太陽の家

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ブログ-施設長の部屋

2010/12/31
今年一年、お世話になりました。

 年末ジャンボもあえなく撃沈! 微かな億万長者の夢を抱き一億円の当たりくじの多く出ると言われる西銀座のチャンスセンターで並んでまで購入した宝くじですが、そこは、やはりはかない夢。また来年もあくせく働く一年となってしまいました。(笑)まあ。考えてみれば、ここで一億円でも当たろうものなら、それこそ自分の人生、どういう風に変わるか・・・知れたものでない。当たらずとも、一億円の夢で心を一杯に膨らませ、今日までの日々をワクワクしながら過ごせたのだから、それはそれで充分元は取れたのではないか?と自分に言い聞かせているような次第です。

さて、今年はどんな年だったんだろう・・・・?と考えてみるのですが、例年同様、非常に激動の一年であったような記憶と共に、何となく平穏な内に終えることが出来た安堵感と矛盾する両方が入り混じった年ではありました。毎年毎年、自転車操業の実情に変わりは無く、今年もやっと超えることが出来た!と言った感はぬぐえませんね!まあ、世の中の経済が低迷している中で、倒産もせずに生きながらえていることは至って良いほうかもしれないのですが、我々にとって一番重要なことは金回りよりも、事故の無い運営が一番重要でも有るのです。事故や事件は、大手の企業の屋台骨をも揺るがしかねない大きな問題として、全ての経営者は慎重になります。特に我々のような高齢者介護の世界では事故や事件は、そのまま即事業の存続につながる大きな問題であるわけです。世間では、グループホームにおける火災事故や高齢者虐待などのニュースが飛び交う一年でした。火事や虐待などの不祥事は、そのまま高齢者の命に関わる問題です。大切な家族をお預かりしている立場では、其の点で、ミスは許されません。自分自身が管理運営する施設から、そのような問題を起こさないためにも、毎月二回の職員研修を繰り返してきて、何とか職員の意識向上と精神的な負荷の軽減を目指してきましたが、研修の効果は意外な方向へ出ているようです。一つは、一部の職員の中で国家資格の取得に向けて目標をもちテスト勉強に意欲を燃やしていること。第二に、グループホームの職員の中で職員の人間関係の改善に努力する風潮が見え始めたこと。第三に、個別機能訓練に対する職員の意欲が利用者の皆さんに伝わったこと。

本当にうれしい話ですが、太陽の家を利用される高齢者の方の身体機能が、素晴らしく改善してきていること。その風潮や流れは他の利用者の皆さんの夢につながり、ご自身の目標に大きく影響を及ぼしているのです。今まで足を引きずり歩いていた利用者が、大きく麻痺側の足を上げて歩行できるようになってきたこと。もちろん、まだまだ杖なくして歩くことは難しいし、少し不安定さは残っています。しかし、ご本人にとっても、はっきりと機能向上を認識できるほどの状態に、やはり他の利用者の同じような悩みを抱える人々にとっては大きな夢となっています。やれば出来る!諦めずにやれば出来る!という気概が膨らんでいます。今年一年かけて、職員の技術もスキルも向上し、その結果、デイサービスの中では利用者のADL向上に大きな進歩が見えてきたことは素晴らしいと評価したいと思います。

この気概を大切にして、来年度は更なる訓練の充実を実施しながら職員と一緒に利用者の皆さんの夢をかなえていける年にしたと思っています。

この年最後のブログとなりました。この一年、私の日常的な他愛無いつぶやきのようなブログを読んでいただいている皆さん。一年間、本当にありがとうございました。来年も本年同様、ブログの更新をマメに行っていくつもりです。なんとか読んでいただくにふさわしい文章を書けるよう更に努力してまいります。また、ぜひこのブログに沢山のご意見や批判をお寄せください。皆さんの声を励みにブログの充実を目指してがんばっていきます。

