「感動」はアンチエイジングとお話をした。
人それぞれ感動する時ってのは違うと思う。
テレビドラマや映画を観ながら感動し、涙する人も居れば
スポーツを観戦し、自分の応援する選手がファインプレーをした時。
美味しいものに巡り合い、奥深い味わいに感動するとか・・・
感動ってのは、与える方も、受ける方も真剣でないと味わえないと
僕は思っている。
食べる時も、その料理を作った人の感性を想像しながら
味覚を研ぎ澄ませて、ただ単に摂取すると言うのではなく
味わうことが必要と思わない?!
だから、僕は一人で食事しに、行きつけの中華料理店で
ラーメンを食べる時も、携帯電話のゲームやSNSを見ながら
食事することはない。だって、調理してくれた人に失礼だから。
マア、食事中のルールとマナーは別の機会に話するとして
感動する時は、誰しもが真剣に真正面から立ち向かっている時に
その真剣さに応じて高まってくるのではないだろうか・・・
中途半端に、だらだらと仕方なしに仕事してても
そこには、絶対に感動なんて感じることもない。
スポーツも同じく。下手くそでもいい、真剣に自分の出来ることを、
自分の100%を引き出して戦うものには、結果が負けであっても
そこには大きな感動が生じる。
ぼくは、歳を重ねて、ジジイ!と呼ばれる年齢になっても
感動を味わえる生活をしたいと思っている。
今日の夕方に、家族全員がお世話になっている日展画家の先生を
尋ねて有料老人ホームを伺った。
今年で93歳となる先生は、車いすでの移動され、
何度も同じ質問を繰り返すほど、記憶障害が顕著に表れていた。
そんな先生だけど、居室の中には大きなキャンバスが立てかけられており
そのキャンバスの下には、油彩やオイル、筆の洗浄液などの
画材が置かれていた。
つい先日まで肺に水が溜まって呼吸しにくいと言うことで入院されて
私たちも非常に心配をした状態が続いていた方だ。
このお歳で、ちょっとした刺激で体調不良を起こしがちな状態で
それでも真剣に絵を描き続けている御姿を拝見し
今日のこのブログのテーマどおり、人が感動する時を考えてみたかった。