柄が矢継ぎ早に過ぎ去っていく。

瞬時に過去に変化していく時間軸の中、僕ももれなく年老いていく渦中に存在する。過去・現在・未来は、すでに過去・過去・未来と変化していく。若かりし頃の一日、一週間、一年は過ぎ去るスピードが遅かった。しかし、その感覚も、年々とスピードアップしながら、40歳を超えたころから過ぎ去る時の加速度が年々増加していくように自覚し始めた。還暦を迎え、さらにスピードアップした時の進行速度は、さらにスピードアップして、直ぐに一つづつ年齢をやみくもに重ねていくような危機感を抱き始めるのである。

こうなると一年の持つ意味が大きく且つ重くなる。はたして一年で自分がどのように役立つか?どのように成長するのか?そんな思いを巡らせていると、今の太陽の家を利用する爺さん婆さんの気持ちには、察するに余りある。そんな少し侘しさも感じるこの頃である。

2013/10/3
耄碌・ボケ・痴呆・認知症

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先週末は認知症キャラバンメイトの養成研修を受講していた。講師として午前中の講義を担当された伊勢市のDrが、ボケの前に使われていた名称はなんだろうね?と質問された。その答えが「もうろく・耄碌」だそうだ。この言葉自体は馴染みがあって知ってはいたが、ボケ老人以前の通称だったとは全く知らなかった。

「認知症」自体も、平成18年に呼び方が変わってから今になると、言葉自体は定着してきたようで、違和感はないように思える。これも、認知症の人の尊厳や人格を守るために、適切な言葉に代えられてきた結果として、それぞれの時代背景によって言葉は変化してきた例である。

もっとも、今の僕が受ける印象は、認知症>地方>ボケ>耄碌。と言った順に受けるイメージの強さが変わる。その当時には、人権無視も甚だしく、何とも言いようのないイメージを抱いていた言葉も、今の時代となると言葉の持つイメージに若干の変化が感じられる。ボケ!と言われて腹が立たないわけではないが、使い方によっては憎めない柔らかな刺激程度しか受けない時もあるのだが・・・さらに、耄碌って言葉には逆に柔らかい優しささえ感じる。ってのは、どうなんだろう・・・??

言葉ってのは、その時代の先駆けであり、その時々に発生してくるいろいろな事象を言葉と掛け合わせて、人間はイメージとして頭の中に記憶していく。だから、これらの言葉は変化し続けているのではないだろうか?

とすると、今使っている「認知症」ってのも、後10年先には、不適切な言葉として新たな言葉が登場してきているかもしれないですね!!!

2013/10/2
What a Supplies!!!

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日本語に直訳すれば「何という驚き!!!」となるのだろう。昨日10月1日は僕にとっては、一生に一度の日。人間未来と過去しか存在しないという人もいるが、この瞬間から過去に変わっていく中で、昨日の出来事は非常に驚いた。また、驚いた以上に感激した。皆には大きな声では言えないが、本当はこみ上げる涙をこらえるのに苦労した程の出来事だった。

これは組織ぐるみで実施された。まず、事前に、僕が大事にしている職員の一人から「相談したいことがある」と告げられ、業務終了後に話をしたい旨、申し出があった。通常このような申し出があって、職員側から言われる話の内容ってのは大半が退職を言い出すケースが多い。今回も自主退職を切り出されるのか?と不安な気持ちとなりながら、その瞬間まで待たなければならなかった。

夕方の掃除も終わり、翌日の業務の準備に掛かろうとした頃に、彼女から依頼されて喫煙場所に移動した。案の定、彼女の口から出た言葉は、退職の意向を告げられ、おまけにご主人と離婚する!ことを理由に退職するという。この彼女の切り出しに、正直、僕は戸惑った。事業所を退職することは、本人の希望であれば仕方ないと一部では考えているが(もちろん、信頼する職員たちだから、そう簡単には認めることはできない)しかし、そこに離婚が退職理由となると、そうそうあっさりと結論を出した彼女を認めることはできない。何とか考え直すことはできないのか?その糸口を探らなければ・・・とそんな思いでいっぱいで、彼女の話を聞いていた。

涼しくはなったと言え、まだまだ蚊が飛び交う屋外で、蚊に刺されながら話を聞いていたところに相談員が広域連合から電話を告げに来た。業務時間外に電話がかかるはずがないはずなのに・・・と思いながらも相談員の言葉に促されて応対に出るために施設内に戻った途端、職員たちの祝福のクラッカーがさく裂した。そして、お誕生日おめでとう!の言葉と花束、プレゼントを渡されて、ようやく職員たち総出のサプライズであったことに気づいた。