 最後になりましたが、このブログをお読みの皆様に幸多い一年となりますよう心よりお祈り申し上げております。

2010/12/29
太陽の家デイサービスセンターの御用納め。

dsc04770.JPGdsc04769.JPG今日が今年最後のデイサービスとなります。明日から5日間の正月休暇を頂戴します。5日間はデイサービス利用者の方々にとっては非常に長い日々となるのですが、ここは職員さんにも年に一回くらいの長期のお休みが必要であると考えますので、暫くご辛抱頂くこととなります。その点ではグループホームの職員は年中無休の態勢ですから、思うように長期休暇をとれない等の不都合も生じていることも事実です。今特に、出産と腰痛による人員不足が影響して、この年末から年明けにかけて、グループホームの職員さんには苦労をかけています。補充人員を確保でき次第、個々に休みを取れる様努力するつもりですので、後しばらくご協力ください。

 さて、デイサービスの利用者の皆さんを今日の夕方に、お家までお送りしたら今年の業務は終了となります。生憎、今年の暮れの天候は崩れやすくて送迎時間に合わせるように雨模様となったり、寒くなったり大変でしたが、何とか今年一年、大きな事故も病気もなく無事に過ごす事が出来ました。利用者の皆さんも、午後からの個別リハビリに意欲を発揮頂き、脳梗塞で半身まひの男性利用者の方を含めて、かなりの機能改善を果たす事が出来ました。特に一人の方は、左下肢の麻痺を克服し、杖歩行まで出来るばかりか、補助さえ行えば太陽の家の非常階段を上り下りできるまで回復されています。一人の利用者の機能回復は他の利用者の希望の火をともし、今では全体的に機能訓練への期待感と機能向上への意欲が増しています。このまま、5日間の長期の休暇の利用者のADL低下に与える影響は無いとは言えませんが、その分、正月明けのサービス提供からしっかりと訓練を繰り返して、この休暇の間のブランクを取り戻したいと考えています。

 もう一つ、朝のお迎えから戻ってから運転業務の担当者で手分けして、送迎車両7台の洗車を行いました。鈴鹿降ろしのふきすさぶ中、洗車してもらいました。常日頃より定期的に洗車は行っているのですが、やはり屋外の屋根の無い駐車場に保管しているので、どうしても埃をかぶってしまいます。車内も清掃して、新年にむけて準備を整えています。後は、明日一日で、玄関周りと、デイルームの窓などを洗ってしめ縄を飾る。そんな正月準備を行います。

 まあ、そんな訳で、暫くの間ですが、太陽の家デイサービスのデイルームから大声で笑う利用者の皆さんの笑い声が消えます。そして、正月明けの4日から、また利用者の皆さんの笑顔と話し声が戻ってくるまで、ひとやすみ!とさせていただきますね!

2010/12/27
とうとう年末も。残すとこ数日となってしまいました。

クリスマスも、これと言って特別のことも行わず、ただじっと家にいて食事を普通のように摂ってテレビを観て過ごした。そんなクリスマスが過ぎてしまえば、正月までのカウントダウンとなり、毎日がせわしく、仕事だけでなく、一年の締めくくりのための大掃除や正月準備が同時進行で開始される。こうなると、一年の最終は非常に足早に過ぎ去っていくものなんだ。そんな中、今日の夕食後にNHKのBS放送でハイチのストリート・チュルドレンのドキュメンタリーをみた。ハイチのストリート・チュルドレンの二人の兄弟の10年を取材したものだったが、同じ人間でありながら肌の色が違うだけで、生活の違いを目の当たりにして驚愕と悲しみを感じた。

 見る者の気持ちを重くする映像であった。以前にも、このブログで触れたことがあるが「貧困の連鎖」そのもので、数世代前は奴隷として植民地につれてこられた黒人社会の貧困が、さらなる貧困を生んでいる。国としての社会保障も無く、全てを自分の力で生きながらえなければいけない人が、この世の中に存在することは驚きである。富裕層の食べ残した残飯を、ゴミ処理施設で奪い合い、力で奪った残飯を頬張る子供たち。小高い丘の上に建つ豪華な屋敷と、その丘のふもとにひしめき合うスラム街。この街では1%の富裕層が国土の半分の土地を所有しているらしい。残りの半分を99%の住民が暮らすわけだから、自然と一人の占有できる面積は小さい。おまけに主だった産業も無く、就労することも困難な社会ゆえ、日々の糧にも困窮する毎日である。所得も無く、家計は苦しく、満足な食事どころか教育すら与えることの出来ない過程では、生れ落ちた子供を邪魔者扱いする親が多く、虐待や暴行が横行する。そんな家庭に居ても、生活していける希望も無く、こども達は家を出て路上で生活するようになる。

 そんなストリート・チュルドレンが生きていくために、安い手間賃で洗車をして金を稼いだり、露天商を始めたりといろいろ知恵を働かせて生きようとする。上排水設備も整っていない国であるから、飲み水も満足に手に入らない。排水の一部を利用し生活用水として再利用するレベルである。衛生管理の行き届いた日本の社会で慣れきった我々のような人間が生活するには、毎日が下痢と嘔吐の連続であろう。それよりも何よりも、廃棄処分された残飯をより分け、熱も加えず、そのまま残飯を頬張る若者の映像には、強いショックを感じた。私達の社会は、なんと裕福で豊かな生活なんだろう!と・・・

 時折、ユニセフから寄付を募る手紙が送られてくる。僕は、今までそのような郵便物を信用していなかった。寄付したところで、それらのお金は直接必要としている子供達には届かないような気がするからだ。ハイチに限らず、上で苦しむ人々に救援物資を届ける映像は良く見かける。しかし、どの映像も、救援物資が公平に分配されているわけではない。ここでも弱肉強食の社会が存在し、力の強い者が奪い取り、弱者には何も残らない。そんな映像が紹介されることからも、寄付する意味が見出せないで居る。しかし、今回のハイチのストリート・チュルドレンの情景を垣間見て、充分すぎるほど栄養過多の自分の食事代の一回を抜いてでも寄付すべきかもしれないと感じた。

 肌の色が黒いという意味は、日本のような平和社会にとっぷりと浸りきった国民には理解できない辛い、厳しい、超えられないジレンマが存在するのだろう。この自然界で一番残虐な動物は人間であるといわれる。其の言葉の通り、同じ人間同士が、権力と富を求めて殺しあい、肌の色や種族によって差別しあう。本当に心をもった動物とは思えない社会が人間社会のようである。

 流石に、今日のブログは内容が重かったようである。しかし、時にはまじめに人間を考える場も無ければ・・・それでだって単純で安っぽい同情心で物事を一方向でしか見れないのだから・・・・

2010/12/22
最近の迷惑メール

dsc02801.jpg

最近また迷惑メールであり、いかがわしい悪徳な商売としてのおびき出し又は地雷メールの類が沢山送られてくる。最近は、やたらとゴールド、プラチナ会員へ昇格した祝い金を数百万円送金したいので、送金先を連絡しろ!とか、何とかの秘書からのメールでは三千万円還付したい。などのメールが多く送られてきます。この手のメールを全て無視していたら、とうとう僕の銀行口座番号を取得したが、その番号に送金したら良いのか確認してほしい!と言っています。

本当にあの手この手で、折り返しのアクセスを求めている点が共通している部分です。結局、これらのメールに、こちらからアプローチをかけた時点で何がしかの支払い義務が、僕の方に発生してくるのでしょう。Hな路線で出会い系ともとれるような、お誘いメールが送られていたと思っていたら、今度は経済的に余裕があるから寄付したい。とか、会員のランクアップが達成されたので、その報奨金を受け取ってほしい!等のメールへ。次は、何のいわれもないのに何千万円もくれるという大盤振る舞い。