長年、ともに働いてきた職員たちに祝ってもらう還暦。これほど幸せなことはない。と思ったし、僕が涙をこらえるのに必死だったことは想像してもらえると思う。すべてが終わってから職員と一緒に撮影した記念写真の僕の顔には目が無くなるほど細く、垂れている。見っとも無い顔だが、どれほど驚き、感動したか、皆様に見てもらいたいと思って公開した。

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2013/10/1
生きる!って辛さについて(誕生日を迎えて考えたこと)

最近の僕のブログは、非常に能天気な自転車紀行文ばかりで、社会福祉をやってる施設長のブログから、ずいぶんとかけ離れている。これは、一つに自分自身が今一番はまっている余暇について書きながら、人間生きるためには精神的な糧がないと心の余裕が生まれてこない。と言うことを分かってもらいたいという願いがあること。そして、もう一つは、昼も夜も、プライベートと仕事しているときの区別をつけなければ(夜も昼も仕事のことばかりではダメだってこと)いけないこと。この理由で、堅い話だけでなく、高齢者介護から離れた全く無関係な話から、撲自身を理解してもらいたいと、ある種の期待をもって書いている。

さて、人間が生きていくことの辛さについて今日は書いてみたい。

先日読んだ本に稲盛和夫氏の「生き方」と同じく稲盛氏と瀬戸内寂聴氏の対談集「利他」の二冊がある。著者の説明は別にして、お二人については、知らない人はいないくらい有名な方であり、いずれの本もとても興味深く読ませていただけたし、もしも良ければ、このブログを読まれる方々にお勧めしたい一冊である。

特に僕が大きく影響を受けたのは「生き方」の一説、「考え方のベクトルが、人生すべての方向を決める」である。それは、人の人生の方程式は、その人の持つ能力ではなく、その人のかける熱意と努力の積で決まるという説に納得するものがあった。つまり、いくら能力が高くても、その持てる能力に胡坐をかいて努力を怠れば、そこに生まれる成果は期待できない程度で終わるのである。

逆に持てる能力が人並であっても、そのことをシッカリと受け止め、その不足する分以上の努力を行うことで、生まれてくる成果は能力を持ちながら発揮しない者よりも大きな成果を得ることができるという理論である。

まさしく誰しもわかっている通りの理論であるが、これは「言うは難し」なのである。その理由は、熱意だけではなく、そこに「考え方」が必要だと説いているのです。

私たちの住む社会は複雑に入り組んでいる。情に掉させば流される!と言うように、人間関係に良かれと思った支援を行ったとすると、そこに軋轢が生じる。自分は良かれと思っても、そこにいろいろな考え方が絡んでくることから、ことが余計に複雑になってしまう。

この複雑さは、そのまま我々の受けることとなるストレスに変わり、自分自身も同じだけのストレスに置かされてしまうこととなる。時に過敏すぎることでストレスに負けてしまいパニックを起こしてしまう。また、時にストレスに対する鈍感さから、別のストレスを他者に負わせてしまう。

とにかく、人間ってのは厄介な生き物で、良かれと思って行っているにもかかわらず、それをそのように素直に理解してもらえないことが多い。当然、そこに生きることの辛さを感じ、それらの分厚い壁を越えなければ生きることを継続できなくなるわけで、今の社会から逃れようとする自殺者が増加している原因がここにあるような気がする。

そのような現状を考えると、我々が生き続ける意味は?これはある意味、永遠の課題なのかもしれないが、撲自身の人生には限りがある。それ程の悠長なことも言っていられない。だから、とても横着なやり方かもしれないが、自分なりの結論を見出さなければいけないと考えている。そして、その答えが、先にも書いた「人生の方程式」を如何に描き、それにしたがって自己実現を求めていくかであると考えている。

人生、死ぬ間際まで自己を求めて悪戦苦闘していくようだが、この僕も御多分にもれずに同じことで悩み続けている。いくら考えてもスッキリと納得できる方程式が見つからない。それは当然のことで、僕の頭脳は超一般的な頭脳の持ち主で、特に秀でているところは何も持ち合わせていない。只、単にブログを使って、自分自身の気持ちをや考え方を表すことができるだけである。

まだまだ発展途上。いつまでたっても(何歳になっても)成長途中ではあるが、何はともあれ前に向かっていく努力とそれに対する熱意と正しいと考えられる方向へ向かっている点が、この僕の一番の力ではないかと考えている。

今日はちょっと理屈っぽい話となってしまったが、僕は、今、自分自身を見失っている人たちに大きな声でお伝えしたい。みんなも同じように迷い、不安を抱きながら手探りで毎日を生きているんだよ!って伝えたい。


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