それも、一日に数十件も連続的に送られてくるのです。商売熱心と言うか、撃てば響く業界なのでしょうか?世間には僕と同じようなメール攻撃を受けている御仁も多かろうと思いますが、すでにこれらの悪徳な連中の罠にはまった人も多いのでしょうか?反社会的な商売に手を染めて、一攫千金を狙っての商売かもしれませんが、人生、そんなたやすく金儲けは出来ません。また、小額の補助金ひとつ貰うにも、複雑な書類を整え、それら必要とされる条件を満たして初めて受け取る事が出来るのですよ!メールの一本で、特に何も申請もしていない、それらの協会やら会にも所属していない、言ってみれば赤の他人になんで何千万円ものお金をくれると言うのでしょう・・・?

 冷静に考えてみれば、これらのメールが餌であり、それに食らいつくのをひたすら待っているフィッシャーマンズなのでしょう。皆さんも、くれぐれもこの様なアホな誘いには乗らないよう、「ワンクリックが悲劇と災いを生みます」

2010/12/22
飲酒について

今日は、仕事を終えてから太陽の家の忘年会を行った。今年は初めて白子地区の飲食店を利用しての忘年会である。太陽の家のような入居者を抱える老人施設は、必ず職員が職場に残ることとなり、全ての職員が総出で忘年会の一つのテーブルを囲むことは絶対にありえない。其の点では、今日の忘年会に参加できずに職場で仕事している一部の職員さんには申し訳ないと思っている。

 さて、そこで忘年会と言えば必ず飲酒という行為が行われ、そこでは無礼講の名の下に、上下左右かまわず乱痴気騒ぎが相場である。しかし、太陽の家はそんな世間の通説に逆行してるのか、年々、会の場での乱痴気騒ぎが減少してきている。其の一つの理由に、僕があまり酒を飲まないことと、年齢を増すにつれ飲酒自体が苦痛に変わってきたことである。昔から地元の酒飲みのおっさん連中から「酒を飲まない奴は人生の喜びを知らない!」と散々いわれ続け、其の言葉に腹立ち、焼け野やんぱちで無謀にも酒を飲んだ時代もあった。しかし、其の度に、胃袋のひっくり返る思いをし、一晩中便器を抱えて眠るという醜態をさらしてきた。それらの苦痛に自分なりに学んできて、一応は自らの命を大切にする方向に考え方がシフトされつつある。呑み助おやじからすれば、「本当に面白くない奴!」とののしられることだろう・・・・

 次に乱痴気騒ぎについて、これも年齢は関係しているが、それよりも自分自身の今の立場が大きく影響を及ぼしている。自分なりに考えてみると、何時も自分自身の感情を押し殺して仕事に精出している職員に比べると僕なんぞは、いつでも好き放題。勝手なことばかり言ってるワンマンな管理者である。われを忘れて飲み干したい気分は、私ではなく職員さんのほうであろうと!考えるのである。そして、乱痴気騒ぎでも何でも、その後に起きた事象に冷静に対処して、職員さん達に災いが起こらないように見守るのが、今の自分の立場なのか!と考えてしまうのである。今日も、ある職員が言った。「昔は酔った勢いで、みんなの前でお尻出して騒いでいた!」らしいが、自分が職員よりも酔いつぶれてしまっては元も子もない。そんな気持ちが起こってしまうのである。

 まあ、そのような面白も見の無い男となりつつある私かもしれないが、今日、本当に本心から、美味しそうに料理をつまみながら談笑する職員の顔を眺めていて思っていたこと。それは、僕はこの子達のお陰で助かっているんだな~!!!と・・・・お世辞と言われるかもしれないが、実際に僕があのときに思っていた心のうちなんだ。

2010/12/20
僕の笑える行動を紹介します。

人間には、無い様に思えても7つの癖があると言われるが、今回は僕の行動の中で笑える行動を紹介したい。

僕は音楽CDを買い集める収集癖がある。気に入った音楽CDはやたらと買ってしまう。もちろん購入したCDは何度も聞く。最近ではIpodに入れて何時も聞いている。しかし、問題は数が増えてきたCDの影に同じCD版がちらほら散見されるのである。以前買ったCDをまた別の日に購入してしまう。つまりダブって同じCDを購入してしまうのである。僕のCDコレクションは今では1000枚を超える枚数となり、それら保有するCDを全て覚えていない点が困った問題なのである。つい先日も、某ネット販売の本屋さんの視聴コーナーで聞いていたら、とても素晴らしいジャズCDを見つけたので、早速購入手続きを。わずか数日で希望したCDは手元に配送され、そのCDを専用の棚に整理しようとした瞬間。同じCDが存在することに気づくのである。これは、笑えると言うより悲しい不注意。

僕は好物は一番最後に食べる主義である。お弁当のおかずには、特にこの癖が顕著に現れる。卵焼きが一番好きな自分は、卵焼きは何が何でも一番最後なのである。ご飯が全部無くなって、最後に卵焼きだけを充分に味わいながら堪能するのである。たまに、嫌いで残していると勘違いされて食べる前に下げられるときがあるが、そんなときは最悪である。それこそ鳶に油揚げ!の状態となってしまう。大切だから、充分に目で味わい、味を想像して楽しんで、そして最後に卵の存在を口で感じる。

次に、財布の中の紙幣はずべて方向をそろえてしまっている。時として買い物先で非常に忙しいレジでは、つり銭を受け取って整理して,財布の中に収納できない場合がある。そんなときは、一旦はポケットに無造作に放り込むが、その後、しっかりと向きをそろえてしまいなおす。財布の中で諭吉は正面を向いていないとだめなのである。それと、お札は出来る限り新札を用意している。折り目がいぱいついている古いお札は嫌なのである。昔は、お札にアイロンをかけていたほどである。(これは、本当です!)

僕は飛行機が好きなので、上空にジェット機の音がすれば、かならず空を見上げる。(子供でも有るまいし・・・とは思うが、そこが何とも癖のようで・・・)

これでいて結構、ゲンをかつぐタイプ。試験を受けるなどの勝負事には服が決まっている。(勝負服ってのがあるわけで、今のところ、この勝負服は成功している。)

書き出したらきりが無いほど、また、トイレでの習慣など本当に沢山の異様な習慣をもっている。これもなくて七癖なのか?それとも奇天烈な習性なのか?まあ、でも笑って貰って何ぼ!ですから、これはこれで良し!とする。

2010/12/20
幅広い視野を目指した介護

毎月恒例である太陽の家職員さんの自己評価を読んでいて今日考えたことを書こう。一人の職員さんは太陽の家に就労するようになってまだ間もない新人職員さんといえる。そんな彼女が、自己評価と次月の目標に、利用者の方を介護してると周りが見えにくい。ハッと気づいて周りを見回すと危険な状況も数多く、また支援を必要とする場面も多かった。として、とても自己評価は辛口の点数がつけられていた。

 彼女のそんな評価を読ませてもらってから、じっくりと彼女の介護を観察させてもらった結果、あることに気づいた。それは、彼女はとてもまじめに利用者の世話をしている。何の問題も無いような、本当に細かなところまで配慮した介護を行っている。しかし、一人の人にかかりっきりとなって、その間、他の利用者の方には目が届いていない。まったく見えていないわけではないだろうが、他に目配りするだけの余裕はないように見える。

 その時、気づいたのは、彼女はあまりにも細かな点を含めて利用者のために動きすぎている点である。今日の例から言えば、大よそ10名ばかりの利用者の方々がテーブルに向かってカレンダー作りを行っている中で、まさこさんは視力に障害を抱えているために色付けがしにくい。そんな問題を抱えている。何度も何度も、自分の作っているカレンダーを目に近づけて、下絵の線を確認しようとしている。また、色鉛筆の色も見分けにくそうだ。その時、彼女は、そんなまさこさんを不憫に思ったのか、そばに寄り添い、いろいろと世話を焼き始めた。鉛筆の色と着色すべき箇所を言葉で説明しはじめたのである。

 僕が傍らで見てる限り、まさこさんは苦労はしてるけど、決して作業が苦しくって助けを求めているようには見受けられない。それよりも、必死で自分の目標に向け(この場合、カレンダー作りを不自由な視力にもかかわらず一生懸命完成させようとしていること)がんばっていたのではないか・・・?と思えるのである。つまりは、お年寄りの支援をしてるつもりが、出来ることまで介護側が支援しすぎているのである。常日頃より、うちの太陽の家の介護は「出来ることはやってもらう。出来ないことだけを手伝いながら、次は自分で出来るように支援する」を目指して努力している。しかし、作品の仕上がりを気にするあまり、何のために全ての工程があるのかを見失っている。カレンダー作りの目的は、ただ単に色をつけて壁に飾れる作品を作っているわけではない。作品を作る過程に、どれほど自分自身が目標を定め、仕上がりを想像し、計画的に色をつけることができるか?が一番大きな目的である。僕は、それと同時に、自分が誰の力も借りずに完成させたカレンダーというモノが、その人にとって大きな充実感を与えることが出来るか。そんな思いで、これらの作業を計画に入れている。

 僕は彼女を呼んで注意を促したのは、もう一歩、利用者から離れて見守ること。そうすることで、もっと広い視野で多くの利用者を見守り、必要なときに手を差し伸べることが可能となることを強調した。全体を見守っていると、個々の利用者の思いが徐々に伝わってくる気がする。必要としている支援が個々の利用者別に見えてくるような気がする。「そろそろ、色塗りに飽きてきたようだ」、「色鉛筆を床に落として芯が折れてしまった」「トイレに行きたくなってモジモジしてる」「周りの人の作品を気にしているから、そろそろ自分の作品は完成に近づいているな!」とか、そんな色々な事が見えてくるようになって、その可視化したニーズに対して、どのニーズを優先的に支援するか?ということを自分の中で整理して、判断していくべきではないだろうか?

 新人職員さんは、自分の介護技術に地震が無いために、兎に角、利用者の方への思いやりだけでもしっかりと行いたい。と其の方向ばかりに集中的に支援しようとする。結果、周りの利用者への注意は散漫となり事故が起きてしまう。全ては、小さな範囲でしかものを見れない。その結果である。複数の状況を人間の二個の目で見るには限界がある。トンボのような複眼を持っていない人間には、それらの事柄を出来るだけ幅広く見るためには、自分が一歩も二歩も下がったところから見守っていかなければいけない。サッカーのゴールキーパーはシュートを受ける時には、出来るだけ前に出ようとする。その理由は、前に出るほど、守備エリアが小さくなるからである。シュートをキックするプレーヤーを支点とするならば、其の地点に近づけば近づくほど守る側としては有利になる。介護の場合は、其の支点が多数に散らばっているのだから、逆に支点から遠ざかれば全体が見やすくなる。この原理なのである。

 ちょっと説明が分かりづらかった?まあ、一度、騙されたと思いながら、利用者から身を引いたところから見守りを実践してみれば、今までの自分自身の誤解が理解できるのではないだろうか?!

2010/12/16
運営推進会議

地域密着型サービスには運営推進会議と言われる地元住民を含んだ会議が二ヶ月毎に開催を義務付けられている。当然、太陽の家のグループホームも、この運営推進会議なるものを開催している。地元住民代表者、民生委員、地域包括から一名(鈴鹿亀山広域連合では行政の代表の変わりに地域包括が参加することとなっている)、家族の代表などを交えて、其の事業所の事業を広く地域に開かれた場所にするための会議を行っている。つまりは、閉鎖的な社会ゆえに地域社会に公開することで、事業所主体となりがちな運営を、公平性を維持しながら利用者主体の運営を守っていこうとするための会議である。確かに地域社会の住民や家族代表などを交えて事業運営を考える場を持つことは、社会福祉という公益性を高め、より意識の高い福祉の提供を見守り、利用者の人権を守るための監視的役割も持ち合わせており有意義なシステムではある。

 そのような運営推進会議が今日、太陽の家で開催された。おおよそ一時間の短時間ではあるが、近況報告やその他運営に関する様子を説明したりして、毎回の運営推進会議は終わっていく。この運営推進会議に関して、沢山の事業所の管理者から、どのような内容を話し合っているのか?とか回数を重ねるにつれ話題がなくなってきた!などの言葉を良く耳にする。実際、太陽の家でも、個々数回の運営推進会議の場における話題が減少傾向にある。減少傾向というより、業務上の個人情報の取り扱いにからんで運営推進会議の中で利用者の近況報告は行いがたい点を抱えている。僕がブログに丸子さんの状態を面白おかしく書けるのは、そこには人物が実在していないからである。認知症という事例を丸子さんの名前で書いているだけだから書けるのである。それが、個人として実在する人物の状況を家族でもない一般市民にお話しするには、少し紀が引けるというのが本音である。

 それと、もう一つの障害が、会議の進行が固いと非難される点である。地域を代表、家族を代表と言われる方々に出向いてもらっておりながら、世間話の延長では申し訳ない気がして仕方ない。その点で、なんとか身になる会議を行いたいあまり、会議の進行画家t区なると言う図式である。これについては、まだまだ自分自身が未熟であるために興味の沸く様な会議を行えない。という反省はある。この点で、なかなか苦労が耐えないのは事実である。いってみれば、一番の頭痛の種かもしれない。僕は、利用者の前で話すことは苦ではない。また、僕の加入している三重県地域密着型サービス協議会(旧三重県グループホーム協議会)の例会の進行や、其の全国大開の大ホールにおける司会進行もまったく苦にはしていない。しかし、地域住民や家族代表を前にすると何故か言葉が進まない。言うことなすことが「セールストーク」的に感じてしまうからである。僕はアホほど素直に洗いざらいの出来事を包み隠さず話している。しかし、それが言い方私大によっては逆作用になってしまう場面を考えてしまうから、余計に言葉を選んで話してしまう。

 まあ、この会議が糞面白くなく、非常に退屈な会議であることは重々承知している。今後の開催をどのように行うのか・・・・?そこが次年度の課題である。

2010/12/16
総合病院での検診

今日は朝から内科検診を受けている。昨晩の9以降絶飲食ののち予約された時間から腹部エコーを施行してもらった。事前予約されていたので、それ程の待ち時間を経験することなく、比較的スムーズに終了。健診結果を提出して次の診察に・・・というところで、文頭に書いたように『内科検診を受けている』と言う表現方法を詳しく説明しなければならない。

 実を言うと、この後に予定されているCT検査には、予約の時間がとれずにエコー検査から次の検査までに4時間ほどの余白が出来てしまったのである。僕を見てくれている総合病院院長も、エコー検査が終了したら一旦帰ってもいいよ!と言ってくださったこともあって、今は事務所のパソコンからの入力を行う事が出来ている。それも、うちの事業所から総合病院までの距離も近く、行き帰りの時間的なロスも少ないと言う事も大きなメリットであるかもしれない。

 この後、昼食をとって再度病院に出かけて昼からの診察に臨むわけだが、初のCT検査。と言うより、この検診自体、初の総合病院受診。あまりに大きすぎてスタッフの数も多く、患者数も多い中で、よくも患者の取り違え(もちろんあってはならない問題だが)が起こらないものだ!と感心してしまう。それと、多くの患者さん達(検診組も含めて)が待合で待っているわけだが、いろいろな思いで待っている事を考えると、多少気分は重くなる。中には重大な疾患を抱えて前途暗く不安な気持ちの方も多いかもしれない。。と言う点である。

 兎に角、病院は介護の現場と違って、病を治療するための施設ですから、それ以外の余分な物は排除されがちですが、そこには少なからず、待つ側の気持ちを和らげるような工夫がされている。病院に集まるボランティアの方々による、病院の案内やスタッフによるきめ細かな説明など、多くの人がふじゅうを感じなくて済むような配慮が施されている。この細かな心配りが、大勢の疾患に苦しむ人を少なからず救っているような気がした。

2010/12/15
Vs認知症高齢者

認知症って世間では非常に恐ろしい病気と考えられているようであるが、実際に「認知症」という病気はない。認知症とは原因疾患が別にあって、その影響を受けて起こりうる状態の事を言う。例えば、アルツハイマー型認知症の場合は、脳細胞の委縮によって起こりうる様々な症状として記憶に障害を受けたり、人格の変化などがそれである。認知症症状の一番に前述の記憶障害があげられるが、その記憶障害に関して今日、うちの居宅介護支援事業所のケアマネが面白い事を話してくれた。

 彼女は利用者のお宅に出向いては色々と相談援助を行う訳だが、その訪問の際に、やはり認知症特有の記憶障害から彼女が担当ケアマネジャーである事を忘れてしまって、毎回、訪問するたびに「はじめまして!」という会話からスタートするそうである。毎回毎回、訪問してもゼロからのスタートで全てがリセットされる状態と言うのは、我々第三者には笑える事象かもしれないが、当の本人(ケアマネ)にしてみれば大変な苦労なのだろう・・・・記憶が障害を受けると言う事は、逆に言えば世の中の嫌な出来事や嫌な思いをイレースする意味において、とても合理的ではある。だって、思い出したくもない事柄を覚えている我々は、その事だけでも胃が痛くなるような思いの時もあります。そんな不快な思いをしなくても済む。若いころから、そんな苦労をいっぱいしてきて、ようやく人生最後になって記憶が飛んでしまうことは、本来は幸せなことかもしれないと考えるのです。

 しかし、喜んでばかりはいられないのが、その当事者を抱える家族でしょう。なんせ家族の一員が直近の出来事や約束事を記憶できない状態は、家族としては非常にやりずらい。回数を重ねての説明と報告の繰り返しは、それだけでも多大なる労力である。何度も繰り返し説明する労力に家族全体が疲弊するのも当然である。

 我々を生み、育ててくれた両親が年と共に老いてゆき、物忘れが激しくなる。本人にとっても表現はせずとも秘かに不安や焦りを心に抱きながらの毎日は辛かろう!そう考えると、認知症高齢者を抱える家族また本人ともに辛い毎日を送らねばならない。しかし、もう一度よく考えてみれば、認知症となり記憶に障害を受けていたとしても、その状況を受け入れ納得する事で、家族や本人の受ける負担感も減少するはずである。つまりは、歳をとれば身体機能は低下するもの!記憶も定かではなくなるもの!という理解。それが普通であると言う理解。そう考えてみれば特に問題は感じなくて済むのではないか?!実際に我が身に降りかからねば分からない辛さではあるが、自分自身も認知症症状を見せる父を抱えての対応は、兎に角肯定的な日々を目指している。全てに対して否定はしない。まずは相手の言い分を聞き、そのあとに自分の意見を話せば理解する。もちろん、繰り返しの説明をする事は必要ではあるが、その繰り返しさえ小さな努力で苦にはならなくなる。

 認知症介護の中で一番重要な介護は、相手を理解する事。そのまま受容すること。決して昔の元気なころと比較しないこと。今の姿が年老いた両親の姿である事。自分も年老いた時には同じようになる事を考える事です。

 


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